まえがき
2023年6月に、PS5とFF16を買ったらしい。自ブログリンク
途中、中断(プレイを辞めてしまった)時期もあったが、ようやくストーリーのクリアをしたので、せっかくなので感想など書いておこうと思う。
ネタバレ気にしないで思ったこと書いていくため、未プレイの方は注意。
(カテゴリはあえて作るのもあれだったので、FF14カテゴリに入れた。FF14の内容はこの記事には一切なし)
総合評価
評価、と書くと上から目線だけど、感想として、5段階で表現するとこんな感じ↓↓。序盤 ★★
中盤 ★★★★
終盤 ★★★
総合評価 ★★★(そこそこ面白かった!)
序盤は、自分の期待したストーリーというか雰囲気ではなくて、少年期終わった時点でプレイをやめてしまった。
いやでも、せっかく買ったんだし……(PS5自体も買ったので、数万円の体験価値がなければ)と思って、プレイを再開。
あまり乗り気ではなかったものの、久しぶりにプレイしていくうちに、後述する「バイロン叔父さん」登場するシーンで、感動で涙が出た。
終盤にかけて、段々物語にのめり込んでいく。(途中何度か、気になってしまったり、冗長と感じてしまうところも複数あった。後述したい。)
しかし、最後のラスボス戦のあたり(章でいうと「オリジン」)で、急激に気持ちが冷めてしまった。理由と思われる点も後述したい。残念ながら、そのせいで、最後の、米津玄師の「月を見ていた」が流れて、最高潮に感動するはずが、それを逃してしまった。非常に残念に思った。
(曲は単純に良い)
クライヴ
良い意味で可もなく不可もなく……あまり書きたいことはない。主人公ポジションとして良いと思った。なんか別の人の感想で、「心の優しい青年なのに、戦闘で「くたばれぇ!」とか激しいこと言うから違和感あった」というのを後で見て、確かに(笑)とは思った。
ジル
かわいいね。クライヴと同じく良い意味で可もなく不可もなく……あまり書きたいことはない。ストーリー上仕方ないと思うし、これは悪いと思ってるわけじゃないけど、ラスボス戦は一緒にいかないのかぁーって思った。
クライヴ・ジョシュア・ジルで協力してラスボスと戦って倒すという方が盛り上がった気はするなぁ。繰り返すけど、そうできないストーリー上の設定というか流れがあるから、これは仕方なかったと納得している。
ミド
超かわいい。今作圧倒的に後述のバイロン叔父が好きだけど、女性キャラでは、ミドか、ヨーテさんが好きかな。ミドも色々着せかえれたらよかったな。着せ替えで思ったけど、アレテストーンで途中で着せ替えできることを中盤ぐらいで気づいたけど、2種類しかなかったので、もっとコスチュームあったらいいなーって思った。DLCとかであるのかな。
ジョシュア
ジョシュアもよいけど、従者のヨーテが美人さんだし、立ち振る舞いとか含めて良かった。ジョシュアは、なんですぐクライヴと接触しないで、「マルガラス」として逃げ続けてたのか最後まで不明だった。
サブクエやってたら判明したんだろうか。こういう、ちょっとした「気がかり」がいくつもあって、「完全にのめり込む」という体験にならなかったのが、残念なところだった。
ディオン
ルサージュ卿。バハムート。好き。
国の中で異端で、でも民を愛して優秀で強い……という、なんか悲劇な目に遭うとしか思えない設定で、ジョシュアと会談した後すぐ死んじゃうと思ったけど、その後たくさん活躍してすごく良かった。ディオン周りは気になるところもなくて、すごく良かった。
あと、戦闘の召喚獣セットは、バハムートを使えるようになってからずっと使ってた。
メガフレア(○ボタンでLv4まで溜められる奴)で、敵の攻撃を回避すると、フレアレベルが溜められるので、ボス戦など、連続攻撃してくるときに
○ → R1(回避) → R1 → R1
と、Lv4まで溜めて、メガフレアを発動。
ボスが遠く離れて、近接攻撃をあてられないときも多いので、追尾(?)で自動攻撃してくれるのがすごく楽しかった。
あと、最後の決戦いくまえのムービーで、シドの娘ミドから抱き着かれて、戸惑ってるのがすごくかわいかった(笑)
男色だからというのもあるのかもしれないけど、そこまで親しくない女の子からのスキンシップだったから遠慮したという感じなんだろうなと思った。
バイロン叔父さん
大好き。この方が登場したおかげで、最後までプレイできたといって過言ではない。冒頭書いたが、バイロン叔父さん登場シーンは最高だった。
このシーンを体験できたから、とりあえず金額的な(数万円(笑))もとはとれたと思った。
ガブ
最初モブかと思ったら、超頼れる相棒だった。フーゴ
敵キャラで2番目に好きかな。愛に生きた漢。
わりと民から治世も評価されてたみたいだし、シドの隠れ家を襲ったりもしたけど、ヘイトは高まらなかった。ベネディクタの死を都合よく利用された感じだし。
フーゴと和解して共闘するストーリーとかだったら、もっと熱かったろうなー。そんなストーリーにできる道筋は全く浮かばないけど、だからこそ、そういった説得力ありつつ意外な展開が多くあったら、世間的にももっと評価は高かったと思う。
フーゴ自体ではないんだけど、タイタン戦は、正直自分には長すぎた。
だれた……。
ストーリーフォーカスなら若干短かったのかもしれないけど、ガルーダ戦をストーリーフォーカスでやったら、あまりにもつまらなくて(ムービーみつつ、たまに□かR1押すだけ)、タイタンはアクションでやった。
でも長い。
第二形態は迫力あってびっくりもしたけど、時間としては半分で充分に思った。
バルナバス
オーディン。敵キャラで一番好き。かっこいい。召喚獣の姿としての、あの兜の角の形は、あんまりかっこよいと思わないんだけど、もともとオーディンのイメージはあれだから仕方がない(笑)
圧倒的強者感があった。
人物としては狂信者みたいな感じで、人間としては広がりを感じられないことが物足りないという方もいそうと思ったが、「不気味に異次元に強い」という感じがあって良かった。
逆に、ストーリー上違和感として、クライヴが、どうしてバルナバスに勝てたのか分からなかった。
これは結構、色んな面で感じたところで、ラスボスのアルテマとの闘いでも思ったところ。
圧倒的な力の差があって、一度どころか2回も負けたクライヴ。
でも、そこまで時間をおかずに、ストーリー上で、バトルで勝ってしまうクライヴ。
今回のFF16で気になった大きな点として、「何で強大な敵に勝てたのか」が納得いかなかったから。
良い例が思いつかないけど、ドラゴンボール?の元気玉?で、みんなの思いを集めたことで勝てたとか、進撃の巨人でリヴァイが獣の巨人を倒せたのは、エルウィンを筆頭に調査兵団の新兵たちも含めて突撃させて全滅させて、そこで油断させて側面から討ち取った、とか。
理由。
何故なのか。
犠牲となったこと。
それまでに講じた策。
それがないと、いくらキラキラしたバトルを描いたって、ムービーが綺麗だって、なんか冷めてしまう。
あー、どうせ、ストーリー上そろそろ勝つんでしょ?
って気がして、実際そうなった、という感じ。そうなると、バトルシステム以前に面白くないのである。
アルテマ
オリジンの章が、うーーん。正直、だれた。これから最終決戦だ! って時に、立て続けでこれまでの説明(アルテマの目的)が入る。
申し訳ないけど、それらは、もっと早くにやっておいて、最終決戦は、単にバトルぐらいでよかったと思う。
しかも、その明らかになる目的も、想像の域をでなかったのもある。
実は一つ(個体)にして全(複数)である、とか、うん……いまさら、別にそんなに驚かない。
強大な魔法を使おうとしている、ということは言われていて、それが「レイズ」だったというのも、「そっかー」ぐらいにしかならなかった。
あと、アルテマ氏が、理(ことわり)や、人そのものを作った神であって、それゆえの驕りがあったというのは分かるけれども、アルテマのこれまでの目的に対しての行動が稚拙、というか、何もしてないように感じられて、強者感や不気味さがいまいちだった。小物感があったともいう。
クライヴに、現れては何度も、「お前は器なのだ」とかいうけど、それで説得できるとか、自我を捨てるとか思ってたのだろうか。思ってたんだろうなぁ……。
クリア後の状態
2週目をやろうと思えなくなったのが、クリア後のセーブデータで入った時に、最終決戦前の状態になったから。これも仕方ないんだけど、なんか、時間が巻き戻った感じなので、冷めてしまった。
できれば、クリア後の世界で、NPCとか話しかけたら、「クライヴお疲れ!」とかなったり、マップの変な空(アルケーの空)が綺麗に晴れたりしてたら良かったんだけど……。
まぁ、エンディングの流れからして無理なのは分かるんだけどね。
戦闘
全体的に「長い」と思うことが多かった。ボス戦自体の長さもそうだし、ダンジョンとかの戦闘回数とかも。
あと、レベルアップは楽しかったけど、あんまし強くなったことが感じられなかった。
カローンの取引所で、経験値アップのアクセサリ買えることはかなり後半になって知って、損した気がした(笑)
ただ、バハムートを得てからと、「スロー」のアクセサリを付けてから、結構楽しかった。
回避してメガフレア撃つのが爽快感あった。
テイクダウンさせたら、ギガフレアで高ダメージを与えていくというスタイルを自分で考えた。
もっと効率がよい戦い方があるんだろうけど、色々召喚獣やアビリティを組み合わせて戦えるというシステムは良かったと思う。
通常攻撃は、うーん、マジックバーストってそんなに攻撃力かわってたのかな? あんまし効果が分からなかった。面倒だから、スキル溜まるまでは単に□連打になってしまい、そこはちょと飽きた。
そのせいで、戦闘が長いって感じたのかな。
シヴァとかオーディンは使わなかった。
ストーリー終盤なので、そこから新しい戦い方を覚える必要性を思えなかった。2週目用なんだろうな。
ストーリー
アナベラ裏切って国を売ったのと、エルウィン殺したことが許せなくて、序盤は一回プレイをやめてしまった。続きをやりたいと思えなくなった。
少年期のストーリー自体は、徐々に面白くなっていってたところだったので、フェニックスゲート事件で、いきなり青年期になってをやる気がしなくなった。
回想構成(過去に戻る)は、ストーリーの組み立てで結構難しい。
序盤の方が面白かったという人が多いようなので、気にならなかった人の方が多かったのだろうけど、個人的には回想シーンなくてもよかったというか、ふつうに、順番に幼少期からスタートでよかったんじゃないかと思った。
後半、ちゃんとアナベラも報いを受けるけど、ある意味綺麗な終わり方だったので、そこも不満が残った。言葉を選ばず書けば、むごたらしく死んでほしかった。
自分で死を選べるとかなまぬるい気がした。
まぁ、女性をそんな痛めつけるなんて、昨今の風潮からしたら無理なんだろうなぁ。
もしくは、上で書いた、アルテマに物足りなさを感じたので、逆に最終ボスがアナベラだったりしたらちょっと面白かったりして。そこに行きつくストーリーなんて全然思い浮かばないけど、それゆえに逆に説得力もって描けたら面白くなる気がする。
グロエロ要素
特に気にならなかった。17歳以上対象らしいから、もうちょっと踏み込んだ描写があるかと思ったけど、R指定ではないらしいからこんなものなのか。ただ、なんかグロもエロも中途半端だったから、だったらなくしてもうちょっと全年齢向けにしてもよかったんでは、とは思った。グラフィック
きれい。これは文句なしと思う。
ただ、よく言われてる通り、暗いところは暗すぎて何もみえなかった。
かといって明るくすると、こんど召喚獣バトルとかできらきらして目が痛いという微妙なバランス。
アレテストーンに入るときに、真っ白になるんだけど、あれも目が痛くて、いつも目を閉じてた。絶対身体(目)に悪いと思う。
あとがき(感想まとめ)
(かっこ書きである。買って損したとかではなく、一言で言えば、普通に面白かった、という感想。やってよかったとも思った。ただ、至上最強のRPGか、というと、んー、まぁ普通、、かなという感じ。よかったけど、2週目(つよくてニューゲーム)とか、レベルコンプしたり、DLC買おうとまでは思わないぐらいな感じ。おすすめのサブクエあったらそれは是非やりたい。テーマがクリスタルの加護を打ち砕くという感じだったから、FF17はもう出ないのかなー。そういえば、自分、FF5、FF7、FF8、FF14しかクリアしたことない。RPGクリアしたのは、FF14を除くと、数年ぶり?? かもしれない。少なくても、ここ5年、もしかしたら10年はクリアしたゲームないのでは? 色んな他のRPGをやったことある人はまた違った感想になるのかもしれないけど、久々にRPGやってみたライトユーザー感想としてはこんな感じかなー。)PR
前書き
4年前の同時期の記事を見てい見ると、老齢基礎年金の記事を書いていた。2か月で13万ぐらいが、偶数月に支払われるということだ。で、Windows標準で入ってたのを最近気づいた「Copilot」(コパイロット)というので調べてみた。
8月生まれの場合、老齢基礎年金は、何月から支払われますか?
8月生まれの場合、老齢基礎年金の支給開始は9月からとなります。具体的には、誕生日の前日の翌月から支給が開始されるため、8月生まれの方は9月から支給が始まります
でも僕は知っている。偶数月に支払われるということだ。だから追加質問をした。
支払いは偶数月ではないのでしょうか?
はい、年金の支払いは偶数月に行われます。具体的には、2月、4月、6月、8月、10月、12月の6回です。したがって、8月生まれの場合、年金の支給開始は9月からですが、最初の支払いは10月になります。
とのことであった。
なので、最初の質問だけで鵜呑みにすると、9月に口座に振り込まれていると勘違いするだろう。
AI頼みというのは、ある程度知識も必要ということだと思う。
でも、僕の元の記事(4年前)が勘違いしていることもあった。
10月に支払われるのは、9月分の1か月分ということですか?
と聞くと、
いいえ、10月に支払われるのは、9月と10月の2か月分です。年金は偶数月に2か月分まとめて支払われるため、8月生まれの場合、最初の支払いは10月に9月と10月分が一緒に支払われます。
とのことだった。あ、そうだったのね。元の記事を参考にした方(いないと思うが)すみませんでした。
上の回答も、AIを本当に信じていいのかというのはあるけど、つじつまはあってるから信じらっると思う。
企業に就職して最初の給料も、4月中に1回支払われるもんね。
お金の話
毎月10万円ずつの投資信託を始めた。120万円が新NISA(2024年)の積み立て枠になったので、ひとまずその枠まで投資する予定。
投資を始める際に、もう10年前? 詳しい友人(リアルではない)に色々聞いて、友人がすすめてたのを買ったら、すごく大当たりした。数十万円増えた。
もっと買っておけばよかったと思う(かっこ笑い)。
一方、自分で選んだ奴は、サイクルで上がったり下がったりするタイプの株式で、あまりお勧めされなかった。
一時期、それも、友人のいうとおりに、数十万円のマイナスになった。
ひええ。となった。
でも別に売ったりするつもりのものではなく、配当金をもらっていこうという趣旨で買ったので特に気にしなかった。
今は、株式が好調なので、数十万円のプラスになっている。
年に3000円ぐらいの配当がつくやつなので、8年ぐらい持ち続けてるから、2万4000円ぐらいは単純に「利子」みたいにもらえたはず。で、株式自体で数十万円の+評価がついている状態。
銀行に預けていても、利子なんてほんとうに塵程度しか発生しないため、預貯金しかしていないというのは、本当にもったいないことだと思う。
全否定はしてはいけない
なのだけど、安全にお金を預かってもらっている、という意味では、銀行の預貯金もダメではないと思う。元本割れはしないわけだし、ペイオフで1000万円は保証されているわけである。
とかいっても、核戦争とかなったら、制度も何もあったもんじゃなくなると思う。
なので、本当に「リスク」っていったら、別に預貯金も安全じゃない。
そこまでの話じゃなくても、物価高に預貯金は弱いと思う。インフレーション(ってカタカナ書くとあれだけど、インフレとはつまり、お金の価値が下がることだと理解している)になると、元本割れせずに1000円あっても、ジュース一本が200円になったら、5本しか買えなくなる。でも、投資していて1000円が2000円になっていたら、10本買えるかもしれない。なんかくだらない喩えな気がする。
とはいえ投資しない奴はバカだ、というのも言い過ぎだとは思うわけである。
結局、ジュース5本だけで十分だったとしたら、安全に1000円を守れたということでそれで充分なのだ。
どう使うか何に使うかいくら使うか
住居が心配といえば心配。今のところは賃貸であるが、そのうち、身寄りがなくなってしまったら、借りれないんじゃないかと思う。保証人が必要だからね。
そのあたりは、正直、いっくら仲の良い友人がいたとしても、頼れるものじゃないと思うんだよね。
なので、コミュニティが必要とかいうけど、あんまりそういう言説も信用できない。
結婚の話とかあるけど、「孤独死」とかあるけど、なんで結婚するとそういう問題がすべて解決すると思われるのか、ということである。
逆に言うと、リスクでもあるわけだ。
結婚というのを、「世話してもらえる」って思ってないかということである。違うでしょ? つまり、相手が何らかの障害や働けなくなったり、病気になったり、死亡したりと、色々問題があったときに、自分の責任も生じるわけである。
それと、一人でいることとは、本質的にリスクは変わらないのではないか。
結婚が良いものになる可能性はもちろん否定しないが、コミュニティ不足という観点から結婚が必要というのはよく分からない。
まぁ、保証人が不要の賃貸とかもあるが、「割高」なんだと思う。
でもそれは逆に、お金があれば解決する問題ともいえる。
幸せはお金では買えないかもしれないが、「安定」や「時間」はお金があれば買えるのである。
お金は自由のための道具
人生には限りがある。有限だ。
「時間」は減っていく。
人生の目的は、僕が中学生の時に思いついたことだが、いまだにその考えを捨てられていないが、「楽しむこと」だと思っている。
楽しむというのは、幸せという言葉でもいいし、満足でも、充足でも、何でもいい。
そういうことが人生の目的である。
果たして「楽しむ」とは何か? という思考はもちろん必要になるが、まず、「人生とは何か」ということに対しての定義として、いままでブレたことはない。
人生は、「苦しむためにある」というのは仏陀的かもしれないが、別に仏陀もそうは言っていない。人生は苦しみである、とは言っていると思うが、苦しむために人生があるという意味ではなかろう。
仏陀のいう涅槃も、こじつけかもしれないが、「満足」と定義すれば、同じであるともいえなくもない、と勝手に思う。
では、楽しむために何が必要か。
やはり「自由」ではないだろうか。
自由とは、自分の意思で、行動を決められることである。
果たして。人と一緒にいるということは、これと相矛盾する。
しかしながら、人と一緒にいることで充足できることもある。人と一緒にいないと充足できないこともある。
そして、行動するには、お金が必要だ。
お金がないと、自由が手に入らない。自由がないと、楽しめない。でも、自由があっても、何をしたら楽しいのだろうか。楽しいを作るのは、自分自身だ。
あとがき
(かっこ書きである。なんか、面白くないことを書いてしまった。表面的なことしか書けてない。もっと深いこと書きたい。思考が表層的過ぎる。お金の話とかになるとどうにもそうなってしまう。面白くない。面白い話をしたい。やっぱり、人は何故生きるのか、的な話の方が、断然自分としては面白い。Youtubeの動画が最近充実していると思う。宇宙系の話が本当に面白いと思う。シリウスって、太陽よりもおっきい。んで、太陽って、地球の109倍らしい。109倍っていってもよく分からないから、Youtubeとかだと図示してくれるんだけど、一目で、100倍ってすげええってなる。映像ってすごい。ただ、そういいうのも、見ただけで終わると、なんか、スッと流れてしまうというか。へー。で終わる。やっぱり、日記書きたくなるというのは、僕の性格なのだろうか。性質? とにかく、109倍すごかった。木星も地球よりおきいいんだけど、太陽ってすごくおっきいんだね。小学生並み感想。でもよく考えると、太陽系って、太陽を中心にぐるぐるするわけだから、太陽の方がばかでっかいのは当たり前なんだよな。でも、木星って、地球よりすごく大きいイメージあったから、太陽の比較がすごく驚いたな)いろいろな星の大きさを比較してこの地球がどの程度のものなのかがよくわかるムービーhttps://gigazine.net/news/20091218_star_size/
広大な宇宙【サイズ比較】
https://www.youtube.com/watch?v=V0NqfqivkOo
まえがき
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 単行本 – 2019/7/12この本、アマゾンじゃなくて、書店で見つけて立ち読みして、そのまま買ったんだった気がする。その購入した本屋さんはもう、つぶれてなくなったんじゃなかったかなぁ。それとも、別のところで買ったんだっけ。別の所だとしたら、仕事帰りに、何か用事……出張だっけ、そこで買ったんだっけかな。記憶はあいまいで、確かめる方法もなく、確かめる必要もなく。
いずれ死ぬということ
この本を読んでから、あんまり、「生きる意味」について考えなくなっていったような気がする。死ぬということについて、非常に論理的に考察されている気がする。これを哲学というのであれば、哲学は非常に役に立つ学問だと思う。
あまりにもよくまとめられていて、考え抜かれていて、そもそも、自分の書くとか、考えるということをやめたくなるほどだ。
この本に書いていることをしっかり記憶できれば、それで十分なんじゃないかと思わされる。
■ □ ■ □
例えば、死は本当に悪いものなのか? といった問い。
一般的に、死ぬのは悪いことだとされる。生きること、命は価値があることだとされる。
でも、死の何が悪いのか。それは、「剥奪されるからだ」という。
生きていれば、良いもの得られる、感じられるが、死ぬと得られなくなる。奪われるということだ。だから死ぬのは悪いことだという。
なるほど、そんな気がする。
でも、「生きていればよいもの」とは何か。
そうやって問いが続いていく。
死ぬのは救いでもある
確かに、想定していたよりも早く死ぬのは、悪いことだ。明日、美味しい焼き肉を食べにいく予定だったのに、途中事故で死んでしまったら、明日得られるはずだった「食欲」が満たされなくなったので、悪いことだ。
でも、容易に想像できるのは、不治の病といったもの。
苦しみしか残りの人生、ないとしたらどうだろう。
それでも、生きる意味というのはあるのだろうか。
人間とは何か 実存的精神療法 単行本 – 2011/5/6
フランクル先生であれば、「どんなときも、生きる意味がある」と言ってくれそうな気がする。
それは、イェール大学のシェリー先生(前述「死とは何か」の著者)のいうところの「価値ある器説」といえる気がする。
生きてるだけで僕らは価値があるから、どんな苦しみの状況に置かれても、人生のトータルにおいて、マイナスになることはない、ということなのだ。
目指すところかもしれないが
素晴らしい考えに思うが、中々、凡人には難しい気がする。痛みや、苦しみしか残されていない人生に、価値があるとは思えない。もちろん、自分が生きていて、喜んでくれる人がいる場合や、逆に死ぬと哀しませてしまう人がいる場合は想像できる。
でも、哲学的にというのか分からないが、論理的に考えてみると、まぁ、そんな人がいない場合も想像できる。
誰からも必要とされていなく、自分自身は苦しいだけ。
まぁ、死んだ方がいい気がしてくる。
そう考えると、一概に「死」が悪いものだとは思えない、というわけになる。
未来が描けない
寿命も分からなければ、自分の人生の絶頂期というのも分からない。これからどんどん成長し、発展していく人生でなければ意味がないか、というと、そういうわけでもないと思う。
仮に、どんどんこれから人生が悪いものになっていくとしても、その悪くなっていくのが、とてもとても緩やかだったらどうだろうか。
別にそんなに悪いことじゃない気がする。
どっちにしても(よくなるのであろうが、悪くなるのであろうが)、それは自分ではわからない。
■
あと、これは、僕は前から提唱していたことではあるが、「人と比べても無意味である」ということは、20代ぐらいからの思いから、特に変わっていない。
自分が幸せだなら、それでいいのだ。
どんだけ悲惨そうにみえても、その人自身が幸せだと自分で思えたらそれで幸せなのである。
■
でも幸せって何だろうか?
やっぱり、人と比べないと、幸せは感じられないものなのかもしれない。
単純な、性欲、食欲、睡眠欲といった、生理的な欲求だけで、「幸せ」と感じられる人間はあまりいない。
人間が「複雑」なゆえんだ。
人はなぜ複雑なのか
実は、生物的な罠である気がする。キルケゴール氏が、「不安の概念」で述べているのは、「自由」があると不安になるということだそうだが、自由があってもなくても、人間は不安にかられる生き物なのかもしれない。
何か「工夫」をして、ホモサピエンスは生物界で生き残ってきた。
狩猟採集ではなく、農耕や畜産をして、食料を産み出すというのは、やはり人間の優れたところだ。
でも自然に対しては無力だ……といいつつも、天気予報したり、暦をつくったり、自然を克服するために努力を重ねてきた。人間すごい。
それらは、
「何かしなきゃ」
という不安が原動力なのかもしれない。何か新しいことをして、改善し続けるところが、人間の本能的にインプットされたことなのかもしれない。
成熟社会
でも果たして、成長し続けることは可能なのか。人類はいずれ、滅びる。これは人類だけじゃなくて、地球上の生き物は全部滅びるらしい。
3億年後だっけ? なんか動画見た。なんか気温がどんどん上がっていって灼熱の星になるらしい。最後は超新星爆発するのかな。
5億年ボタンって思考実験の動画あるけど、そもそも5億年も生物は存在してないのだ。
「価値」というのは無限かもしれない。
でも、物理的資源は、有限だ。
だから、いつまでも、どこまでも成長し続けるということは難しいことなのだろう。
今日の一言「久しぶりのブログ」
このブログは、何か結節点としてのタイミングにおいて書くことが多かった。もちろん、ただ15分だけとか、書くことそれ自体を目的にするときもあったから、全部が全部そうではない。
例えば今日、外出する用事のついてでに、鰻を食べに行ったということがあったとしても、さほど大きな自体ではない。書いて残しておくほどのことでもないが、ただ、タイミングが今日であったというだけである。つまるところ、今日という日が何か特別というわけではない。
たまたま、時間ができた、それだけだ。
おっさん、おじさん、……少なくても、お兄さんとはもう呼べないような存在だ。
しかし、精神的には、何か、どこかで、大きな変化があったかどうかよく分からない。
あったことは、進学とか、就職とか、結婚とか、離婚とか、そういうライフイベントによる環境の変化だ。
劇的な変化ということはなくて、徐々に、変わっていくようなものだと思う。
劇的に変わることは危険なので当たり前だ。ホメオスタシス、恒常性を維持しつつ、環境に適応していくように、人間というか生物はできているのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=d0Q4LpUV7jk
興味があることは、今時点で独身であるということは、ボク自身の感覚がよく分かるので、どうでもよい。
気になることは、その後、40代、50代、60代、70代、80代、90代となっていったときに、どういったリスクがあるのかということである。
そのリスクを知った上で、生涯独身でよいと、覚悟をもって自分で思っているのか、どうか。
覚悟。
それが一番大事だ。
あと、リスクというのは、所詮は、「起こるかもしれない」ということでしかない。おこるかどうかは分からない。
何があるか分からない。首都直下大地震(南海トラフ?)か何かがやってきて、たまたまブロック塀のそばにいて押し倒されて死ぬかもしれない。
仮に明日死ぬとしても、満足して1日を過ごせたかどうか……。
もちろん、すべてのリソースを1日で使い尽くすというのはあまりにも人間として愚かなので、明日や、未来についてのリソースは残しておいた方が良い。
それでもなお、明日や未来というために、「今」この瞬間を無駄にしたり我慢したりするのは、できるだけない方が良い。
リスクというのは、今にどれほどリソースを使うかという「判断」でしかなく、真理でもなんでもないのだ。この点をよく分かっておく必要がある。
(仕事とかしていると、リスクの話ばかり大きくなるので、「何を成すのか」ということを考えられなくなる場合がある。これは本末転倒だ)
でも、めちゃくちゃ関係がある。
言葉に、どの程度、意味を持たせるか。どんな立場の人がどんなことをいうのか、というのは関係ある。
上の動画で、色んな意見があるけれども、正直……うーん、ぴんとくるものはなかった。欲しい情報がなかった。もっとちゃんとバックグラウンドを持ったうえで知りたいと思った。
例えばボクは、今独身だけれども、結婚という生活をしている。結婚後、離婚をしている。
離婚した後に、別の方と同棲する生活もさせて頂いた。
そのうえで、今は独身で、一人暮らしである。
正社員の仕事はある。両親は健在である。
こういった状況において、自分は独身である。
この状況に置いて、独身であるということについて、まったく不自由していないというか、不幸せだと思ったり、「寂しい」と思ったりすることは「ない」。
むしろ、今までのライフイベント、生活を振り返ってみても、一番「楽しい」「幸せである」といえている。
ただ、上の動画の、独身の方々の意見は、どちらかというと、「結婚したかったな」とか「結婚した方がよいと思う」というものであった。
やっぱり、最近においても、そういう風潮が強いのだなと思った。
あと、ボクの場合は、一度結婚することができたので、結婚生活というものの経験があるというのは、これは完全にアドバンテージだと思っている。
けれども、だからこそ、ボクは「結婚したい」と思っていた。「やってみなければわからない」(こともある)というのは事実だ。
なにせ、人は一人ずつみんな違う。考え方も感じ方も。
結婚したことが滅茶苦茶幸せな人もいれば、そうじゃない人もいる。
じゃあ自分は?
どっちなのか?
それは、やってみなきゃ分からないのである。
だから、悩んだり苦しんだりしつつ、それなりに努力して(大した努力ではないのだろうが)、結婚できた。
で結局離婚したわけだ。
離婚した当時は、落ち込んだ。それはもう凹みまくった。探せば当時の記事も出てくるだろう。
それはそうだ。離婚するということ自体は、想定していなかったのだ。「結婚はしてみないと分からない」という自分の意思で決めたわけだが、離婚は選択肢の一つでしかなかったので、覚悟も何もなかった。だから狼狽した。
何故狼狽するのか。覚悟がないからだ。覚悟ないとなぜ狼狽するのか、それは、どうなるか分からないからだ。分からないことは、怖い。
でも、実際、離婚した後、一人の生活が長くなるにつれて、「あれ……やっぱり、こっちの生活の方が楽しいな……」って思い始めた。
感謝というのは違うのだろうが、僕なんかを相手にしてくれた方にはとても感謝している。そして、こんなボクの性質を分かったことによって離婚した方がよいのだと思ったのだろう。今では離婚を切り出してくれてよかったとすら思う。ありがたい。
そういう人間もいるということは、まぁ、こんな薄暗い辺境界隈のブログ1記事で誰も見てないだろうが、まぁ、いるんだということは誰かに知ってもらえたら、有益だと思う。
婚活支援とか、子ども支援する役所とかの人にはショッキングな話かもしれないが、でも、結婚する人を増やすという方向は、何か行政的な方法でどうこうできる問題じゃない気がする。子育てにお金が必要だから、お金を投資するというのは悪いことだとは思わないが、結婚数を増やすというのは、どうなんだろうか。
まぁ、結婚したい人も割といるようだというのが、上の動画みて感じたことだ。
間違いないようにかいておけば、結婚は結婚で、素晴らしいことだと思う。
やっぱり、男と女は、生物的に、つながりあうようにインプットされているのは間違いないと思う。
この点は、間違いないと思うんだよな。
だから、結婚しないという選択肢は、(若いころの)ボクの中で、非常に恐ろしいものだった。
上の動画で描かれているような、独身でいることの寂しさとか恐怖とか、そういうものがいずれやってくるのだろうと思った。(もちろん「モテない」とか「彼女ができない」ということ自体にすごく劣等感があったというのもある)
でもだからこそ、そんなこと気にしなくても、「自分がどうしたいか」を一番に感じ取って、それをもとに行動した方が良い、これを言いたいのである。
もちろん未来のことは全く分からないが、少なくても、主体的に何か、お見合いパーティーとか婚活するとかは、することはないだろうと思う。
(それも分からない。50歳になって、ものすごく焦って何かするかもしれない。その時は、今回のこの記事を読んで、「的が外れたな……」と思うのだろう)
ただ、それは、50歳になって「したいこと」になったのだから、すればいいと思う。
少なくても、今の僕の「したいこと」ではない。だからしない、ただそれだけ。
ようやく、人生を、自分の人生だと思えるようになった気がする。
もちろん何があるか分からない。
避けられないライフイベントはまだたくさんある。
両親の死。退職。大災害。そして、自分の死。
さてそのとき、僕は何を思って、どう行動するのか。分からない、何も分からない。
ただ「覚悟」はしておいた方が良い。
「今」を楽しく生きるためのリソースを使い切らないぐらいに、未来に投資をしておいた方が良い。
実際「今」があるのも、過去の僕の未来への投資のおかげなのだ。
就職したことも、仕事である程度信頼を得たことも、恋愛経験をしたことも、結婚したことも、過去の僕が選んで行動した結果があってこそなのだ。
過去の自分、ありがとう。大変だったな。おかげで、今は、まぁそこそこ大変なこともあるが、正直、過去のお前ほどの苦労はないわ……。
まえがき
今年、2本目のブログになるのか。このブログは、何か結節点としてのタイミングにおいて書くことが多かった。もちろん、ただ15分だけとか、書くことそれ自体を目的にするときもあったから、全部が全部そうではない。
例えば今日、外出する用事のついてでに、鰻を食べに行ったということがあったとしても、さほど大きな自体ではない。書いて残しておくほどのことでもないが、ただ、タイミングが今日であったというだけである。つまるところ、今日という日が何か特別というわけではない。
たまたま、時間ができた、それだけだ。
変化すること
自分は独身の30代である。もうすぐ40代になる。おっさん、おじさん、……少なくても、お兄さんとはもう呼べないような存在だ。
しかし、精神的には、何か、どこかで、大きな変化があったかどうかよく分からない。
あったことは、進学とか、就職とか、結婚とか、離婚とか、そういうライフイベントによる環境の変化だ。
劇的な変化ということはなくて、徐々に、変わっていくようなものだと思う。
劇的に変わることは危険なので当たり前だ。ホメオスタシス、恒常性を維持しつつ、環境に適応していくように、人間というか生物はできているのだろう。
リスクとは何か
たまたま、以下の動画が目に留まった。https://www.youtube.com/watch?v=d0Q4LpUV7jk
興味があることは、今時点で独身であるということは、ボク自身の感覚がよく分かるので、どうでもよい。
気になることは、その後、40代、50代、60代、70代、80代、90代となっていったときに、どういったリスクがあるのかということである。
そのリスクを知った上で、生涯独身でよいと、覚悟をもって自分で思っているのか、どうか。
覚悟。
それが一番大事だ。
あと、リスクというのは、所詮は、「起こるかもしれない」ということでしかない。おこるかどうかは分からない。
何があるか分からない。首都直下大地震(南海トラフ?)か何かがやってきて、たまたまブロック塀のそばにいて押し倒されて死ぬかもしれない。
仮に明日死ぬとしても、満足して1日を過ごせたかどうか……。
もちろん、すべてのリソースを1日で使い尽くすというのはあまりにも人間として愚かなので、明日や、未来についてのリソースは残しておいた方が良い。
それでもなお、明日や未来というために、「今」この瞬間を無駄にしたり我慢したりするのは、できるだけない方が良い。
リスクというのは、今にどれほどリソースを使うかという「判断」でしかなく、真理でもなんでもないのだ。この点をよく分かっておく必要がある。
(仕事とかしていると、リスクの話ばかり大きくなるので、「何を成すのか」ということを考えられなくなる場合がある。これは本末転倒だ)
生涯独身でいること
上に書いたリスクのこととか、目的とかのことは、今回の記事において全く意味をなさないと読者は思うかもしれない。自分を含めた未来の読者。でも、めちゃくちゃ関係がある。
言葉に、どの程度、意味を持たせるか。どんな立場の人がどんなことをいうのか、というのは関係ある。
上の動画で、色んな意見があるけれども、正直……うーん、ぴんとくるものはなかった。欲しい情報がなかった。もっとちゃんとバックグラウンドを持ったうえで知りたいと思った。
例えばボクは、今独身だけれども、結婚という生活をしている。結婚後、離婚をしている。
離婚した後に、別の方と同棲する生活もさせて頂いた。
そのうえで、今は独身で、一人暮らしである。
正社員の仕事はある。両親は健在である。
こういった状況において、自分は独身である。
この状況に置いて、独身であるということについて、まったく不自由していないというか、不幸せだと思ったり、「寂しい」と思ったりすることは「ない」。
むしろ、今までのライフイベント、生活を振り返ってみても、一番「楽しい」「幸せである」といえている。
ただ、上の動画の、独身の方々の意見は、どちらかというと、「結婚したかったな」とか「結婚した方がよいと思う」というものであった。
やっぱり、最近においても、そういう風潮が強いのだなと思った。
あと、ボクの場合は、一度結婚することができたので、結婚生活というものの経験があるというのは、これは完全にアドバンテージだと思っている。
経験というアドバンテージ
こんなこと書くと、所詮結婚出来た奴は、生涯独身の奴の気持ちなんて分からないよ、なんて、敵視されてしまうだろう。それは仕方がない。ボクが逆の立場でもそう思っただろう。けれども、だからこそ、ボクは「結婚したい」と思っていた。「やってみなければわからない」(こともある)というのは事実だ。
なにせ、人は一人ずつみんな違う。考え方も感じ方も。
結婚したことが滅茶苦茶幸せな人もいれば、そうじゃない人もいる。
じゃあ自分は?
どっちなのか?
それは、やってみなきゃ分からないのである。
だから、悩んだり苦しんだりしつつ、それなりに努力して(大した努力ではないのだろうが)、結婚できた。
で結局離婚したわけだ。
離婚した当時は、落ち込んだ。それはもう凹みまくった。探せば当時の記事も出てくるだろう。
それはそうだ。離婚するということ自体は、想定していなかったのだ。「結婚はしてみないと分からない」という自分の意思で決めたわけだが、離婚は選択肢の一つでしかなかったので、覚悟も何もなかった。だから狼狽した。
何故狼狽するのか。覚悟がないからだ。覚悟ないとなぜ狼狽するのか、それは、どうなるか分からないからだ。分からないことは、怖い。
でも、実際、離婚した後、一人の生活が長くなるにつれて、「あれ……やっぱり、こっちの生活の方が楽しいな……」って思い始めた。
感謝というのは違うのだろうが、僕なんかを相手にしてくれた方にはとても感謝している。そして、こんなボクの性質を分かったことによって離婚した方がよいのだと思ったのだろう。今では離婚を切り出してくれてよかったとすら思う。ありがたい。
未来も同じことを思えるのか
というわけで、申し訳ないが、僕は、独身生活を楽しんでいる。特に問題を感じていない。そういう人間もいるということは、まぁ、こんな薄暗い辺境界隈のブログ1記事で誰も見てないだろうが、まぁ、いるんだということは誰かに知ってもらえたら、有益だと思う。
婚活支援とか、子ども支援する役所とかの人にはショッキングな話かもしれないが、でも、結婚する人を増やすという方向は、何か行政的な方法でどうこうできる問題じゃない気がする。子育てにお金が必要だから、お金を投資するというのは悪いことだとは思わないが、結婚数を増やすというのは、どうなんだろうか。
まぁ、結婚したい人も割といるようだというのが、上の動画みて感じたことだ。
間違いないようにかいておけば、結婚は結婚で、素晴らしいことだと思う。
やっぱり、男と女は、生物的に、つながりあうようにインプットされているのは間違いないと思う。
この点は、間違いないと思うんだよな。
だから、結婚しないという選択肢は、(若いころの)ボクの中で、非常に恐ろしいものだった。
上の動画で描かれているような、独身でいることの寂しさとか恐怖とか、そういうものがいずれやってくるのだろうと思った。(もちろん「モテない」とか「彼女ができない」ということ自体にすごく劣等感があったというのもある)
でもだからこそ、そんなこと気にしなくても、「自分がどうしたいか」を一番に感じ取って、それをもとに行動した方が良い、これを言いたいのである。
未来は寂しいのだろうか
まず、もう、結婚することはないだろうと思う。もちろん未来のことは全く分からないが、少なくても、主体的に何か、お見合いパーティーとか婚活するとかは、することはないだろうと思う。
(それも分からない。50歳になって、ものすごく焦って何かするかもしれない。その時は、今回のこの記事を読んで、「的が外れたな……」と思うのだろう)
ただ、それは、50歳になって「したいこと」になったのだから、すればいいと思う。
少なくても、今の僕の「したいこと」ではない。だからしない、ただそれだけ。
ようやく、人生を、自分の人生だと思えるようになった気がする。
もちろん何があるか分からない。
避けられないライフイベントはまだたくさんある。
両親の死。退職。大災害。そして、自分の死。
さてそのとき、僕は何を思って、どう行動するのか。分からない、何も分からない。
ただ「覚悟」はしておいた方が良い。
「今」を楽しく生きるためのリソースを使い切らないぐらいに、未来に投資をしておいた方が良い。
実際「今」があるのも、過去の僕の未来への投資のおかげなのだ。
就職したことも、仕事である程度信頼を得たことも、恋愛経験をしたことも、結婚したことも、過去の僕が選んで行動した結果があってこそなのだ。
過去の自分、ありがとう。大変だったな。おかげで、今は、まぁそこそこ大変なこともあるが、正直、過去のお前ほどの苦労はないわ……。
あとがき
(かっこ書きである。今回ほど、過去の経験などを具体的にかいたことはなかったけれども、まぁもう何年も経っているからよいかなと思った。離婚した後、しばらくして、今と同じような感覚(一人暮らし悪くない)と思い始めていた。でも、それは一時的な感覚なのではないかという不安や、自分自身を無理やり納得させようとしているのではないかという不安もあった。だから、明言はしていなかった。でも、ここ何年も経って、やっぱり、一人暮らしは悪くないし、満足できている。個人的に向いている性質の人間だったんだと思う。だから、70億の人類みんなそうではないだろうし、まだまだ少数派なのかもしれない。でも、同じように一人暮らししている若い人たちは、そういう感覚になる30代後半の人間もいるということを知っても良いと思う。ただ、それに安心してもらうということではなくて、やっぱり「経験」は代えがたいアドバンテージであると思う。老害とか、古典とかということかもしれないが、今は嫌われるという「若い内の苦労は買ってでもしろ」というのは、「苦労」というのは違うと思うが、「経験」はいっぱいするにこしたことがないと思うから、僕は上の「若い内の……」という格言的な奴は、否定できないでいる。なんで否定する人がいるかも理解できない。「苦労」という言葉がダメなんだろうとは思うけれども、格言的なのは、ある程度センセーショナルであってもよいと思う)
今日の一言「謹賀新年」
1か月1つという目標は、無理やり達成。全く意識してなかったし、全く書いてない月もあったけれども。
昨日は、隣人が友人を招いたのか、深夜どんちゃん騒ぎしててよく眠れなかった。
まぁ、新年だし、今日ぐらいは許そうかという少し寛大な心になれた。
昔だったら壁ドンとか管理会社に苦情してたりしてたかもしれない。まぁでも、毎日続くようなら流石に苦情言うけどね。
面白かったなー。
男と女って、女の方が原型だって話をされてて、確かに! って思った。
男って、「生き甲斐」とか「自己犠牲」が遺伝子に刷り込まれてて、女が生きやすいように戦争とかするための決戦兵器ということだ。
他種族を滅ぼすために作られた存在ということ。
女は健気に家庭を守っている……という体裁にありながら、まぁでもよく考えたら、危険な戦いや狩りに行く男の方が死にやすいよね。生物的な価値を、「生存」とおくのであれば、男の方が不合理な役割を課せられている。
一方で、男は男で、それを「男らしい」というか、価値だと思っていて、か弱い女性を守ることを逆に生きがいとか、幸せに感じる、と。
上に書いたことは完全な引用じゃないから、主旨を誤解しているかもしれないが、少なくても、1.5~2倍速で見てたらそんな感じでは理解した。30分の動画も15分で見れるから動画ってほんといいと思う。
曲とかじゃないと、人の会話って、1.5~2倍で聞けるんだよなぁ。
別に、自分の頭の回転が速いとか言いたいわけじゃなくて、たいていみんなそうだと思う。ただ、これも岡田氏が別の動画とかで言ってたと思うのだけど、頭の回転のギアを落とした方が、「トルクが強い」コミュニケーションがとれるということだ。トルクがあるというのは、動かす力が強いということ。回転数をあげると速度は速くなるが、トルクは弱まる。高速な思考というのがもてはやされるけれども、ゆっくりで、でも、相手の気持ちを汲むのも大事というのが、「サイコパスおじさん」とか自分で言っておいて、んー、なるほど、人の気持ちもちゃんと「理解」はできる人なんだなぁと思わされる。頭のイイひとだなぁとは思った。
いやもちろん、体育会系でも良い人いっぱいいるし、そういう友達もいたけどね。
でも、やっぱり理屈っぽいひと、の方が好きだと思う。
かといって、ボクが理屈っぽいかというとそうではなくて。だいぶ感情よりだとは思う。
というかなんか思うに、「男らしさ」「女らしさ」でいうと、ボクは女性に近いと思うんだよな。
いや、気持ち悪いこと言ってるのは分かっている(かっこわらい)。
数年前から、もう、このブログに置いてあまり書けないことがなくなったが、さすがに気持ち悪いと思って書いてこなかったけれども、まぁ割と前から思っていた。
俺は、男っぽくはない。
そんな風な状況で、上の岡田氏の動画において男って決戦兵器なんだよな、という説明がしっくりきた。
つまり、男という生き方は不合理であるということだ。生物的にはね、という。
別に、男に生まれたから不幸せとか、自己犠牲しなきゃいけないとかじゃないし、ただ、そういう傾向があるという知識というか、考え方は面白いと思うよ。
あ、というか、この小見出しって、岡田氏のこと嫌いな人もいるんだろうな、ということを書きたかった。
なんか、ネットやってると、「批判」ってのがすごく目立つ。
本とか読んで、「おーすごい」って思ったことも、ネットで調べるとたくさん反論あったりして。
んで、その反論もなんか「わかる」って思ったりすると、何信じていいの? って気持ちになって、何かやる気が落ちるという現象、なんか分かる人いないかしら。
イイ女(男)がいて、それを自分も買えると思うから訳が分からなくなる。もちろん、円としてのお金で買えるものではないのは誰もが分かってると思うが、「自分磨き」とか、容姿とか先天的なものも含めて、自分の能力をあげることによって、イイ女(男)をゲットできると、そういうことを考える人はわりといると思う。
でもそうじゃなくて、恋愛とか結婚は、お互いに関係を創作するものだとしたら、これは非常に難儀なことである。
誰にでもできることじゃない。
あと、大正時代とかは、お手伝いさんとか含めて15人ぐらい一人男が働いて「家族」を養ってたけど、サザエさんの時代は2人男が働いて、5人ぐらい養うになって、クレヨンしんちゃんでは2人になる、と。
これって段々貧しくなってるともいえるよね、というのも面白かった。確かに。
とはいえ、こういうのも反論あるものなんだろうか。ボクは普通に面白いって思ったけどなぁ。
ということで、何を言っても考えても、批判があることを考えたり思ったりして、何も言わないのが正しい、みたいになるのは、やっぱりつまらないと思う。
ボクもだいぶ丸くなって、自分のことを唯一無二の存在とは全く思わなくなった。
いや、そもそも自信のない人間だったから、昔からそんなこと思ってたわけじゃないのは書いておきたい(かっこわらい)。
ただ、「唯一無二の存在にならなければならない」ということは思っていたと思う。
例えば、思考の独自性とか。
でも、独自性とか無理だよ。どうにも、周りにあんまり物理環境では、思考レベルで一致する人っていなかったんだけど、でも、広いネットとかでは、共感する人とかもたくさんいると分かった。
その「たくさん」が、統計的なたくさんなのかは分からないけど。やっぱり少数なのかもしれないけど、それはもうあまり気にならなくなった。
要するに、自分は別に特別じゃない、ということだ。
世界が本来秩序立っているというのであれば、その秩序に従えばよい。
いやあるいみ、共産主義国家は、秩序がしっかりしていて、「成功」なのかもしれない。
某国ですみたいとは全く思わないけど、そこはそこで、ある程度衣食住が保障されている国であれば、共産主義自体は悪いことではないかもしれない。
何故なら、大半の人は平凡だからだ。
でも生き方というのが、国家に決められるというのは、やっぱりおかしいと思う。
ただそれは、「国家」だからおかしいと思うのであって、「神」とか、「人工知能」だとかだったら話が違うと思う。
(まってね、今書いてるのは、「秩序がある」という前提での仮定の話だからね。この挿入しとかないと、自分でも後から読んで誤解しそう)
完全に正しい導きがあるなら、むしろそれに従うべきだと思う。
その方が相対的に幸せなのだろうから。相対、総体、どちらも。
でもそうじゃない、世界は、カオス、混沌である。
だから、国家なんてましてや正しい選択をできるわけがないし、人工知能だってそれは同じである。
ただ、人工知能の優れたところは、「正しそう」という推論を、ある程度の確度でできることだと思う。
あと、納得感が違うと思う。
これは感情面だけど、「偉い人に決められたこと」よりも、無生物の例えば法律とか、そういう感情などがないものの決定の方が人は従いやすいと思う。体育会系は別だろう。差別的ないい方をあえてしてるのであって、本当にそう思ってるわけじゃないが、「合理性」を優先する人間であればあるほどに、「ただしらしさ」には盲目的に従ってしまうと思う。
恋愛する、結婚する、そういった選択も含めて、人それぞれの正解がある。
その正解というのは、大事なことは、「環境」要素も大事だということだ。
自分という存在が確固した、不動の要素であるならば、答えもあるだろう。
しかし、自分自身も変わるし、環境も変わる。
どっちなんだろうね? 変わるのは、自分なのか、環境なのか。卵鶏論みたいな感じになるが、興味深いと思う。
自分が変わるから環境が変わるのか、環境が変わるから自分が変わるのか。両方だろう。
だから、「考えること」は、他人任せにはできないのだ。
いくら考えても、死ぬときは死ぬ。
それが早いか遅いかだけだ。
寿命が知れたとして、病気とかじゃない限り、知りたくはないと、思う。
健康なうちはね。
毎日痛みで苦痛で、という状況なら、いつ終わるのか早く知りたいと思うかもしれない。
そう、最近思うこととしては、やっぱり「健康」が一番だと思うのである。
死にたい死にたいって思ってた10代ぐらいとは違って、最近は生きていてもいいかな、っていうのが基盤になっている。
これは大きな変化だと自分では思っている。
生きることが前提としたときと、死んでもいいと思っている時の思考って別物だと思う。
だから、10代のころの自分の書いていることと、今とを比較したときに、「言葉」として同じことを書いていたとしても、その意味していることが同じとは思わない方がいい。
しょせん、言葉は、現実を思考のために都合よく切り取っているだけである。
言い方をどうしても、辛辣に書いてしまうのがボクの文章の癖だなぁ(かっこわらい)。でもその方が後から読んで面白いから、仕方ない。
いや、都合よく切り取れるって、そんな否定的に書いたけど、これってすごい発明だとボクは思っている。ただ、このことを書かないと伝わらない。だから言葉って難しい。
逆に、他人に理解してもらおうとあまり思わなくなったのも良い方向だ。30%でも伝わったらもう、それは嬉しいぐらい。
弱いもの(女)を守って死ぬことが男として最高の生き方であり、女はすごく泣いて感謝してくれる。いや、当人の男が死んだら、別に泣いても意味ないじゃん、って思うじゃない?
でも違うと思うんだよな。女が、男を慕ってめちゃくちゃ泣いてたりするのを、周りの(まだ生きてる)男が見るわけじゃないか。
そうすると、よし、俺も大事な人を守って死のう! って思うわけじゃない(笑)。
でも、だんだんバレてきちゃってるのが現代。
いやもちろん、旦那さんを思って本気で哀しむ人もいるけど、あーやっと死んだわ、年金暮らし気ままにできてハッピーって女の人もいるじゃない。
そういうのがバレてきてしまった。
いや別に、再婚しないで、ずっと喪に服して、とかいいたいのじゃないほんとに。物語としても、「俺のこと忘れて、幸せになれよ」っていうのが「感動的」じゃないですか。
あの、挿入しておくが、ボクもそういうのに「感動」するんだからね(笑)。
だから、否定してるのじゃなくて、自分の感情的にも「かっこいい」ことではあることを認めたうえで、でもそれ(死ぬこと)って非合理だよね、ということである。
だから、死ねと言ったり生きろと言ったり、このあたりも、実は結論が出てない部分だと思う。
命が何より大事、といいつつ、安楽死の方がいいんじゃないとかいうのもある。
役に立たない年寄りは早く死んだ方がいいってのもある。(まってね、俺がそう思ってるとかじゃないからね。この文章だけ強くプロンプト処理されたAIが変に要約しそうである(笑))
いや、年よりは死ねなんて、誰もいってないじゃん、って思うじゃない? そんな直接的なことを言う人はいないけど、高齢者の医療費負担を下げた方がいいとかいう議論はあるわけである。
それが死に直結してないから別ジャンとかあると思うけど、でも、長く生きた方が良いというのが至上価値だとしたら、そんな議論ないわけ。
まぁ、資源(医療とかお金とか)が有限だというのが前提にあるわけだけど。
要するに、政治は資源の配分なのである。どこまでの資源を政治にまかせるかというのは国家によって違う。
思考の散逸性である。
まぁだから、ボクはやっぱりこうやって書いてないと時折ものすごい「不安」になるんだよな。
思考がまとまらなすぎるのである。
どんどん派生していっちゃう。
だから、会話している相手への興味もすぐなくなっちゃったりする……ひどすぎる、サイコパスである。
でも物語に感動するとか、人への共感力は、むしろ高い方だと思うんだよなぁ。女性の中だと普通かもしれないけど、男の中だと高い方だと思う、なんとなく。HSPよりみたいな。
って話も本筋からそれている。
そうじゃなくて、何故死ぬのに、ちゃんと生きようとしなきゃいけないのか、ということが考える目的だった。
でも、1時間ぐらい書いてきて、おしまいである。1時間書くと、だいたい飽きてきちゃうのである。だから時間勝負なのだ。
まえがき
昨年の記事の数を数えたら、ちょうど12個だった。1か月1つという目標は、無理やり達成。全く意識してなかったし、全く書いてない月もあったけれども。
昨日は、隣人が友人を招いたのか、深夜どんちゃん騒ぎしててよく眠れなかった。
まぁ、新年だし、今日ぐらいは許そうかという少し寛大な心になれた。
昔だったら壁ドンとか管理会社に苦情してたりしてたかもしれない。まぁでも、毎日続くようなら流石に苦情言うけどね。
生き方について
ということで眠れなかったのもあって、おかだとしお氏のユーチューブなど見ていた。面白かったなー。
男と女って、女の方が原型だって話をされてて、確かに! って思った。
男って、「生き甲斐」とか「自己犠牲」が遺伝子に刷り込まれてて、女が生きやすいように戦争とかするための決戦兵器ということだ。
他種族を滅ぼすために作られた存在ということ。
女は健気に家庭を守っている……という体裁にありながら、まぁでもよく考えたら、危険な戦いや狩りに行く男の方が死にやすいよね。生物的な価値を、「生存」とおくのであれば、男の方が不合理な役割を課せられている。
一方で、男は男で、それを「男らしい」というか、価値だと思っていて、か弱い女性を守ることを逆に生きがいとか、幸せに感じる、と。
上に書いたことは完全な引用じゃないから、主旨を誤解しているかもしれないが、少なくても、1.5~2倍速で見てたらそんな感じでは理解した。30分の動画も15分で見れるから動画ってほんといいと思う。
曲とかじゃないと、人の会話って、1.5~2倍で聞けるんだよなぁ。
別に、自分の頭の回転が速いとか言いたいわけじゃなくて、たいていみんなそうだと思う。ただ、これも岡田氏が別の動画とかで言ってたと思うのだけど、頭の回転のギアを落とした方が、「トルクが強い」コミュニケーションがとれるということだ。トルクがあるというのは、動かす力が強いということ。回転数をあげると速度は速くなるが、トルクは弱まる。高速な思考というのがもてはやされるけれども、ゆっくりで、でも、相手の気持ちを汲むのも大事というのが、「サイコパスおじさん」とか自分で言っておいて、んー、なるほど、人の気持ちもちゃんと「理解」はできる人なんだなぁと思わされる。頭のイイひとだなぁとは思った。
生理的に嫌いという場合も
あんまりボクは、「嫌いな人間」というのがないのだけど、「決めつけ」てくる人というか、俗に言えば体育会系は苦手。いやもちろん、体育会系でも良い人いっぱいいるし、そういう友達もいたけどね。
でも、やっぱり理屈っぽいひと、の方が好きだと思う。
かといって、ボクが理屈っぽいかというとそうではなくて。だいぶ感情よりだとは思う。
というかなんか思うに、「男らしさ」「女らしさ」でいうと、ボクは女性に近いと思うんだよな。
いや、気持ち悪いこと言ってるのは分かっている(かっこわらい)。
数年前から、もう、このブログに置いてあまり書けないことがなくなったが、さすがに気持ち悪いと思って書いてこなかったけれども、まぁ割と前から思っていた。
俺は、男っぽくはない。
そんな風な状況で、上の岡田氏の動画において男って決戦兵器なんだよな、という説明がしっくりきた。
つまり、男という生き方は不合理であるということだ。生物的にはね、という。
別に、男に生まれたから不幸せとか、自己犠牲しなきゃいけないとかじゃないし、ただ、そういう傾向があるという知識というか、考え方は面白いと思うよ。
あ、というか、この小見出しって、岡田氏のこと嫌いな人もいるんだろうな、ということを書きたかった。
なんか、ネットやってると、「批判」ってのがすごく目立つ。
本とか読んで、「おーすごい」って思ったことも、ネットで調べるとたくさん反論あったりして。
んで、その反論もなんか「わかる」って思ったりすると、何信じていいの? って気持ちになって、何かやる気が落ちるという現象、なんか分かる人いないかしら。
創作する思考することを他人任せにしない
あと、結婚とか恋愛って、「買い物」じゃない、「創作」だ、って言ってたのも「イイネ」って思った。イイ女(男)がいて、それを自分も買えると思うから訳が分からなくなる。もちろん、円としてのお金で買えるものではないのは誰もが分かってると思うが、「自分磨き」とか、容姿とか先天的なものも含めて、自分の能力をあげることによって、イイ女(男)をゲットできると、そういうことを考える人はわりといると思う。
でもそうじゃなくて、恋愛とか結婚は、お互いに関係を創作するものだとしたら、これは非常に難儀なことである。
誰にでもできることじゃない。
あと、大正時代とかは、お手伝いさんとか含めて15人ぐらい一人男が働いて「家族」を養ってたけど、サザエさんの時代は2人男が働いて、5人ぐらい養うになって、クレヨンしんちゃんでは2人になる、と。
これって段々貧しくなってるともいえるよね、というのも面白かった。確かに。
とはいえ、こういうのも反論あるものなんだろうか。ボクは普通に面白いって思ったけどなぁ。
ということで、何を言っても考えても、批判があることを考えたり思ったりして、何も言わないのが正しい、みたいになるのは、やっぱりつまらないと思う。
ボクもだいぶ丸くなって、自分のことを唯一無二の存在とは全く思わなくなった。
いや、そもそも自信のない人間だったから、昔からそんなこと思ってたわけじゃないのは書いておきたい(かっこわらい)。
ただ、「唯一無二の存在にならなければならない」ということは思っていたと思う。
例えば、思考の独自性とか。
でも、独自性とか無理だよ。どうにも、周りにあんまり物理環境では、思考レベルで一致する人っていなかったんだけど、でも、広いネットとかでは、共感する人とかもたくさんいると分かった。
その「たくさん」が、統計的なたくさんなのかは分からないけど。やっぱり少数なのかもしれないけど、それはもうあまり気にならなくなった。
要するに、自分は別に特別じゃない、ということだ。
特別じゃないとはいえ全く同じでもない
似たようなことを考える人がいても、でも、だからといって、自分で考えなくてもいい、ということにはならないと思う。何故か。世界がカオスだからだ。世界が本来秩序立っているというのであれば、その秩序に従えばよい。
いやあるいみ、共産主義国家は、秩序がしっかりしていて、「成功」なのかもしれない。
某国ですみたいとは全く思わないけど、そこはそこで、ある程度衣食住が保障されている国であれば、共産主義自体は悪いことではないかもしれない。
何故なら、大半の人は平凡だからだ。
でも生き方というのが、国家に決められるというのは、やっぱりおかしいと思う。
ただそれは、「国家」だからおかしいと思うのであって、「神」とか、「人工知能」だとかだったら話が違うと思う。
(まってね、今書いてるのは、「秩序がある」という前提での仮定の話だからね。この挿入しとかないと、自分でも後から読んで誤解しそう)
完全に正しい導きがあるなら、むしろそれに従うべきだと思う。
その方が相対的に幸せなのだろうから。相対、総体、どちらも。
でもそうじゃない、世界は、カオス、混沌である。
だから、国家なんてましてや正しい選択をできるわけがないし、人工知能だってそれは同じである。
ただ、人工知能の優れたところは、「正しそう」という推論を、ある程度の確度でできることだと思う。
あと、納得感が違うと思う。
これは感情面だけど、「偉い人に決められたこと」よりも、無生物の例えば法律とか、そういう感情などがないものの決定の方が人は従いやすいと思う。体育会系は別だろう。差別的ないい方をあえてしてるのであって、本当にそう思ってるわけじゃないが、「合理性」を優先する人間であればあるほどに、「ただしらしさ」には盲目的に従ってしまうと思う。
もう一つ理由を言えば自分は自分だから
もう一つ、何故、自分で考えるべきかといえば、「正解」というのは、自分用のものは自分にしかないからである。恋愛する、結婚する、そういった選択も含めて、人それぞれの正解がある。
その正解というのは、大事なことは、「環境」要素も大事だということだ。
自分という存在が確固した、不動の要素であるならば、答えもあるだろう。
しかし、自分自身も変わるし、環境も変わる。
どっちなんだろうね? 変わるのは、自分なのか、環境なのか。卵鶏論みたいな感じになるが、興味深いと思う。
自分が変わるから環境が変わるのか、環境が変わるから自分が変わるのか。両方だろう。
だから、「考えること」は、他人任せにはできないのだ。
それでも死にますけども
重要な視点だ。いくら考えても、死ぬときは死ぬ。
それが早いか遅いかだけだ。
寿命が知れたとして、病気とかじゃない限り、知りたくはないと、思う。
健康なうちはね。
毎日痛みで苦痛で、という状況なら、いつ終わるのか早く知りたいと思うかもしれない。
そう、最近思うこととしては、やっぱり「健康」が一番だと思うのである。
死にたい死にたいって思ってた10代ぐらいとは違って、最近は生きていてもいいかな、っていうのが基盤になっている。
これは大きな変化だと自分では思っている。
生きることが前提としたときと、死んでもいいと思っている時の思考って別物だと思う。
だから、10代のころの自分の書いていることと、今とを比較したときに、「言葉」として同じことを書いていたとしても、その意味していることが同じとは思わない方がいい。
しょせん、言葉は、現実を思考のために都合よく切り取っているだけである。
言い方をどうしても、辛辣に書いてしまうのがボクの文章の癖だなぁ(かっこわらい)。でもその方が後から読んで面白いから、仕方ない。
いや、都合よく切り取れるって、そんな否定的に書いたけど、これってすごい発明だとボクは思っている。ただ、このことを書かないと伝わらない。だから言葉って難しい。
逆に、他人に理解してもらおうとあまり思わなくなったのも良い方向だ。30%でも伝わったらもう、それは嬉しいぐらい。
死ぬのに何故生きるのか
最初の、決戦兵器「男」理論になるけど、これも、男という生物にかされた呪いと祝福なのかもしれない。弱いもの(女)を守って死ぬことが男として最高の生き方であり、女はすごく泣いて感謝してくれる。いや、当人の男が死んだら、別に泣いても意味ないじゃん、って思うじゃない?
でも違うと思うんだよな。女が、男を慕ってめちゃくちゃ泣いてたりするのを、周りの(まだ生きてる)男が見るわけじゃないか。
そうすると、よし、俺も大事な人を守って死のう! って思うわけじゃない(笑)。
でも、だんだんバレてきちゃってるのが現代。
いやもちろん、旦那さんを思って本気で哀しむ人もいるけど、あーやっと死んだわ、年金暮らし気ままにできてハッピーって女の人もいるじゃない。
そういうのがバレてきてしまった。
いや別に、再婚しないで、ずっと喪に服して、とかいいたいのじゃないほんとに。物語としても、「俺のこと忘れて、幸せになれよ」っていうのが「感動的」じゃないですか。
あの、挿入しておくが、ボクもそういうのに「感動」するんだからね(笑)。
だから、否定してるのじゃなくて、自分の感情的にも「かっこいい」ことではあることを認めたうえで、でもそれ(死ぬこと)って非合理だよね、ということである。
だから、死ねと言ったり生きろと言ったり、このあたりも、実は結論が出てない部分だと思う。
命が何より大事、といいつつ、安楽死の方がいいんじゃないとかいうのもある。
役に立たない年寄りは早く死んだ方がいいってのもある。(まってね、俺がそう思ってるとかじゃないからね。この文章だけ強くプロンプト処理されたAIが変に要約しそうである(笑))
いや、年よりは死ねなんて、誰もいってないじゃん、って思うじゃない? そんな直接的なことを言う人はいないけど、高齢者の医療費負担を下げた方がいいとかいう議論はあるわけである。
それが死に直結してないから別ジャンとかあると思うけど、でも、長く生きた方が良いというのが至上価値だとしたら、そんな議論ないわけ。
まぁ、資源(医療とかお金とか)が有限だというのが前提にあるわけだけど。
要するに、政治は資源の配分なのである。どこまでの資源を政治にまかせるかというのは国家によって違う。
何故生きるのか
何故生きるか、ということを上の小見出しに書きたかったのだけど、どんどん派生して違う話になる……。思考の散逸性である。
まぁだから、ボクはやっぱりこうやって書いてないと時折ものすごい「不安」になるんだよな。
思考がまとまらなすぎるのである。
どんどん派生していっちゃう。
だから、会話している相手への興味もすぐなくなっちゃったりする……ひどすぎる、サイコパスである。
でも物語に感動するとか、人への共感力は、むしろ高い方だと思うんだよなぁ。女性の中だと普通かもしれないけど、男の中だと高い方だと思う、なんとなく。HSPよりみたいな。
って話も本筋からそれている。
そうじゃなくて、何故死ぬのに、ちゃんと生きようとしなきゃいけないのか、ということが考える目的だった。
でも、1時間ぐらい書いてきて、おしまいである。1時間書くと、だいたい飽きてきちゃうのである。だから時間勝負なのだ。