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避けられない死を考えること
2024/06/25 15:21 | Comments(1) | 生きる意味

まえがき

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 単行本 – 2019/7/12

 この本、アマゾンじゃなくて、書店で見つけて立ち読みして、そのまま買ったんだった気がする。その購入した本屋さんはもう、つぶれてなくなったんじゃなかったかなぁ。それとも、別のところで買ったんだっけ。別の所だとしたら、仕事帰りに、何か用事……出張だっけ、そこで買ったんだっけかな。記憶はあいまいで、確かめる方法もなく、確かめる必要もなく。

いずれ死ぬということ

 この本を読んでから、あんまり、「生きる意味」について考えなくなっていったような気がする。
 死ぬということについて、非常に論理的に考察されている気がする。これを哲学というのであれば、哲学は非常に役に立つ学問だと思う。


 あまりにもよくまとめられていて、考え抜かれていて、そもそも、自分の書くとか、考えるということをやめたくなるほどだ。
 この本に書いていることをしっかり記憶できれば、それで十分なんじゃないかと思わされる。

■ □ ■ □

 例えば、死は本当に悪いものなのか? といった問い。

 一般的に、死ぬのは悪いことだとされる。生きること、命は価値があることだとされる。

 でも、死の何が悪いのか。それは、「剥奪されるからだ」という。
 生きていれば、良いもの得られる、感じられるが、死ぬと得られなくなる。奪われるということだ。だから死ぬのは悪いことだという。

 なるほど、そんな気がする。

 でも、「生きていればよいもの」とは何か。

 そうやって問いが続いていく。

死ぬのは救いでもある

 確かに、想定していたよりも早く死ぬのは、悪いことだ。
 明日、美味しい焼き肉を食べにいく予定だったのに、途中事故で死んでしまったら、明日得られるはずだった「食欲」が満たされなくなったので、悪いことだ。

 でも、容易に想像できるのは、不治の病といったもの。

 苦しみしか残りの人生、ないとしたらどうだろう。
 それでも、生きる意味というのはあるのだろうか。

人間とは何か 実存的精神療法 単行本 – 2011/5/6

 フランクル先生であれば、「どんなときも、生きる意味がある」と言ってくれそうな気がする。
 それは、イェール大学のシェリー先生(前述「死とは何か」の著者)のいうところの「価値ある器説」といえる気がする。

 生きてるだけで僕らは価値があるから、どんな苦しみの状況に置かれても、人生のトータルにおいて、マイナスになることはない、ということなのだ。

目指すところかもしれないが

 素晴らしい考えに思うが、中々、凡人には難しい気がする。
 痛みや、苦しみしか残されていない人生に、価値があるとは思えない。もちろん、自分が生きていて、喜んでくれる人がいる場合や、逆に死ぬと哀しませてしまう人がいる場合は想像できる。

 でも、哲学的にというのか分からないが、論理的に考えてみると、まぁ、そんな人がいない場合も想像できる。

 誰からも必要とされていなく、自分自身は苦しいだけ。

 まぁ、死んだ方がいい気がしてくる。

 そう考えると、一概に「死」が悪いものだとは思えない、というわけになる。

未来が描けない

 寿命も分からなければ、自分の人生の絶頂期というのも分からない。

 これからどんどん成長し、発展していく人生でなければ意味がないか、というと、そういうわけでもないと思う。

 仮に、どんどんこれから人生が悪いものになっていくとしても、その悪くなっていくのが、とてもとても緩やかだったらどうだろうか。

 別にそんなに悪いことじゃない気がする。

 どっちにしても(よくなるのであろうが、悪くなるのであろうが)、それは自分ではわからない。



 あと、これは、僕は前から提唱していたことではあるが、「人と比べても無意味である」ということは、20代ぐらいからの思いから、特に変わっていない。

 自分が幸せだなら、それでいいのだ。

 どんだけ悲惨そうにみえても、その人自身が幸せだと自分で思えたらそれで幸せなのである。



 でも幸せって何だろうか?

 やっぱり、人と比べないと、幸せは感じられないものなのかもしれない。

 単純な、性欲、食欲、睡眠欲といった、生理的な欲求だけで、「幸せ」と感じられる人間はあまりいない。
 人間が「複雑」なゆえんだ。

人はなぜ複雑なのか

 実は、生物的な罠である気がする。

 キルケゴール氏が、「不安の概念」で述べているのは、「自由」があると不安になるということだそうだが、自由があってもなくても、人間は不安にかられる生き物なのかもしれない。

 何か「工夫」をして、ホモサピエンスは生物界で生き残ってきた。

 狩猟採集ではなく、農耕や畜産をして、食料を産み出すというのは、やはり人間の優れたところだ。

 でも自然に対しては無力だ……といいつつも、天気予報したり、暦をつくったり、自然を克服するために努力を重ねてきた。人間すごい。

 それらは、

「何かしなきゃ」

 という不安が原動力なのかもしれない。何か新しいことをして、改善し続けるところが、人間の本能的にインプットされたことなのかもしれない。

成熟社会

 でも果たして、成長し続けることは可能なのか。

 人類はいずれ、滅びる。これは人類だけじゃなくて、地球上の生き物は全部滅びるらしい。

 3億年後だっけ? なんか動画見た。なんか気温がどんどん上がっていって灼熱の星になるらしい。最後は超新星爆発するのかな。

 5億年ボタンって思考実験の動画あるけど、そもそも5億年も生物は存在してないのだ。

「価値」というのは無限かもしれない。

 でも、物理的資源は、有限だ。

 だから、いつまでも、どこまでも成長し続けるということは難しいことなのだろう。





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コメント

哲学の最大のテーマは二つ
この人生は生きるに値するのかどうか
それと
何故何もなくてもいいはずなのにこの世界は存在しているのか
でしょう。
それに対して答えようとしない哲学者はただの文学者か詩人でしょうし、これらに対しては、いつもいつまでも考え尽きることはないでしょうね
posted by みゅうat 2024/07/02 13:07 [ コメントを修正する ]
Re:生きるに値するのか
>この人生は生きるに値するのかどうか
>何故何もなくてもいいはずなのにこの世界は存在しているのか
>それに対して答えようとしない哲学者はただの文学者か詩人でしょうし、これらに対しては、いつもいつまでも考え尽きることはないでしょうね

みゅうさんコメントありがとうございます。
前者は実存哲学で後者は世界系哲学といったかたちかもしれませんが、どちらも考え尽きることはなさそうですよね。
ナノサイエンスとか、真空中で粒子が生成し消滅を繰り返しているとか、哲学と物理も両方近くなっている印象もあります。
もはや複雑で専門的過ぎて理解が及ばない事柄が多すぎますが、自分のレベルにあった表現で教えてくれる方や本の大切さというのは変わらない気がします。
2024/08/17 16:33

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