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まっしろから色を塗っていくこと
2025/04/26 22:22 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「バキの花山さんの宮本武蔵との対戦がかっこよかった」

まえがき

 なんか最近、想定外の悪いことがたびたび起こる。
 解決できないほどではないのだが、割と精神を削られる。
 精神と時間も削られる。

スマートノート

 オカダトシオ先生のスマートノートという方法で、紙のノートに、5行日記的なのを付け始めた。
 1週間ぐらいで、ぽつぽつ、穴が開くようになってしまった。

 3日坊主、ではないが、続けることはやはり難しいことである。

 2日ぐらい書かないと、もう、3日前のこと、何やってたか覚えてないんだよな。結構衝撃であった。
 嫌な思いとかもしたんだろうが、思い出せない。

 ただ、自分の場合、嫌な思いとか、消えているわけじゃなくて、澱のように蓄積はされていて、ふと瞬間に蘇ってくる。
 変に記憶力が良いのかもしれないし、みんなそうなのかもしれない。悪いことは覚えてる、ってみんないうものね。

 まぁそんなわけで、穴あきではあるが、5行日記は、結構楽しんでつけている。ぱらぱら見返すと、あーそんなことしてたな、的なのが分かる。

22世紀の資本主義を読み終える

 成田先生の本を読み終えた。
 けっこう流し読み。

 細井先生がYoutubeで言ってたように、これは結構難しかった。文学的、というのはよくわかった。
 感性が鋭くないと難しい気がする。

 ただ、おっしゃりたいことは単純なのかもしれない。価値を測るためのお金というのが、役目を終えて「台帳」に回帰するということ。

 台帳というのは、だれだれに借款がある、とか、記録。
 ポータブルなお金の登場より先に、台帳というのが、経済の歴史において最初に登場したらしい。

 銀行に1,000万円ある、というのは記録である。実際に手元にはないが、必要な時に使うことができると「信用」できているから、それで済むわけだ。

 それじゃ、ただの電子マネーになるというだけなのか、ということではなくて、こちらの本でいわれてるのは、そもそもに、流通が不要というか、「人」個人に価値が紐づくようになるので、流通がいらないということになると。

 ラーメン食べたいのでください、と注文する。
 ラーメン屋さんはラーメンを「無償」でその人に提供する。→記録
 ラーメン食べる。→記録

 ラーメン食べた人は、無限に食べることができる。ただ、そんなことは、本来しない。おかないっぱいになるからね。
 じゃあ、ラーメン屋さんは無償だからお金は手に入らない。でも、ラーメンを提供した、という記録は残る。
 ラーメン屋さんは、別のケーキ屋さんで、ケーキを頼む。これまた無償でもらえる。

 ケーキ屋さんは、そのラーメン屋さんが、ラーメンを作ることができる価値がある人だから、ケーキを提供してもよいと判断する。
 最初に、ラーメンばっか食べて、何もしてない人がきたとする。ケーキ屋さんは、「価値がない人」と判断し、ケーキを提供しないことも可能となる。


 お金がない世界というのは、こういうことなんじゃないかと、ボクは読んで思った。
 そういうことが、NFT(?)とか、アートークンという技術でできるようになるんじゃないかという提案というか想像というか、妄想(?)というか科学的なの本なんだろうと思った。

 凡人は考えつかないかもしれないが、まぁでも、考えたことある人は、70億の全人類の中で結構いるんじゃないかなとは思った。SF作家さんとかめっちゃ頭いいんだろうから、そういう作品もあるんじゃなかろうか。

 ただ、成田さんは、それなりに「おかたい」実績もたくさんとられてるから、これほど多くの人が耳を傾けているんだろう。

 そこに、逆にボクは、成田さんのいう「お金がいらなくなる世界」ということに信ぴょう性がある気がした。
「誰が」
 という点が、結局大事なんだろうな、ということだ。
 同じことを酔っ払いがたわごとのように言うのと、権威ある人が格式張っていうのとでは、受け取られ方が違う。

 これは悪いことではなくて、実際に、「教える」ことにおいて、「いやー自信ないんですけどねー」みたいな態度の先生に教えられたくはないだろう……笑 それだけの話だ。

自分の生き方について

 さてまぁ、そういう、本を読むということは、実は僕にとって主題ではなくて、要するに、ボクがどう生きるかという、単に、実存主義的なことしか興味がない、のかもしれない。



 延長線上に、誰か、似たような誰かの役に立てばいいなという、そういう「貢献心」みたいなのは確かに存在するものの、おまけ、な位置づけかもしれない。

 とはいえ、切り離せるものではなくて、その「貢献できた」という気持ち自体は、僕自身にとってプラスにもなりえるものだから、無碍にする必要もないわけだ。

 そういう「貢献したい」というのが、適切に評価され、意味ある形となって、生活できる、という社会になればよいなとは思う。

 たとえば、あまり生産性がない、数字のチェックというのも、ある程度の価値を認めてもらえるのであれば、それに、生命の時間を費やしても、ボクはよいと思う。
 でも、そういうのは、お金がもらえなきゃ、別にやろうとは思わない。役に立っているのかもしれないが、あまり実感できないし、な。

あとがき

(かっこ書きである。投稿から時間がたってしまうと、書けなくなってしまった)


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