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幸せへの感情のコントロール
2005/09/03 23:45 | Comments(0) | 思考及び書くこと
23:45
 まぁ、毎日毎日が……とは思うものの、全く同じ日は訪れないというわけだ。真面目な日記をすれば、今日は自動車の練習を家でやった。車庫入れだ。後は、いつもの通り、おばあさんのおかげで寿司を食べにいけた。イオンまで行ったのだ。お父さんにはクレープも買ってもらった。家族はいいものだ。そうそう、それに兄弟の意外な(!?)一面も見れた。自分の+にもなった。面白かった。
 繰り返そう。今が一番の状態だ。幸せだ。そうだったのだ。この状態で、俺は他に何を望もうか。この状態以上の幸せが、これから先自分に訪れるとでも思っているのだろうか。だとしたら相当貪欲な野郎である。
 僕が心を悩ませていた理由は、現状の苦しさなどではなく、これからまた訪れるであろう苦しみに対してだったのだ。学校が始まる、人付き合いが始まる、心に負荷がかかる……などなど、また自分を傷つけていけないという恐怖が、不安が、僕を苦しめていたのだ。そう、現在において、僕に負担になることは何もなかったのだ。
 つまり、今僕がすべきことは、十分に幸せを感じようということだ。これから先訪れる不幸を省みることなく、ただ、この一瞬一瞬を、幸せと感じ生きることが大切なのだ。欲に生きるのだ。先のことを考える必要はない。だってそうだろ? 真剣に死を考えていた自分が、何故本当の恐怖を感じることができようか。死ねば楽になれるのだ。それなのに、どうして他の俗物なことに心を煩わせねばいけないのだろうか。
 全く矛盾していることであるが、人の心、とりわけ僕の心はそう簡単ではないのだ。合理的とは程遠い僕の感情。それをどう扱っていくかが今後の課題となるわけだ。そして今気付いたことは、今は幸せであるということだ。
 簡単なことであるのだ。「幸せになるためには、幸せだと思えばいい」というわけだ。といっても、そう簡単に感情のコントロールはできないわけで、そのために、いろいろと合理的な「こじつけ」が必要なわけだ。「金を稼がなければ生活ができない、生活ができないと苦しい、後に死に至る」などといった、自分の心をコントロールするための「こじつけ」が人間には必要であるのだ。人間が死にたくないと思うのは、そういう本能、というか、プログラミングされているわけで、ただ人間がロボットと違うのは、そのプログラミングを超越して「自殺」という行為を行えるということなのだ。だから、自殺することが、実は最も人間らしい行為とも言えるのではないだろうかなどといっていると、自分が偉い哲学者になったような気分になるのもまた面白い。という風に議論がヒートアップしても冷静に自分を見れるようになったことを、客観的に成長したとしておこう。
 さて、その合理的なこじつけであるが、今僕は、現在幸せであるという合理的なこじ付けを手に入れられた。これにより、これから先、東京に戻るまでの僕の生活は、幸せになることだろう。
 とにかく、考えよう。
 考えることは、面白い。
 面白いからやるのだ。
 結果はその次でいい。
 考え、考え、そして死んでもいい。
 楽に生きよう。
 そして、「最小限の努力で、最大限の成果を」だ。

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