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離婚を突き付けられた30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
カテゴリー「当ブログについて」の記事一覧
今日の一言「匿名性を損なわずに自己紹介するって矛盾じゃないか?」

匿名であることの意味

 とあるリンク先のブログ様において、実名や顔写真付きでブログ書いてる奴はアホか金の亡者だ、と書かれていて、辛らつだなぁと思いつつも、重要なことを仰っていると思う。
 ここからは、僕の被害妄想的な考えに過ぎないけれども、結局「本心」というものと、実際の対面状況におけるやりとり(言動)とは、必ずしも一致しないと思っている。こういった考え自体が、女性受けが良くないので、そもそも、こういったことを書くこと言うこと自体が、周囲の環境では望ましくないのであり、それこそが「匿名性」の重要な点だと思う。

 ただ、これだけに絞ってしまえば、実際問題、女子会を快く思ってない人が実は5割以上もいるだとか、腹(や、空気)の探り合いだったりすることが、現代人特有(?)のストレス要因だったりすることは、もはや周知の事実になってきていると思うし、まぁこれからもそんな傾向は続くことだろう。

自分の過去の整理

 というリスクを知ったうえで、ちょっと自分の過去を整理しようと思う。ログをみれば、その当時にどんな思考や感情状態だったかある程度復元することは可能だけれども、いちいちこの時期はどうだったけかなー的なことをやっているのも面倒であるのと、ある程度まとまっていたほうが、建設的なことをかけるのではないかという期待からの作業である。

作業後の感想

 何か他にも色々書いていたりするけれど、取りあえず目についた記事を適当な感じで抜粋。
 2008年からこう並べてみると、「うわー」って感じになるなぁ。今回抜粋した記事以外にもあるし、そもそも、消してしまったりローカルになっている記事もたくさんあるわけで、本当に厖大だ。
 ……これ、何か役に立つんかな。

 2013年の「日々の家事に精をだすのは必要だが、十年後、僕がアラフォーになったとき、自分はこういうことができる人間だと、胸をはって言えるべきだ。 これは友人や家族や妻をないがしろにすることに繋がらない。」この発言とか、若気の至りだと嘲笑に付すことは簡単だが、しかし、最近同じようなことを書いてはいなかっただろうか。

 人は変わろうと思っても中々かわれない。
 環境要因が非常に大きい。

 だからこそ、敢えて、思考にストップをかけて、様々経験的に身を投じてきたわけだけれども、その経験をいったいどう制御するのかという点において、あんまり良い方法じゃあなかった気もする。

 つまり、「最終的に成しえること」をイメージしないまま、「取りあえず」で経験できる状況に身を置こうというのは、もう、やめた方がいいだろうという結論(何を回りくどくいっているかというと、例えば、取りあえず婚活しなよ、とか周りから言われたりするけれども、その「取りあえず」はやめておこうということだ)。

 しっかし、難しいなぁ。

 生きるって、どうやったらよかったんだろうか。



以下各年度の記事抜粋

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・・・つづきはこちら


初めてスマホからの投稿。

タグが反映されるのか



一つメモしておくべきは、タイトルの通り。
例えば、生きる意味という疑問を抱かない人は抱かない、と僕は切り捨てているが、キルケゴールは、絶望を普遍的なもの、としている。

著作を読み進めるうちに納得はしてきた、ただ、それでも、その教化が果たして必要かはわからない。いや、たぶん現代社会にはそぐわないのだろう。

むしろ、怪しげな成長戦略とか、自己実現といった言葉のまやかしによって、資本主義的神を崇め奉るのである。


このメモについて、いわんとすることそれは、決して、その中身だけではなくて、結局やはり、自分一人での思索は限界があるのだ。
ただし、いわゆる自己啓発本、新書的な書物では、もはや足りない次元に到達しているのである。


ところが、残念なことに、頭がよくないのと勉強のたりなさゆえ、あまり専門的になると、とたんによくわからなくなるのである、ただ、それは解説がよくない。

そして、僕が求める分野はあまりにもニッチというか、というより、需要がないのであって、解説が少なく、体系的に不十分なのである。

と、凡人でありつつ、いや逆に、凡人らしく、ひとのせい、にしてみた。

自己肯定感をつくりだそうという試み、例えば、四門出遊の仏陀の心境であるといった、そんな崇高なものに結びつけてみるのである。

ただ、体系としては、キルケゴール、仏陀の思想というのがとても参考になると思う。

まとめ


アウトプットまたは行動ができなくなったときは、インプットの不足である。
そのさい必要なのは、専門的な体系。

当ブログは、その体系の整理のために用いる。
















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何故ブログを書くのか

・整理しやすいから
・後から読みやすいから
・カテゴリ分けが便利

これらは表面上の理由。じゃあ非公開でもいいじゃないか、となる。


・公開を意識することで、文章が読みやすくなり、結果あとから自分が読んだ時も理解しやすい
・少しでも、自分の苦悩などが、誰かの役に立ってほしい(笑いでも、カタルシスでも、参考としてでも)

<まとめ>
役に立ちたい、その思いから、ブログを書き、公開している。

何故ポジティブでしかいられないのか

哀しいことがあった、苦しいことがあった、誰かに相談するとする。
「泣いたっていいんだよ」と、慰めてくれることがあるだろう。
この台詞は、「今は~」「元気になるために~」と、前提条件が隠れている。
必ず、元気な状態、楽しい状態、問題が解決した状態が、前提とされているのであり、哀しいこと、苦しいこと、悩みといったものは、それ自体が肯定されているわけではないのだ。

何故他者を頼ってはならないのか

問題を抱えた人へのアプローチとして、「共感」が重要だとされる。ここでは、解決のためのアドバイスは必要とされていない。「共感」することで、相手の気持ちが和らいで良い方向に向かっていくのである。

しかし僕は、そういった共感という手法を知った人は、先のポジティブでしかいられない理由のように、結局は問題解決の方針を前提とおいているのであり、如何にその言動が真に迫ったものだとしても、演技性を感じずにはいられない。

一方で、本当に心から、自分の気持ちを分かって、共感してくれる人がいた場合、そんな人はとても貴重で大切な人なのだから、逆にそんな人に、自分の苛立ちや哀しみを、自分と同じレベルで(ここで、自分は相当苦しいと自分自身強く思っているはずなのだから)与えてしまうことは、僕は本当に望むところではない。
相談者が共依存で共倒れになるという事象と同じことが考えられる。

だから、感情処理として、他者を頼っては絶対にいけないのだ。(赤ちゃんは別)

では自分の感情はどう解決するのか


ブログに書く。書いておくと、後から読んで、それが非常に面白かったりする。参考になったりする。

例えば、もう6年も前の記事だけれど、

おそらく、言葉として表現することは不可能な領域、しかし、記憶の可能性にかけて、メモしてみようと思うのです。
身体という不可能性、有限性、限界性に気付くことができない頭の良い人間は、確かに価値を構築する天才である。
上記に気付いた者は、自己を客観視することができるようになる。これが俗に言う大人になるということである。
大人は物凄く狭視野の努力家であるけれども、思春期の青年の狭い視野とは次元が異なる。
大人の狭視野は、限界性に裏付けられているために、より純粋で、気持ちの悪いものである。
気持ちの悪い世界に身を入れることができなければ、自らが穢れていくことに耐え切れず苦悩となる。


これなど、非常に面白いと思った。
今これと同じ表現をすることは不可能に近い。

それに、先ほどの記事で気付いたことであるが、苛々したり、哀しかったりしながらも、書いているのは、どこか楽しい気持ちが微かにあることが分かった。
思い通りにならないことは必ずある。後輩を飲みに誘って、「すんません、今日彼女とデートなんで無理っす」この野郎! となったとして(別に今日そんなことがあったわけではない、という注釈をいちいちつけていたら、大抵の記事は注釈だらけになるが、一回書いた記事のまとめという新しい試みでもあるので、注釈する)、その事象を、直接書いたのでは、僕はきっと満足せずに、それに対して何故僕は不愉快な気持ちになったのかということを、思いつくまま絞り出していくことだろう。
そうこうしているうちに、本来の負の感情がなくなることもあれば、増幅されることもあれど、ただ、その行為自体を、実は僕は楽しんでいるのではないだろうか、というのが、先の記事の主旨である。

例えば、うきうきとこうやって書いていて(というよりも、新しいことだと思われるので、忘れないようにしたいという焦燥感が強いが)、翌日以降に読んで、非常につまらなく、恥ずかしく、消したい気持ちになることだってあるだろう。
それはそれで、何故面白くなくなってしまったのか(現に、書いているときはそれなりに楽しかったはずなのだ)、それを考えたり突き詰めるのも、書いて残ってあればこそである。
ここで、「くだらない記事でもゼロよりましだ」と書いた記事がいきてくる。

まとめ

嫌なことがあったら、最大限ブログを利用する。
それは、楽しく幸せでしかいられないという強烈な前提に反することなく、また、他者との関係を悪化させることなく、自分の感情の処理が可能である。

このブログを読んだ人は不愉快な気持ちになるのではないか? 否、それは、文章である以上読むのをやめることが自己判断で可能であるし、文章は自己解釈(フィルター)を介することになるし、そもそも、他者の不幸を望む心性が蔓延する土壌があって……と、話が関係なくなったため、ここまで。

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自分の考えていることを記載。
事実を記載。
事実を記載(自分以外)〓学習したこと。


CDを聞かなきゃ、というのは、自分の考えていること。何故そう思うのか、説明すれば、それは日記になる。
その感想を書けば、誰かの参考になるかもしれない。


それよりも、6月22日に攻殻機動隊の三期が上映されるという情報を書く方が、情報の価値はある。情報の拡散性もあるだろう。
その情報の取得元も書くとよい。何かあったときに遡れる。情報の信頼性も高まる。


一般人が遡れる情報は、企業の公式発表にとどまるかもしれない。
しかし企業は、様々なプロジェクトのメンバーが、独断か総意か、人間が考えて情報を作っている。



ドラッガーのマネジメントを読めば、中間管理職の仕事とは、情報の分配である。旧来は、組織のトップが、知識の量もトップであった。今、情報社会では、パソコンのエンドユーザーの最新知識は、新入社員の方が上のこともある。


情報は水のようである。高いところから低いところに流れ、溜まる場所がなければ蒸発する。
中間管理職は、水が豊富なところから、不足しているところへ運搬することが重要な仕事なのだ。


よく、上の人に媚びをうる人が出世するという。周りから見ればそうとしか見えない場面があるかもしれないが、情報が豊富ならそれもありだ。もっとも、私利私欲しか考えていない上司は…いや、そんな人はいないと信じるしかないが。


意味ある日記について書くつもりが、意味ある情報についての話しになった。


で、結局は、情報は欲望を満たす手段である。

知りたい、生きたい、仲間になりたい、この3つの欲望を満たす道具である。




お金がすべて、という人は、段々減ってきているはずだ。お金とは、目指すは目的や欲望がはっきりしているときは、必須条件として立ちはだかる。

草食系男子たちは、リアリストでお金を望む。その理由は、目的や欲望がはっきりしていないからである。と同時に、目的や欲望がはっきりしているのだ、「生きたい」と。

女が、セックスがすべてだった時代は、生きることが前提として可能だったからだ。今は、未来が不透明な世である。生きるため、生き残るために必要なのは、とりあえず金だろう、消去法である。


否定できないのはそれが事実であるからだ。そして、生きたいという欲望が強い草食系男子はよい。だが、例えば僕は、長らく、生きることがよく分からなかった。もちろん今も分からないが、守りたい生活や人がいるから、それを拠り所にできる。

ただ、それでもなお、僕が、昔ほどでないにせよ、思考が止まらないのは、内なる欲望が隠れているからに違いない。


きっとそれは、知りたいという欲求なのだと思う。
自分の存在価値、この世の物理法則、社会の仕組み……。


そして、個人として、凡人に理解できる限界を知り、思考の無意味さを感じた。
そして、行動をする、しかし、行動だけではつまらない。その行動は、未来にどれだけ関連があるんだよ、その実感が大切なのだ。




その為に必要な能力は見えてくる。


意味を見いだす能力。

ストーリーをつくる能力。


鍛える能力は、それだ。


いやいや、ブルーカラーにそんなのは必要ないと言われるかもしれない。

しかし、例え僕が肉体労働者になっても、僕の思考は止まらないし、同様な人は多いだろう。


そんなのモテない、って言われるかも。

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早起き日記018 0645
四時半に目が覚めたが、しばらくぼうっとして、風呂に入りコーヒーを飲んだ。

夢をみた。

体育会系の、身体が大きく、高校で硬式野球の四番をつとめていた友人と、大学の研究室で話していた。

他愛もない話しだった。東京ドームに野球を見に行くとか、そんなことを言っていると、彼は、9階の研究室の窓に手をかけ、「そうなんだ」とか相づちを打っていた僕に背を向け、窓から飛び降りたのだった。

すぐ窓にかけよると、下では大勢の人が集まり、悲鳴と吐捨物で凄惨な状態であった。返り血をあびたのか、血まみれの男が呻いている。


ほんの数秒まで話していた人が、モノになるという経験がなかったので、ただ呆然と、下を見下ろすしかなかった。




ナルシズムに浸りたいわけじゃあない。それがかっこいいとか中学生的思考でもない。
むしろ感覚として、未熟なだけなのだ。

しかし、「理想的」であろうとすればするほどに、自分との乖離を思う。

振る舞いを社会に一致させることはできる。しかし、感覚を社会に一致させるのは難しい。しかし、「理想的」というものから乖離した言動は、内面規定(自己ルール)を破ったとして、自らを傷つけることになる。

それでも、同じ時間の電車に乗れた。金曜日だからか、乗客は少ないようだ。


こうした揺れというのはきっと、若いからなのだろうと思いながら、おそらくそう単純ではないと気付き始めている。


もっと根源的に解決すべき課題があると思う。と同時に、これは再帰的問題であり、自分というより現代においては、避けられず根本的に解決できない問題なのかもしれない。

というのはお坊っちゃん的発想で、あと何年生きるつもりなのか。




自分で考える、いったいそれが何を意味するのか、本当にそれが意味あることなのか、というより、高校生ぐらいから日記を書こうと思ったことがよく分からない、何故文字にするのか、それをブログにするのか。

これは以前から指摘しているが、公開するというのは、「みてほしい」「わかってほしい」という感覚の発露なのか。

その問いに、明確に答えられなければ、また大学時代のように、「ログ」にするべきだろう。

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