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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
カテゴリー「異性関係について」の記事一覧
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今日の一言「目標は掲げても心身がついていかない」

人生の8つの輪

(取りあえず、この章では、現状の「ポジティブな」分析として、非常に面白くないことを書く)

 人生には、8つの側面があるという。
1.仕事・キャリア
2.健康
3.自己啓発・学び
4.恋人・家族
5.友人
6.物理環境・時間
7.富
8.趣味
――エセポジティブ思考に苛立つ

 どこか、一点のみを育んでも、全体を輪のように高めていかなければ、幸せには近づけないのだ……そんなような記述をどこかで読んだことがある。

 昨年度の目標であった、「整理」というのは、
2.健康
6.物理環境・時間
7.富
 に関係するものだ。

 仕事も、あるし、大変だが中心となって活動しているので、
1.仕事・キャリア
 は満たされているといえる。

 筋トレルーチンは続けているし、栄養素の取り入れについても気を使っているので、
2.健康
 は満たされているといえる。(追記すれば、健康診断もオールグリーンだった)

 家族も(全員ではないが)元気だし、2017年は彼女もできたので、
4.恋人・家族
 も満たされているといえる。

 ドライブなどを共通の趣味を持つ友人と出かけたりしているので、
5.友人
8.趣味
 も満たされているといえる。

 今年の僕の目標である「創作」というのは、
3.自己啓発・学び
5.友人
8.趣味
 に関わるものだ。

 今年の「創作」を深化させることによって、人生の8つの輪は調和がとれて、全体的に深まっていくだろうということだ。

生きる意味を考えることとは

 それでもって、生きる意味を考えるという、今年2018年の目標、これは、上の8つの輪においては、どれに該当するというのか。
(なお、ブログを書くこと自体は、先日の記事のとおり、ツールとしての位置づけと考える)


 僕は、「生きる意味を考える」というのは、すべてに関係することであると考えている。
 と同時に、逆に、その8つの側面を育むことが、すなわち「生きる意味を考える」ことでもあると考えている。

 つまり、各種それぞれ存在する、難しく大切な各側面の、基盤となるものが、「生きる意味を考える」ことであるという位置づけだ。
 と同時に、それは、「言い訳」でもある。ポジティブな書き方をすれば、緩衝地帯だったり、安全マージンだったり、「ホーム(基地、戻れる場所)」であったりする。


 昨年、特に何度も書いたのは、「他者と比べることに意味はない」ということであった。
 これは、正しいと信じていると同時に、自分自身に言い聞かせようとしていることでもある。
 つまり、絶対的に、人は人の中で生きていくことになるので、「他者と比べない」なんてことは、原理的に不可能であるのであって、僕は矛盾したことを信じ込もうとしているのである。
 ただし、これも同時に絶対的に(ああ二律背反よ)、凡人たる自分は、突き詰めて事物を深めようとも、「トップ」にはなれないということである。
 故に、努力は人を救わず、ただ終わりなき戦いが続くだけである。それでも、「幸せ」という概念を求め、8つの側面を満たしていこうと目標を掲げるのであれば、何度となく矛盾と向き合い、傷つくことが求められるのである。


 そんなとき、「生きる意味を考える」というのは、よりどころとなる。福音ではない。
 追い詰められた、じめじめとして居心地が悪いところかもしれない。
 それでも、「自分」という存在を、その「自分」として唯一規定し続けるための、最後の砦。

毎度のことながら自分の書く文章に恐れを抱く

 ああ……この記事の文章は、僕が対面コミュニケーションにおいて巡らす思考に準じているようで、非常に居心地が悪い。気持ちが悪い。

 つまり、自分を着飾っている感じがして嫌だ。

 裸になれ。

 全部脱ぎされ。

 気持ちの悪い思考も、人格が疑われるような感情も、面倒くさいと忌避される言動も、全部解き放て。それがこのブログというツールの唯一必要な目的であるのだ。


 とはいえ。
 この、脱ぎされという方針は、実は難しい。

 皮膚をはぎ取ることはできないので、シャツとパンツを脱ぎ去ってしまえば、全裸となる。
 しかし、思考や心については、幾重もの見えない服飾で着飾られているのである。

 そうしたとき、思考や心を裸にするというのは、一体どうしたらよいのだろうか?


「こんな人だと思わなかった」

 と言われたとして、それは、自分を着飾って相手と接していたことによる「誤解」なのだろうか?
 それとも、相手が単に、単に相手が「自分」という身体や言動に描いた「想像」であったのか。

他者と関わることの恐怖

 この小見出しにおいて、カテゴリを、「目標・目的」から、「異性関係」に変更した。
 何故かというと、今回メモしておこうと思ったことが変わったのだ。

「今年はこんなことを目指していこう」
 という内容にしようと思ったけれども、今、直近、自分が抱いている得体のしれない恐怖をメモしておく方が重要に思った。

 彼女ができて、彼女を好きになった。

 この表現は不思議であるけれども、「好き」という気持ちが正直分からなかった。けれども、通常時の脳内占有率の高まり(ええと、つまり、その人のことを思い浮かべる時間が増えたということ)によって、「好きになった」んだろうと思った。

 これは、素直に、よかったなぁと思った。
 異性を好きになるということができないのかなぁと思ったりしたのだ。


 ただ、同時に恐怖を感じた。
 何をかといえば、彼女が見ている俺は、本当に俺なんだろうか、ということである。

 若いうちはきっと、「好き」という感情によって、相手との時間をきっと楽しむことができるだろう。
 僕も楽しんでいる。思いがけなく僕のためにしてくれることがとても嬉しい。僕も心底、相手を大事にしたいと思う。

 けれども、この感情というものが、いってしまえば幻想のように思えてしまう。


 ――でまぁ、過去の自分や周囲が、上のようなことを聞けば、「はいはいノロケおつ」ということになるので、まともに誰かに話そうとは全く思わないのであるが、今の自分としては大問題に思っている。

 まぁもちろん、せいぜい「ノロケ」ようとは思っている。楽しいことを、楽しまない手はない。いつもネガティブなことしか書いていないけれども、ネガティブなことが良いと思っているわけではない。むしろ同時にいつも書いているように、「何も考えずに楽しんだもん勝ちである」とも思っている。――問題は、いつも簡単にそれができないから困っているのである。

 先日、ある方が、「生きる意味を考えることで不幸になるとしたら、それでも自分は考えるのだろうか?」という問いを立てていて、とても鋭いと思った。
 僕は、少し考えて、きっとそれでも考えてしまうだろうと思った。

 そもそも、僕はきっと、その「不幸」という言葉の解釈(定義)を考え出してしまうだろうから。

幻想で何が悪いのか

 EDENという作品において、主人公のエリヤは、好きになった女性とのセックスの後で、その女性から「少しは落ち着いた?」とかって聞かれて、「何か、どうでもよくなる……」と答える。それに対して、彼女――なのだろうか? 二人の関係はとても複雑なのだが――は、「たまにはそういう時間もないとな」と答えるのである。

 好きなシーンの一つである。

 なんかこう、僕はギャンブルもタバコも大嫌いではあるが、しかし、どうしようもなくなったとき、思考をぶっぱなして、取り去って、押しつぶして、ただその目の前の事象や快楽に浸りきるというのは、とても人間的だし、大事なことだとも思うのだ。



 だからこう、別に、今が楽しかったり、気持ち良かったりすれば、それでいいんだと思う。
 ――し、それにきっと、たいていの人たちのアドバイス的なサムシングは、そういったものになるだろう。いやはたまた、関係が深い人や親身になってくれる人であれば、「将来のこと」を考えて方がよいというようなアドバイス的なサムシングをするかもしれない。

 それ以外の何かがもし、誰かに話して聞けるのであれば、僕は喜んでその人に自分のことを話すのであるが。

信じられるのはルーチンぐらいだ

 この記事は……一体、どんな風に読み取れるんだろうか。
「彼女ができて毎日楽しいってことを自慢したいだけだろ」などと思われるんだろうか。

 たぶん、俺は、それ以上に、「嫌われる」ことを恐れている気がする。「本当の自分」を見せることで、それを拒絶されることを恐れている気がする。


 ああ、しかし……困った、この表現が、そもそも僕は矛盾しているとしか思えない。

 そもそも、その、「本当の自分」なるものを見つけるというのが、「生きる意味を考える」という、達せていない、見通しも立っていない目標であるのだ。

 ああ、違うか、そうじゃなくて、つまり、今こうして、「悩み中です(かっこわらい)」という状態である「自分」なるものを知られたくはない、ということか。


 なるほど。
 じゃあ、そのことは、今度彼女にも他の人にも話してみようか。

 ――なんというか、この「思考プロセス」を見られたくない、という思いが強い気がする。
 だから、このブログでは、ゼロ秒うんたらっていって、中断したりせず一気に書き上げてそのまま投稿するということに拘ったりしているのだろう。

 なんかこう、「答え」なるものがあって、「自分はこういう人間です」という表現がかたまって、それを話すのは別に怖くないし、それが「気持ち悪い」とか「受け入れられない」と言われても、対して傷つきも気にもしないのである。

 ただ、たいてい、他の人、他者って、「悩んでいる人」というのを気持ち悪いと思う傾向にあると思う。いやいや、もちろん、「青春!」の人たちであれば、それもまた良いかもしれない。ただ、あくまでそれって、「人間」として未熟である、とされるがオチである。

 僕は大人なので、未熟さは隠すことができる。まぁ……最近それも面倒になって、ほとんど気にしていない(感情をあらわにすることが多い)けれども。


 んで、同時に、男女の関係ってのも、別に「全部を受け入れろー!」的なものでなくてもいいと思っている。いってしまえば、単に社会単位である。生活を共同して営む者同士。
 お互いが、お互いを思いやって、気遣いあって、尊重しあわなければ、生活なんて行えない。
 それが面倒くさいから結婚なんて絶対しない、といっている人もいる。それは賢い選択だとも思う。



 時間がないので、飛躍するけれども、その「未熟さ」を少なくする、薄めるための方策が、僕は「生きる意味を考える」ことだと思っている。

 でも、ウォーキングデッドのような世界になったら、もう、「考えている」暇なんてなくて、その都度その都度で行動し、回答してやっていかなきゃならなくなる。
 僕は自分のそのロバスト性(頑強さ)を高めたいので、もう時間があれば、考えていたいのである。

 昨年だったか忘れてしまったが、「君は、考えることが好きなのであって、答えを出したいわけじゃあないのだね」とコメント頂いたこともあったが、やっぱりそれは違うのだと思うのである。

 だって、俺ら、死ぬぜ? いずれ。早いか、遅いか。

 答えを持っていようが、持っていなかろうが、人から尊敬されていようが、金をもってようがなんだろうが、死ぬ、終わる。

 僕の近しい人の一人は、多くの人に尊敬され、人脈も広く、自身も学究や技芸に優れた人だった。でも死んでしまった。
 今も、多くの人の記憶に残っていると思う。僕もそのうちの一人だ。

 でも、死んじゃった。



 僕は……、到達しないまま死にたくはない。ただそれだけだ。
「いい人になりたい」と言って、笑われてしまったこともあるけれども、でも僕は、いい人にやっぱりなりたい。

 そして、今は、その「いい人」というのが、どういう人なのか僕は分からない。
 だから、考えて、行動して、失敗も、悔しい思いも、理不尽や不公平感に怒りを覚えても、それでも、進んでいきたい、いかなきゃいけないと、「思う」。


(かっこ書きである。えっと、今年の抱負みたいな記事になった。もともと、そういう記事を早めに書いておきたかった。それが、それ自体が今年の目標みたいなものだから。まぁ、いいんだ、その、今年は「生きる意味を(徹底して)考える」というのが目標なのだから、恥ずかしがることもなく、書き続け、考え続ければいい。その結果として、来年は、「あーやっぱり違った」と思えば、それはそれで尊いのだ。中途半端に、たかだか「仕事」や「遊び」程度で忙しいとか言い訳して、大事なこと(目標に関すること)をやらない方が重責である、罪である。ええと、まとめると、全裸になれ、ってことか? ――違うか。ルーチンだ。昨年途中で失敗した、創作ルーチンを復活させねばならない。2018年の優先目標だ。筋トレルーチンは、……大丈夫だろう。ストレッチと腕振り運動(スワイショウ)とスクワットができなくなる可能性はあるが、基本の要素は身体に染みついているから多分大丈夫だ。創作ルーチンも身体に組み込みたい。早速、3連休ではあるが、予定があるため、できない可能性が高い。創作ルーチンは、物理的時間以外に、環境と「やる気」を確保する必要があるので、難易度が非常に高いことが分かった。まぁ、それは昨年の成果ともいえる。さぁしかしどうしよう。しかし今日はもう時間がないため、明日また考えるとしよう)

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今日の一言「連載記事とか難しいね」「何らかの結論が出るといいんだけど……」

現実への試み

 ここに二つの道がある。一つは、その「求めるもの」に対して、現実の変容を決意し、努力を重ねて、目標に到達する道である。もう一つは、その「求めるもの」について、再度解釈を試みること道である。
 一つ目の、まずは、現実へのアプローチについて検討しよう。

 まず、先日の記事において提起された問題を確認する。
 羨ましいなぁ。 という感情であったと、まず仮定しよう。その羨ましいとは、若さへであったり、一途さであったり、充実さであったり、彼女だったり、特異な能力などが挙げられるであろう。 そして、それとの、自分との距離感による、「喪失感」であったと推定しよう。
 時間と空間を除いて考えることは不可能である。故に、現時点性において、達成できうるものだけを抽出する必要がある。

 上の問題においては、「一途さ」「充実さ」「彼女」「特異な能力」がピックアップできる。
 次に、カテゴライズ(分類)を試みる。「一途さ」「充実さ」については、内面の達成すべき目標である。「彼女」と「特異な能力」は、外面(現実)において具現化させるべき目標である。

 「一途さ」と「充実さ」については、非常に曖昧であり、それらは、ある物事・事象に対しての情動(感覚)であるが故、これ自体での達成は困難なことから、いったん除外(わきにおいておく)ことにする。

 では、「彼女」と「特異な能力」はどうか。

特異な能力

 先日の記事でこうやって表現したから、そのまま使ってきたが、まず、これは、「専門性」と換言してもよいだろう。
「これだけは誰にも負けない!」
 といったものや、
「この分野は最前線で戦える!」
 とかそういったものだ。

 これは、もうこの時点で、非常に困難な目標であるといっていい。70億人もいて、インターネットで繋がっている世の中においては、ローカルなコミュニティを維持するのは難しいから、その中でトップや最前線である、なんて大変なことだ。
(オンラインゲームの中だってそうだろうし、お金がかかる分野であればなおさらである)

 しかし、だからといって、「自分はダメだ」と諦めてしまうのは、あまりにも短絡的であり、堕落的である。
 一日、二日、ばかいってんじゃない。1か月? 一年? アホか。10年20年続けて、ようやっとスタートラインに立てるぐらいの、そんな気構えを持てずして、何が専門性だ。笑わせてくれる。

 そういった思いをもってあたることができれば、専門性は、決して、得られないようなものではない。

専門性の絞りこみ

 故に、専門性(特異な能力)を得られないという、諦念は抱いてはならないということが分かった。そりゃあ確かに、エンタメの主人公のように、先天的な、あるいは啓示的な力の付与によって覚醒するという方がカッコいいけれども、そんな魔法少女に憧れる童じゃああるまいし、そんなものを求めるわけがない。

 ただし、ここで立ちふさがるのが、「じゃあ、自分は、何を求めればいいのだろうか?」という思いである。


 ここで、この問題は、これ以上進められない。未だ解決への道筋が見えないからである。

彼女について

 専門性の獲得についての方策が頓挫してしまった。では次に、「彼女」をつくることについて検討してみよう。

 そして、いきなり頓挫する。出会いがねぇ!!(笑) というのは、まぁ大した問題ではない。
 もう少し主体的に動けば、例えば出会い系のサイトや、街コンやパーティーや、友人知人の紹介やら、ジムやらサークルへの参加へやら、方法はある。

 それへの動機の希薄さは否定できないが、しかしながら、それよりも先に解決すべきは、「そもそも目的と結果が逆転してないか?」ということである。

 それは、より自然なことであるのだけれども、そもそも、「好きな人」がいるから、彼女にしたいと思うし、結婚して、子供を授かりたいと思うんじゃあなかろうか。上のような問題提起の仕方では、結局、「ステータスとしての彼女」を求めているに過ぎないのではなかろうか。

 いやいや、それは単なる童貞的思考だよ、と。そもそも、出会いがあるような場に身を置くことで、誰かを好きになる、みたいなことが起こるのだよと。待っていては何も起こらないよ、と。

 あー、まー、そうなんだろう。火のない所に煙は立たぬからな! 女の子がいない場にいても、女の子を好きになるなんてことはないわな! 男の子を好きになっちゃうわな!(かっこわらい)


 では、問題を次に進めよう。彼女がいて、どんな生活をしたいの?

求める生活について

 生活、も、そうだけど、まず、「愛」って何かをしっかり分かっているか、ということだ。

 いやいや、いきなり何いっちゃってんの? というのはそうだが、大事なことである。もっといえば、これがはっきりしていないと、そもそも、「どんな彼女」が欲しいか分からない。

 可愛い彼女。

 と言ってしまえば簡単だが、じゃあ、それって何よ。性的魅力があることが重要なの? 外見至上主義? 化粧はあり? 整形は?

 いやいや、外見じゃないよ、やっぱり中身が大事だよ。

 おーおー、よくある話の流れだ。中身、ね。その通り、中身が大事だよ。そんなこと分かってんだよ、じゃあ、お前の言う中身って何だよ?


 ……な、なんでしょうね。

 ということになるのだ、「愛」って何かが分かっていないと。


 こんな問題は、リア充には起こらない。ここでいうリア充とは、いわゆる、自然環境において、女性関係が発生する人たちのことである。イケメンでも、雰囲気イケメンでも、優しそうな人でも、塩顔でも何でもいいが(全部外見のことを挙げたが、もちろん、人は顔だけじゃない、そんなことが問題なのではない)、普段の生活において、「好き」あるいは「好かれた」が発生する状況がある人たちである。

 自然環境において、いわゆる「恋」が発生するのであれば、それは、その相手について、その相手の人格(または顔や身体かもしれないが)について、好ましく思う感情が生じているのである。

 ところが、恋活とか、婚活とか言われる作業(※)では、その「自然さ」がない。

「うっせーよ童貞根暗野郎。そんな自然とか、ガキっぽいこといってんじゃねーよ。お前いくつだよ? ああん? もっとビジネスライクに考えろよ。相手が求めることと、自分が求めることのすり合わせができればいいんだよ。それが婚活なんだよ、結婚なんだよ、ロマンなんてねーんだよ」

 というのは簡単だが、本当に、そこまで言っちゃっていいんだろうな?


※「作業」とは甚だ否定的な意味を含んでいるが、他によい表現が浮かばなかった。お金もかかるし、時間もかかるし、完全に作業じゃね?

モチベーションの低下

 うだうだ言ってるんじゃない。まずは行動だ!

 という方策に、僕は懐疑的である。
 まずもって、僕は多分、この思考を手放すことができない気がしてならない。
 もしも、それができるとしたら、只管打座、坐禅をして仏道に向かわねばなるまい。

 逆に。
 であるがしたら、そもそも、「彼女を作ろう!」という目標が、迷子である。


 話がズレてしまったが、「愛」なき婚活は、結局、失敗を想起させるということである。

 まずもって、婚活婚活簡単に書いているが、そんな簡単なもんじゃないことは分かっている。
 婚活とは、営業活動である。自分という商品を、どれだけ価値あるものだと説明し、納得させ、消費者(女の子)に売り込むのである。

 そのためには、もちろん、自分自身の長所短所も知っていなきゃならないし、自分が求める生活を思い描けなければならない。


 生きている意味が分かりません

 なーんて、頼りない男なんて、どんなイケメンでもノーサンキューである(※)。


 というわけで、第一の道、「専門性を獲得する」「彼女をGETする」という目標については、現時点で保留(却下)とする。

 次に、第二の道「求めるものの解釈・再構築」について検討する。


(この連載テーマ、ドッと疲れる……。ダラダラ仕事してた方がよほど楽な気がするほどだ。まぁ、しかし、このテーマを進めるために、ここ数か月書き続けてきたといっていい。これに着手するのが、2月の目標達成と、二つの映画によるショック(ダメージ)という契機というのは、何とも恥ずかしいが……)

※いや、きっと、イケメンなら、「守ってあげたい!」「そんなギャップが素敵!」みたいになりそうだ!(ルサンチマンである。かっこ笑い)


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ニュースくらいは見なければと思って毎日トピックスを眺めるものの、面白いのは滅多になくなってきた。

交通事故とか、首都の選挙、ミサイル発射や領海侵犯、どれもこれも重大な問題なのだが、これらに真剣になれないのは、やはり、自分の問題が大きいからだ。

そのなかでも、ある国の大統領選挙において、かなり過激な発言をする人が、候補に選ばれたという。その理由が、決められる親父だから、ということだ。

現在の大統領は、繊細で気配りができて、スマートで。ただ、物事の複雑さを、そのまま有権者に語る、それは世界の真実なのだが、その複雑さが面倒なのだ。

新しい候補は、敵か味方か、はっきりさせて、解決法も一本道で示す。

不安を抱えている民衆にとっては、救世主のように思うのだ。

まさに、第二次世界大戦のころの、ヨーロッパのある国のようだが。

最近平和なのだろうが、人間の本質がそうそう進化したとは思えない。日本の軍部が暴走したとか語られることだが、それは昔の人がしこたまアホだったわけではない、そういった方向に向かう環境があったのだ。

その、環境の話と、責任とは別。
例えば、幼い頃いじめられたり、性的虐待をうけたりとひどい環境で育った人がいても、現時点、何らか犯罪をおかせば、情状の余地はない。

いまさら、なにいってんの? いい大人でしょ?

で終わる。


やっぱり美人が得


努力を否定するわけではないが、今日急遽飲み会になり、いまから帰るが、やっぱり、ルックスがいい人は幸せな人生を送れるのである。

この、ルックスというのは、いわゆる努力でいかんともしがたいため、思考のタブーとされる。

だって、考えたって意味ないんだもん。

でも、この、ルサンチマンというものは、まずもって、表現の根本とすべきだ。

で、ないと、自分に必要な言説について、抜け落ちてしまうことになりかねない。


こんなこと書いて、なんになるのか、であるものの、結局……

次の日


長い記事がよいわけではない、先日の、虫瞰のブログは、週刊で短くまとめられていて非常に読みやすい。
しかし、僕は、あんまり短いと、投稿する気になれない。それは、ちゃんとまとめられてないからなのだけど、結局、自分で過去記事を開いたとき、え、これだけ? と、損した気分になることを防ぐためだ。



文章にも、ノリ、というのがあって、勢いある部分とそうでない部分とで、面白さも変わってくる。そのノリが、自分の記事だと、昔のものでもなんとなく分かるから、長くてもそれほど気にならない。逆にその強弱が自分でも分からないものは、無理して表面的な言葉を連ねただけだったのだろう、面白くない。


さて、急遽の飲み会で、どんな子がタイプか、みたいな話になった。

すごく、困った。

一緒に考えてくれる子?

いつも笑顔でいてくれる子?

自分の意見をしっかりもってる子?

論理的な考え方ができる子?




すぐに答えられない自分に気づき、あれ、やっぱり、他者の存在を僕は望んでいないんじゃ、って思った。

認めたくないが、自分大好き人間で、他者の存在を認められず、嫌い、果ては憎んでいるのではないか。


むしろ、嫌いとか、憎んでいるのですらなく、他者に興味がないのかもしれない。
ネタバレになるが、アイアムアヒーローで、主人公のその、他者に対する距離感みたいなものが、物語のキーポイントになっていることが、最近の巻で明かされた。

でも、僕は、他人に興味ないんでしょ、といわれたら、違うと否定したくて、むしろ、自分含めた人間に興味ないんでしょ、と言われた方が嬉しい。

ただ、それはきっとよくないきがするから、それをなんとか、求めようとしているわけだけど。



話がずれた、好きなタイプ、である。

恋愛として、男女問わず、自分を好きになってくれる人が好き、というのは、よくないのだそうだ。

相手のなにか、尊敬するとこでも、好きな身体の部位でも、求めるところがないと、関係は成り立たないという。


僕はこれって、いわゆる恋愛が商品化した状況における、裕福な考え、例えれば贅沢品のようだと思う。

13歳で家のため結婚し、14歳で出産し跡継ぎをつくり、という社会もあるそうだ。

ただ、家族というか、結婚という目的を考えれば、子供をつくって育てる環境を整えるため、であって、そこに、好きとか嫌いとか、パートナーそれ自身の好み、それは別の話と思うのだ。



だから、僕は、きっと、好きなタイプを聞かれて悩んでしまった。
次元が違うのだ。

子供に優しく愛情を注いで大切に育ててくれるような人がタイプです。

となら、そう思う。

じゃあそれって、どんな理想の家庭を考えているのかとか、優しく愛情ってなんなのか、ってのが、まだまだ自分の考えの足りない部分である。



身体と思考


イケメンが何も考えていないかとか、そんなことはない。仕事ができる人が遊びを知らないかというとそんなことはない、むしろ逆だったりする。


そして、問題になるのは、思考と身体の関係である。
これまで、このことは、何度も触れつつも、真剣に考えようとせず、自慰のように書いていただけだったろう。つまり、思考というものと、身体、自分自身の、もう顔から手足から体毛からニキビから声、息、すべてとの関係。


人間とは総合、総体である。と最初にかきはじめるのがキルケゴールさんだけど、僕は最初高校生に読んだとき、なんかよくわかんねーな、って思った。いまは、少しわかる。

まず、エンターテイメントの主人公なんかじゃなく、自分を知れってことなんだ。
孫子じゃないけど、こうやって書くと、ありふれた表現になって面白くないけど、自分自身の分析がまず必要。

この、自分を知る作業、ここが、いわゆる思春期によくやる作業であって、これが結構苦痛で、いやになっちゃう人も多い部分。

イケメンや美人だったらいいんだけど、男女問わず、不細工でモテなかったりすると、こんなの自分じゃない! となる。不細工がさらにましてカッコ悪くて気持ち悪い状況だ(笑)

不細工よりも、不細工を認められない勘違い不細工の方がたちが悪いのは、誰しも認めるところだろう、それはそれで、ここの問題は、その不細工を、いままさに、その、自分自身として認められるかどうかだ。

よく、あいつなになにだから、自分はできるって勘違いしてるよな、とか、最近の表現だと、意識高い系とかそういった言説があるが、僕はそういうことほとんど言わない。怖いのだ、そのことが事実だろうが、自分がそうかもしれないという不安があるのだ。

ここら辺の、不細工は不細工なりに、という、これは一見ネガティブなんだけど、全然そんなことなくて、むしろポジティブに大切なことなんだけど、これは口でいっても相手にわからせることができるものでもないし、ましてや、現実コミュニケーションで、そんなこと伝える必要がないのだ。

まったく飲み会では役に立たない内容だけど、このあたりの説明は、僕は繰り返し書いてきて、探せばたくさん出てくるだろう。

今日は、残り十分位だが、もう一歩考えたい。

現実と自分の距離感


いやそもそも、こういった表現、自己分析みたいなことが、ものすごくくだらなくて、即刻やめるべきだ、って、言われたこともあるし、自分でもそう思っていた時期があった。

でも、僕はもう、この辺は、ぶれないと思う。

誰に言われようが、考えなきゃ、この先人生に対応できない、ってことだ。

これは、他の人にはきっとあてはまらないだろう。馬鹿げたことに思われるだろう。きっとこの先も、こんなこと表現してると、気持ち悪いとか言われるのだ。


他者に合わせて生きてきた。

そのときどきの環境、コミュニティにあった考え方や振る舞いをしてきた。

それは、これからもそうするかもしれない。


でも、この、考えること、表現することはやめない。

僕にとってこれは、僧が、無為に思われるかもしれないが、坐禅を何時間もすることと同じ。ある経営者が、朝起きてからマジックワードを唱えるのと同じ。

喫煙者が身体に悪いと知りながら一服するのと同じ。

酒を飲んでリセットするのと同じ。

友人たちに愚痴を語るのと同じ。




僕は、考え、表現することで、自分自身として、存在するのだ。


ところで最後に、先にあげたブログのなかで、やっぱり、尊厳死とかあっていいんじゃないか、という記事もある。家族が介護を続けるという矛盾の指摘もある。

上の、考え表現することで前向きに人生送ろう、みたいな結論を書いたわけではないと、未来の自分にいっておく。自死も、有意義な選択肢であり続けている。

だから、この考えることは、人生の現実直面する困難に劣らず、命がけ真剣に取り組むべきことであり、決して、これまで時おりあったような、自虐的でいてそれを認めて欲しいと望むような、自慰行為であってはならないことを、今この時点でも自覚している、ということだ。

どうか、この記事を読んだ未来の方は、その点を十分に考慮した上で、新しい価値、考え、表現をして欲しい。



















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人のことを、好きって言えて、お金がやっぱり大事っていえて、40歳まで生きられたらいいって割りきれて、結婚もしたいし子どもも欲しいって言える。

家族はいなくて、色んな経験ののち、自分を変えるのではなく、自分を貫き、自分のことは自分で守ると断言する。


そんな20代後半の女の子と会話した。 

共感点と差異


考えることが好きな女の子もいるということだ、そして、共感したところは、考えても、同じことを考えても仕方がなく、何か行動や、成し遂げるために考えることが必要だということだ。

考えるための、それが自己目的化した思考は無意味であるという。


その点は、非常に重要だ、確かに、考えることそれ自体が楽しいというのはある、ただ、気を付けなければいけないところだろう。


最後にその人がいうのは、自分には、何か成し遂げるために、生まれた、使命があるということだ。


うーん、考えた上で、その、他者を好きだといえて、生まれた意味があると強く実感できること、これは、素直に羨ましいと思った。

そのうえで自分は


自己開示したところで、やっぱり、自分ってのは分からないな、理解してくれる人がいるとか、そういう期待とかも、いまはあまりない、


どんな、人間を求めているのだろう。


 何か、



何を、

探しているのか


何が、必要なのか。


思い付くことは、すべて、試している。


ここが、問題だ。

なにもせず、引き込もって、社会にうらみつらみをいうのではない。

そこが、逆に、考える生き方の著者のように、リア充のくせに贅沢いいやがって、のようになるのだろうが、でも、それでも、何をしていいかが、分からない。


努力が大事、そうだろう。

だが、何が、何を、何に向けて?

得るものが増えると、体験や経験が増えるごとに、人の優しさや、笑顔や、交流が増えるごとに、自分の世界が色褪せていくようだ、この感覚、たぶん、表現できていない。


からだの表現、顔、表情、身長、体毛、挙動、言動、それら含めた総合を、他者がどうとらえているか、まだまだ分からない。
































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