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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
今日の一言「他者に求めるのは強制だ」「自分に求めるのは自己実現だ」

ビール飲んでる場合じゃねぇ

 ある方が最近、毎日(毎日!)自作品の進捗をグラフにして公開するという荒行(ストイック・ディシプリン)を始めたので、正直、忙しいとか愚痴いってる場合じゃねぇと思い始めている。

 しかし、平日は、……正直きつい。
 何がきついって、まったくもって帰宅時間がコントロールできないことである。

 日々のルーチン(「これは毎日やるぜ!」と決めたこと)を失敗してしまうのは、往々にして、普段と違うことが起こった時である。
 僕の経験から、

・風邪とか体調を崩したとき
・泊りの旅行とか、日常と異なることが起こった時
・理不尽な事態とか、精神状態が異常値になったとき

 が挙げられる。

 そういった事態が発生すると、いくら最初に「これはやるぞ!」と強く思い描いていても、どうしてもできなかったりする。
 で。できなかった後に、「あー……昨日はダメだったなぁ……」となって、自己嫌悪に陥ったり、「ま、明日からがんばりゃいっか!」とか思って、結局、ずるずる、やらなくなっていく、というのが多い。

 そんなダメダメな経験の積み重ねの結果考え出したのが、「免除規定」(最初は「例外規定」と書いていたようだが)であった。基本、流されやすい人間ということか……。

ルーチンを超えて習慣へ

 ブログ右横の、カウントアップを見てみる。音読は結構さぼってしまった日があったりするが、筋トレはほんと、免除規定以外は毎日続けられている。270日。これは結構長いほうだ。へー、そうだなぁ、結構がんばったなぁ。


 しかし、筋トレとか音読とか、それ系の無心でできる奴はともかく、クリエイティブな、創作といった内容を毎日続けるというのは、本当に至難の業だろう。
 1時間紙面に向かって、1文字も書けないということも、冗談ではなくあったりする。そもそも、気分が乗らないこともざらである。

 一日500字とすれば、200日もすれば10万字以上だ。10万字が単行本一冊ぐらいの量といわれるから、一日500字でも十分すごいだろう。



 これは、何度も書いているが、何か「創造」できる人を僕は尊敬する。
 ま、これは、エンターテイメントに限らず、仕事でも、遊びでもなんでもいいけれども、何か「創る」というのが、すごいことだと思っている。

 ――そして僕も、やっぱり「創る」のが好きだ。そして、自分でも、創りたい。


 あー、これ、何となく思ってきたけど、やっぱりそうなんだろうなぁ。
 先日、過去記事とか整理していて、「今後、ほんと、どうしようかなぁ」と考えたとき、そもそも、音楽つくったり、小説かいたり、ブログ書いたりって、ほんと、自分の人生になんら影響しない……というか、よくないことなんじゃないかって思ったりもした。

 やっぱり人は、他者にとって役に立つ人間じゃなきゃダメなんじゃないかって。
 自己満足や自己完結に陥ることはダメなんじゃないかって。

 確かに、この時代、「公開する」ということができるインターネットという電子が飛び交う魔法の世界においては、創作に励むというのが、必ずしも閉じた世界になるわけではないだろう。
 けれども、やはり、「仕事」と直結しない行為は、「無駄」なのではないか、と思ったのだ。

 大人は、人にとっては、趣味はやはり「余った時間に行うこと」であり、仕事に生きがいを感じなければならないのではないか、と思ったりもした(就職活動中とか、社会人になってからまもなくとかの過去記事を読んだりしていて)。

好きなことをしている人が強い

 あるニュース記事的なので、ある会社の社長さんとか経営者の就活生向けのインタビューがあって、「結局、楽しんで仕事できない人は伸びないよ」「やらされてる感しかない奴はいらないよね」とかあった。

 まぁ、仕事を本当に楽しめる人たちだから逆に、経営者とかトップに立つ人間になるんだろうなぁと思ったりもしたが、ただ、自分がいくら平社員だからといって、あながち否定もできんと思ったわけだ。

 やっぱ、楽しくなきゃ生きてる意味なくね?



「人生とは、楽しむものだ」

 これは、僕が、中学生(高校一年生の倫理でエピクロスを学んだときだったか)のときに考えた、悩んできたことに対しての答えだった。

 小学校とかから、ずいぶん、嫌な思いもしてきて、「何でこんな生きるって大変なんだろうなぁ」と思ってきて、「うん、やっぱり、楽しく生きなきゃおかしいよ!」と思い立ったわけである(確か)。

 で、そんときは、すげー発見したなぁと自己陶酔していたが、結局、その「格言」が正しかろうと、現実は甘くなかった(かっこわらい)。

 でも、やっぱり、原点はそこなんじゃなかろうか?


 みんな、だれしも、楽しく生きるのが大事なんじゃなかろうか?

 だから、ブラック企業とか、頑張ってやりがいを満たせとか、一方で、「クリエイティブな人材をほっします」とか企業が就活生とかにいっちゃうのは、みんな、根本的に大事なことを見落としてるんじゃなかろうか?

え、これ仕事論になるの?

 大事なのは、「楽しむこと」だと。

「やりがい」を求めて、仕事を必死になること、それが悪いことかというと、僕は全然そうは思わない。

 仕事が好きで楽しい、とかいうと、すぐ「社畜乙」とか言われるのは、それはおかしい社会と思う。

 一方で、「がんばって成果を出しましょう!」と発破をかけて、お金を稼ごうってのは、大事なことを見落としていると思う。


 本当は、「頑張ること」「成果を出すこと」「認められること」というのは、それは単に「結果」に過ぎないのではないか?
 それよりも根本として大事なことは、それら全般が、本来的に「楽しいこと」だということではないか?

 そりゃ楽しいことしてても疲れるときは疲れるけど、強制され、拘束されているのと、同じ時間だとしても、身体・精神ダメージは全然違うだろう。


 とはいえ、だれしも仕事を好きにならなきゃいけないってのも違うと思う。
 仕事はお金を稼ぐ手段で、人生は趣味や家族に捧げるってのも、大いにありだろう。
 そういったのをひっくるめて、「多様性」を認めるってことじゃあなかろうか。


 で、その前提として、せっかくだから、「仕事」も楽しむことができたらもっといいと思う。

着地点どこやねん

 あー、その、なんというか、創作をルーチンで続けるって、ほんとすごいなって、思ったんだ。

 ちなみに、ルーチンを超えると、それは習慣になる。
 意識しなくても自然にやってしまうこと、それが習慣だ。

 習慣も、大いに、目標達成には活用すべきである。例えば、外から帰って手を洗うのは習慣だろう。それに、風邪予防にうがいも加えてみる。って小学生か。
 いやしかし、そういう、ついつい「馬鹿にしたくなる」ようなことが、習慣の活用としては有効である。むしろ、普段意識できていないような習慣の方がよい。
 家に帰ってきて、もしくは自分の部屋に戻ってから、必ず行うことはないだろうか? または、普段、初めに目線がいく場所はないだろうか?

 その、当たり前の、習慣の中に、すこーしだけ、種をしかけるのである。習慣プラスα作戦!


 なんの話だ。

 そう、ちょっと、高級なYEBISUビールを飲んで、昂っているせいも影響しているかもしれないが、僕も、創作がんばろうと思った。

 今年中に、音楽と小説と、一つ完成させたいな。

 ――って、今年って、もう半年もないんかい! はやいなぁ、ほんと……。

 
 もうちょっと、具体的な計画や目標は、落ち着いた日に考えるとして、今日のところは、「自分の好きなこと」の確認を少しできた、ということで終わるとしよう。


(創作しようッ!! と思った矢先、「風よ龍に届いているか」を読み始める。え、なにこれ面白い)

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今日の一言「ものすごい生産性がなかった気がする」「整理という仕事は往々にして大変」

2008年~2010年あたりを整理

 非公開として下書きにしていたり、いろんなところに散らばっていた文章をまとめたり、消したり、整理を実施した。
 しかし、まだまだ、60記事以上が残っているし、2011年以降も残っている。

 そもそも、この忍者ブログの検索機能というか、一括編集機能が非常に使いづらかったので、バックアップファイル(MTファイル)を出力して、それを取り込んで編集しようと試みたが、このMTファイルの形式が、非常に使いづらい。CSV形式とかなら良いが、全然保存形式が異なる。なんだこれ、なんでこんなファイルが一般的になっているんだろう……、そうかこれがデファクトスタンダード(よいか悪いか別として、一般に広まったからそれが使われるようになったもの。ウィンドウズとか)ってやつか。

 それで、こんな使いづらいなら、MTファイルを操作するアプリケーションぐらい、ゴロゴロあるだろうと思ったら、ところがどっこい、そんな便利なソフトも全然見つからない。
 なるほど、昨今、ワードプレスとかはやってるし、わざわざ、こんなテキストファイルを直接編集しようなんて考えるやつなどいないのだろう。

 ということで、エクセルとマクロでMTファイルをテキストファイルとして取り込んで、日付とか、本文部分を分離させて、編集しやすいようにするアプリを自作した。

 これを作るのに、1~2時間ぐらいかかった。テキストファイルを読み込むってのも、いろんなやり方があるみたいで、どれが良いかとか考えるとこれまた複雑だった。
 うーん、最近使っていて思ったけれども、エクセルのマクロって、かなり多機能だよな。そもそも、フォルダやファイル操作が自由にできる。ってことで、エクセルのスプレッドシートを使うのを主にしない、デスクトップに余計なファイルを退避フォルダに移動させるアプリも作った。

 とある、これまたよく読んでいるブログさんでも、エクセルのマクロって聞くと、複雑なプログラム言語ができる人は馬鹿にしたりするけど、実はすごいんだぜ、とおっしゃっていて、なるほど、確かにすごいなぁと思った。


 あ、話それた。
 そう、昔の記事の整理だ。

心をえぐられるようなのもちらほら

 最近、なんか、「幸せな気がするけど、なんか変な感じだな~」とか思ったり書いたりしている。

 しかし、自分自身、その感覚に対して違和感を抱いていた。

 その理由が、過去記事読んだりしていて、なんとなく分かってきた。
 いろいろ、引用したい記事は出てきたんだが、今回はとりあえず一つだけ引っ張ってこよう。
先ほど友人から、「お前はもっと人に興味をもつべきだ」とアドバイスされました。「どんだけ自由に生きてるんだ」「自分についてしか興味がないんだろう」とも。  友人がいう次元においては、わたしは「全くその通りだなぁ」と思いました。ここでいう「友人がいう次元」とは、特定の他者、例えば身近な人に対しての情報を、もっと知ろうとするべきだ、ということでしょう。確かにわたしは、誰々が今どんな職業に就いているのか、誰々がどんなものを好きなのか、なんてことを殆ど知りません。というよりも、ご指摘の通り、あまり興味をもてないのです。 ――2009年8月2日
 ひどい友人だ!(笑)

 いや、まぁ、いいたいことも分かる。というか、それを聞いた俺自身も、「あー、やっぱりそうだよねー」と思ったりしていた。この後、

>と、今書いて改めて分かりましたが、本当に、そういうことに興味をもてない。むしろ、何故そんな「普通の人」は、誰々が誰と付き合ったとか、結婚したとか、どこに旅行に行ったとか、そういうことに興味をもてるのか、分かりません。

 とか、そんなことまで書いたりしている。

 でも、違うんだよな。
>それよりも、「お前はもっと人に興味をもつべきだ」という点において少々書きたいと思います。わたしはちゃんと人に興味をもっているのだよ、と、そう言いたいわけです。でも、わたしが興味のあるのは、特定の人ではなく、広い意味での「人」です。認知症や精神病の本など、非常に面白いと思います。

 自分でも当時書いているが、そういうことなのだ。
 人自体に興味がないというわけではない。ただ、「誰それが今何をしている」とか、そんなに興味がないのだ。
 つーか、そういうのって、田舎の近所のおばさま方が、「ねぇ、田中さん(仮名)、知ってる? 高橋さん(仮名)のお子さん、〇〇会社に就職したんですって」的な奴に思ってしまう。なんか、そういうの、いやじゃない? ――いや、俺だけか。

 いや、別に、久々に会った友人と、「お、久しぶり! 最近どうよ! 何してるん?」とかいう会話が無駄だとか嫌いだとか言うんじゃない。それはありだと思うし、興味もある。けど、そんなん、別に常日頃変わっていくだろうし、そんな歴史の授業みたいに記憶するのが必要か? と思う。

 みんな、今を生きてればいいじゃん。過去の話だけだと、結局面白くなくない?(いや、思い出話に花を咲かせるのも、いいことだ。ペルソナ4の夏休みに主人公が、おばあさんの櫛を川の魚から取り戻して、思い出も取り戻してあげる話とかよかったじゃないか)

 まー確かに、だ。その友人は、間違っちゃあいない。確かに、当時、まぁ今もだけど、あんまし、他人に注力できるほど余裕なんてなかった。
 でもさ、「どんだけ自由に生きてるんだよ」「自分にしか興味ないんだろ」って、それはどうなんだ?(笑)
 少なくても、そんなに楽しい思いばっかりしてきたとは到底思えないんだが。


 まぁ、今となって、そんなこと言われたの、すっかり忘れていたけど、こうやって過去の記事を読み返すと、「ああ、そんなことあったかもしれんな!」と感情がよみがえったりもする。

感情を蘇らせるのが良い記事

 ネガティブとか、ポジティブとか、そんなん僕はどうでもいいと思っている。その時々で判断も変わるだろうから。

 けれども、その記事を読んで、何らかの感情が蘇ってくるような記事が、よい記事だと僕は思う。

 それがたとえ、嫌な思い出でも、さ。

 まだまだ、整理がしきっていないけど、今年中に全部整理してしまいたいな。

 こうやって、新しいメモを書くのもいいが、過去も有用に使っていきたいところ。



 いやぁ。しかし、いろいろ、やってきたなぁ。

 オフ会の幹事とかもしたことがあるらしい。すっかり忘れていた。それは、感情は蘇ってこなかった。単純な「記憶」だけ。っていうのは、日記としては有用だろうが、実際どうなんだろ?

 実感が伴わない過去の体験・経験って、役に立つのかな?

 つまり、それを成し遂げたとしても、その成し遂げたのが「自分」と一致させられないということだ。
 赤の他人の業績のようなもの。
 無意識に影響は与えていても、意識下で使うことができない記憶・感情であれば、残念ながらあまり有用じゃない気がする。

ループの罠

 なんつーか、過去の自分に対して、とりあえず、こう、「お疲れ様」っていってあげよっと。他人事みたいだがな。

 無駄な悩みとか、時間を無駄にしたり。もっと頑張れたのかもしれない。
 でも、まぁ、「自分」っていう身体・環境制約の中では、よくやったと思うよ、ほんと。上から目線だな。だが構わない、唯一、上から目線になっても怒られないのが、過去の自分相手だ。

 しっかし、文章量がほんと多いな。中身ないやつとか、意味が完全に壊れている奴とか消していったりもしたけど、まだまだ残ってる。
 過去記事のどっかでも見かけたが、ほんと、ただ書くことは「いくらでも」できる、のかもしれない。確かに、いっつも、「そろそろやめとくか」とか思ってやめてる感じだもんな。これは今も昔もそうだったんだろう。

 いや、それが何の役に立つってんだ、ということも感じたり考えた。
 それで、意識的に、何年か、その思考をとめて、書くこともやめたりもしたりした。
 けれど、それは結局、何の解決にもならなかった――というのは、今このように書いている事実があるからな。


 とはいえ、先日も書いたけれども、「ループ」というのに、どう対処するかってのはある。

 しかし、どうなんだ?

 実際、ループしてんのか?

 確かに螺旋みたいに、ぐるぐるしている気はする。しかし、その階下、上下はしているような気がする。
 いやしかし、それは、周囲の、環境の変化がそう思わせているだけなのかもしれない。

 思考のループ。
 これには対応する必要があるだろう。

 そうだ、そういえば、そのための、今年の目標、「整理」ってのもあるわけだ。

 でも……、どうなんだろ。
 分からない。
 例えば、今回のこの記事は、今までの、どれかと全く同じことを書いているのだろうか?
 この感覚は、今まで感じたことがある何かと同じなんだろうか?

 直感的に、何の根拠もないが、僕は、「違う」と、今思っている。

これからの自分

 さぁ、これからどうすっかなぁ。
 その点が重要である。

 なんか、本当に、ある意味、人生の目標達成したような気分でもあるんだよな。と書くと傲慢なんだけど。
 確か、2008年ぐらいも、最初のうちはそんな風なこと書いていた気がする。
 けど、だんだんおかしくなっていって、2010年ぐらいまでかけて相当気がめいっていくんだよな、確か、そんな年表だった気がする。

 そうすると、過去の自分から敷衍すれば、今、「あー満足満足。幸せじゃなぁ」と思っていても、あと数か月か数年かわからないけれども、どんどんおかしくなっていくのではあるまいか、そんな気がした、今。

 それは本義ではないなぁ。

 それは望まない。もしそんなんなるんだったら、早めに物語の帳をおろしてしまいたいものだ。


「ねぇ。あなた、なんか、やりたいこととか、ないんですか?」

 うーむ。




 ある方のブログで、人生で、重荷を下ろすことはできない、と書かれていた(ほんとは、全文引用したいぐらい良い記事だと思ったんだけど、ブロ主さんが嫌かなぁと思ってやめた)。
 問いが良いんだ。
「重荷を下ろしたら幸せになれるのか」と。

 上に書いた僕の友人の言葉、「人に興味を持つべきだ」というのは、もう少し別の表現をすれば、「他者に対し役に立つ人間であるべきだ」ということでもある。効率的に、役に立つ人間になる。そして自分を高めていく。
 確かに、学校でもバイトでも、会社でも、一般的に良いことだとされることだろう。

 その感覚や、思想や、考え方、それに対して、まっこうから「違う」ということは難しいと思う。これを、なんかの本で、「香山リカ」と「たじまようこ(?)」との対談の決定的な決裂、について書かれていて、なるほどな、と思ったこともあった。
 つまり、「まったり」という生き方について、一切認めることができない人も多いってことだ。

 確かに、自分を高めることで、周囲の人からも「承認」され「所属」欲求も満たされ、人生はよりよくなっていくことだろう。

 俺自身、大した回数でもないが、二の腕を太くしたいと思って筋トレを、270日ぐらいずっと続けている。ストイックであることを否定する気など全然ない。

 ないんだが、――これも、過去記事を整理していて見つけた言葉だが、

「禁欲することは大事だ。けれども、それは主体的でなければならない。他人に強制される禁欲は、「拘束」である」と。
 なんかそんなようなこと書いてた。

 だから――つながってるかわからないが、上の友人の、「自分にしか興味ないんでしょ」というのも、あながち、間違っていないとも思うのだ。確かに俺は、主体的に、「他者」を排除しようとしている節がある。
 他者を認めないとか、自己完結するとか、独善だとか、孤独がいいとか、そういう意味ではない。なんというか、ありふれた表現になってしまうが、「自分の人生は、自分で決める」――決めたい、ってことだ。
 そういう意味では、「他人なんてどうでもいい」と思っているのかもしれない。ただ、こんなん、たんなる表現問題だ。「他人なんてどうでもいい」なんて、そんなはずあるまい。「社会」の中で生きてるんだぜ? アマゾンで注文した商品を届けてくれるのも人なんだぜ?(って話が違うか)

まとめ

 まとまらないだろうが、これまた終わりが見えないから終わらせよう。

 とにかく、過去記事の整理は、物理的時間もかかるし、精神的にもダメージが大きいけれども、まぁ、頑張ろう。頑張るって好きな言葉じゃないけど、ここは頑張ろう。誰の役にも立たない、誰が考えても、見ても無駄なことだと思うけれども、ただ、僕にとっては意味があることだと思う。「お前がそう思うんだったらそうだろうな(笑)」とか言われてもめげない!

 でもさー。

 役に立たなくてもいい、ただ、生きていてくれるだけで、幸せだよ。


 なんて、言ってくれる人、いるんかな。
 親、ぐらいだよな。で、その親も、実際「そう思うべきだ」というのが強制されているってことで、必ずしもそういうわけじゃないとかいう言説もあったり、まったく、この社会はいつからこんなに生きづらさであふれてしまったのだろう。

 でもあれだな。この前書いた、ある精神科医さんの記事で、「大人はなるもんじゃない、やるもんだ」ってのは、まさにそういうことなんだろうなぁとも思う。

 でも……これは、どうなんだ、まだ、結論を出すまでに至れない。
 この考えを正とすれば、とりあえず、相手はともかく、「子供をつくって育てる」というのが、人生にとって最重要である、ということになる。

――結婚している人は偉いのか

 まぁ、僕の知人とか見ていると、子供がいるってのは、いいことだなぁとも思ったりもする。
 うらやましいなぁと思っていないか、というと、それもあるかもしれない。


 そもそも、なんか俺はやりたいこととかあるのか。
 別にないなら、子育てぐらいしてもいいんじゃねえか。……って書くと、苦労している諸先輩方に石を投げられるわけだが。そんなテキトーな思いでできるほど子育ては甘くない! って。

 でも、そういった言説も俺は疑問である。
 そんな、立派な親ばっかりか? 車の中に子供おきざりにしてパチンコいってる親だっているし、まともに愛情もそそがないで仕事とか異性関係に興じる人だって少なくなかろう(少ないの?)。

 初めから立派な親なんていないし、そもそも、親が少しぐらい立派じゃなくても、立派な子供が育つような社会であるべきなんじゃねーの、と俺は思うが、まぁ、そんな、結局、独身で子供も育てたことないような俺の意見や感想なんて、誰も耳をかすまい。そう、「経験」ってのは、大いに、「マウントポジション」をとれる強い武器なのだ。

 ……って、やっぱりまとまんねーじゃねーか! というか、まとめる気ないだろ、俺……。


(あー、もう、休日に、なんでこう、自ら陰鬱になるようなことしてんすかね~。ま、悩んでる俺、かっこいいとか思っちゃってんのかね。きんも~☆)

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今日の一言「実際に計算してみないと実感がわかない」「面倒だけどね」

金利計算

 金利、というと、「率」なのか、「額」なのか、両方含んだ言葉だそうだ。
 ので、「利子率」とか言ったほうが正確だという。
「利回り」という言葉もある。「利子率」が約束(確定)された金利のことを言うのに対し、「利回り」とは、投資をしてみて結果として得られた金利のことを言うという。

――株式投資入門:第二章


 で、単利計算とか、複利計算とか、まぁ計算式がたくさん出てくる。計算式がたくさんでてくると、「うわっ」と拒否反応が発生する場合もあるが、ただ、「計算式」ってのは、言語を簡略化しただけだとも思っている。
 つまり、「記憶力」があれば、計算式もさほど難しくないのだ。例えば、単利計算の式として、2年間運用した場合を例として、

 r ={ C + ( F - P )/ 2 } /100

 といったのが出てくる。「うわっ」と思うのは正常な反応だ。
 どんな頭の良い人でも、「C」とか、「F」とか「P」とかの定義が分かっていないと、この式が何を示しているか、さっぱり分からないのである。

 本の中では、C:「クーポンレート」とか、F:「額面」とか、P:「市場価格」とか表現されているけれども、僕が理解できるレベルで表現してみる。

 単利rは、「売った金額から元本を引いた額」(F-P)を年数で割ったものと、金利C(額)を足したものを%表示にして求めることができる、と。

 言葉にしても分かりづらいな。ま、とにかく、こういうのは、あまり深く考えても仕方がない。ニュートン力学のF=maとかアインシュタインのE=mc(2)とか、何でそうなるのか考えても仕方がない。何せ自然がそうなっているのだから。

複利計算

 複利の計算式も、とりあえず覚えた。
 覚えたけど、この文字媒体で書くのは困難だ。そもそも、累乗を1行で表現するのって、どうしたらいいんだ?

 言葉で表現してみよう。

 複利rは、金利(額)を(1+r)で割った値と、金利(額)を(1+r)の2乗(年数)で割った値と、売った額(額面)を(1+r)の2乗(年数)で割った値の合計が、元本と等しくなる値のことである。

 言葉にすると更にわっかんねーな!

 というわけで、数式の方が分かりやすい、ってことも往々にしてあるのである。


 まぁ、単利と複利の違い、なんて、検索すれば、「年々の運用の際に、利子が付いたあとの額にも利子率を乗じるのか」ということだと分かる。
 とりあえず、その程度覚えておけば、「まぁ、そういうもんなんだな。複利って、年数が少なければ単利とあんまし変わらないけど、長い年数になるとすごい差になるんだな」程度のことは感じられるかもしれない。

 でも、正直なんも面白くない知識である。

実際に計算してみよう

 このままで授業が終わると、クソつまんねえってなる。
 記憶可能性の知識になっても、運用ができなければ役に立たない。

 そこでまず、自分の資産運用を思い出してみよう。
 以前ブログにも書いたと思うが、積み立てタイプの保険も、昨年ぐらいから始めている。

 で、その保険は、最低利率が3%と保証されているタイプである。
 まぁ、保険って何? というのも整理して書いてもいいかもしれないが、取りあえず、100万円預けていたら、翌年には最低103万円にはなるって商品のことだとしよう。

 そうしたとき、株式投資をやろうとしたときに、まぁ、最低限、3%よりは、割のいい利回りの方がいいなぁ、と思うだろう。何故なら3%の運用でよいなら、全額保険にしてしまってもいいわけだ。その方が、口座振替でお金が引き落とされるのを見送るだけで、特に何も考えなくてもいいし、楽だろう。


 としたとき、じゃあ、3%って、どんぐらい頑張れば得られるんだろう、ということを、さっきの複利計算を使って考えていこう。
(こういった導入ならちょっと面白くはなるまいか? しかし、あくまで、さっき学んだことを整理しようとしているだけなので、曖昧だったり、そもそも間違っている可能性というものはご容赦願いたい)



 で、先日、購入した株式のステータスは以下である。(細かい数字は省略)

・購入金額:319,000円
・配当(予測):6000円/年

 んじゃこれを、2年間運用した場合に、株価上がって、売却金額が357,000円になったとしよう。では、

 複利rは、金利(額)を(1+r)で割った値と、金利(額)を(1+r)の2乗(年数)で割った値と、売った額(額面)を(1+r)の2乗(年数)で割った値の合計が、元本と等しくなる値なので、319000=6000/(1+r) + 6000/{(1+r)}2乗 + 357000/{(1+r)}2乗……


 とか面倒なことはしなくても、複利計算は、エクセルの関数の「IRR」を使うと求めることができる。
 まぁ使い方は省略して、上のケースで計算してみると、

 6.73%

 となった。
 おお、いい感じの利回りである。

 しかし、2年で株価が40円プラスになるのは難しいかもしれない。


 では、5年運用ではどうだろうか。
 同じように計算式を当てはめてみると、
 3.74%
 となった。

 試しに、10年運用の場合は、
 2.77%
 となった。

 つまり、売却時の金額が「357000円」で固定であるならば、長期運用になるほど、いくら配当が毎年ついていたとしても、利回りは悪くなっていくのだ。
 ゆえに、僕の師匠が仰っていた、「配当よりも持続的にその企業が成長するのかどうかをみるのが大切だ」というのは、なるほどこういった数字からも感じることができるのだ。

預金との比較

 なるほどねー、3%の運用するってのも、まぁまぁ大変なものなんだなぁ。
 ということを思ったかもしれない。

 でも、僕は逆にふと思った。
 そういえば、この前調べた、銀行の金利って、普通預金で、0.001%だったじゃん、と。定期預金でも、0.01%であった。

 昔、僕の親は、よく定期預金を使っていた、ような記憶がある。けれども、実際僕が働いてお金を稼ぐようになってから、特に定期預金に預けようとは一切思わなかった。だって、どっちに預けても大してお利息でないじゃん。ましてや、働き始めたころなんて、大した額ももっていない。

 そう考えると、3%って、まぁまぁすごいものである。
 では逆に、株価がいくらぐらいまで下がってしまったら、「あーくそ! こんなんだったら、普通に銀行に預けとくんだった!」と後悔するんだろう? と思った。

 エクセルで、いろいろ金額いじってやってみたら、10年運用で、株価が「265,000」になってしまったら、複利が0%であった。
 ただ、株価が「270,000円」まで下がったとしても(つまり、購入金額から50円ぐらいさがったら)、複利は0.17%であった。

 0.17%である。

 ということは、これでも、定期預金よりも断然利率がよいのである。

まとめ

 こう考えてみると、銀行預金がいかに資産運用として適していないか、株式投資が意外に悪くないかが分かるだろう。
 とはいえ、これも、銀行金利が低く、景気の状態が安定しているという現時点では、に過ぎない。

 政治、経済、倫理、と、それらをひっくるめて「社会」という。

 僕らが、社会で生きる以上は、その社会の仕組み(システム)について無関係ではいられない。
 しかし、難しく考えずとも、ただ「生きる」ということであれば、その仕組みに順応することができれば、そこそこ生きることはできる。
 仕組みから外れた人や物や集団や組織を、弾圧し排斥することで、仕組みを維持することはできる。
 その中で、いろんな「正義」がぶつかりあって、諍いがおこって、時に殺し合いになったりする。

 正しいってなんだ?
 幸せってなんだ?


 ――僕は、一般普遍的なことを考えることを放棄する。
 学問とは、一般普遍の真理を明らかにするものだ。それらは、エリートやプロフェッショナル(学者)に任せることにする。

 僕は、俺としての、正しいことを探っている。それをたまたま、「生きる意味」という表現にしているに過ぎない。それを、哲学的に表現すれば「実存」となる。
 道徳的にかけば、「正しく生きるためには」みたいなブログタイトルになるだろう。しかしその表現は些か、不愉快である。

 実存を考えるなら、政治的なことも、もっと書いたほうがよいのでは、とアドバイスを頂いたこともある。確かに、それはそうだ、と思ったりもした。
 ただ、政治の結果について言及することは大事だが、政治そのものへの言及は、やはり僕の考えるべき部分と外れるだろうと思う。

 政治は確かに、変えることができるものだ。しかし、それを言えば、法律もまたしかり。僕は、政治も法律も、一個人としては、同じように、自然災害的に降りかかるものだと捉えている。確かに、選挙として一票の意思表示は可能であるが、じゃあ非常に個々具体的な日常に影響する事象……例えば、ゴミや騒音や環境問題に、その一票がどう影響するか、というと、実質影響は無い場合が多い。
 だからといって、選挙が無意味であるということではない。ただ、あまりにも、「議案」が多すぎるのだ。大きな枠組みでしか政治も、法律も、対応ができないのである。憲法改正に賛成の人が、じゃあ、戦争肯定派なのかというとそうではないだろう。憲法改正に反対の人が、じゃあ、諸外国に侵略されたときに両手を挙げて降伏するかというと、そうではないだろう。やはり、身近な恋人や家族を守ろうと戦うのではなかろうか。例えが小学生レベルで恥ずかしいが、とにかく、政治も法律も……加えて経済も、個人(人が直感できるレベル)において、感じ取れたり判断できるレベルを、はるかに超えているのが、現代社会であるといえよう。

 科学もまたしかり。飛行機が空を飛ぶのはもちろんだが、日常運転する車が走る仕組みだって、完全に理解できている人などいないだろう。いやそりゃあ、タイヤが地面に設置して回転することで移動するというのはそうだろうが、じゃあエンジンを作れる人がどれだけいるのか。自動車会社だって、その個々人でエンジンが作れるはずもなかろうし、そもそも会社一つであっても、下請けで部品をつくってくれる会社の総合で成り立っているのだろうし、いろいろ複雑に絡み合っているのだろう。

 だから、「合理的」というのがずっと求められてきたのが、17世紀以後の科学革命によるパラダイムシフトだとして、果たして、今後も「人」に、「合理的」が求められ続けるものなのだろうか? と僕は思う。

 効率化、というのもそう。
 以前僕が書いた、「美人」と「ブス」どっちがいいの? という二分法的に考えれば、そりゃあ効率的な方がよかろう。性格の悪い美人と、性格がよいブスなら、そりゃあ考えることも必要だが、単純に比較が「美人」なら、美人の方が良い。

 しかし、その「効率」だとか、「美人」だとかの、その「価値尺度」は、それこそ、「一般普遍」などありえないだろうと、同時に僕は思う。

 ここから導ける答えとしては、「各々の価値尺度(価値観)を磨いていく必要がある」ということである。


 記事の主旨から、いつものごとくだいぶ外れていっているから、そろそろ終わるけれども、どうも、こう「価値観」を突き詰めていくと、僕は「空」「無」という表現に近づいていく気がする。

 これは、気分が高揚しているときは、「ばりばり全開、楽しんでいこうぜぇ!」って気分になるし、少し陰鬱の状態のときは、「生きていることそれ自体に意味はない」って気分になる。

 ポジティブな気分でも、ネガティブな気分でも、どっちにしろ、その「空」って感覚が、普遍的に近しい気がするのである。

 抑鬱か、というとそうでもなくて、「意味がないと考えることも意味がない」ともなっていき、無限に遡っていく思考状態である。


(俺は、この意識の沈潜に負けないスピードで、表現(アウトプット)をしないといけないと思う。その表現の方法は、文章か、音楽か、それとも絵か。しっくりくるのは、文章、というか、このブログのようにゼロ秒思考メモ的な奴である。しかしこれにも限界というか、苦手としている面がある。思考のループだ。ので、過去記事を読み返すというのは必須。その中で「面白い」と思ったものの、要素をインプットする。――俺は、答えを求めていない、ただ考えることのみを求めているのだろう、と指摘された。本能的に、「違う」と思ったが、しかし、それを明確に否定できる根拠が今はない。根拠はなくても、「感覚的に」思ったのなら、その方向で考えていく必要があるだろう。とにかく、今年ももう半年を切っている。どこまで整理できるのか、明確に目標を決めていかないと、またしても忙しさにつぶされてしまうだろう)

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今日の一言「精神攻撃に耐えられなくなって文章を書く」「ペルソナ4面白い」
※拍手コメント下さった方へ。前記事のPBRの式の誤りに関するご指摘ありがとうございます。修正いたしました。――いやぁ、しっかり細かいところまで読んで頂けているとは、特に学習カテゴリでは思っておりませなんだ……お恥ずかしい。

特に理由もなく離れていく

 最近、僕がペルソナ4のアニメを、アマゾンプライムで見始めたのは、ある方のレビューというか感想が、理由の90%以上である。

(注釈:ラスボス(?)との戦いにおいて)主人公に幻覚? 的な? サムシングを見せて精神攻撃してくるわけですよ。これが、原作ゲームにはない演出だった。そらまぁ、RPGで戦闘中にんなクソ長いイベントシーンなんかできるわけがないから当然なわけだが、
(中略)
で、その幻覚の内容が非常に、非常にエグい。いや残虐描写があるわけではないのだが、そんなものよりもっと心に来る。まぁその、なぜか唐突に時間が飛んで、
(中略)
主人公と仲間たちの絆が特に理由もなく徐々に薄れ、なんだかよそよそしくなってゆく。一人また一人と主人公のそばから姿を消してゆくが、別に失踪したわけでもなく、単につるまなくなってゆくだけだ。
(中略)
何がアレって、「特に理由がない」という点が実にアレである。なんか劇的なイベントによって絆が壊れてしまう、というのなら、まぁそれさえなければうまくいっていたと思うことはできるし、原因があるということはそれを取り除けばまた絆が戻ってくる可能性もありうると思うことができるのだ。だが、理由などない。何も起こらず、自然消滅である。救いがない。
(中略)
(注釈:ゲームでは絆を構築するのも努力が必要なため、プレイ済の人にとって)このアニメのイベントは特に何の理由もなくこれらの努力をすべて無へ帰す所業であり、なんかもう見てて叫びたくなること甚だしかった。恐ろしい。恐ろしいアニメやで……!
――螺旋のモノリス
 僕が見たかったのは、その精神攻撃パートであった(やはり俺はマゾなのか?)。
 ゲームはやったことないけれども、その、上のレビューを読んだだけで、もう何というか、身の毛がよだつというか、恐ろしさが伝わってくるではあるまいか。

特に理由がないことの恐怖

 とまぁ、そのシーンみたさに、ちょくちょく、6月下旬ぐらいから見ていったわけですが、いつ、そのシーンが来るのかも分からなかったので、ついつい、上のレビュー的サムシングも忘れて、普通に作品を楽しんでいた。
 作画的な綺麗さだと、RE:クリエイターとか、正解するカドとかの方が、やっぱり綺麗だなと思うけれども、もちろん及第点ではあって(上から目線的な書き方だけど、よい表現が浮かばなかった)、そもそも単純にストーリーを楽しんでいた。

 そんな中、――もちろん、犯人的サムシングと対峙したので当たり前だが、僕にとっては突然、その精神攻撃が始まった。

 いやぁ、僕の貧弱な表現では、僕の感じたことを上手く表現できないのだけれども、何というか、その「自然さ」が怖かった。

 確かに、なんかよそよそしくなっていくのである。

 でも、そのよそよそしさが、まったくもって、「自然」なのである。

 ――友達なんて、――絆なんて、――結局、空っぽなんだ。無(む)、なんだと。

 状況や環境が変われば、物理的な距離がひらけば、途端にほころびをみせ、瓦解してしまうようなもの。

文章整理

 また上の章の話に戻ってくると思うが、ちょっと話を変える。

 まとまった時間が取れているので、ペルソナ4を見るのと、読書をするのとプラスして、過去記事の整理などを行っている。

 今まで非公開としていた記事も、できるだけこのブログに収れんさせようと思っている。
 さらに、短くて読むに値しない記事は削除するか、まとめて一つの記事にしようと思っている。
 あと、映画カテゴリは削除した。前からやろうと思っていたけれど、思い切って実施。いや、映画とか見て感想を書くのはいいんだ。ただ、その作品に対する批評のみで終わってしまっている記事は、後から読んでも面白くないことが分かった。

 先日書いた、「君の名は。」を見たときの記事は、まぁ、それなりに読み返す価値もあると思った。それは、その作品を見た結果としての、自分の「変化」を記載しているからである。「この作品を見た。まぁまぁだった。以上」――こんなんで終わっている記事は、正直、なんも面白くない。いや、先日読んだ、「日記の書き方」的な本では、むしろ、「思ったこと」など書かないで、「ただ事実だけを書きましょう」とか書かれていた。僕は真逆のことを今書いている。

 でも、「短い記事」(100字に満たない程度)も、やっぱり価値を感じなかった。と、いうよりも、ブログという媒体では特にダメだと思った(他のブログさんへの批判ではない。「僕は」、「僕の」ブログではそうだ、ということだ。しかし、100字程度だと、ツイッターでもやってた方がよいのではなかろうか。まぁそもそも、僕はツイッターへの価値をあまり見いだせていない)。

 まぁ、それで、その記事を整理していて、いろいろ、出てきた。

似た経験がある

 精神攻撃の話に戻る。
 その、親しかった人が、特に理由もなく離れていくということ。この経験が僕もあって、それも相まって、このペルソナ4のアニメーションにおける精神攻撃シーンが、僕に多大な揺さぶりを与えたのだろうと思った。

 いやー、今日は、作曲と家計簿のアプリを作ろうと思っていたのだけれども、――今はもうこの精神攻撃のことを記事にするのがMAXプライオリティである!

 でもさーでもさー、俺、思うんだけど、そのラスボス(?)のシャドウを、完全に否定できるんか、って思うんだよな。

 ――すべては無、空っぽなのだ。

「俺は、空っぽなんかじゃない!」

 と、主人公は、仲間に助け出されて、自分のペルソナをフル稼働させてラスボス(?)のシャドウを倒しますよ。
 そして、精神攻撃のときとデジャブりながらも、それとは違う、仲間との新たな絆を彷彿させるシーンでエンディングを迎えますよ。「これからもよろしくな!」的な。


 いやぁ、よかったよかった。
 友達だなんて思っていたのは自分だけ、なんて、そんなことはなかったんだ。一度生じた絆は、尊いものなんだ、固いものなんだ、大切なものなんだ。


 ――なんて、そんな風に思って、仲間との絆の中に生きようとする人は、この三連休に、きっとBBQとか川や海にいってパーティーピーポーしてますよ! きっと!!

根暗なラスボス少年

 完全に擦れた大人になっちまったんだなぁ、俺、と思わざるを得ない。

 仮に、ペルソナ4のゆかいな仲間たちは、いわゆる「リア充」であるとしよう。
 そして、僕は、「リア充」ではないとしよう。

 そうするとだ。ペルソナ4は非常に面白かったのだが、それを「面白かった」と言う場合、現時点性の僕自身を否定することになるのではなかろうか。

 つまりだ。
 僕の本心(ペルソナ・シャドウ)は、「いえーい! ノリノリだっぜぃ! みんな一緒に楽しもうぜぇ!☆」的な奴なのではなかろうか。アマギさんが「逆ナンよッ!」とかいったり、カンジくんが「あっはーん☆」とか言っちゃうアレだ!

 そしてだ、ペルソナ4を面白いと言っちゃうってことは、「リア充」的なノリに憧れているということであり、「そんなことない、俺は、今の生活に満足しているんだ! お前なんて、俺じゃない!!!」とか言っちゃうと、「あはーん? そう。自分を認めないってことね~!(闇覚醒)」的になって、俺はシャドウに喰い殺されてしまうのではなかろうか!! 怖い!



 でもさー。ふつーに考えて、もう高校生には戻れないわけじゃん?
 んで、そんな、新しく絆芽生えさせるとか、そんなん難しいわけじゃん?

 そしたらさ、もう戻れない過去を嘆いて、悔やんで悔やんで人生送るしかなくなるわけじゃん?

 どうなの? それ?

 主人公陣営に憧れたり、感情移入したりするのはいいよ、それはそれで作品を楽しむってことだ。

 でもさ、お前(自分)は、どっちかというと、その根暗なゲームばっかやって、他者を認められず、自分の殻に引きこもって、誰も自分を認めてくれないと妬み、目立ちたいと事件を起こすような、ラスボス(?)側なのでは??

過去の発掘

 で、まぁ、この記事のオチはなさそうだ。とにかく、精神ダメージが与えられて、そのまま落としどころなく彷徨い、果てることとなるだろう。

 先日、古い携帯とか、人間は総合力だ、とか、リア充的なサムシングを書いたりしてたけど、まぁ、俺にはシャドウさんが、たくさんいそうだ。

 過去記事の整理をしていて、これはこれで、精神がえぐられるようなものもあったりする。
 ちょっち、冷静な判断ができなくなるものもありそうだ。が、しかし、今年は整理の年だ。思考も、生活環境も、そして文章も整理していこう。



 ペルソナの面白いところは、敵の「シャドウ」が、自分自身だってことだ。見たくない自分。見せたくない自分。それを「お前なんて、俺じゃない!」と否定してしまうと、シャドウは力を増して、本人を喰い殺そうとする。
 それを乗り越えて、「そうだな、そんな俺も、俺の一部なんだな」と認めることができると、シャドウは、新しく「ペルソナ」(≒スタンド)として、自分の新たな力となるのである。
(この葛藤みたいなものが、後半、かなり「暴力的」になってしまっているのが、少し「あ゙ー」と思ったが。いや、仲間のみんなのペルソナが強くなっちゃったので、取りあえずシャドウをボコって、弱まったところで「自身を認める」プロセスに入るってのは、物語的に仕方がないのだろうが)


 でさ、まぁ、何んだろう。
 とりあえず絆(ベルベットルームで、「新たなアルカナを~」って別嬪さんがいっつもいうんだけど、アルカナって、キズナって意味なんだよね?)って、別に、外でバーベキューやらないとダメなもんじゃないと思うんだよね。

 俺は昔(いや、今もかもしれんが)、なんだか、「溝」というか、「理解のされなさ」というか、そんな人との間に違和感をずっともっていた。

 で、かなり滅入っていたのが、2008年~2010年あたりだと思うけれど、そんなとき、ある人に出会った。出会った、といっても、それはネット上でのことだった。
 でも、その人は、常人を超えた観察眼で、僕の悩みというか、懊悩をすぐさま看破し、コメントくれたり、相談にのってくれたりした。ああ、こんなすごい人もいるんだなと。

 生きづらさに耐えられなくなっていったとき、その方の存在は、まだ世界にあきらめるのは早すぎると、強くそう思わせてくれた。


 離婚って、もう珍しいことではないが、それでも、結構落ち込んでいた時に、ある二人の方がメッセージをくださった。それでどんなに救われたことか。そのメッセージの内容とタイミング性は、かけがえのないものであった。


 だから、だ。

 別に、三連休、友人や恋人と一緒に出掛ける予定が何もなくても、それが、「絆」を否定するものでもないし、ペルソナ4の主人公たちを「ケッ、リア充どもが!」とか思う必要もないのだ。
 いろんな絆の在り方がある。いろんな関係性がある。いろんな生き方がある。

 たまたま、その表現が、イオンモールみたいな大型ショッピング施設のイートインコーナーに複数人で集まって、一緒に事件を解決するためにワイワイがやがややったり、事件の解決の打ち上げに自宅に集まってパーティするとか、そういったものであっただけだ。

 切り取られた日常は、特別視されやすい。
 しかし普通は、多くの何もない、退屈な日常が、ただ過ぎていくだけなのだ。

 そうした生活・人生のなかで、何を正解として生きていくのか。
 何を「楽しい」と感じるのか。


 幸せの「モデル」はあったとしても、自分の幸せは、自分で創り上げていくものなのだ。


(くっそぅ……。精神攻撃のせいで、何とかポジティブなまとめにしようと思ったが、空虚な言葉の列挙になった気がするぜ。いや、ただなぁ。全国アイドルの女の子といい感じになったりとか、主人公、ちょっと恵まれ過ぎてやがりますな!(嫉妬血涙) ……いやぁなんだろ、この女の子の取り扱いって、物語的にどうしたらいいんだろう。ちょっとこれは、別の記事でここ何年かで思ってることまとめてみようか。いやつまり、理想の女の子を登場させることってのは、そこに何の意味があるのか、ってことである。いやこれは、AKBとか、綺麗な女子アナとか、可愛い女優にドキドキするってのと同じ問題を抱えている。つまり、かわいい女の子とイチャイチャしたいという男なら誰でも持っているであろう感情……というか本能的な奴。しかし、その欲求は、一握りの恵まれた身体・ステータス・環境を持った人に限られる。だから、二次元(テレビなど実写も含む。2.5次元とかメイドカフェ的なものや、女の子が接待するお店とかも含む)によって満たそうとするのである。逆に女性は男性にどういったものを求めるのか、というのも興味深いが、まぁ僕が男性だからその疑問の優先度は低い。いやはや、3次元も実は物語が重要であって、例えば「優しい彼女(彼)」「かわいい(かっこいい)彼女(彼)」とか、「自分を一番大切に思ってくれている」とか、そういった物語(信仰)。「貴方の人となりが大好きよ」と言ってくれたとしても、実は、目が「¥(円マーク)」になっているかもしれない。けれども、そんなこと考える必要もなく、ただ、「優しく可愛い彼女(妻)」を信じればいいだけだ。そうしたら幸せになれる。あー、こんなこと言ってるからダメなんだろうなぁ(かっこ乾いた笑い)。だからね、このあたりのことを考えるにあたって、最近あるブログで、「愛について」の定義を書いていた方がいたんだけどね、この定義が非常にしっくりきたんだよな。あー、この辺りも整理して記事に書いておきたかったんだけど、忘れてた。あーそれと、……って、なんかおわんねーから強制終了。精神攻撃ほんと怖いな!)

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今日の一言「記憶の定着には繰り返し復習」「普段使わない知識は劣化する」

中学生レベルとは

 今日も今日とて、中学生でも分かるレベルを目指して、記憶の定着を図る。
 ところで、「中学生でも分かるレベル」というのは、中学生を馬鹿にしているわけではない。中学生とは、日本では、義務教育であり、日本国民で中学校を卒業していない人はいない。実際問題、その中学生レベルの技能・知識が、100%身についている人など稀であろう。僕も、中学校の教科書の内容を100%覚えて、理解できているかなど、大いに怪しい。

 知識とは、「記憶可能性」と、「運用可能性」の二つに分けられる(完全に僕オリジナルの今思いついた表現である)。

 記憶可能性とは、字面の通り、覚えることができるかどうか、である。
 運用可能性とは、その覚えられた知識を運用(利用)できるかどうか、である。

 例えば、微分積分というのを、高校生では習う。物理学への応用とか、高度なレベルではなく、あくまで高校生レベルとしたとき、僕は「記憶可能性」と「運用可能性」で、微分積分の知識はいかなる状態か。

 まず、しばらく触れていないので、多分基本的な計算方法も忘れてしまっている気がする。ので、「運用可能性」は今は無い。ただ、一度ある程度の理解はできて、基本的な問題は解けるようになったことがあったので、「記憶可能性」は有る、といえる。


 例えば、中学校の社会の知識として、三権分立というのがある。立法、行政、裁判所と、権力は分かれているというものだ。これは、現在記憶もしていて、この概念を使ってブログなんかも書いたりしているから、「運用可能性」も有る、といえる。


 初めに書いた、「中学生レベルでも分かる」というのは、僕は、「運用可能性」を言っているのではなく、「記憶可能性」のレベルで言っている。つまり、中学校で勉強した知識が現状100%身についている必要などなく、中学校で学んだ内容を「記憶できる」人であれば、理解できるレベルの内容を書こう、ということである。


 で、なかなか本題に入らなくて申し訳ないが、基本、誰でも、面白いと、分かりやすいというブログ・文章など書くとしたら、「中学生レベル」を目指すべきである。
 特に僕は頭が良くないため、難しいことを言われても殆ど理解できない。記憶することは、努力すれば可能だが、それを運用にもっていくのは困難である。学校のテストで点は取れても、実生活やコミュニケーションに役立てられないとか、そういう奴。
 でも、いくら頭の良い人でも、まったく知らない専門外の話を、一瞬で理解することなどできないのである。だから、話の導入ってのはとっても大事だ。逆に、導入を間違えると、そもそも読んでもらえないってことも多いわけだが。

利益の考え方

 本題と関係ないことが長くなったが、タイトルの内容に入ろう。

 まず、利益とは何か、ということ。一般用語でもあるので、ここではまず、経営とか会社とかの概念で用いるものであると定義する。
 つまり、会社(企業)が活動して、生み出した価値(お金)のことである。

・企業は、利益を出す存在である


 さて、ではその利益とは、どのように求められるのか。
 企業は、物とサービスをつくりだす。それに「価格」を決めて、消費者(僕らや、他の会社)が購入する。そうして得られたお金(有形・無形問わず)は「売上」と表現される。

 じゃあ、売り上げ=利益か、というと違う。なぜなら、物・サービスの価格には、「費用」がかかっているからだ。

 費用とは何か。コストと言われたりする。何かつくるのに必要な物やお金のことだ。本当は、「時間」もコストなのだけど、会社のことを考えるとすれば、時間もお金に変換されているとして考えないこととする。

 ので、利益とは、以下の式で表せる。

・利益=売上-費用

 ここまでは良いだろう。

 しかし、会社のことをもう少し分析するには、少し粗すぎる考え方である。

 上に挙げた式は、「営業利益」と呼ばれる。いわゆる、本業であげたお金である。しかし、企業は、本業だけをやっているのではない。そこで新しい考え方が登場する。「経常利益」だ。

経常利益とは

・利益=売上-費用

 上のことを、「営業利益」と呼ぶと書いた。


・営業利益 = 売上 - 費用

 しかし、本業以外の企業の活動もあると書いた。それを加味した考え方が、「経常利益」である。


・経常利益 = 営業利益 + 営業外利益(※) - 営業外費用

※一般に、営業外収益というらしいが、取り敢えず違いがよく分からなかったので利益に用語統一した


 じゃあ、営業外利益・費用ってなんじゃいな、となる。まぁ調べるといろいろ出てくるが、トップダウン知識(抽象)として、「企業が行う投資活動によって得られるもの」としておく。あとは、借入しているお金の手数料とか何とか。

純利益とは

 上の、営業利益で終わっておいてくれれば、まぁそんなもんか、となるが、さらにプラスアルファで、「純利益」という考え方もある。これは以下の式になる。

・純利益(税引前) = 経常利益 + 特別利益 - 特別費用
・純利益 = 経常利益 + 特別利益 - 特別費用 - 法人税


 じゃあ、特別利益・費用ってなんじゃいな、となる。まぁ調べるといろいろ出てくるが、トップダウン知識(抽象)として、「一時的に発生したもの」としておく。土地を売ったとか。勘だけど、クレームがあって裁判になってしまって、その費用とかもこっちなのかも。まぁそれで賠償が必要になって、数年に分けて支払う必要が発生したとかなると、営業外費用(経常利益に含める)のかもしれないが。

 「税引前」というのは、特に書かないけれども、なるほど、法人税とか、国におさめる税金は、経常利益には含まれていないのだなということは、覚えておいてよいかもしれない。

利益のまとめ

 営業利益
 経常利益
 純利益

 と、三つの利益について、覚えていることをメモしたわけだけれど、じゃあそれをどう「運用」するかというのは、これからのことである。

 まとめてみれば、それぞれの利益が、それぞれ重要だということが分かるだろう。
 特に、投資という観点からすると、経常利益に着目するのも大事だろう。営業利益で、本業の順調具合をみることができるだろうが、その他の資産運用でうまくいっていないと(経常利益がマイナス)、結局本業の首を絞めることにもなるだろうからだ。


 さて、これだけで終わると短すぎるので、「自己資本」についてもまとめてみよう。

総資産とは

 資産とは何か。
 企業の財産である。

 総資産 = 純資産 + 負債

 ということで、負債(借入金なども含む)点に注目。

 で。うまく記憶できていないのだけれど、貸借対照表と、損益計算書の違いが、いまいち分かっていない。
 これから書こうとしている、資産は、貸借対照表に記載されるほうだ。何回か調べて覚えたつもりになっていても、さぁまとめてみようとなると、こんがらがる。ので、ここは何も調べず、とりあえず分かっていることだけ整理してみよう。


 純資産といっても、いろいろ種類があるのだ。
 大きく、株主資本、自己資本というのがある。

 自己資本に、「新株予約権」なるものを足すと、純資産になる。


 ……。
 おお、全然分かっていない(かっこわらい)。

 何が分かっていて、分かっていないかも分からない。

 とにかく、最初に書いた「利益」の話が記載されるのが、損益計算書で、自己資本が記載されるのが貸借対照表である。

 で、「自己資本」とは何か、ってのを理解していないと、次のステージの、「ROE」(自己資本収益率)の理解に進めないのである。

 まぁもちろん、なんとなく、企業が保有している純資産(正確には、自己資本。純資産-新株予約権等)と比較して、どれだけ純利益を出しているか、というものだろうというのは分かっているが、しっかしとして理解にはつながっていない。

 僕の師匠は、流動資産が多い企業で、さらにその流動資産の中で現金・預金(キャッシュ)が多い企業が良い企業と仰っていたような気がするが、このように、ファンダメンタル(企業の業績などを分析する基盤的な)投資をする上では、そもそも資産ってなんだよ、ということを分かっておく必要があるのである。簿記でもやったことがある人ならここら辺、一発なのだろうけど。何が貸方で借方かとか、暗記できれば簿記3級は受かると聞いたことがある。

まとめ

 記憶の定着は、地道な繰り返し・反復練習が必要である。

 完全に記憶の定着ができなければ、知識の運用ができないかといえば、そうではないが、その運用が間違っている可能性もあるだろうし、そもそも、途中で理解が追い付かなくなって、そもそも全体が曖昧になってしまうこともあるだろう。

 しかし、基礎ばっかりやっていても、結局使えない知識になる可能性もある。
 ので、前にも書いたけれども、トップダウン・ボトムアップの両方から攻めていくのが、新しい概念獲得の近道である。

 例えば、PBRという指標がある。
 これは、時価総額を純資産で割ると算出できる。……と書いてから不安になって調べたら、時価総額÷自己資本だった。あはは(笑いごとじゃない)。

 例えば、僕がこの前買った企業の場合、

・時価総額:5800億円
・自己資本:4300億円
・PBR=5800÷4300=約1.3倍

 となる。

 とある銀行の場合、
・時価総額:51,000億円
・自己資本:85,000億円
・PBR=5800÷4300=約0.6倍
・PBR=51,000÷85,000=約0.6倍(
 となる。

※コメントにてご指摘を頂き慌てて訂正。


 自己資本ってのは、仮にその会社が倒産した場合、株主に返るお金である。
 そうすると、前者の企業の場合、1500億円ぐらい損する可能性があるということだ。
 たいてい、PBRは、1倍以上なのが普通だという。

 一方、銀行の場合、0.6倍と、1倍を割っている。ということは、例え倒産しても、まぁ、投資した分ぐらいは戻ってくると考えられる(?)。
 じゃあ、銀行のほうが投資先として優良なんじゃね? と思ったりもする。ただ、PBR1倍切るってことは、「市場価値が全然ありませんよ」ということらしい。

 ふーん……。

 なんか、分かったような、分からないような。

 もっと、「なるほど! そういうことか!」という感動を味わいたいよね。それが勉強の醍醐味っていうか、楽しい部分だと思う。先日載せた本の第一章と、第二章の途中あたりは、うんうんなるほどねーと思いながら読めていたが、やっぱり難しいな!! これが、一切何も分かりませんお手上げです! というのなら逆に潔いが、分かるような分からないようなというのが、なんとも悔しい部分である。


(実践と勉強の繰り返しが大事。で、それにはモチベーションが大事。モチベを維持するには、目的・目標が大事。目的・目標を持つには、感性・欲求が大事。感性・欲求を持つには、……どうしたらいいの?)

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