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案の定というか苦笑いになる
2024/11/26 00:44 | Comments(2) | 思考及び書くこと

まえがき


 先日「何を信じればいいのか」という記事を書いた。
 ネットニュースにおける、某兵庫県知事をめちゃくちゃ叩いておいて、選挙になったら持ち上げて、ということが起こったので、何を信じればいいのか、となったということだった。

今度は公職選挙法違反という

 それで、今度は、SNSでプロモ会社に委託したことが公職選挙法違反の疑いがあるのでは、ということだ。
 それで、例えばヤフーコメントなどでは、批判コメントが多くて、それにたいしての「イイネ」も多い状況。

 なんだこりゃ……。

 新しい問題が噴出したから、またネット民が手のひらを返した、ということだろうか?

 よく分からない。


 某知事が悲劇のヒーロー的に返り咲いたとき、そういうこともあるんだな、という感覚でいたが、同時に、なんかもはや怪しいな、信じられないな、という気持ちもあったが、こうなってくると、その感覚どおりだったなと思う。



身ぎれいな人間なんていないのか

 まぁ自分も、車の運転をしてるときに、ふつうに走っていて、時速〇キロオーバーをしたことはある。
 交通ルールを守れない人間だ、ということになるだろう。ただ、〇キロ程度ではあまり問題にならない。でも、違反と言われたら違反だ。

 敵というか、誰かをおとしめようと思ったら、いくらでも貶められる気がする。

 誰かの恨みはかわないほうがよい。

 できるだけ仲間が多い方がよい。

 しかし、ほんと、そういうの面倒くさい。

 もちろん、感情的な面で、誰かをひきづりおろしたいとか、復讐したいという気持ちはあまりない。
 ただ、政治とか、金銭、または生命が絡んでくると、簡単ではないだろう。または宗教的にとか。

あとがき

(かっこ書きである。まぁほんと、やっぱり、もう政治的なこと……もちろん、別にこれまでも政治的なことを書いてきたわけではないが、より深く、もう書かないように気を付けよう。まぁでも、選挙には行った方がよいと思う。でも確か、選挙って、国民の義務ではないんだよな。権利ではあったはず。でもそれもどうなんだろう。選挙の率が高くなると、よりポピュリズムになりそうな気もするしなぁ。正直、理屈はよくわからないが、でも、選挙には行った方がよいと思う。そもそも、民主主義という国家形態をとってるわけだから、国民が政治家を選挙で選ぶというシステムなわけである。その「国民」という概念は、非常にあいまいな気がするが、でも、ここでいう国民は、自らの意思で選挙する概念という意味だと思うので、システムの条件として、国民は選挙にいった方がよいと思う。こういった理屈を学ぶのが政治学なんだろうな。専攻とかしたわけじゃないしよう分からんが。でも、衒学じゃ意味ないと思う。いくら概念的に正しくても、実践不可能な理論って意味がないと思う。というか、実践不可能とうことは、どこかしら破綻した条件設定ということだ。というか、大学の時学んだ気がするんだが、人文科学の「正しさ」って何なんだっけ……。科学とは、「再現性」のことだが、人文科学の場合、例えば心理学とか、何をもって再現性があるといえるんだろう。100人いたら、100人とも絶対あてはまる、という場合はない気がする。統計論になるんだっけっか。統計的に正しい、ということも、学んだ気がするけど、忘れてしまったや。でも、宝くじに当たる可能性は、ゼロではないわけだ。でも、宝くじに当たることを前提に人生設計する人はいない。でも、当たる可能性はある。どうしたらいいんだ。人生。ようわからん。ほんとによく分からない。こういう、わけわからない人生とは、ということを話せる飲み会なら参加したいが、正直、ふつうの人はそんなこと興味がないわけだ。つまらない。なんで生きてるんだ。家族のためか、恋人のためか、セックスのためか、おいしいものを食べるためか、映画とか見て感動するためか。人生は、楽しむためにあると思う。その楽しいというのが、刹那的な快楽というのには限らなくても、「苦しむために生きている」という言説には賛同しかねる。だって楽しい方がよいじゃん。崇高な、宇宙の真理を解き明かすために生きている可能性もある。しかしそれだって、それ自体が「面白い」ということじゃないと、到底続けられないと思う。痛みや苦しみを得ながら、もがきながら、真理を発見できるのだろうか? 天才といわれるアインシュタイン氏は、果たして、科学しているとき、苦しかったのか? いや苦しい場面もあったろうが、でも、「楽しい」という面もあったのではないか。わからんけど。まとにかく、生きてることに意味なんてそんなにないのである。10億年もしたら、海洋が消滅し、すべての現在地球上に存在する声明は消滅する。1万年でも、10億でも、138億年後、でもそこが問題じゃなくて、いずれ、生命も消滅する、ということだ。ここが非常に重要だと思う。つまり、永遠という概念は、ない。いや素粒子の存在は、永遠といえるのかもしれない。でも、反粒子とぶつかって消滅するんだってさ。ようわからんけど。それって永遠っていえるんか。よく分からないが、「永遠」という概念は、「ない」と思う。いずれみんななくなる。無だ。だからといって、無駄というわけではないと思う。永遠が有意義に必要条件というわけではないだろう。一瞬だって、そこに燃え上がるよな命をほとばしったら、それは意味があったといえるだろう。でも、ちっぽけだ。非常にちっぽけだ。意味があるとしたら、自分を中心に関係するその関係の中でしかないだろう。であれば、本当に、孤独というのは、人間としてあるべきではないのかもしれない。いますぐ結婚して、子供をもうけないといけないのかもしれない。それが、可能なことであるならば。僕には、その選択肢があったのかもしれない。でも、今現在、それを求めようとは思えない。10代ぐらいの時は、それを求めようと思えないのは、すっぱい葡萄理論だった可能性があったが、いまとなっては、もう現実的に相当厳しいだろうので、たぶん無理なんだろう。でも、1%ぐらいは可能性があるかもしれない。そこに、さっきの、宝くじ理論が登場する。宝くじに当たる可能性すなわち、結婚して子供が4人もできて幸せな家庭を築くという可能性もゼロではないが、でも、限りなく低い可能性のものは、排除していいはずなのだ。選択肢になし、としてもいいはずなのだ。だって、いろんな選択肢があったとしても選ぶことができるのは、1つだけなのだ。なぜか。時間軸は一つだけだからだ。タイムリープできるわけじゃないのだ。だから、1つ選ぶとは、それ以外を選ばなかった、ということになる。それでいい。それしかないのだ。いやそんなこといってないで、早く結婚相談所にいくべきなのかもしれない。そう思って、「結婚するのはやめました」という本を読んでみたが、まぁ、行かなくていいや、って思った、かっこ笑い)

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可処分時間について
2024/11/24 21:03 | Comments(3) | FF14

まえがき

 先日、FF16のことを書いた。ジョシュア、ジル、トルガルのサブクエストも全部やってみた。とても良い話だったと思う。

 FF16良いゲームだったと思うんだけど、PS5独占だと思ってたのに、PCでも発売されてちょっとショックだったのはある。
 そのためにPS5買ったのになぁ、という気持ち。

 しかし、これも下調べが足りなかったのが原因で、特に誰を責めるつもりもないんだけど、正直、PS5の性能が微妙に思った。
 ウルトラワイド(UWQHD)のモニター使ってるのだが、これを表示させるにはPS5は性能不足だった。それで結局、4Kでやってた。横幅が黒くなるやつ。

 ということで、ある程度高性能のゲーミングPCの方が性能が高いんだなと分かったので、たぶん次世代ハードを買うことはないだろう。また一つ、未来への希望がなくなった。

可処分時間について

 残り、50年もあればよい方だと思う。
 まだ、40年弱しか生きてないから、まだまだ先が長いように思うが、身体や思考がまともに動いてるのがどこまでなのかを考えると(≒健康寿命)そんなに残りは多くないだろう。

 社会情勢は悪化する一方である。

 世界平和が大事なのは誰もが分かってるはずなのに、誰もが手を取り合おうとしない。分かり合おうとしない。

 むしろ、そういう思想が愚かであるということが正論になっていきそうだ。自国優先主義、自分優先、それはそれで正しいんだけどね。

 問題は、行き過ぎて、完全に対立すると、お互いにダメージが入って結果的によくない可能性があるということだ。
 誰もが、一方的にやっつけられて、従属させられるというのであれば、それをするだろう。

 しかし、独裁者というのが、「力」というのが絶対的な支配にならなかったのは何故か。歴史をみてみると、めちゃくちゃ強い三国時代の張飛という武将がいたが、彼は、酒で酔って寝ていたら部下に寝首をかかれた。あっけなく死ぬ。

 めちゃくちゃ強くても、一人では生き残れないのである。





時間

 あの、書き始めると、全然違うこと書いちゃう。
 まぁいいんだ。ある意味この自動筆記スタイルがこのブログの特徴なのだろう。このブログというか自分の。

 FF14にすごくはまっていて、第二の人生ぐらいにのめりこんでいたのだけど、ある大きな事件がいくつも重なって、完全にはのめりこめなくなってしまった。

 とても残念。

 まだ楽しいことは多いけれども、実は順次、契約規模はだいぶ縮小させている。
 課金アイテムも買うことは一切なくなった。

 実はそれもきっかけで、FF16をやることができたというのもある。怪我の功名というか、まぁ悪いことじゃない。
 NISAも始めたり、読書が増えたりと、可処分時間をFF14以外にも使うようになってきた。


 そうなってくると……この、やはり、現実世界というか、ほんと哀しいことが多い。

 ディズニーランドやディズニーシーで、夢の国で夢を見続けていたかったが、どうにも、物理現実というのは面白くないことばかりである。

 自分自身には直接関係なくても、闇バイトのニュースとかみると、自分のことのように哀しくなるというか、そもそも、「人間」という存在に絶望する度合いが高まる。

 数万円のために人を害していいと思うのが恐ろしい。そもそも、インフレで1円の価値も下がってるのに。

 そんなくだらない世の中なのだというのは、別に今分かったことでもないから、別の世界(FF14)にいれこんでいたけど、その別の世界も現実世界を感じざる得なくなってしまった。

一つのコンテンツ

 ニュースや、ネット、最近遊んでいる画像生成AIや、プレイステーション5、漫画や映画、そういったエンターテイメントとは、一線を画すのがFF14だったけれども、それも一つのコンテンツになってしまったということだ。

 いやそれはそれで、むしろそれが「普通」なのであるけれども、ふつうは求めてなかった。

 とにかく、そこには、「熱中」があった。

 青春や恋愛とはまた違うけれども、心の底から熱くなれるものがあった。

 もちろん、映画などその他のエンタメでも、すごくすごく優秀な作品ではそういうこともあったけれども、年々、自分が歳を取ったせいだとは思うが、どんどんそういう作品は少なくなっていき、仮に、映画などで感動が得られたとしても、それは「一瞬」である。

 漫画はまた、その可処分時間を費やす時間は異なるけれども、映画は、だいたい2時間だからね。
 2時間経ったら終わっちゃう。

 一方ゲームは、ある意味終わりがない。ずっと続けることもできるわけだ。その世界に、居続けることができる。これが大きなちがいだったわけだ。


 ちなみに、このブログもまた、エンターテイメントである。イライラ対処で書いていることが多いとはいえ、それでも、貴重な時間を使って文字を書く……そして、たまに読み返して、「ああ、結構面白いこと書いてるな」って思う、これは一つ、創作活動であり、エンターテイメントであり、癒し、なのかもしれない。

AIの音楽

 先日、ホワイトガールさんという動画をみた。AIで作ってる音楽らしい(?)。詳しいことは分からない。けれども、こんなエモーショナルな音楽をたくさん発表されているなんて、すごい。
https://youtu.be/wZilc4AGtoE?feature=shared
 
 もともと、洋楽のチャンネルをみつけて作業用BGMにしてたら、よくよく紹介欄みると、AIでつくってて、フリーで使ってよいとのことである。まじで?? これAIなの? ってなった。
https://www.youtube.com/watch?v=M_OqOo1Ls_0

 どういうことかよく分からない。これらがAIで作れるってことなのか。
 画像生成AIもすごかったけど、AI画像って、どこかしら、AIぽさが分かるんだよな。あ、いやそれが悪いわけじゃなくて、ふつうにきれいであるのではある。十分ではあるものの、これはAIだなというのが分かる、何だろう不思議だが。

 一方、上の音楽は、どこがどうAIなのかよくわからない。
 AIといいつつ、ばりばりにプロのミュージシャンが加工してるのかもしれないし、とにかくよく分からない。

あとがき

(かっこ書きである。AI画像生成のStable Diffusionも感動した。もっと早くにこういったことができたら、昔、小説書いてたときとかのイラストなど作れたりしただろうな。画像からのイメージってすごく大きいから、創作イメージも深まってもっとたくさん作品を書けたかもしれない、逆に、イラストばっかりに頼って書けなかったかもしれない。過去人生に、もしも、は存在しないのだ。でも、いきつくところは、手軽に、脳内のエンドルフィンを刺激して、「幸せ」な状態になるということだろうか。味気ないかもしれないが、手軽に栄養をサプリメントでとるように、感情というのも摂取できるのがベストな生き方かもしれない。いやだな仕事したくないな、という気持ちを吹き飛ばしてくれるような脳内刺激を摂取する。あ、それ、違法薬物……?(笑) やばいな。そういう勘違いになりそうだ。しかし、そうではなく、副作用なく安全に摂取できるのであれば、それはそれでいいんじゃないか。だって、栄養ドリンクだってある意味副作用あるわけだ。でも、覚せい剤ほどの依存性も副作用もないから、認められているだけだと思う。酒やたばこもだ。というか、タバコは、迷惑すぎるからほんと廃止してほしい。煙草を廃止するというマニフェストの政治家がいたら、多少の政治的な許せない方針があったとしても賛成しちゃうかもしれない。とにかく、二次元というか、創作物に関しての規制をかけるという方針には大反対だ。エロ画像というか、動画というか、そういうのへのモザイクもよく分からない。性器へのモザイクってなんの意味があるんだろうか。犯罪を助長するのだろうか? 今度ちゃんと調べてみるかな……?(笑) とにかく、タバコの煙は迷惑なんだよな。いや別に、喫煙所でにはいいけど、なぜ路上喫煙するんだ。歩きたばこするんだ。信じられない。でも、そういうやつは、家に不法侵入して家主を殴って縛って殺したりはしないから、そういうやつらに比べたら、タバコを吸うぐらいは許してやらないといけないのかもしれない。何の話だ。まぁこういうイライラというのを、「ピッ」っと摂取すると、気分爽快になるというシステムがあってもいいんじゃないかと思う)

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何を信じればいいのか
2024/11/17 21:24 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「ネットもテレビも怖いな」

まえがき

 一般論って何なのか。
 2ch系の記事って、もう2chとは言わないんだろうか? 5ch?
 よく分からないが、ネットの意見ってテレビとはズレてると、前々から言われていたけど、実際何が正しいのか。

 というよりも、「正しい」ということは、自然科学ぐらいしかないのではとも思う。
 世論に正しいも何もなく、ただそこに存在するだけ。学校生活における「空気」みたいなもんだろう。

アメリカ大統領とか兵庫県知事とか

 現代で戦争を起こした大国についても驚いたが、アメリカ大統領選で某氏がかったこととか、兵庫県知事がかったこととか、すごく驚いた。

 共通する点は、どちらも不祥事を起こして、正式な手続き(選挙など)で退陣して、また選びなおされたということである。

 民衆……何考えてたの……??

 まぁ、兵庫県知事の場合は、直接選挙で不信任になったわけではないから、事情が違うわけだが、民衆の味方代議士(議員)が決めた内容が覆ったということである。

 民意とは……?


自分にはあまり関係ないからよいが

 上の事例は、すぐさま、直接的に自分にとって問題が降りかかってくるわけではないから、まぁ「驚いたなぁ」ぐらいで済むんだけど、実際、自分も関係するような政策とか決めないといけない、判断しないといけない、といったときに、どうやって情報収集したらいいんだろうか。

 その点が分からなくなってすごく怖いなと思った。

 例えば、死刑制度とか、憲法改正とか、この前とりあげたLGBTQの問題とか。

 色々あるわけだが、そのどれもが、なんか「正義」とは程遠い部分で議論されている気がする。

 なんというか、僕は、いわゆる「正義」があればそれでいいと思っている。
 重視するポイントは、「公平」性である。

 公平というと、なんでも平等にすべきとか、そういう考え方の人もいるが、そもそも、人間は生まれながらにして「平等」である。機会の均等性はあるべきだ。だが、そもそもイケメンとブサメンで、どちらも整形して「フツメン」になるべきとか、そんなSFは嫌だろう。

 もう一つ大事と思ってるポイントは、「平和」である。世界平和。みんな仲良くした方がよいと思ってる、本気で。

 うだうだ言ってないで、早く憲法改正しないと他国から攻められて属国にされてしまうのかもしれない。それを防ぐためにスパイが暗躍して憲法改正の動きを止めようとしているのかもしれない。でも正直分からない。憲法改正することと、防衛力高めることとに関連性があるのか? 上にあげた話題はどれも、自分が本気で大事に思ってることではないので、無知をさらけ出してしまうが、正直、このレベルの思考しかしてない人は日本社会にいっぱいいると思う。というか、自分なんかより偉い人や、頭の良い人たちすごくじっくり考えてても、意見に相違があるということは、所詮は「絶対に正しい」ということはどっちを取ったとしてもないのだろう。


 しかしそれよりも大事なことがある。
 自分自身だ。
 いくら世界平和のためだからといって、今すぐ死ねと言われたら抵抗したい。
 仮に、自分が死ぬことが本当に漫画の世界みたいに、自分は症状が悪化しないウイルスで、人に感染したら致死するというのに感染したからといって、自分が死ぬことで世界平和になるとしたって、「いやだ死にたくない!」と言いたい。
 まぁでもそんな状況になったら、殺されるんだろうなぁ哀しいことに。

 10代のころは、早く死にたいというか、死んでもかまわないと思っていた気がするが、それでも、陰謀とか巻き込まれて、無実の罪を着せられて死ぬのは嫌だと思ってた。そういうのは嫌だよね。憎たらしい奴と刺し違えてやるとかは思ってた気がする。

 今は、もはや、その憎たらしい奴の顔はいまでも思い浮かぶものの、殺すほどの気概もなくなった。どうでもいい……。

 だから、「殺人を犯す」ほど人を憎いというのが、いじめられたりとか、ひどい環境にあれば分からなくもないものの、人を殺すというのは、中々ハードルが高いものだと思っていた。

 しかし、最近闇バイトとかいう事件なども見ていると、「あれぇ……人の命、軽いの?」という気持ちにもなる。
 同じ人間と思えないんだが、まぁでも、匿名系のネット記事のコメントとか読んでると、「あー、こんな人間もいるんだな。怖いな人間」って思ってたから、まぁでもそうなんだろうな。いろんな人間がいる。できるだけ人と関わりたくないな。

真実を知ったところで

 問題は、仮に真実を知ったところで、行動できることとしては、なんかそういう「デモ」に参加するか、結局、選挙にいって一票を投じるぐらいしかないのである。

 いくら「真実」があったとしても、その真実が真実であることを確かめるすべがないのだ。

 どう判断するか、考えるかは、個々人で決めなければいけない。

 嘘を嘘と見抜ける人じゃないと生きていけない、とかいうけども、ただ、それって無理じゃないかという気がしてくる。情報がたくさんあったからといって、正しい決断ができるわけじゃないのだ。

 とりあえず、正しいこととは何か。

 お金を銀行に100万円預けるとしよう。
 そのお金は、10年後でも、同じ、100万円として引き出すことができる、ということだ。
 しかし、10年後は、ジュースが1本200円だったのが、1万円になってるかもしれない。
 100万円の価値は、50分の1になってしまったということだ。

 はたして、100万円を10年後のために、銀行に預けたことが正しかったのだろうか?

 100万円使って、1か月ぐらい、高級料理を食べ歩いて豪遊した方がよかったのではないか?

 いや、10年後の100万円があったから、のどか湧いたときに、ジュースを飲むことができた。よかった、幸せだ、と思うかもしれない。


 ぜんぜん、未来が分からない。

結婚のメリット

 めちゃくちゃ、不透明な時代である。VUCAとか言われたりする。
 そういうとき、人生を共に生きていく伴侶がいると、確かに精神面が安定するかもしれない。

 するかもしれないし、しないかもしれない(かっこ笑い)。

 これも全く分からないことである。男はすぐ死ぬから、結婚した方がよい、と聞く言説がある。
 うわぁ、やばい、どうしよう……と、20年ぐらい前なら思ったかもしれない。
 いまは、なんか、全部の言説に「なるほど、そういう場合もあるかもしれませんね」としか思わない。

 全部が嘘、とは思わない。ただ、「絶対にそうなる」ということはこの世にもはや存在しないということが、逆説的に「絶対だ」。
 絶対ということがないということがないなんてことは絶対にないのである。意味不明であるが、「絶対ということがないなんて絶対にない」という二重否定。「絶対ない」なら、絶対があることになるからである。

 そういう意味で、自分で選ぶしかない。

 ちなみに、結婚も良いことがあると思うが、先日下のWEB漫画読んでて、結婚したくないなと思った。(笑)

https://chinakichi.nbblog.jp/

タイトルに戻ると

 何を信じればよいのか。

 信じるんじゃなくて、決めるしかない。

 決めるときに、100%正しく決めることはできない。

 最大の情報を集めて、最大に考えて判断するしかない。

 その最大というのは、物理的な最大という意味ではなくて、自分がその時に取りうる最大という意味である。
 もっと時間をかけたら、もっと他の方法なら取りえた「ベター」があったとしても、その時に知りえなかったのであれば仕方がない、と考えるべきである。

 でも、じゃあその「ベター」かどうかの判断はどこでするのか。

「納得」

 でしかない。自分が、「ああ、あのときはそこまでで精一杯だったな」と思えたらそれでよしとすべきだ。
 後悔したところで仕方がない。

 でもそうやっていったら、どんどん自分に都合よくならないか? 自分に甘くなる一方ではないか? 独善的にならないか?

 なるだろう。

 だから、そうならない努力を最大にすべきである。

あとがき

(かっこ書きである。生きることはかくのごとき難しい。ただ、「後悔」がないようにすべきだと思って生きてきた。そしてそれは間違いではなかったと経験上は思う。後悔した方がよかったなぁと後悔したことはない(かっこ笑い)。歴史の勉強は好きだった。歴史を学ぶほどに、「現代ってましだな」って思ってた。当時の人たちって、ほんと地獄のような人生ばかり送ってたんだろうな、って思ってた。しかし、実際どうなんだろう。今この現代が、未来で振り返った時に、未来人は、「当時の人間たちは、よくそんな社会で生きてたんだなぁ」としみじみするんだろうか。まぁそうあって欲しいなとほんと思うよ。未来人たちが、2000年代はほんと素晴らしい時代だったんだなと涙するような未来は哀しいと思う。けど、そういう1000年単位程度の話ならそうだが、10億年で地球は生命が住めない世界になるという。50億年もすると、太陽にのみこまれそうになるということだが、その前に10億年ぐらいで、そもそも灼熱の星になるということだ。1000年後ぐらいはまだ、人類が生きてるかもしれない。1万年後は謎だ。ホモ・サピエンスが生まれたのが1万年前ぐらいだったっけ。もっと前だった気もするが。数万年経って、人類の今が、最高潮の時で、あとは零落していくだけなのかもしれない。社会について考えれば考えるほど明るい話題がないなぁと思うこの頃である)

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50代を生きることを考える
2024/11/02 13:37 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「メモしないと確実に忘れると思った方がよい」

まえがき

 途中まで書いてたのを誤操作で消してしまった。
 最近パソコンに詳しくなった、電源周りをいじる経験ができた、と書いた気がする。ハードウェアは、物理的に破壊してしまう可能性があるから、怖いね。

物質的世界を生きる

 ある友人が……と書くと、リアルの友人のことを想像するが、基本的に、あんまりリアルの友人がいない……と書くと、なんか、その見栄はっている気すらする、あんまりどころか、いないんじゃないか。
 どこからを友人と呼ぶのか、みたいな、そんなことを研究したいと思ったこともあったような気がする。結局そこまで興味をもてずにやめた。
 でも、人間関係ということには、すごく興味をもった気がする。「集団」というもの。社会学という学問に興味をもった理由がそこらへんにあった気がする。

 どっちかというと、今は宇宙とか物理とかに興味があるけどね。

 で、友人という表現をするとき、ボクは、リアルもネットも特に区別していない。
 どちらかというと、ネットで知り合った友人の方に、すごく影響を受けてきたと思う。

 というか、リアルの友人は、「影響を受けたくない」と思っていた気がする。
 アイデンティティが不確かな多感な時代……思春期的な時は、集団に埋まってしまう恐怖のようなものもあった気がする。目立ちたいというのとは違うし、どちらかというと誰にも見られたくないという「プライベート」を守りたいという気持ちが強かった気がする。

 今はこんなブログを書くように、どんどん自己開示したいという気持ちもあるような気がする。
 ただ、その気持ちを、リアルに発信したいか、というと、別にそうじゃない気がする。

筆をとってみると色々書いてしまう

 なんだ、そんなことを書こうと思ったんじゃなかった気がする。

 まぁでも大事なことでもある。来歴というのがないと、その文章というのはなんか感情移入というか、面白く読めないのだ。
 自分のブログも、事実ベースで書いたとりあえず言いたいことばっかり書いている記事は面白くなかったりする。

 でもたまに、面白い文章というのもある。

 それは果たして、他者が読んでも面白いのだろうか? そこらへん分からないから、たまにコメントくださる方とかいるととても感謝している。

 別に、誤読してもらうこととか、そんな目くじら立てたりしない。そう感じたんだな、そう感じるような文章内容・構成だったんだな、と思うし、それはそれで面白い。

 やっぱり、自分の文章だから、そこに書いている裏の意図的なのが読み取れたりするから、そういう場合は面白い。裏の意図がない文章は面白くないと感じるのだろうか。

50代になったとき

 最近、特に書いておくべきだろうと思って書いているが、今は特に不満はない。

 過去に、戻りたいという時間は、正直無い。

 こう言える人は幸せなのだろうと思う。

 だから、僕は幸せなのだ。

 幸せなのだ、と書くと、なんか不幸を引き寄せる気がして怖いけれども(かっこ笑い)。


 しかし、人生というのは、命というのは、いずれ、終わりは迎えるのである。これは絶対。

 かりに、コールドスリープが実用化したとしても、地球は、10億年後? 1億年後? とりあえず海がなくなる。水がなくなる。微生物すら死滅する死の星となる。

 これはまぁ、わからないけど、きっと確かなんだろう。2億5千万年前のペルム紀の大量絶滅が本当にあったことなのだから、今後の未来、地球環境が大きく変わることはそんなに疑わしいことではないと思う。

 だから、宇宙を知ることは大事なんだと思う。いずれ、地球は脱出しなければ人類は滅亡するのだ。

 1億とか、10億とかは、地球環境的な「絶対」であって、そもそも、いまだに戦争や紛争をなくせない人類が、1000年後も無事かは全くわからない。
 下手したら100年も怪しいかもしれないわけだ。

 でも、なんか漫画であったけど、ぎりぎり追い詰められて、最後の最後にならないと、呉越同舟なんてありえないのである。極端な例だけど、わりと追い詰められないと、敵と手を取り合うというのは難しいのである。だから、そういう物語は逆に面白いけれど、説得力がある描き方しないとしらける。

好きなことをして生きる

 まず、天涯孤独になることを考えてみる……ということで思考をおよぼしたとき、そうだ、最初に書こうと思ったこと思い出したや。
 Youtubeで特殊清掃の動画をみたんだ。いわゆるごみ屋敷とか、孤独死とか、そういったドキュメンタリー。

 ごみ屋敷=男性というイメージがあったが、女性でも多いらしい。

 結構ほんとか、電子機器とかいろんなものに囲まれているので、捨てたい。
 もしくは、もっと広い家に引っ越したい。けど、一人暮らししている分には、20m2ぐらいの大きさで十分なのではないかと思う。

 自分の生活で、まず大事なのは、パソコンがあれば、こうして文章を書いて頭の整理もできるので、大丈夫。
 パソコンといっても、スピーカーと、ディスプレイも必要。それだけでも場所をとる。
 椅子も必要。デスクも当然必要。

 つまり、パソコン、という環境を維持(もちろんノートPCという選択もあるが、そうではないとしたとき)するにも多くの物品が必要なのである。

 冷蔵庫もあったほうがいいし、洗濯も自分でやった方がいい。電子レンジも必要だなー。最近冷凍食品がうまいと思う。

 食器類はもっと減らしてもいい気がする。ガスコンロは、最近、T-falの電子ポッドを買ったので、別にコンロなくてもお湯が沸かせるからいらない気がする。ほんとにまったく使わないなら、ガスコンロの上に足つき台をおいて物置にするという手もある。


 健康と住環境はできる限り維持したい。

 健康診断で体重はかったら、4kgぐらい増えてた。これは大変だと思って、食生活に気を付けたら、△3kgぐらいにはなった。でも、筋力が落ちて、太りやすい体質に変わっているのだろう。

孤独に生きる

 孤立はだめだが、孤独はよいとか、言葉遊びみたいなことをやりたいのではない。40代の生き方みたいな本を読んだが、結婚してない人はいますぐ結婚すべき、ということらしい。
 孤独はよくないかららしい。

 なるほどやばいな……と思わなくもないが、でも、ちょっとやっぱり腑に落ちないというか納得できないのは、「助け合う」という点である。

 なんか、自分のメリットのために結婚とか、コミュニティに属した方がよい、というけれども、いやちょっとまった。

 それ違うと思う。
「助け合う」
 というのは、自分も与える、ということである。当たり前だ。

 結婚したらリスクを軽減できるというのは、それはそうだが、それによるリスクも上がる。

 結婚して1か月後にその相手がリストラされて、介護が必要になったとなったとき、自分が支える必要がある。
 逆の場合はラッキー、って思う?

 いや、それはそれで申し訳ないだろう……。

 というわけで、孤独を防げるから結婚がよいというのは、まったく意味が分からないのである。
 それよりは、養子もらった方がよいんじゃないだろうか。でも、生物学的なつながりがない子供を養うというのは、それはなんだろう……そうとう高尚な精神をもった人じゃないとできないんじゃないだろうか。


 ゆえに、結婚しようという気は今のところ全く起きないのである。
 もちろん、自分のすべてをなげうってでも守りたいという相手ができたら別だが……。

 しかし、上の、「すべてをなげうって守りたい」という気持ちというのは、男性特有のものらしい。男女の気質というのは、別にそこにすべて帰結されるわけでもないのだろうけれども。女性はむしろ守られたいという気持ちがある、ということを言いたいわけでもないが。

 まぁでも、ちっちゃくてかわいいものを守りたい、という気持ちは、別に男女関係なく普遍的にあってもよい気はするし、そういう相手に出会える可能性もゼロではなかろう。

一人がきらいじゃないのである

 ところが、自分のことを考えてみると、正直言って、孤独耐性がやっぱり高いのである。
 一人でいてもぜんぜん苦痛ではない。むしろ、人といると疲れる……。

 いや、疲れないことが、多くなった間違いなく大人になった成長した、そう思える。が。

 それでも、一人の時間が欲しい時が多い。

 割合的な問題だろう。9:1ぐらいで、一人でいてもよい(かっこ笑い)。

 なので、さすがに、10:0になったら、孤立というやつで、やばいのかもしれない。精神的にもおかしくなるのかもしれない。

 でも、仕事している以上は、一日の大半を人と過ごしているので、まぁ、一人で仕事している時間もあるから、5:5ぐらいの割合な気がする。

 だから休日とかの一人の時間が大事、って思うのかもね。

 これが仕事やめたらどうなるのか。

定年後を考える

 両親や親せきもいなくなったと考える。
 仕事も定年を迎えたとする。定年が65歳になったようだから、まだまだ先な気がするが。

 ゲームや、本は好きだ。



 何が好きかというと、物語が好きだからだ。

 でも、物語が好きというのは、人が好きなのではなかろうか?

 でも、圧倒的存在が人類を滅ぼす作品も嫌いではない。でも、最終的なハッピーエンドは人類の勝利だ。やっぱり人が好きなのか。

 好きなのに、孤独というのは大丈夫なのか?

 65歳でゲームやれるのか?

 物語を楽しめるのか?


 幸いにして、勉強も好きだ。勉強というか、科学?
 宇宙とか良いよね。

 それは何なのか。自分という些末な存在を、偉大な存在(宇宙)に位置付けるという作業、といえるかもしれない。抽象化。

Stable Diffusion

 ステーブルディフュージョンという画像生成AIもここ最近(といっても数年前?)からはじめて、面白い。パソコンの性能があがったこともあって、XLモデルという新しいモデルで生成をためしてみた。レザージャケット・パンツの女の子。おへそは見せて、みたいなプロンプト。結構いい感じである。




 なんかコメントでお題いただいたら作ってみたいと思うのでお願いします(笑)。
 画像生成AIも、自分で触ってみると、できることと、難しい部分とが分かってきて、そういうの楽しいね。なんかこうやって手を動かしていろいろやるのがやっぱり自分は好きな気がする。

 評論家も楽しいんだろうけど、モノ創りというのがやっぱり楽しい性格気質なんだと思う。

生きる意味を考える

 75歳になったとき、家族に囲まれて楽しい老後を過ごしている未来は、正直、ボクにはもうない。

 高校や、大学で知り合った友人と会うことももはやないだろう。

 近所づきあいもしているとは全く思えない。

 どこに住んでるのかも分からない。災害が少ない場所がいいけれども、そういう場所の住宅価値があがってしまっていて、危険な場所に住んでいるかもしれない。

 でも、現金じゃなくても、資産は保持できるわけだから、身一つあればなんとかなるかもしれない。

 75歳かぁ……。

 今、30代だが、20年後とか30年後を考えたとき……。
 たとえば、15歳の自分は、今の自分の状況を想像できていただろうか。

 まったくできてなかったねー。

 いやはや……いま考えてもよく頑張ってたと思う。えらい。若いころの自分。
 とあるプロ野球選手が、大学時代寮で厳しい練習だったということで、5億積まれても戻りたいとは思えない、といっていた。

 同じ気持ちだ。
 5億……ならうーん……ちょっと考えるけど(笑)。

 1億あげるから、10代のころに戻って1年過ごしてこい、と言われたら、正直いやだな。
 いまの経験や思考や、能力をそのままもって、体力などは当時に戻ったとしても、いやだ。

 冒頭に書いたが、どこの時代にも戻りたくない。

 昨日は昨日で、仕事で23時ぐらいまでかかったし。
 解決したが、解決しない可能性もあったことが非常にストレスだった。そういうことを、もう一度味わいたくない。

 ああ、いやだ、いやだ……。

 いやなことを思い出してしまった。

 一方で、未来が明るいか、と思うと、それこそ、75歳になったら、もう色々衰えているだろうから、それはどうなの、って気もする。

 75歳でしょう……? うーーーん。想像できぬ。

 でも、75歳の人たち、生きてるから、きっと何とかはなるんだろうな。

 今の75歳の人たちの話を聞きたい気もするが、ただ、それって、正直、参考になるかならないかわからないぐらいでしかない。
 ボクが15歳のときの30歳の人の話と、ボクが今思っていることと、まったく違うと思うから。

 結論なってみないとわからん。

 先のことを心配しても、仕方がない。今を大事にしよう。

今を大事に

 今日が、自分の中で一番若い日だ。
 何をしようが、時間は過ぎる。不可逆に。タイムリープとかワープものの物語には憧れるが、残念ながら、今生としては体験できることはなかろう。

 今日、こうして、文章を書いている、その選択は、間違いではなかったと、未来の自分が思ってくれればそれでよいと思う。

あとがき

(かっこ書きである。今の年代で書ける文章は、今しか書けない。だから、日記は大事だ。以前熟読していた、シロクマさんの記事として、シロクマさんが30代のときの記事とか読めるけど、そんなすごいこと書けないな、って思う。でも人と比べても仕方ない。正直、自分の20代のブログ記事の方がすごいこと書いてるな、って思うものもあったりする。年代とか関係なく、面白いものは面白いのだ。ただ、最近思うのは、世界平和とか協調とか、大事だってことだ。それがあまりにも空虚な世の中で哀しくなるが、でも、そうあるべきだと本当に思う。平和を守るためにも力が必要だし、矛盾だらけの世の中だ。ホワイト企業の魔王軍を描いたWEB漫画を愛読してるが、あれ、ホワイト企業でいられるのは、魔王様がめちゃくちゃ強いというのが一つ根拠となっている。めちゃくちゃ強くて、それでいて人格者だから成り立っているのだ。ただ人格者なだけではだめだと思う。いや人格者で、その周りに強い部下がたくさんいればよいのだろうが、強い部下を集めるためにも、その人自身が強くなければならない。家康に仕えた本田忠勝みたいな例もあると思うけど。民主主義にコストがかかるというのは本当にそうだ。実際、優秀で人格者な君主の独裁の方が豊かで幸せな世界が作られると思われる。ただ、システム的に、人間という存在的に、独裁はリスクが高いことが歴史でわかっている。だから、コストがかかっても民主主義がベターなのだ。ベストではなく、ベター。ここが、大人的なグレーな、あいまいで中途半端で気持ち悪いところであるが、そこを乗り越えないと、人類の発展はない。自国優先の政策はもちろん大事だと思うが、その結果戦争とか招いてしまうような、そして、招いた国は絶対に自分の非を認めず、相手国がゆずらなかったから戦争になったという論理展開になって、相手は相手でひけなくなって、落としどころがなくて、殺しあう。たいていの問題って、戦争なり紛争なり、個人間の喧嘩レベルでもみんなそうだ。人間の愚かさに本当に呆れてがっかりする。がっかりした神様が人間を滅ぼそうとする物語が生まれるのも分かる。なんで争いが生まれるのか。「不足」が原因だというのもあるが、それだけではない。人間が社会的で、「関係性」的な存在だからだ。損したり虐げられていると思ってしまうと、敵対してしまう。だからむしろ、自分は自分として切り離して、孤独に生きる方が平和なんじゃないかと思う。だから孤独万歳って無理やりこじつけてしめておこう。でも、孤独が悪いこと、という風潮に、まぁそれは孤独死とか、いろいろ問題があるから事実と受け止めつつ、あまりそれに流されない方がよいというのは、ここまでいろんな社会情勢の変化を含めて、数十年生きてきた自分が思うこと。テレビも、新聞も、巷のうわさも、井戸端会議も、ネットも、ヤフコメも、絶対的に正しいと思わないこと。というか、一面では正しいけど、それが絶対に再現できるかというとそうではない。科学は再現性が重要だが、そのために、めちゃくちゃ条件がつく。条件だらけで面倒で、面白くない。だから大変だけど、だからこそ価値がある。簡単に手に入る情報、耳障りのよい情報に浸りすぎないことである。浸ってもよいけど、必要に応じて抜け出せる準備というか、心構えはもっておくべきだ。と書いている、この文章自体も、疑うべきである。つまり、何も信じないことが正しい。ということは、「信じないことが正しい」ということも信じない方がよいということだ。トートロジー。同語反復というのは非常に面白い概念で、好きだ。そこらへんのことを学びたければ、仏教の「空」とか概念を学ぶといい。それらは、奈須きのこさんの作品を導入にするとよいかもしれない。アニメだけだとわかりにくいから、小説がよい。でも小説を読むのはそれはそれで思考が大変だから、アニメから入るのもよい。とりとめないから、そろそろ終わろうおなか減った)

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選挙について(政党というよりも政策の支持をしたいが難しい)
2024/10/20 12:16 | Comments(0) | 思考及び書くこと

まえがき

 政治のことは、書かないほうがよい。
 なので、どの政党を支持するとかはそういうことは一切書かない。

政党マッチング診断

 ただ、面白いのがあったのでやってみた。
政党との相性診断
https://news.yahoo.co.jp/senkyo/match/party

 10問こたえると、次の国政選挙で、どの政党の政策と自分の考えが近いかが分かるという。

 結果などは書かない。しかし、タイトルのとおり思ったことがあるので書いておく。

ある政策は賛成だがある政策は反対

 へー。意外に自分はそうだったんだ、という気がした。
 しかし、よくよく各政策についての立場をみていくと、
 例えば1つ目については「賛成」だが、5つ目については真逆「反対」ということもあった。

 何を言いたいかというと、現代政治の難しさを思った、ということだ。

 とりあえずマッチする政党を支持して、思いの通りその政党が政権をとったとして、マニフェストを達成していったとしても、「いや、その政策は致命的に反対だったのに……」ということになりかねないということである。

 それでも、選挙の仕組みとして、政党に投票するしかない。

 そうしないと、政治は動かない。

 難しいなと改めて思ったということである。

同性婚について

 具体的な政治的なスタンスなどは繰り返しになるが、書かない。

 けども、一つ具体的な例として、同性婚を法律で認めるべきかという議題がある。それをもとに考えてみよう。(ちなみに、この議題は、そこまで自分にとって関心が強いわけではない、と書いておく。なので、強い批判を受けたところでそこまで気にならないことからこの議題を例にあげている)

 これに関しては、自分はまず「反対」としておく。

 理由は、法律で認めることによる様々な優遇措置による費用が増えると考えられることだ。

 LGBTQに対して、特に偏見などはない。
 むしろ百合は好きだ(とかいうとそういう問題じゃないとか批判浴びる)。

 ただし、人間という生物と、社会的な存在を考えたときに、生殖によって子供をつくることができるというのは、どうしても男女というペアが必要だと思う。思う、というか、これはひとまず事実だ。

 その男女によって子供がつくられるということによって、社会は再生産されていき、それは国という集団を維持するために必要である(とされている)から、様々な政治的な(法的な)優遇措置がある、と考えている。

 だから、同性婚の場合は、子供をつくることができないことから、法的に認める必要はない、という立場である。



 いやそうじゃない、という批判もたくさんあるだろう。
 マイノリティが暮らしやすい社会は、みんなに暮らしやすい社会になるのだから、認めるべきだといった意見もあるだろう。
 もし、それが本当にそう(同性婚を法的に認めることによってみんなが暮らしやすい社会になること)であれば、法的に認めてもいいと思う。ただ、それを証明することは困難だ。

 法的に認めても、何ら優遇措置はない、のであれば、それはそれで認めていいと思う。
 でも、これは逆説的に、そんなことはないのだと思う。何かしらの優遇措置があるから、同性婚を法的に認めたほうが良い、という議論が発生したはずだ。
 LGBTQに対する偏見をなくすべきだ、という議論だけであれば、自分は大いに「賛成」である。

 税金として徴収したお金を投入すべきか、という視点で、基本的に自分は政策の良しあしを判断している。
 というか、感情的な云々出なく、政策に関しては、全国民がそうすべきだと思う。思うし、さすがに義務教育を受けた人たちはそれぐらいの意識はあると思う。

 でも、正直、じゃあ、どういったことにお金を使うべきか、というのは、結局「感情」(とか自分の置かれている環境とか)が優勢になってしまう。
 だから難しい。

社会的にどうか

 なので、もうちょっと思考を進めて、自分がどうこう、ではなくて、社会全体としてどうあったほうが、「暮らしやすい」のか、という点で判断する必要があるように思う。

 たとえば、上の、同性婚の話で、「子供が云々」とは別の次元で、同性婚を認めることで、養子縁組とかが取りやすくなって、孤児が減って社会的に安定しやすくなる、とかそういうことならよいんじゃないかとも思う。

 いやいやお前は同性婚問題の理解が不十分だ。この問題は、遺産相続のときに、パートナーに相続できない仕組みだからダメなんだ。贈与はできるが、その場合贈与税になって、相続税のほうが優遇措置があるのだ。
 ということかもしれない。

 ふむ……。そういうことなら、その点だけが問題なら認めてもよいのかもしれない。
 でも、制度をかえるということは、それ相応のコストがかかる点も忘れてはならない。いまや、行政の実務にも「システム」は大きくかかわっているので、システムの変更とかで改修費用や、事務負担なども増えたりすることもあるだろう多分。

 そこまでする必要がある話なのかどうか。いやもちろん、すぐさま言っておかなければいけないのが、当事者にとっては喫緊で非常に重大な問題であるということだ。
 ただ、上で書いた通り、「社会全体としてどうあったら暮らしやすいのか」という点で考えるべき、という前提での話である。


 正直、個人的には、タバコの受動喫煙、特に、路上喫煙している奴らを非常に嫌悪しているため、タバコ自体を完全廃止するという政策のほうが、自分にとって重要な議題である(かっこ笑い)。NHKもなくなっても特に構わないと思っているが、別に某政党に投票しようとまでは思わない。

 それは「社会全体としてどうあった方が暮らしやすいのか」というのとは違うと思うので、そこまで声を大にしようとは思わない、ということである。

あとがき

(かっこ書きである。改めて、選挙で投票するということの難しさを思った。ちなみに、最初に書いたマッチングは、「1位」とかも、複数あがってくる。自分も、複数あがってきたので、結局じゃあどこに投票すべきかはより混迷した。細かく政策をみていったら、上のような、結局a政策はよいけど、b政策は考え方が自分とは違うな、とかたくさんあったのだ。だからいくつかは妥協しつつ、近い政策をとなえてるところに投票するしかないのだろう。でもそれって、すごく難しいよね。そんなこと毎回やってる暇があるとは思えないし。だから投票率も低いんだろうなぁ。別に政治的無関心な人が多いからだけじゃない気がした。あと、同性婚に関して書いてしまったが、特に何も調べたわけではなく、思ったことを書いただけなので、間違ってることもあるかもしれない。賛成、反対、双方の妥当な意見というのがあるのだろうから、それらは是非聞いてみたいと思う。ただ、「少数派の人がかわいそうだから」とか、そういう感情的な部分ではなくて、金銭的な面というか、公平性という面というか、「政治として」の面での意見が聞きたい。はっきりいってしまうと、今回は「反対」として意見を書いてみたが、実際はそこまで自分に切実ではないので、「中立」なのである。なので、どっちかの意見にひきずりこみたいという方がいたら、ぜひ聞かせてほしい(笑)。創作物の表現規制を強化する、という政策を唱えているところがあったら、絶対反対したいから、そういう政治家や政党には絶対投票しないようにしたい)

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