いずれ、このブログのタイトルを決めたとき、書くことになるだろうことは予想していました。
それが、今になることに、特に意味はないでしょう。
彼は、わたしがコミットするに、値する人物でしょうか。
某氏は、確かに興味深い人です。
しかしながら、某氏が、今を生物的な意味で生きている、という点において、わたしは信じることができないでしょう。
某氏が、類まれな才能と、「絶望」を得た人とはいえない存在だったとしても、現在進行形で語ることができる以上、それが某氏の限界であるのです。
彼は、生前、多くの仮名で著作を残したといいます。
そのわけを想像してみると、それだけで面白いのですが、取り敢えず、地道な作業に入りましょう。
2009/02/01
やはり、大ヒットする作品は、それなりに面白い。これを気付かせてくれたのは、涼宮ハルヒの憂鬱だ。
単にEDの踊りが良かったからという理由だけではない。
映像が京アニが作って、クオリティが高かったというだけでもない。
やはり、原作自体が非常に良いものだという理由が大きいだろう。
:
ファンタジーやSF要素もありながら、主人公のハルヒはごく普通の高校生として設定されている。
宇宙人だとか超能力者だとかいう非現実的な状況と、ハルヒは乖離している。
しかし、ハルヒはそういった、普通じゃない何かを追い求めているのである。
それは、単に頭がいっちゃっているというわけではない。彼女自身は、とても理性的なのである。理性的であるが故、非現実的な状況が本当にあるとは、心の奥底では信じられていない。
それでも、日常のルーチンにほとほと辟易しているのである。きっかけは、小学生のころ、野球場へ行き、自分がその他大勢の中の一人に過ぎないことを思い知った経験からである。
このエピソード自体も秀逸である。誰でも、自分が世界の中で、本当にちっぽけな存在だということを考えたことがあるだろう。それゆえに、自分の存在意義を見失いそうになったこともあるだろう。
ハルヒのすごいところは、たいていの人は、そんなもんだと自分を納得させるところ、なんとか面白いことを、普通じゃないことをしようと、精一杯取り組むところである。そして、その精一杯の取り組みが本当に常軌を逸しているところが面白いのである。
もっとも、ハルヒは、オールマイティな天才であり、天才ゆえの苦悩であるともいえる。すなわち、何をやっても人並み以上にできてしまうので、日常的な場面においてなかなか面白いものを見つけることができないのである。
だから、単純に感情移入はできないのだけれども、それでも、彼女の一生懸命さは素晴らしいと思う。
ここまでがタイトルの「面白さ」の部分で、「切なさ」は、やはり同じ一生懸命さと、キョン君との関係が、なんだかズキズキ心を痛めつける。
昨日の某氏の高校時代の話じゃないけれども、自分のと比較すると、なんとも、「ずるい」って気持ちになる。
2009/02/19
友人二人とと池袋サンシャインシティで買い物。2/40の割合で女の子とか、買い物以外で楽しかった。
意外に疲れていない。そもそも買う気がなかったためか。
よくもまぁこんなに人がいるものだと感動する。それも身なりのために。まぁ電気屋なら何時間でもいられるし同じか。
2009/06/29
徐々に、公開性を強めてきた。特に何を書いても、現実にあまり影響しないということがわかってきたからだ。:
とはいえ、面白いことに、EKさんからメッセージがあった。
やはり、影響は少なからずあるということだ。それも、意図しない方向からやってくる。プログラム化されていない現実。何が起こるか分からない。それが楽しいという人もいる。まぁ、予期しない楽しいことがあったら、それは予期された楽しいことよりは楽しいだろう。そういう経験は少なかったから、なおさらだと思う。
ミクシィからのリンクを貼ってみたり。
いろいろ試してみることはあるな。情報は統合するのがベストだけど、リレーションで繋ぐのがデータベースの構想だし。
続けようという気持ちはなくてもいい。残したいという強い動機があるものだけを残せばいい。
ログは、ログとしての意味は果たしたけれども、再利用性という面では十分ではなかった。その点ブログは、カテゴリやカレンダーの表示などから、再利用性が高いといえる。トラックバックの機能もどんどん活用すべきだ。
ミクシィへのリンクも、ログイン情報をクッキーにいれておけば、一発で飛べる。
うん、相互の利用性は高いといえるだろう。
そうそう。昨日だが、社会保障の雑誌を年間購読で4万円で購入した。
果たしてそれだけの価値があるのか分からないけれども。買ったからには活用しようと思う。まぁ、どこぞの新聞買うよりはましだと思う。
あと、制汗液を買ってみたけど、結構いいにおいがほのかに。ロールオンとのコンビネーションをするか、単独で十分かは分からないけど。ああ、そうだね、こういう情報は、mixiに書くべきではない。やはり、こっちにしか書けないことってあると思う。
じゃっかん、このエディタが使いづらいというのはあるけどね。
ん、これもしかして、最初の一文字が勝手にデリートされるのか!?
やはりそうか……。迷惑な機能だな。
2009/07/06
非公開設定など、こちらのブログを公開用にしようかと考えたが、いや、そもそも、他のブログにしたらどうか、とも思い、FC2ブログに登録してみた、が、ダメだった。
広告が気に食わない。エディタもなんかいや。
やはり、こちらのブログを公開用にするか。しかし、一マス削除が気に入らない。なんとかならないか。半角ならいけるとか?
ふむ、半角なら、いけそうだ。しかし、いちいち半角に直すのもどうか。
いやもしかすると、自動改行を切ったことが問題なのか。段落設定の問題……?
む、しかしこの自動改行は、やはり迷惑な昨日だ。
第一、一マスがなおるのか?
2009/07/14
(ある方と出会う。この頃だったんだな)
うん、この方の日記、面白そう。
2009/07/27
へぇ、面白いことになってきたね。僕の思考の「次元」で思考している人がいるなんて、驚いたよ。
せっかくなので、「お前ら分かってない」と飲み会で僕が叫んだ真意と、理解してくれる人が現れて嬉しいけれども、それを突き放さなければと必死になろうとする僕について、ちょっと書いてみようと思う。
:
先に、じゃあ、その人について書こうか。
面白い人だ。僕の思考を僕以上にトレースし、僕の言葉じゃない言葉で巧みに表現する。こんなことをやられたら、まぁ、ふるえちゃうよね。
でもね、僕はそうなればなるほど、その人に期待しちゃうんだよ。同時に、ものすごいプレッシャーを感じる。だってね、人は相互依存して成り立っているものなんだ。僕がこんなに感動しているのなら、どうじに僕も何か彼に与えなきゃならないんだ。それができないと、いずれ関係は崩壊する。そうなって欲しくないという期待とプレッシャー。
だから僕は、さらに自分に閉じこもろうとする。自分の快感情を維持しているのは、他ならない自分なんだって信じ込もうとするんだ。でも違うよ。実際は、その人が与えてくれた快感情に過ぎないのだから。
でも怖いんだよね。信じられないんだ。この良好な関係を。いくら心地よくても、下を見たら細いロープの上に立っているようなものなんだ。風が吹いただけでまっさかさまさ。
比喩に逃げるのはよくないか。じゃあ具体的に書くけれども、例えば、僕がこんなことを書き綴っていくうちに、おそらく、決定的に「異なる」部分が見えてくるはずなんだ。当たり前だよ、だって、クローン人間なんかじゃないんだから。もっとも、クローン人間だって、ちょっとでも成長環境が違っていたら、「全く違う」思考をするようになるだろうね。
ちょっと補足しておこうか。この「全く違う」というのは、一般的には、とても些細なものだと思うよ。ところが、内面の奥底へ入り込んでいけばいくほど、その差は巨大になっていく。分かるかな? 例えば、ミクロがあるのは、マクロがあるからなんだ。ミクロという概念だけが、その本質を表しているわけではないんだよ。マクロという概念があってはじめてミクロが成り立つ。でも、マクロという概念だって同じこと。分かりにくいたとえだったかもしれないけれども、つまり、内面の奥底へ入っていくにつれて、その深層部分の理解レベルが、その「一般的」な環境を作り出すんだ。なんだろ、中学校で学年一位だった人が高校にいったら中間層に陥るみたいな感じかな。
話がそれたけど、僕が怖いのは、そういう深部の決定的な隔たりなんだ。人は理解し合えない。一般に理解と読んでいるのは、共同幻想に過ぎない。それを「知って」しまい、でも、そう信じたくはないという思いゆえに、僕は他者に「期待しない」んだ。
で、今の思考を重要なパーツとして、この前の飲み会で僕が「お前ら全然分かってねーよ!」と叫んだ真意について書こうと思うのだけど、今日はさすがにもう寝よう。
2009/08/02
(*・ω・)ノ 先ほど友人から、「お前はもっと人に興味をもつべきだ」とアドバイスされました。「どんだけ自由に生きてるんだ」「自分についてしか興味がないんだろう」とも。 友人がいう次元においては、わたしは「全くその通りだなぁ」と思いました。ここでいう「友人がいう次元」とは、特定の他者、例えば身近な人に対しての情報を、もっと知ろうとするべきだ、ということでしょう。確かにわたしは、誰々が今どんな職業に就いているのか、誰々がどんなものを好きなのか、なんてことを殆ど知りません。というよりも、ご指摘の通り、あまり興味をもてないのです。 と、今書いて改めて分かりましたが、本当に、そういうことに興味をもてない。むしろ、何故そんな「普通の人」は、誰々が誰と付き合ったとか、結婚したとか、どこに旅行に行ったとか、そういうことに興味をもてるのか、分かりません。まぁここで、「本当は興味がないが、自分の話を聞いてもらいたいために相手の話も熱心に聞くようにしているのだ」というモデルを持ち出すこともできますが、今日はそういうことは置いておきましょう。おそらく「普通の人」は、そういうこと言われると猛烈に腹が立つだろうと思いますので。 それよりも、「お前はもっと人に興味をもつべきだ」という点において少々書きたいと思います。わたしはちゃんと人に興味をもっているのだよ、と、そう言いたいわけです。でも、わたしが興味のあるのは、特定の人ではなく、広い意味での「人」です。認知症や精神病の本など、非常に面白いと思います。以上です。 ……、本当に少々しか書けなかったので、置いておこうと思った、何故「普通の人」は、身近な人の個人的なことに対して興味を抱けるのか、という点について、完全主観に予想してみようと思います。これについて、いろいろ教えていただけると非常に嬉しいです。 さてまず、上記に挙げたモデル、つまり、自己中心的な理由によるものが考えられます。
2009/08/15
うーん。
やはり、ブランクは大きいか、というよりも、そもそもそれほど、自分で書いたことはない。
口で言うは簡単だけど、実際やると難しい、まさにこのことだ。
小説というのは、直接説明しないことによって、説明する、説明文だ。
そしてそもそも、私の書きたいテーマそれ自体は、大したことではない。ただ、私が何を述べたいのか、それを説明するためには、小説という形を取った方が伝わりやすいと思うからこそ、こうやって頭をひねっているのだが、なんというか、無価値なものを価値あるように見せかけようとしている感じがしないでもない。
――まぁ、そうだね、夜は思考を鈍らせる。
:
私の「笑顔」は、経験と訓練から得たものなのです。
理由は簡単。笑顔は、他の人に良い印象を与えるのです。私は幼い頃から、それを何となく感じていました。というよりも、人の何らかの表情というものが、他の人に良い印象を与える場合と、そうでない場合があるということが、経験的に分かっていたのです。
私は、その良い印象を与える表情を一般的に「笑顔」と呼ぶことを知ってから、鏡の前で、どうしたら自分もそうした表情を作ることができるのか、練習し始めました。
その練習自体は、それほど難しいものではありませんでした。すぐに私は、意識して「笑顔」を作ることができるようになりました。
実際、これはとても役に立ちました。
:
2009/09/25
金曜日に自殺するなよ…。帰りの電車に乗っていたら、突如人身事故でストップ。
そのまま待っていてもよかったのですが、以前同じような状況で1時間以上立ち往生だったので、思い切って振替輸送を使ってみることにしました(人生初)。
改札に出ると、若い駅員さんの前に人だかりができていました。
そして、たった1人で輸送券を一人一人に渡しているのです。
私も行き先の駅を告げて、バス用と電車用の2枚の券をもらいました。
何か特別なものかと思ったら、ただの紙切れでした。
とまぁそこまでは良かったのですが、実際にどうやって目的まで行くかというのは、もう自由なようです。
しかしながら、ほとんど知らない駅で降ろされて、路線図もないのに、どうしろと…。
このあたりで、私の中ではアウトプットモードに切り替わっていました。
わからなきゃ聞けばいい。
取り敢えず、停車中のてきとーなバスに乗り込んで、運転手さんに、自分の知っている路線に向かうかどうか尋ねてみました。
ラッキーなことに、そのバスの終点はその路線行きでした。
この時点で、ほぼ問題は解決していたのですが、私のアウトプットモードは戻りません。
たまたま隣に座った、50代後半くらいの男性に話しかけました。
「振替輸送ご利用ですか?」
私が話しかけると、その男性は一瞬視線を左右にふって、自分が話しかけられているということを理解したようでした。
「はい、そうです」
穏やかで、丁寧な話し方で、私は一瞬でこの男性を気に入りました。
「人身事故で、困ってしまいましたね」
私は、自分も同じ境遇に陥ったのだと示し、警戒心をといてもらうようにしました。
「どちらまで行かれるのですか?」
私がさらに問い掛けると、
「○○駅です」
と、これまた丁寧に答えてくれました。
その駅は私も知っている駅で、私の目的の駅の一つ先の駅でした。
「あぁ、○○駅ですか。私は△△駅に行きたかったのですが…」
こういった場合は、無闇に指示語を使うべきではなく、できるだけ具体的な地名や名称を用いるように注意します。
「△△駅ですか。そうしますと、やはり××線で□□駅からバスで行った方がよいですね」
男性は、私が尋ねていないのに、私が欲しい情報を提供してくれました。
そうこうしていると、その男性の私と反対側に座っていた、これまた50代ほどの女性も会話に入ってきました。
結局、バスを降りると皆バラバラになってしまいましたが、その間はずっと会話を楽しんでいました。
どうやって向かったら目的地に着けるのかといった効率的な話から、いつのまにか、その男性には35歳の息子さんがいて、まだ独身で心配しているといった話まで聞くことができました。
2009/11/28
ふと突発的ひらめきが生じるのは、電車の中とか、友人と遊んでいる最中だったり、単調な仕事をしていたときだったりするので、メモもまともに取れないのだけど、今、ちょうど何もしていなかったら浮かんだ。
:
ひらめき、というか、気付き、か。
人間信頼による、自分の劣等感のすべてが払拭されるかのような感覚。
人間が愛しくて愛しくてたまらないがために、もはや、劣等意識など生じようがないといった、逆説的感覚である。
ここでいう劣等感とは、他者へ施しができないということであるのだけど、しかしながら、これは、或る行為ゆえの根源存在が原因で生成しているもので、であれば、同次元で思考不可能なのは明らかであって、劣等意識が生じる余地が全く無いのだという気付きである。
何故に言うなら無理なのだ。
まぁ、敢えて保存しておこうとしたのは、これが応用可能な理論体系であるからだ。
人を信頼すればするほどに、もはや、こういった事象での精神を取られることがなくなるだろう。必要ないのだから。
2009/12/04
ただし、肉体の支配から逃れられないという実感は常に置いておく必要があるだろう。
その場合、任せるしかない。思考は隷属するものだ。理性など、何の役にも立たない。
それと、思考の劣等感は持つ必要がない。
与えられた肉体を信じ、そして上記の実感をもってすれば、如何に大勢の言説、風説その他の評価が意味をもたないものかが分かるだろう。
敵は多ければ多いほど戦いがいがあるが、それは、死なない程度であれば、だ。
COMMENT:
AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 12/05/2009 20:12:45
> 理性など、何の役にも立たない
んな訳ないですって(笑)理性そのものは、人との感情であり、国の人それぞれが所与しているのが理想ですよ。明らかに視点がズレているので、否定します。遠藤さんがここで『何の役にも立たない』って感じている正体は、第三者から見れば、明らかに『半端』としか感じません。概念に対してこういう『露骨なバイアス』に苛むのは、大概、半端さに飲まれているだけですよ-
COMMENT:
AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 12/05/2009 20:24:24
ホワイトな感情を破壊するのは、半端になれないからってだけです。けれども、本来は、理性破壊などは、自制心を得る手段となります。自制心は、理性あると飲まれてしまうからこそ、抑制感情で、多数性に見合わないのを破棄するという経由があります。文脈を見た限りでは、視野狭窄で、白い感情を半端に棄てるという、最も醜い白い精神の堕落かなと。白い精神を棄てる覚悟は、ドス黒い思考程度では、とてもじゃないけれど、半端レベルでしかありません。あくまでも、一度は『突き落とす』という考え方は、思考はドス黒くも、精神は白の考え方。色彩感情と思考は割り切れても、真っ白である精神は、黒一滴をも痛みにする。なのでこそ、その痛みを吹き飛ばすほど常に全力でドス黒い思考を一貫しないと方向性逆に進行するだけで、何年間をも生産性なく過ごしてしまいます。半端に
なるなら、最後まで半端を通す以外は、半端でしかない無様ですらない生き様。自己の美的感を破棄する度合いは、人というル-ルに、自らで裏切りを内包しているともなります。白い精神は、自傷を醜いと嫌悪します。それを裏切り続けているからこそ、ドス黒さでは、世界をも敵に回そうが、純粋でしかない度合い。裏を返せば、どん底に精神は真っ白で、
白い世界は、暗黒すら可愛い感性ッス。
2009/12/04
ただし、肉体の支配から逃れられないという実感は常に置いておく必要があるだろう。
その場合、任せるしかない。思考は隷属するものだ。理性など、何の役にも立たない。
それと、思考の劣等感は持つ必要がない。
与えられた肉体を信じ、そして上記の実感をもってすれば、如何に大勢の言説、風説その他の評価が意味をもたないものかが分かるだろう。
敵は多ければ多いほど戦いがいがあるが、それは、死なない程度であれば、だ。
COMMENT:
AUTHOR: 塵
DATE: 01/08/2010 23:23:08
出力タイプ、アウトプットタイプ、というやつですか。
注意すべきは、この記事の著者が、共感できないことを嘆いているのではなく、共感という天賦の才への憧憬が失われ、かつ求め続けている悲劇にあるのかなと思います。
わたしとしては、彼に、お前はこの芸術写真の中の登場人物であるという慰めをしてあげるでしょう。しかしそれだけでは足りません、何故なら、彼はおそらく、芸術写真の中で選択を始めるからです。そしてわたしとしても、彼の希望を求める心理に対して、有効な一手を打つことができません。
今日、
こんな記事を読みましたが、この記事の最後で、台所に行って包丁とってこいというのは、なんという優しい言葉なのだと、感極まったほどであります。
2009/12/17
こうやってブログやミクシに書いていることは、真実しかないけれども、ただ、それだけでは、全く信憑性がないものである。自己と自分という話をしたところで、おそらく、誰もそれを実感してはいないことだろう。
ということなので、如何に自分は自己に自分を委託し、自己の規定が強烈であり、逆にそれによって自分を操ることが可能なのかということを試してみようと思う。
これは行動を前提とする、いわば宣戦布告となる文章である。それゆえに、これだけでは意味を全くもたない。
〇〇という神がいるけれども、彼などは、かなりの戦闘を潜り抜けることで、戦神となった努力家だ。
私が求めるのは、神になることなどではない、けれども、そのプロセスは楽しいじゃないか、と思うわけだ。
ただ、所詮は、ある安全な場所に身をおいて、高みの見物を決め込む、漫画なんかでは最終的に主人公に敗れる悪役なわけだけれども、連続性という欺瞞を突破した境地としては、そういったアミューズメントに心を置くのは笑える行為である。
いま、獰猛な感覚にとらわれている。
成功の確率など、10%にも満たないだろう、だがしかし、どう考えても、失敗による有用性と、成功による幸福感は、失敗による有用性の方が強烈だ。
その高揚感は、こちらのブログに書いているということが
まぁ、その戦闘まで、HPがもつかどうかが問題か、はははん
2008/07/19
(マギノビ?)うーむ。俺が歳をとったからなのか、開始から三日くらいでもう飽きたw 馬とか買わなくてよかったなぁ。
3D酔いはするわ、なんやらわで、もうヘロヘロだよ。服作れるとかオモシロそうだと思ったら、スキルが必要で、スキルを上げるためには、ひたすら最終に精を出して……と。
何故こんなもんが流行るwww
いや、まぁ、ふつーのRPGのレベルアゲみたいなもんなんだろうが、ねぇ……。はっきりいって、時間の無駄感が強いね、うん。そんなことするくらいなら、もっと他のことがあるじゃろうに。RTSならまだ分かる。やればやるだけ上手くなるしな。まぁそれがどうしたということなんだが、でも、マビノギとか、MMO系は、ガチでその、ゲームスキルすらも上がらないからなぁ……。結局プレイ時間なんだろ? さすがにアホかと……。黙ってクエストこなしていくだけで楽しむものなのかな? とはいえ、ねぇ。
まぁ、やってみなければ分からないことは多いわけです、はい。ということで、おそらくこれから、MMO系をやることはないでしょう(笑)。
2008/07/21
夢や希望、そして目的や目標は、達成することが本義なのではない。あくまで、現在、今を充実させるためにあるのである。
ゆえに、今、勇んで目標を立てる必要はない。強いて言えば、TOEICの勉強をするとか、レポートを書くとか、教習に合格するとか、そういった小さなことで十分だ。
2008/07/26
今回も成功だと言えよう名ばかりとは言え、6人の副幹事を務めた。これは自らの成長、経験にプラスである
こうやって初対面の人と話して、親しくなるというのはナカナカ面白い
例えば今回参加の女の子は、ゴスロリという文化を耽美していた。そして、そのような自分の趣味をしっかり語れていた。まだ16の子が、感心する。
恐らく、今までの私ならば、見た目で判断していただろう。しかし、あんな格好も、そんな価値観もアリだと感じた。
私自身の価値観を広げるという意味でもプラスであった。
そして、人は、金でも時間でもなく、リレーションシップが一番大切だと感じた。
さらに、人との会話は、さほど難しくはないということである。表面的なことでも、くだらないことでもいい。
何より、人に語らせることが大事だ。
今日は、その点でイマイチだった。もっと徹底的な聞き役に回らなければならない。そしてそうなるためには、たくさんの情報を知らなければならない。
聞くためにも、情報は必要なのだ。
共感、これは、人間に大切な能力だ。これが私には未熟だった…否。身近に共感できる人間がいなかったのだ。
そうだから、私のコミュニケーション不足を嘆くことはない。
人は、私が考えている人一般ではない。人は多様だ。
相容れない人もいる。エフくんとか。でも、その人一人に気を煩わせる必要はないのだ。
現に今日は楽しかった。人付き合いが楽しかったのだ!
当たり前のことに気付いただけかもしれない。けれども、その当たり前もまた、実に主観的なものであったのだ。
またしても、これから先、成功が待っていると、確信できるようになった。
今日の参加者にも幸あれ!
2008/08/26
>>自分ひとりの幸せは、どれだけ大きくしても「ひとり分の幸せ」でしかありませんが、10人の幸せを自分の幸せのように感じることができる人は、10倍幸せになれるのです。step306たかたさんの言葉。
なるほど、確かにこれができたらすごい幸せだろうな。自分の周りの人の幸せが、直自分の幸せだとしたら、どれだけ素晴らしいだろう。
2008/08/27
今日は父親と一緒に秋葉原を探索した。立ち寄ったお店で、メモリとグラボを見て、相性についてたずねたら、聞いていないことまでいろいろと教えてくれた。情報が斬新で、丁寧で、大変参考になった。
やはり秋葉原の店の人はプロだと思いました。
2008/10/07
実習においての某実習担当の話。しかし、他にどんな手段があったのか。明日行って聞いてみる必要があるな。それとも、あの対応がデフォなのかもしれないし、なんともいえない。電話だしな。
だが、相手の事情をまったく忖度せず一方的な態度をとるのは如何なものか。電車乗って嘔吐したら、もっと多くの人に迷惑かけると思うんだけどな。って俺は思ったけどな。まぁ、甘かったのかね。確かに、何が何でもいかなきゃ、とまでの気持ちはなかったね。それは事実だ。
まぁ、ここで、彼に対して腹を立てるのは大人気ないだろう。むしろ、面白い経験をさせてもらったと、にこやかにならなければいけないだろう。しょせん、最初から分かっているように、実習に過ぎないのである。たいした問題ではない。これが、本当の職場だったら、ちょっと問題だろう。
だが、上司に怒られるのって、こんなものなのだろうね。この程度で悲しくなったり、やる気うしなったら社会人として失格なのだろう。むしろ、逆にどんどん向かっていかないとね。よし、この話題終わり。明日も引きずりそうだけど、切り替えて、ゆっくり休みましょう。
2008/10/12
mixiを見ると、いろいろ考えたり、腹が立ったりするので、退会してしまおうかと思いつつ、やっぱり日記でも書こうかなと思いつつ、結局今までの反省を生かしてこっちに書いている。きっと後から考えればこちらの選択が正しいはずだ。では以下から。
実習で学んだこと。
敵の存在。そして、自分の感情反応の理解を深めたこと。
敵というのは、言わずもがな欠勤に関すること。それに対しては、もはや感情は伴わない。だから、注意すべきことを箇条化する。
・上司に用件を伝える場合は手短に、結論を最初に、枕詞は必要なし。
・完全に私の言う「戦闘モード」で接すること。馴れ合い的雰囲気ではいけない。
さて次に、感情反応の理解について。
私はとても気分屋らしい。他者評価を気にしないといいつつ、それによって大きく気分が異なる。しかし、どのような場合にどのような感情になるかというのは、はっきりいって、一般の人たちとズレている。自分でもよく分からない。とりあえず、体調が悪いとダメらしい、とてもダメらしい。ゆえに、睡眠時間を削ってまで作業をすることは、物理的に私は不可能である。風邪ひいても無理して活動するのは不可能である。ってわかってたから休んだら怒られて、不機嫌で、まったく、あいつらまじ死ねよ。
おっと、やはり、ほじくると感情が戻ってくるから困ったものだ。だが、それは、ファーストインパクトが強烈だったから、その残り香が残っているだけで、今に消え行くものに過ぎない。失恋に関しても同じことである。どんな強烈な体験でも、時間が経てば消えていく。それは、感情ではなく、記憶としてしかインプットされないからである。記憶は、事実をよみがえらせるけれども、感情をよみがえらせることはできない。
もちろん、今のように、ある人のブログを見てイライラし始めることはある。けれどもそれは、新たな刺激が原因ともいえるし、記憶が引き出した事実が、新しい刺激を与えたともいえるのだ。よく分からない文章か? いや、きっと、自分なら後から読んでも分かるだろうおそらく。
T氏が自分の進路について悩んでいるようだが。そうだな、他者からみれば、何故そんなことに悩んでいるのか、といった具合にしか受けないわけか。なるほど。そりゃ愛想をつかされるな。だが、……いや。やめよう。
とにかく、周囲の人の行動ってもんが、あれだな、面白いな。うーん、やはり、ノートPCの方がいいな。かきずらい。いくらカテゴリわけがあるとしても、意味が無いな。うん。以上。
2008/10/22
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51222774.html
腕時計はつけるべきかどうか、高級なものを身に着けるべきかどうか、というスレ。
身だしなみは気をつける必要があると思う。でも、だからといって3万とか高いものを身に着ける必要はないと思う。
つまり、身だしなみを気をつけるとは、派手すぎず、清潔感があればそれでいいと思うのだ。
僕はこの職場に就職できて、おそらく大正解だと思う。あとは、人間関係こじれないように注意すれば、これから先、最高の人生を送れる。
マクロスF2008/10/25
10話みたけど、なにこれ、面白いんだけど。アニメーション作品の中で、映画撮影を表現するとは。スタッフロールと作品のEDとの兼ね合いも凝っていたし。よくできた作品だと思います。
ヒロインのランカ・リーの心情の変化なども、よく描けていると思います。もともと、ふつーの子で、どちらかといえば自分に自信が無い。その性格は今回の話にも活かされていて。突然、映画の準ヒロインの役に抜擢されるも、一歩に踏み出せない。同じく突然抜擢されたアルトとのキスシーンがあることもネックであった。けれども、ランカが好意を寄せるアルトと、羨望と嫉妬を抱く銀河の歌姫シェリルがキスするところを見てしまう。
それで発奮。映画は、主人公が妹ではなく姉が好きという設定。今なら、その妹の気持ちが分かる、ランカはそう言って役を引き受けたのであった。
ありがちといえばありがちなんだけれど、ありがちと思わせない映像の表現力であった。というか、ちょっと見てるこちらが恥ずかしくなるほど。恋って、いいものなんでs……すかね?
2008/11/02
充実していれば、自慰禁も難しくない。つまり、スーパーサイヤ人になるから活動的になるのではなく、活動的だからスーパーサイヤ人になるのだ。バイトで、Sさんに、「面倒なことやってるな。効率よくやらないと、給料もらえなくなるよ」と言われた。なるほど! さすが競争社会ですね。僕は、単に、きれいにちゃんと折ろうと思っただけなんですけど。でも、その行為がどのくらいメリットになるのかといわれたら、ほとんどありませんからね。効率重視なら、愚かな行為なわけです。
でもいいのです。僕は、僕として生きるからこそ、僕なのです。僕といっても、多面的です。そして、それぞれの面から他者の評価を受けます。それをすべて答えようとしても、ダメなのです。周囲の人たちを見てください。すべてにおいて完璧にこなしている人は、それほど多いでしょうか。
僕は、人から怒られること、マイナスの評価をされることを、極端に恐れているのです。けれども、それをすべて満たすことは不可能なのです。そういう意味での、専門性なのです。といっても、所詮凡人の専門性なんて、代替可能なレベルに過ぎないのですけれども。でも、その「場所」においては、トップに立てるかもしれない。
でもいいのです。僕は、僕として生きるのです。
2008/11/02
カテゴリ分けが悩んだが、増田ブログ(はてな匿名ダイアリー)は、このブログカテゴリに入れよう。もともと少ないし。
それで、今回は非モテの定義について。
2008/11/28
22日〜23日の出来事を振り返って。先日父母が、はるばる車でうちまで来た。新車買ったので、「乗せてー!」と駄々をこねたからだ。宇都宮で合流していろは坂など行ったけれども、パワーがある車ってすごい。上りでもぐいぐい進んでいく。レンタカーのマーチで富士山を上った時エンジンが悲鳴を上げていたのと比べると、こんなに違うんだと実感した。新車にも乗れたし、家族団らんもできたし、とても楽しい休日だった。タイトルは父の言葉。「悩むなんてくだらん」だったか、どんな文脈だったかも正確には覚えていないけれども、そんな意味のことを言っていた。俺だったら「悩むことにだって価値(意味)はあるんじゃないか」とか言い出しそうだけど、そうやってズバッと言い切るのって、何だかカッコいいと思う。悩むくらいなら「考える」方がいいし、その「考える」だって、時に害悪になりうる。もっとも、口で言うのは易し。「悩む(考える)なんてくだらない」と言い切れるようになるには、相当自分に自信をもっていなければならない。だから俺も「カッコいい」って感じたんだと思う。悩みや不安を完全になくすことは不可能だろうし、その必要もないだろう。ただし、自分に自信をもつことは必要だ。今自分は悩みも不安もほとんどないけれども、「自分に自信をもっているか」と問われたら、それこそ悩んでしまうかもしれない。自分の行動。自分の生き方。自分の判断。自分の選択。全部肯定できるか。できないとしたら原因は?
――しかし最近、長年の閉塞感が取り払われ、楽し(幸せ)過ぎて、この先の思考がはたらかない。閉塞感の中で無限ループしていたときに対して、今は「楽しさ」「幸せさ」「充足感」が思考を遮断する。そして、そのこと自体が悩みの種になるとは何とも、矛盾した事象が二つ同時に存在しているようだ。無限ループと同じく出口が見えない。けれども、抜け出そうという気持ちは(快感情のため)弱いから、実は余計たちが悪いのかもしれない。そして書き出すとまた長くなってしまう自分は、やはり、まだまだ父をこえられないということだ。
2008/11/29
news4wide.livedoor.biz/archives/1055819.html
結婚の是非をめぐるこんな記事があったので、衝動的にコメントした。
まぁもう、この手の記事はたくさん見てきたわけだけど、今はもう、
「こだわらない」(=「空」)
という、自分の価値観が確立されているため、動じることは無い。何でもかんでも物事を、是か非かとか、善か悪かといったように二分法で考えるからいけない(閉塞感に苛まれる)のだ。二分法だけじゃなく、「分別」自体が間違っている。そういう考え方をもてたということが、私の「革命」の成功要因なのだろう。ゴウタマ様、ありがとうです!
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2008/06/01
ボウリング、漫画喫茶、スーパー買い物後帰宅。睡魔が襲ってきて、床で眠っていると、夢を見た。巨大な船の中に入り、中を見物していく。オバケ屋敷のような感じで、怖かったのだが、そのとき、これは夢だと気付き始めていた。そこを抜けると、風俗のお姉さんに、入ることを薦められた。今考えると客引きについていくのは危険なのだが、これは夢だと気付けたので、その誘いに乗ることにした。
この時点ではっきりと夢だと認識。すると、相手の女の子がひどくブスに変わってしまった。けれども、これは夢だと強く意識することで、その相手の女の子を可愛い子にチェンジ。大人のキスをした。その感覚は、まさしく本物のようであった。これは経験があるから分かることなのだろう。そして、今妄想で認識するのとも全く違う。確かな感触を得られたのである。
初めての体験だったが、なかなか面白かった。
2008/06/02
すごい人だな。上に立つものは、こうでなければいけないのか。おっと、まずい。寝る時間だ。
2008/06/03
こんなことしている場合でないことは百も承知で書かせてもらおう。このドラマ(絶対彼氏)、ひどいものだな。TYPE1のロボット、ナイト君が、あまりにも痛々しい。そして、その行動が、俺のやってきたことであった。結局最後まで見てしまったが、うーむ。しかし、何故男がもてなさなければいけない。もてなそうと思うと、それは不自然になるのである。結局、「自然」に、「合う」ことが、上手く行く法則である。つまり、いくら「好きになってもらおう」と努力しても、無意味なのである。「惚れさせるような」性格、及びルックス、行動など、努力の方策は、あくまで自分に向けるのである。それ以外に方策がないことがよく分かる。モテたいという気持ちを持つことは大事。しかし、モテたいから、テクニックに走ってはいけないのだ。
恋愛とは非常に不愉快なことである。うん。何が不愉快かといわれたら、言葉にならないが。ああいうエンターテイメントを素直に楽しめないのが残念だ。その理由は、彼女が今現在いないからである。
一気にテンションがダウンだ。勉強する気になれない。これは、あの、前の実習のようではないか。
いや、そうはさすまい。今、不愉快な原因をよく考えろ。本当は、彼女がいないことが原因ではないはずだ。実際に、やるべき仕事が溜まってきていることが、本当の原因である。まずは、目先のことを片付けるがいい。大局を見よ。狭い視点に陥ってはいけない。ポジティブ志向、今を楽しむ、笑う。三大軸である。これを維持できずして、いかんとす。さぁゆくのだ。
2008/06/04
テレビを見すぎだ。そんなものより、本を読め。心を強く保つ秘訣だ。エンターテイメントに浸かってはならない。最悪の状況から立ち直った、あのときを思い出せ。今の自分が打ち止めか? 否。私は、ますます良くなっていく。2008/06/07
言葉は生き物だ。その場その瞬間でしか生み出されないものがある。そして、せっかく書いていたのに消えたときのショックは計り知れない。
消えてしまったのは仕方が無い。もう時間も遅いし、趣旨だけ書いて寝よう。
私はオタクになりそこね、新人類にもなりそこねた、いわば落ちこぼれだ。小学校のときの栄光にすがり、中学校、高校では、見えにくい挫折を味わい続け、大学1年中期ごろから限界が見え始めていた。完全崩壊は、実習。紆余曲折を経て、今に至る。
私が求めていたものは、60~70年代的な価値観、即ち、仕事でバリバリ働いて、バンバン稼いで頼られて、いい女とやって、いい車に乗ってといったものだ。ところが、例の小学校の高すぎる理想自己が原因で、私の欲求が満たされないと思った。そこで私は、虚構の世界に「癒し」を求めたのである。しかし、虚構は文字通り、虚しさを与えるに過ぎなかったのだ。それに気がつくまで、長らくかかってしまったが。
もし本当に、虚構の世界に自分を投影し、現実とは一歩引いた位置で自分を保ち続けることができるのならば、彼、彼女らはまさしく、「新人類」と呼ぶにふさわしい。しかしここで問題なのは、オタク文化は、現実を「元ネタ」にしていることだ。ギャルゲーは、古代からある恋愛を元ネタにしているし、ガンダムの「戦争」も、現実の戦争の元ネタだ。即ちオタク文化は、サブカルチャー的な位置づけからの飛翔は不可能なのではないかということだ。
これには次のような反論が考えられる。現代の高度なテクノロジーは、歴史的な知恵の結晶である。とはいっても、蔡倫の製紙法を今採用することはないし、グーテンベルクの活版印刷がコピー機に勝ることは無い。それと同様に、オタク文化も、現在の文化を超越した、新しい基盤たる文化なのではないか、というものだ。
しかし、今挙げた二つの仮説は、両者とも根拠に乏しい。そのような視点で、『萌える男』を読んで、そうだな。A先生のレポートを書こうかな。
2008/06/07
あれは魅力的だなぁ。ただ、個である意識(自我同一性)の喪失を死と定義するなら、トランスフュージョンも死と変わらないよね。また、「救い」を身体的苦痛の除去と定義すれば死は救いといえるけど、精神的充足を「救い」と定義すれば、死やトランスは救いにはならないよね。精神的充足は個を失えば得られないからね。
だから、どんな状況でも「今」を徹底的に肯定しなきゃいけないんだ。笑おうぜってことだよ。ははは。
2008/06/10
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1137061.htmlhttp://www.excite.co.jp/News/society/20080609201237/JCast_21495.html
そうだね。2chでさえも、非難批判ばっかりだね。でもね――
彼女ができない。友達ができない。
それはきっと、本人だけのせいに帰結できる問題じゃないだろう。テレビは案の定というか、加藤さんが、アニメやゲーム、ミリタリーなどに興じるオタク、マニアであることを強調していた。しかし、それが問題じゃない。現実世界で上手くいけば、そんな二次的なものに没頭する必要がないのである。そして逆に、本当のオタク、マニアたちは、二次元、虚構の世界で自己を充足させるすべを手にしているのである。即ち彼は私と同じように、オタクにもなれなかった、「落ちこぼれ」なのである。
おそらく、ここに書いていることは、決して、他者に見せるべきものではない。見せる必要もないだろう。おそらくなどではなくて、彼に受容的、共感的な気持ちを抱けるのは、ごく少数である。もしくは、2chでさえも、本音をかけないほど、危険な感情なのかもしれない。
……そうか。俺が救いたいと思った人たちは、彼のような人たちなのか。そして、そのような人たちは、ごくごく少数なのだ。まだまだこの社会では、彼らは認知もされていないような人間なのだ。今の社会学がやっているようなことは、全くといっていいほど、彼らに焦点を当てていないのである。
ならば俺がやるべきか。社会一般の通念を壊すというのは、並大抵ではない。だが……、やはり俺は、彼らを見ないふりはできない。
恋愛資本主義の矛盾が解決される日は、一体いつになるのだろうか。
さて、もう一つの話題。加藤容疑者について。
同情するよ。分かるよその気持ち。で、そんな加藤さんに、2chネラーが浴びせる罵詈雑言。童貞仲間からもそうなんだから、もう救われないよね。誰も分かってやれないよ。かわいそうに。彼が悪いんじゃない。たとえ、ファッションセンスがなかったとしても、それは、彼の責任か? きっと、周りの友人が悪かったのだ。もっと遡れば、小学校の先生がちゃんと指導しなかったからだ。もっと遡れば、両親が生んだからだ。
かわいそうだよ。彼が悪いんじゃない。俺も、一歩間違えば、そうしていた。なるほどこれは、うつ病とかと、全く違うんだな。人格障害……いや、障害ではなく、これも一つの個性なのだろう。
もしそうだとしたら……、自殺が手っ取り早い、うん。社会に合わないなら、死ぬしかないよね。家族にも見捨てられたら、もう……居場所がないよね。あれ、また目頭があつくなった。
(2007年補足:まぁとはいえ、やってしまった行為自体は、許されるものではなく、排除されるべきものだろう。そもそも、同情的な感情を書いているが、果たして、自分がそばにいて何ができたのか。むしろ、その傍若無人な振る舞いに、自分自身、彼に憤りを感じたのではあるまいか。結局、「かわいそうな彼」という存在に自己投影して、自虐に浸って気持ちよくなりたかっただけではあるまいか、と、今は批判したい気分になる。ただ、それらも全然分かっていなかったわけでもなさそうだ。ただ、単純に気持ち悪い奴を排除したいという気持ちだけで叩いているマスコミや某巨大掲示板の書き込みなどに違和感を思っていただけであろう)
2008/06/29
http://janimenavi.blog100.fc2.com/blog-entry-428.html
カテゴリをサイトにしていいのか悩むけれども。コードギアスの感想を書こう。
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こんな泣ける話だとはな。
ミレイの母親のはなし、そして今見たシャーリーの話。
もっと耐える心を、か。難しいよ。
しかし、一騎当千しかり、コードギアスしかり、やはり面白い作品はどんどん作られているのだなぁ。やはり、テレビなんかより、新聞なんかより、インターネットより、本より、やっぱりアニメは面白い。アニオタかぁ……まぁそういうことになるんだろうけれど。
でも、エンターテイメントに興じるのは危険だ。行き過ぎが生むのは、二次元への陶酔。理想自己の適切な把握、設定の不全。人格形成、精神耐久性に異常、などなど。問題が山積みである。
ここまで面白いと、もう三次元への興味が失われるのは事実だ。とすれば、やはり、アニメやゲームは、それ自体が問題なのか。アニメやゲームを面白いと思うような精神状態になってしまったことが問題なのか。どちらか。
事実は、もうこのこと以上に、現実に生きようとする気力が失われることだな。ああ、これは、Fateをやっていた頃の心境と近いかもしれない。
我が心の命令に従えば、このまま作品に没入すること。しかし、人生を総合的に見れば……、だが、「今を楽しむ」方策に従うことは、やはり……。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
〇〇大学院に行くということも、就職することも……なんだか、すべてにおいてやる気が……。
おぉぉぉ! これはかなり問題発生だ。ゲームやアニメを見ることが、これほど危険だったとは……。インターネットにだらだら興じていた方がよほど安全だったのではなかろうか。
まぁ、手遅れだ。できる最大の功績を目指そう。すなわち、
6時半起床、23時半就寝、だ。
2008/06/30
就職先採用決定!!
やりましたぁぁぁ!!!
わーいw
やはりなぁ。
落ちる気がしていなかったものな。引き寄せの法則は嘘じゃないなwww
紙に書いたことは、必ず実現するわけか。
ああ、じゃあ、理想の女性と相思相愛をはがしてしまったから、やばいねwww
ああ、でも、電話きて、緊張したよぉぉ。
ああ、録音しておけばよかったw
・なんやかんや皆このご時世(少子化問題、離婚率・生涯独身率の増加、「婚活時代」的状況)なので興味がある
・肯定派、否定派両者とも互いを敵として見ている
・肯定派・否定派といっても、その支持層が複雑
ex)既婚だが結婚イクナイ派、非モテの僻み系、その逆など
結局その人の価値観の問題なのにこれだけ盛り上がるのは、どちら側も何らかの不安があるんじゃないのかな。
結婚はイイモノって思ってる人も、もしかしたらこの先鬼嫁化するんじゃないかって不安があったり、独身でいいやって思ってる人も、本当に生涯一人でいいのかって不安があったり。
てことはどっちみち不安なんだから、どっちでもいいやー