ログ、おそらく、高校2年生の3月に書いたもの。ひどいものだ。小さい。小さすぎる。なんて狭い価値観なんだ。その小さくて狭い価値観の中で必死にもがいている。哀れ。哀れで言葉が出てこない。
今が一番幸せなのだなぁと、しみじみ感じさせられる。今までの人生、灰色だったなぁ、なんて思う人がいるようだけど、全くその通り。父親に、中学、高校といい思い出なかったんだね、って、この前帰省したとき言われて、「うん、その通りだよ。でも、それが悪いことだとは思わないよ」とは答えた。事実だろうね。
で、こうやって、過去を悲観してるだけじゃあ、昔の自分と大して思考力は変わっていない。さて、今は? ということ。今の思考は、狭い価値観にとらわれてはいないだろうか?
人と関わるのを恐れ、人を信じられず、孤独が好きだというのが狭い思考だというのなら、そうだね、何も変わっていないのかもしれない。
でも、決定的に違うことが一つある。それは、ちっぽけだけど、芯が通った自己肯定感だ。
ログに書かれていることから読み取れるのは、自己否定だ。自分を否定することを善としていると感じられるほど、自分を責めている。で、責めた結果、何か良い結果を出せているのかというと、そういうことではなくて、ちっぽけな結果と、疲れ果てた心だ。
今の自分に備わったのは、ちっぽけで、弱い自分すら肯定できる「強さ」だ。ああ、そうさ、僕は、自分の立てた計画さえ満足に実行できない愚か者だよ。そんな風に開き直ることができるようになったというのが、自分の大きな変化だと思う。
で、だ。
この変化の原因を、僕は何と考えているのか。
……だめだね。
思考のための思考をしている時点で、もう書くのはやめた方がいい。現実感あっての思考である。行動に対しての思考である。思考の中に逃げるのは良くない。常に、行動のフィードバックと、モニタリングをする。そういう気構えが必要だろう。ああ、くだらないことを書いた。