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シュタインズ・ゲート見終わってしまった
2017/09/06 21:20 | Comments(4) | 創作について
今日の一言「虚脱感」「21話までは文句なし首位」

永遠にラストを見なければ良かった

 うーむ、うーむ、うーむ!!!
 うわー、シュタインズ・ゲート、もうしばらく2週目でひっぱろうと思っていたけれども、もうどうしようもなく欲望に負けて、全部見てしまった。

 面白かった。
 とても面白かった。最近見た作品の中ではトップなのは間違いない。
 ただし……、しかし、何度も見たいと思えるかというのは、今の正直なところは微妙である。

 21話まではよかった。文句なしでよかった。どちらを選んでもつらい選択。その中で、どういった選択、行動をとるのかと、緊張してみていた。

 しかし、そうか……そういう方向に行くか。なんか、ちょっと、……うまーく書けない……ネタバレになるからという意味よりも、この自分の中のわだかまり感をうまく表現できないのだけれども、「なんか違った」。

よくまとまっていた

 ええと、ようやくアマゾンレビューとかいろいろ解禁してみてみると、まぁ高評価が多いけれども、低評価の人も少なからずいる。
「タイムパラドクスとか、古典的過ぎて、今更なに喜んでるの?」とか言う人もいるけれども、それは観点が違うと言わざるをえない。
 純粋なテーマを求めるってのは、純文学というか、「文化」である。
 もう一つ、「テーマ」を重視するものと、「表現」を重視するものがある。
 タイムワープ・リープとか、そういったテーマがすでに使い古されているから「面白くない」というわけではない。それを解釈し、新しい表現にしたものは、それだけで価値があるものである。ハルヒの夏休みとか、まどか☆マギカとか、時をかける少女とか、バックトゥーザフューチャーとか面白いけれども、それだけで人の鑑賞欲を常に満たし続けられるわけではあるまい。
(あ、そうだ、まどマギも最近みた作品の中ではかなり面白かった。あれもループっちゃあループだろう。もしかして俺はループものが好きなのだろうか……)

 君の名は。も、テーマ的に言えば、使い古された「男女の入れ替わり」ともいえるが、あれほど爆発的にヒットしたのである。「テーマが陳腐だから面白くない」という感想を抱く人は、もう一歩、自分の中で「つまらない」と思ったことについて掘り下げて考えて欲しいところ。単に流行っているものとか、みんなが「面白い」というものを批判してみたいという只の虚栄心のみの発言であれば聞くに値しないのである。

 その点、「主人公の中二病感が耐えられなかった」とか、「伏線が多いのは分かるが話が進まな過ぎて耐えられなかった」といった感想は仕方がない。そう感じることは悪いことではない。


 では僕はどうか。そんな、単なる虚栄心だけで、手放しで喜べないというのだろうか?
 違う。
 なんだろう、僕としては、確かに、意外に多くの人が高評価だったことが逆に「あれ?」といった感じはあったけれども、でも、素直に、よい作品だと思った。
 ただ、なんか、ちょっと物足りなかった。
 なんでだろう。なんでなのだろう?

ペルソナ4と比較

 しかし、何が物足りなかったのか。最近みたペルソナ4と比較して考えてみる。
 まず、単純に、どっちが面白かったかというと、シュタインズ・ゲートの方がよかった。でもそれは何故なのか。

 ある方が、「女性比率高すぎてちょっとどうなん?」と仰っていて、言われて「ああ確かに」と思った。ペルソナ4のときは、「リア充乙」と思ったこともあったが、シュタインズ・ゲートでは特に気にならなかった。これも何故なのか。何故なのか? と問うていて、きっと俺は回収する気がないから一つ挙げておけば、ペルソナ4は高校生で、シュタインズ・ゲートは大学生(?)だからかもしれない。あと、シュタインズ・ゲートは、その出会い自体が伏線だったり、その必然性が描かれていることも理由かもしれない。

最終3話あたりが微妙

 よくまとまっていた。大きな不満はない。昨今みた作品の中でトップなのは間違いない。
 しかし、なんか、22話、23話、24話あたりが、どうにも、消化試合みたいな感覚が芽生えた。特に、22話が微妙だった気がする。

 いや、こうなるから、まとめてみるのはよくないと思っていたのだけれども、それだけが原因でもなさそうである。
 実は後半、「●と〇が実は◆だった」ということが判明するのだが、この根拠がどうにも……どうにもなんか、ちょっと違和感があったのである。どうして「◆だった」という必要があったのだろうか? それなくても話は成立してたと思うよ? いやだって、主人公が大切にしてたのって、「◇は大切」ってことじゃないですか? 俺はなんか、その目的のために必死になってる主人公をいつの間にか応援してたのである。それが実は「◆だった」ってのは、そりゃ、「◇」がなかったことにはならないけれども、でも、終盤になってそれをもってきます? え、なんで……? と思った。

 それを顕著に思ったのが、22話だった。ここ、アマゾンレビューの低評価であるように、もうちょっとサクッっと進んでくれたら(※)、最後の感動も大大大になったんじゃあないかなぁと思う。

※いや、前半の冗長性はむしろ僕は必要だと思っている

虚脱感

 いやー、しかし、終わっちまった。見終わってしまった。
 なんか、よい作品(期待していた作品)を見終わったときの、この感覚は、「黄昏」って表現があうと思う。もう外は真っ暗だけど。

 そういえば、久々のネット環境かつブログである。

 いきなり、シュタインズ・ゲートの感想メモみたいなのを書いてしまったが、コメントなどたくさん頂いていたにも関わらず、返信が遅くなり申し訳ない次第でございます。




 なんか、その、かなり、……虚脱感である。

 ネット環境(PC)がないところにしばらく身を置いて、いろいろと、考える時間はあったはずなのに、もう、また普段の生活に戻ってしまう。

 体の疲れと、気持ちの疲労とで、つい作品鑑賞をしてしまったが、果たしてよかったのだろうか(いやよくない)。

(こういうリズムが崩れている時に、ルーチンをしっかり続けられるかが重要。結局感想も中途半端になった。まぁよかったところをもうちょっと次回とか書きたい気がする) 


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シュタインズ・ゲート面白い
2017/08/28 17:30 | Comments(8) | 創作について
今日の一言「ほんとは対人関係カテゴリだったのだが……」「後半の内容が盛り上がったせいでカテゴリ変更」



本記事の目的

引用:ある友人と会話をしていて、とてもダメージを受けた経験について書いてみたい
 ということで、本記事では、先日経験したことについて……と予告はしたものだけれども、そっから数日が経ってしまうと、どうにも、その「感動」(悪いものでもよいものでも)が薄れてしまう。

 だから、大事な体験をしたときは、すぐさま書いておきたいのだ。そうしないと、自分が消えてしまうような感覚になるのだ。とりあえず、思い出しながら書く。

お前は自分が良ければ良い人間だ

 君は、他人のことなんて、どうでもよいって思ってるよね。

 そんな感じだったっけ。それほど悪意は感じなかったが、とてもショックを受けた。
 しかも、これは、一度ではないことだ。

 大学生ぐらいのとき、ある友人からやはり、「君は、他人に興味がないよね。もっと興味を持った方がいいよ」とかって言われた。先日整理した記事からも出てきたので、事実なのだろう。誰から言われたのかも段々薄れてしまっているが。

 しかし、自分としては、世界平和を掲げて生きているわけで、そんな、他人なんてどうでもいいなんて思ってるなんて、そんなはずないじゃないか! と否定したい気持ちになったわけだ。

 と、同時に、まぁ、やっぱりそうなのかもしれないという気持ちもあった。
 この、ある程度の事実性、自分でも実はそう思っている、ということが、より傷を深めることになるという確認ができて、とても有意義に思えた。

自分が良くなくても良いって人はいるのか

 これは、「偽善」というものはあるのか、という、これまた別の友人と会話したときのことを思い出した。

 偽善とは、偽物の善いこと、……つまり、動機が不純である、というのが、その友人の主張であった(たぶん)。一方で、僕は、偽善も善も本質は変わらない、どっちでもよいと語った。

 その友人は、何か良いことをしたとき、「見返りを求めるかどうか」ということに着眼した。見返りも求めず、ただ、その行為がその他者にとってよいことであったとき、本当に喜ばしいと、自らも嬉しいと思えるのが善であると。一方、こうしたら、相手はこうしてくれると、見返りを求めるような場合、それは「偽善」であるというのだ。

 僕は、それを聞いてもなお、どっちも同じだと言った。
 前者が見返りを求めていないようでも、結局、「相手のためになって嬉しかった」ということが、見返りなのだ。その見返りのレベルが、金銭だとか、低レベルなのか、心の充足かなのかとう「程度の問題」はあれ、どちらも、本質としては「善」であると、僕は主張したのだ。

 それに、金銭なのか、心の充足(承認欲求・所属欲求)なのかであれ、それは、明瞭に区分できるものでもなかろう。動機なんてもんは、ある程度混合しているのである。

自分がよくて相手もよいのがいい

 ので、まぁ、傷ついたのは傷ついたけど、僕は、自分がよければ何でもそれでよい、とは思っていないと、やっぱり、明確に書いておく。

 ただ、自分がだめで、相手がよい、というのは望んでいないのは間違いない。

 本当は、僕が楽しいと思うことや、充実しているということをやって、それが、相手も喜んでくれるような、そんな関係、それがベストだと思う。

 でも、それって、みんなそうなんじゃないの? と思う。自己犠牲の感覚をもって、他人の笑顔が僕の笑顔です! みたいな人はいるかもしれない。でも、その人は、「自らの痛み」というのが、「気持ちいい」のである。「身を削って」「誰かのために」「頑張っている」姿が好きなのである。

 ……なんてこというから、変な奴、と思われるんだろうな(かっこ悲しみを含んだ笑い)。

なんか上手く表現できなかった

 と、まぁ、この記事の目的はこんな感じだけど、なんか、そのとき受けた強烈な感情を表現することはできなかった。淡々と、浮かんだ言葉を強引につないでのせたみたいな。

 うーむ。
 やっぱり、時間経過はもったいないなぁ。


 時間経過といえば、そう、シュタインズ・ゲートのことを書いておこう。

 まだ、15話ぐらいまでで、最後までみていないが、ここ数年の一番面白かった作品にランクインしそうだ。

 そういや、最近何見たんだっけ。
・カバネリ
・サイコパス
・君の名は。
・オルフェンズ
・カド
・ペルソナ4

 こんぐらい?
 あんまり見てないな。いや、きっともっと見ているのだけど、すぐ浮かんでこないということは、まぁその程度だったのかもしれない。

 上の順位をつけてみれば、

1.サイコパス
2.オルフェンズ、ペルソナ4
4.君の名は。
5.カド、カバネリ(※)

 こんな感じか。
※ある方のレビューを前提にすれば、順位はぐっと上がる。実際、最初の引き込まれ感は半端なかった。1話、2話あたりだけとすれば、カバネリが1位かもしれない。

 シュタインズ・ゲートは、堂々と、1位を塗り替えそうである。
 というか、ここ数年というほどでなくとも、これまで見てきたアニメーション作品の中でも、トップ3ぐらいになるんじゃないか、というぐらい。
 とある、熾烈な顔をしながら屈強な男どもが殴り合う話しか受け付けないという方にとっては物足りない作品かもしれないが、僕はホントに面白いと思った、思っている(現在進行形)。

 あまりにも面白すぎて、続きを見るのがもったいなくて、1話から見直し始めたぐらいである(しかも、見直すと、伏線にもより気付けるようになってさらに面白いという! しかし、1話は初見では全く面白くなかった。主人公にも、ヒロインの女の子にも全然興味をもてない……どころか、ウゼーぐらいに思っていた。――それがなんと、途中から「オカリンー!!」「まゆしぃー!!」とか叫びながら(大げさ)応援するようになっていったのである)。

 この、話の内容が、複数回みるごとに段々分かっていくというのは、たぶん、僕の好きな作品の一位なんではなかろうかという攻殻機動隊であったぐらいである。攻殻は、何度見ても面白い。話のオチがわかっても、なお面白い。
 僕はネタバレを非常に気にする。それは、オチが分かってしまうとつまらなくなる作品が多いからだ。できれば、シュタインズ・ゲートは、攻殻のように、オチが、答えがわかっても何度も見たいと思えるような、そんな作品であってほしい。

 ……ああ、あと、6~7話か、そこらしかないと思うと哀しい。

とある映画監督の話

 最初の目的と大分話がずれたけど、最後に、10代向けの哲学の本を読んで書いてたこと。
 ある、映画監督さんは、昔から、映画とか、物語が好きだったそうだ。
 でも、物語ってのは、やっぱり、物語の中(二次元)でしかなくて、現実は、「大人の論理」みたいなのに支配されていたんだそうな。
 そんなのつまんないっていって、その人は、自分の生きる意味、使命について、「ベテランの大人になる」ということに決めたのだそうだ。
 そして、その人は、ずっと、「青臭い」「そんな子供じみたこと」とか批判されながらも、自分が子供のころに面白いと思った物語を撮り続けたのだという。

 サイコパスみたときも思ったけど、物語を、ただ単に物語の中だけのことだとして、現実と別だとしてしまうのは、僕はつまんないと思っている。
 その映画監督の作品が面白いと僕が思うかはわからないけれども、ただ、彼のその感覚……ずっと子供の心をもっていよう、ということと、物語を現実から切り離してしまうのは何かいやだ、ということには共感する。

 物語で、「面白い」「美しい」って思う気持ちってのは、それは、現実でもやっぱりあっていいものだと思う。いまの現実はそうじゃないかもしれないけれども、本当は、それを目指すべきものなんじゃなかろうか。そこまでの道のりがいかに遠くて、高い壁のように立ちふさがっても、途方もない時間がかかりそうだとしても、それでも、体を向ける先はそっちなんじゃないだろうか。

 そうじゃなきゃ、面白くないよ。俺は、人生も、人間も、世界も実は奥底で嫌ってて、つまらないと思っているのかもしれないけれど、それでも、……同時に、そんなの、否定したいと思っているような気がするんだ。


(かっこ書きである。シン・ゴジラもみてみたいと思い始めた。しかし、来週もまた忙しそうだなぁ。坂道のアポロンもなんか、この動画みたら面白そうだなと思った。ああ、そうだ、次回予告か。今週は書けるかな。そうだな、シュタインズ・ゲートみてて、「いい人」って何かって思ったわ。俺、やっぱり、本記事の友人の言葉じゃないけど、あんま良い人間じゃない(人格がよくない)んかもしれんな。自己中心的……それは人間の本質だなんて、そんなこと言ってて、それは単に自己弁護だったのかもしれない。けど、それでも、自己犠牲がいいことだとは思わない……思わないんだけど、なんつーか、シュタインズ・ゲートのアノ子のアノシーンとか、ものすごく、深く心に突き刺さってきたり……って、ネタバレ気にすると何がなんだかわからんな)


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暇を持て余す
2017/08/13 22:18 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「創作に力を入れる」

創作進捗グラフ

 日単位のグラフが一部とびぬけたので、頑張った感があるけれども、月平均グラフをみてみると、月300字程度ということで、さぼり気味だったことが分かる(他の作品を書いていたのだといっても言い訳だなぁ。しかし、確かにこのツール、複数作品の進捗を表現できない。改良したい気もするが、アイディアが浮かばない。単純に作品ごとにツールをコピーして使っているが、全部アップロードするのは面倒だ……)。
 グラフって、その意味合いが分かっていると、一目で状況がわかるから面白いね。けれども、そのグラフの見方がはっきりしていないと、何を示しているのかさっぱり分からないものになりがち。なんでもグラフや図を使えばわかりやすいと思ったら大間違いである。
(某方は、毎日1000字以上書いているので、やっぱりすごいなぁと思う)

累計・月平均


日単位文字数

雑感

 それほど久しぶりの感じがあったわけではないが、約5日ぶりに書きます。
 あの、その、久しぶり過ぎて、どんな口調で書いていたのか、忘れてしまったので、取り敢えず丁寧語で書いてみます。

 三連休でしたが、基本的にお買い物以外にお出かけはしませんでした。
 主にやったことは、読書、作曲、プログラミング、小説の創作、筋トレでした。買い物は愛機で行ったのでドライブといってもよいのかもしれません。

 あんまり、ネットサーフィンして動画とかサイトをぼけっと見て時間を無駄にしたなぁとかはなかった気がします、が、よく寝ていたなぁとは思いました。普段、5~6時間ぐらいの睡眠時間のはずですが、それだと全然足りませんでした。8時間以上は寝て、お昼寝、夕方寝も必要となりました。インプットとアウトプット、どちらの方が大変なのでしょう? 感覚的には、インプットを必要としないアウトプット(自動出力)が一番楽ちんです。仕事などは、軌道にのっていると、適度なアウトプットで済む場合がありますので、あまり疲れなくても済む場合もあります。逆に遊びでも、短期間にインプットを必要とするようなものだとよく疲れます。

 久しぶりに書くので、何やら気乗りがしません。
 映画を何本か見ました。なんだっけ、クレヨンしんちゃんの……温泉の話。まぁまぁ面白かったです。父ちゃんのひろしがかっこいい場面がほとんどない話でしたが、ロボットとか戦車とかかっこよかったです。
 ところで、最近、しばらくPCを使っていると重くなってくるのは何故なのでしょう。メモリのお掃除ソフトなど導入してクリーンしてみますが、あまり効果がありません。タスクマネージャーで使用メモリとかCPU使用率とか見ても、さほど使われているようではなく、原因がよく分かりません。再起動するとよくはなりますが、仕方がないものなのでしょうか。

 そういえば、最近あまりチェックできていませんでしたが、株ですが、調子が悪くなってきました。先週ミサイルなんなりで、海外情勢が悪くなったからでしょうか。一時期、投資額の4%超えの含み益がありましたが、今や1%を切り込む勢いです。損切の基準をマイナス20%とおいていますが、しかし、配当を一度ももらわずに売ってしまうのは、しかもマイナス確定でというのは、中々勇気がいるものですね。これも勉強なのでしょう。来週の相場で持ち直してくれることを期待したいです。

 本って、いいものですね。
 しかしこう、僕の疑問に明確に、単純に、簡潔に答えてくれるものは、中々存在しない。
 きっと、これは、世の中が複雑だというよりも、「簡単に納得したくない」という思いがあるのかもしれませんね。

 つまり、「幸せになることが大切だ」ということが「答え」だとしても、僕は納得しないわけなのです。いや、「論理的」に、「その通りだ」とは思っていますが、「何か変だ違う」というのがどっかにあるのです。

 だから、探して、探し続けなきゃいけなくなってしまうのですね。
 本は、そういった答えを探す旅に連れて行ってくれるわけですが、しかし、ここで問題のその2。

 その旅が、途中で飽きちゃうようなものもあったりする。

 最初は面白いなこの旅行! ――と思っていても、しばらくすると、「なんだか、これ、結局意味あるの?」とか思っちゃったりしちゃったりする。

 本って、絶対最後まで読まなきゃダメ、という感覚が付きまとうけど、そんなことはないのです。「面白い!」って思っているとき、その時が一番大事なのです。その場面をしっかりインプットするほうが、イヤイヤ、だらだら最後まで読むよりはよっぽどましですよ。


 そういう意味で、最初から最後までべらぼうに面白い、って本は、なかなか見つからないよね。これは、小説でも学問書でもどちらでも。

このブログの元

 このブログも、そしてこの記事も、最初から最後までむっちゃくちゃおもしれーなんて、そんなはずはない。けれども、その、面白くない場面もあるから、面白い場面も引き立つのかもしれないね。
 物語でも、やっぱり、「敵役」というか、困難、課題がなければ、盛り上がらない。
 ほのぼの女の子がいちゃいちゃしているのだけを目指すなら、残念ながら、小説という媒体は不適切だと思ってしまう。漫画とかアニメの方が向いているよね。
(ニコニコ動画でJOJOとけもフレのMAD見てたら、けもフレやっぱり続きを見てみたくなった。AMAZONプライムさんかツタヤさんとかで借りれないかなぁ)

 じゃあ、ひっきりなしに戦っていればいいのか、というとそうではない気もする。こう、戦いに赴く動機とか、そのかけひきとか、そういうのが欲しいところ。ど派手なエフェクトはやっぱりゲームとかが強いと思う。

 では、文字でしか表現できないものとは何だろうか。

 ……なんなんだろ?

 とりあえず、このブログは、「生きる意味を徹底して考える」というタイトルであるから、そういう方向で書かなきゃいけないだろう。
 テーマだ。プロット(物語の骨格)を立てるときも、テーマがしっかりしていないから、悩んだりブレたりするのである。書きたいことをはっきりするのが大事だ。

 書きたいこと?

 ――書きたいから書くんだよ、それの何が悪いってんだ!

 いや、まぁ、それはそれで悪くないと思う。けれども、まがいなりにも、いくら辺境奥地の辺鄙な場所で、訪問者などほとんどいないような所でも、公開しているという以上は、ある程度の、「主張」がなくてはならないのではなかろうか?

 仮に、だ。検索かリンクか何かで、このブログに到達した稀有な方がいたとして、「そうだ、俺も、生きる意味を求めて旅をしてきたのだ。この村(ブログ)に、何らか手掛かりがあればいいが……」とかいう人がいたとして、てんでわけのわからないことばかりを書き連ねていたら、その人をがっかりさせてしまうのではなかろうか。

 このブログを書く意味……とかいう記事でも、「誰かの役に立ちたいのだ」と書いていたではないか。

役に立つ

 うーむ、しかし、その役に立つというその言葉も、「意味とは何か」という問いと同じように曖昧模糊でござる。
 役に立つってのも、「あーこんな駄文書いている人もいるんだなぷぎゃー」的な、優越感をその読む人に与えられるのであれば、別に、内容がボロボロでも役に立つかもしれないというものだろう。詭弁か? そうかもしれない、でも、役に立つという定義もしっかりおいておかねばなるまい。

 しかし、そういう意味では、別に、どう役に立ってもらおうが構わない。たまに、「あーそういうこともあるんだ」「そういう考えもあるんだ」的な何かを与えられでもしたら万歳でございます。

 そして、それがなくても、とりあえず、未来の自分にとって、この三連休が、何やらやっていたのだな、ということが分かれば、まぁまぁ、それだけでも役に立つ……のじゃあ、なかろうか。

(買い物に行って買ったものを整理したり、ご飯作ったり、食べたり片づけたり、掃除したりという時間が、地味に大きな時間……いや時間というよりも、精神時間を費やすことになっている気がする)

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現実と虚構について(ペルソナ4感想続き)
2017/08/01 23:01 | Comments(4) | 創作について
今日の一言「信じたいものを信じ、見たいものを見る」「独善が悪いことであって現実と虚構の問題ではない」


創作進捗グラフ作成ツール(お知らせ)

月またぎの際に、文字数(日ごと)が引き継がれないため、一部関数を修正。ver1.1として修正しましたが、データ移行するほどの修正ではないため、気になる方、直したい方は、「C10」セルに以下の数式を入力すると、前月の文字数(日ごと)が引き継がれます。原本シートを直しておくと、今後「シート追加」した際にも反映されます。

=IF( ISERROR(INDIRECT(B5&TEXT(D5-1,"00")&"!D8") ),0,HLOOKUP(C7, INDIRECT(B5&TEXT(D5-1,"00")&"!C7:AI10"),4,FALSE) )

希望の声があればver1.1を公開します。

日々の日課

 創作のルーチンを組み入れると、平日が本当に、よく言えば有意義になるな。悪く言えば、忙しくてつらい。
 まぁ問題はそこじゃあない、何をやるかは別として、「自分で決めて始めた」という点が重要である。明確にいつまで続けるというのが無いから、気を抜くと簡単にやめてしまうような状態。早めの目標設定が必要だ。もちろん、大きな目標としては、一つ作品を完成させられたらいいのだが、それは目標とは言わない。もっと具体的、数値的にあらわせるものが目標だ。
 100万円稼ぐというのは、目標とは言わない。節約して実施するのか、投資をするのか、何か月でためるのか、何年でためるのか。いつまでに何をどうする、というのが目標には必要だ。

現実と虚構

 先日の、ペルソナ4の感想の続き。
 もう少しだけ書いておこう。今、眠くて……仕方がないが。
 ええと、「現実から目を背けるな!」「人との関わりを諦めるな」「自分の殻に閉じこもってるんじゃない」というのが、どんな物語でも、よく主人公陣営として語られることである。

 それ自体悪くないと思うんだけど、でもさ、「現実史上最強最高!」という人が、創作(エンタメ)に触れようとするだろうか?

 本当に、大切なのが「現実」だけであるという人は、まさしく、テレビもアニメもゲームも映画も小説も何も触れずに、ただ「現実」のことだけを行っていることだろう。

 じゃあその、現実って何? といったとき、想像すれば、お金を稼ぐこと(資本主義)だったり、日々の労働だったり、子供を育てたり、彼女とデートしたり、美味しいご飯を食べたり、スポーツで汗を流したり……と、そういったものだろう。

 しかしだ、よく考えてみれば、今上にあげた中で、本当に純粋に「現実」といえるものがあるだろうか?

「お金を稼ぐ」という手段はいろいろあるが、いわゆる、エンタメ産業(アニメーターや小説家、映画やドラマの俳優さんとか)って、それは「現実」なのかもしれないが、同時に創作(虚構)も取り扱っているということである。

 なるほど、子育てはまさしく「現実」かもしれない。しかし、エンタメに触れずに育ってきた人なんているだろうか? 日曜朝の戦隊ものとか、魔女っ子系のアニメとか全くみたことない子がいるだろうか? 人形遊びや、ブロック遊びをしたことがない子はいるだろうか? ましてや、昨今はゲームが広く普及している。


 そういったレベルのこともそうだけれども、僕はさらに、じゃあ「社会」というのは、本当に「現実」といえるのか? とも思う。
 資本主義というルールや、法律でさえ、ある意味決まりきったルールの上になりたつ、僕らの「解釈」の総体である。
 学校という場では、先生と子供という、ロールモデル(役割)が存在する。先生は先生らしく権威があるようにふるまい、子供は子供として従順となる。

 そんなことを昔から何となく思っていたから、サピエンス全史で、いやいやそもそも、「言語という発明は、現実にないものを創造することができるようになるのに寄与した」といった表現に、僕は非常に感銘を受けたりしたのだった――はなしをもどそう。

ペルソナ4で現実は大切というけれど

 ある方が、「リア充とか非リア充とか、そんな見方はしてなかったなぁ」と書かれていた。そのあたりも、いずれ書いておきたいと思っていたが、それは今回は置いておいて。

 まず、書いておきたいのは、「現実と向き合えよ」というテーマは、それはとても重要なのだが、それをそもそも「二次元」でやるってのは、結構難しい問題をはらんでいると思うわけである。

 これは、エンタメに対しての立ち位置というか、とらえ方というか、「活用方法」的な、全般的な問題に対して、僕は書きたいのかもしれない。

 ここで、便利だから、某方から頂いたコメントとして、「政治のことも、しっかり書くのが、大人としての役割だと思います」的なものを引き合いに考える。
 政治は確かに、「現実」ちっくなものである。だが、政治こそ、非常に「虚構」が必要であると思うわけである。
 政治というのは、ある意味「理想」を語らなければならない。本音と建て前という個人レベルのことも大きな問題ではあるが、そもそも、私たちの生活や、国のあるべき姿というのは、非常に抽象的な概念である。

 そりゃ、ごみの出し方について、これからは有料にしますとか、図書館のシステムを更改しますとか、その生活に密着するレベルであれば、さほど抽象化は不要だろう。しかし、多くの人、国民などに理解をさせて、大筋、「それが正しいんじゃないか」「そうするしかないんじゃないか」と思わせるためには、抽象――虚構の言語表現が必要になるのである。


 話がそれるな。ペルソナ4の話だ。
 つまり、先日挙げた、真犯人氏(人間としての)は、何故糾弾されねばならなかったのか、ということである。

 それは、「現実なんてつまんないものだろ」という点ではなく、単に人を殺した(これも疑問なのだが)からであるのだ。
 彼の主張は、「現実なんてつまんないし、人はいずれ死ぬから、好きなように生きて、自分の心に正直になることが必要だ」というものである(たぶん)。
 これだけ聞くと、非常に自己中心的な、子供がダダこねてるようにも思えるだろう。

 しかしだ、「人はいずれ死ぬのだから、好きなことや楽しいことをとことん突き詰めて、自分に嘘をつかずに正直に生きていくことが大事なんだよ」と、微妙に言い換えれば、これはこれで、「あり」なんじゃないかなぁとも思わなかろうか?

 今あげた例との違いは何か?

「現実はつまらない」

 という前置きだけである。――しかし、ここで疑問は、「現実がつまらない」からこそ、その真犯人氏は、おのずから、退屈な田舎町での生活を楽しくするため、行動したといえなかろうか?

 そうすると、糾弾されるべきは、「他者に迷惑をかけてしまった」(自己中心的な思いで女性を虐げた)ことに尽きる。
 しかし、この「迷惑」という概念も、非常に難しい問題をはらんでいる。「いやだと感じたら迷惑」……しかし、「いやだと感じられることがそもそも迷惑だ」という繰り返しの応酬になる可能性もある。そういったことを防ぐため、「法律」(民法)という第三者が判断するルールがあったりする。

中々言いたいことに到達しない

 眠気、マックスファイアーである。もうダメだ、寝よう。

 あーその、なんだろ、上手く考えていること、思っていることが表現できない。

 そもそも、「性格がよい人」って何なんだよ、って僕は、帰りの電車でずっと考えていた。
 人格者とは、いったい何なのか、と。

 どんな感情や、思考体系があれば、その人は優れている人ということになるのだろうか?

 横断歩道で重い荷物を持っている老人がいたら、助けてあげようと思う心があること?
 嘘をつかないこと?
 自分の心に正直なこと?


 そんな聖人レベルの人格を持っている人なんて、神様か、仏陀か、キリストか、マザーテレサかガンジーか、そんな感じかもしれない。
 でも、やられたらやり返す、10倍返しだ、的な、こう、仲間のためなら敵に対して徹底的に残虐になれるような、そんな人もかっこいいような気がする。(風龍のザザさんとか)

 あー、ねm


(短時間・短文で、自分の考えや感情を明確に正確に瞬時に伝えられるようになりたい。なんというか、敵意は、だれに対してもないのだけれども、それを伝えるのが難しい。しかし、その、誰も憎まないというのは、誰も愛していないというようなことかもしれないとかなんとかかんとかもう寝よう)


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ルーチンは継続が重要だ
2017/07/31 22:19 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「ペルソナ4見終わる」「ほぼ100点、しかしまだ望む」

(創作グラフの「0」文字は、免除規定! まだ続けられている……しかしきつい。気を抜くと倒れそうだ)

現実に目を向けたって……

 あー、おー、見終わる。
 犯人が、二段階、三段階と、真実に近づいていくとは、ストーリーとしてもすごいなぁと思った。
 以上。

 ……身体が、重い。肉体的にダメージが。(作品を見たからではなく、ここ数日、予定があって頭と身体を使ったため)

 こんな状態で見るような作品ではなかった。もっと万全の態勢でエンディングまで見たかった。しかし、寝る前に1話だけ……とかそんな軽い気持ちで見始めたのがいけなかった。
 以前から、エンディングに近づくと、小説でもアニメでも何でも、自分が置かれている環境を一切無視し、プライオリティマックスファイアーで最後まで読んだり見てしまう、そんな癖を分かっていたのに、やってしまった――後悔。

 何がいけないか、というと、体力が残っていないときに素晴らしい作品を見てしまうと、それを振り返るだけの頭の余裕がなくなるからだ。――面白かった、以上(しょうなみかん)てきな感じになってしまっては、なんとももったいない。

 ので、体力が尽きるまで、取り敢えずメモを行う。

話としては分かりやすかった

 真犯人(人としての)については、具体的にどこかは忘れたが、かなり序盤から推測していた。根拠はなかった。けれども、この人、真犯人っぽいなぁと思っていた。その意味では、意外性はなかった。
 むしろ……なんか、動機が、経緯が「こじつけ」に思ってしまった。まぁ、「真犯人」にするのだから、具体的な描写などにおわすことはできないのだから、ある程度仕方がないのだろうけれども、その点はいまいちに思った。

 二人目の容疑者について、「僕だって、……殺してやりたいぐらいですよ」というセリフと描写、あれが逆に、すげー違和感になって、僕に「この人を犯人にしたいんだろうなぁ」という感覚を強く与えた。なんでそう感じたかはわからないけれども、決定的に真犯人感が高まった。

 まぁ、そういったストーリー的な、構成的な、描写的なのはいいんだ。

 とにかく、「面白かった」。

 面白かった理由を挙げるのも事欠かない気がするが、それより、今一番メモしたいことを次の章へ。

現実なんて基本は退屈でつらいだけだろ?

「うまくやれるやつは最初から決まっているのさ。才能というチケットを持ってる――(奴だけ)。そこに気づいちゃったら絶望だけ」

 真犯人が誰かとか、実はそういう点をあまり気にしない(そういう意味で、推理ものとかサスペンスとか、嫌いではないのだけれども、あまり読んだり見たりしない)。むしろ、その「敵」が魅力的かどうかを気にする。

 そういう意味で、100点! を挙げたい。
 某ミツオくんも良かった。――ミツオくんというか、彼のペルソナ(シャドウ)が良かった。シャドウの精神攻撃も実によかった、えぐられた。
(あの、地獄少女? だっけ? あれらに出てくる「敵」は非常に退屈だった。単に人間の嫉妬とか、見栄とか、怒りとか。そんな単純な感情にほだされて他者を貶めようとする程度の敵は、非常につまらない。それこそ、現実にたくさんいるだろう。で、そんなやつを倒したところで、一時のカタルシスにもなりゃしない。愚痴吐いて「あーわかるわかる~」的なレベルのポジティブさなど、僕は「認めない」。(認めないという表現が一番しっくりきたから、とりあえずそのまま書いといたけど、他者のその気持ちを認めないわけでは決してないことは書き残しておこう))

 そういう意味でだ、真犯人(人として)は、非常に多くの名台詞を頂けた。

 ……いま思ったが、僕が真犯人に「いきなり感」を思ってしまったのは、「名台詞」ゆえに、そこに行きつくまでの、そのお方の来歴が不十分に思ったからかもしれない。
 その点、某ミツオくんの方が僕はしっくりきた。なんか、リアリティがあった気がした。


 そうは言ってもだ、やっぱり真犯人さんも悪くない。

「どんなやつでも、80年もしたら終わるんだからさぁ。だったら、シャドウ(影。自我を失い精神世界を彷徨い続ける)になったほうがましだろう?」


 だがそこじゃない。ここで、そのお方の良いセリフを挙げていくのも悪くない。僕が、いま残り少ない時間で書いておくべきは、……。

お前の理屈なんて子供以下の単なる我がままだ

「社会と折り合うことを投げたら、生きづらいに決まってる!」
「生きるのもいや、死ぬのもいや、人であるのも放棄しようとしている! そんなの、ダダこねてるだけじゃない!」
「お前は選ばれたんでも何でもない! ただの犯罪者だ!」

 まぁ、いろいろ言われて、力を取り戻した主人公陣営に、そのお方、涙目になって負けちゃいますよ。
 まぁ、人類的にはその方がいいと思いますよ。

 でも、僕は思った。

 ――いや、なんか、話し合いとしてはお互い全然なりたってなくね?

 と。
 なんというか、だ。ぐだぐだ言ってないで、現実をしっかり生きなきゃだめだ、という「大人」な主人公陣営の考えも意見も分かる。
 分かるんだけど、この戦闘シーンにおいての会話(議論?)においては、どっちが勝って、どっちが負けてとか無いと思った。

 結局、主人公たちが、暴力で敵をねじ伏せただけなようであった。
(これは、ペルソナ4中盤あたりから、「自分と向き合ってシャドウを倒し新たなアルカナ・ペルソナを手に入れる」というのが、なんか単純に暴力的にシャドウを倒しているように感じ始めたのと似ている)


 何を言いたいかというと、別に、世界をシャドウの世界(自我が失われて魑魅魍魎と化した世界)になった方がいいというわけじゃない。
 そうじゃなくて、「現実なんて……」とか言ってしまったり、思ってしまう人に対して、「それは絶対に間違っている」と言えるような、そんな表現・論理が、欲しかったというところだ。

 現に、真犯人氏は、暴力で負けた後、「つまんねぇ……。まぁいいや……どうせもうすぐあっち世界はなくなる……」とか言っちゃう。

 いやまぁ、ここで、真犯人氏が、暴力でも、論理でも負けたただの敗者であることを決定づけられるわけだけれども、僕はここで「すっきり」とか「すかっと」とかしなかった。
「ああ、また一人、救えなかった人が増えたのだなと」


 いやまぁ確かに、そりゃあそうさ、間接的とはいえ、人を二人も、それも身勝手な理由で殺した奴に、同情など必要なかろう。実際問題、その「犯罪行為」自体は何ら認められるべきものではないし、その点においてはただのおぞましき犯罪者である。

 その点と、切り離してなど考えてはならないだろうから、本来このシーンは、主人公たちがついに犯人を追い詰め、これまで培ってきたペルソナ・絆の力で敵を粉砕するという、清々しいシーンなのだろう。

 だが、足りなかった。

長くなったから強制まとめ

 だからさ、「犯罪行為」の「言い訳」としか捉えられなかった点が残念だと思ったわけ。

 だから、真犯人氏までで、この物語が終わっていたら、僕は「残念だった」という感想を抱いたことだろう。それが、ほぼ100点と思えたのは、超犯人氏が最後に登場したからである。

 超犯人氏もまた、名台詞の数々を残してくれたわけであるが、今回の記事の目的とは少しずれるので、ここでは書かない。
 しかも、超犯人氏は、字義通り人知を超えてらっしゃるので、思考対象とするのはいささか難しい点もあり……


(体力の限界のため強制終了)

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