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3年前の思考と比較して
2014/07/04 18:48 | Comments(0) | ポジティブ思考
しきりに、人の利己的な面を主張していた。それは間違いではないが、何故そうまで、日記にかくまでして言わなければいけなかったのか。

未熟さ故の誤り、と、経緯を知らなければ思う。今の僕も同じ。
しかし、それは、論理ではなく、苛立ちの感情表現だった。日記にたいしてのコメントは、とても正しいのが多い。
今の自分であれば、むしろ他者のコメントに同調する。
 
しかし、そういった正しいコメントに、興味がないと返信している自分というのは、とても恥ずかしいながら、よく分かる。論理にみえて、感情をぶつけているだけ。それに気付いた人はとても少なかった。

そうとはいえ、3年前の記述で、それを気付いてほしいとは、幼稚すぎる。

世の中の不条理なところ、それはもはや問題ではなく、いったいどうしたら、自分を表現できるのか、それを考えるべきなのだ。

そして、この気付きは、きっと誰もが当たり前に分かっていることなのだが、それを、分かっていない3年前の自分に分からせるのは、困難だ。

言葉では、絶対に解決しない。
哲学や思想は、なにも救ってくれない!


運がよかったのだ。
しかし、そういう結論にはなりたくないし、それは、これからの糧にはなりそうもない。
けれども、絶対の真理がなくなってしまった以上、なるようになる、こと以上に何もない。


ポジティブ思想とは、失敗したのはたまたまで、成功したのは自分のおかげと考えるものだが、そうじゃない。失敗も成功も、どちらもたまたまだ。


僕がいままで触れてきた思想や考え方で、一貫して矛盾がないのは、空の考え方以外ない。

中学生のときの思想は、人は楽しむために生きるというものだ。これは絶対に正しいと思った。すごい発見だと思った。しかしこの考え方は、自分の生き方にちっともプラスにならなかった。それどころか、それ以降のどつぼへの道を加速させたのかもしれない。

空は、あるがままのこと。それは、現状追認か。現状を認めるのはその通りだが、すべてを自分の責任と受け止めて、主体的に世の中を渡っていく。それは、単なる現状追認ではないと思う。


虐殺とか、極端な例をもちだすまでなく、まずは、自分のまわりの環境から考えるしかないのだ。

実存主義で、世界の真理なんかより、俺自身の問題が重要だ! と言い切った哲学者がいたではないか。


そうなったとき、自分の問題は、自分にしか解決できない。空の思想がいくら正しくても、それを実践するしか、救いの道はない。


正しい考えと、正しい行動こそが、結局のところ、中学生のときの思想を実現する唯一の方法というわけだ。

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