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「the last of us」の動画をみて徒然書く。書くことの重要性について
2015/05/23 20:50 | Comments(0) | 目的・目標
何の気なしに「the last of us」の動画をみたら、面白そうだった。プレイ動画、全部みたい、けど、長い。しかもこれもしかして、続編もあるのだろうか。



バイオハザードみたいなストーリーのようだ。バイオハザードも、怖いの嫌だから敬遠していたけど、映画みてみると面白かったし、ゲームのプレイ動画もみてみると面白そうだった。
けれども、長い。長いのは、もう年を取ると疲れる。いやというよりも、長くてもいいんだが、続編がでるのを待たないといけない。
今、待てているのは、無職転生と、ゲームオブスローンズと、アイアムアヒーローと、進撃の巨人ぐらいだろうか。キングダムも、テラフォーマーズも、ドリフターズも、攻殻機動隊ARISEも、面白いし好きなのだが、如何せん更新をチェックして待つことができない。気付いた読むのだけれど。

そういう、熱い思いがないから、一般人なのだ。だから、それを話題にして人と話ができないのだ。ある先輩は、ものすごくバイクに詳しい。僕も好きなことだから、話しを聞いていて面白いし、だからこそ、それがどれだけ深いことなのかもわかる。いや、たぶん、深くはないのだろうその業界の人たちの間では。でも、一般人、興味がない人からしたら、かなり深いと思う。
ある先輩は、ものすごく映画に詳しい。そして、それを一般人にも分かりやすいように話せる能力もある。
昔、学生の頃は、アニメ見てたり、漫画読んでるだけで「オタク」みたいな風潮が、あった。
オタクという言葉自体があまり浸透していなかったころ、さらに、連続幼女誘拐殺人事件の犯人がオタクだったといった報道がされたことが、子どもたちにとっては特にその影響を強く受け、扇情的にオタクという言葉を使うことになったのだろう。

ただ、オタクの話しは面白いと思う。そして同時に、オタクになれないなぁと思ってしまう。何でだろう。記憶が残らないからなのだろうか。
……こういった話しをするときは、そもそもオタクという言葉の定義が必要だ。本当に、家に引きこもって誰とも会話せず、好きな物の蒐集を続ける、そういう人もいるだろう。
そういう人になりたいとは特に思わない。いや、できたら楽しそうだなとは思うけれども。

ただ、最近ふと思ったのは、俺は人が嫌いだ嫌いだととずっと言ってきた(要検証)けれども、自分が好きなことを誰かと一緒にするのは楽しいのだなと思った。
ただ、「気を使う」というのがあれば、大変だ。昔は、その気を使うという加減がよく分かっていなかったのだろう。そう考えると、成長したなぁと実感する。よいことだ。戦うのは常に、他人とではなく、昨日の自分とだ。

GTA5で新しいクルーに参加したが、クルーのメンバーとメッセージのやり取りをするのも楽しいと思う。もちろん、表面的だ。だが、強盗ミッションなど、4人集まらないとできないミッションで、野良(知らない人)とやるよりは、やはり断然面白いと思う。

それが今度、インしたら必ず挨拶すること! みたいな何かルールができてきたり、眠くなってやめたいときに、やめづらくなったり、そういうことが起こり始めると、やめどきだ。


宮台真司という社会学者が著作で述べていたと思うけれども、「軽い関係大いにOK」ということだ。勝手な解釈かもしれないし、引用元も不明だが、僕はそう捉えている。今日はこの人と遊ぶ、明日はこの人と。この話題はこの人と、あれはこの人と。のような、選択的な関係を多くとれることが重要だ。そのためにはコネ、人脈が重要だ。それは仕事もそうだ。だから、コミュニケーション能力は重要だ。コミュニケーション能力とは、相手に情報を伝える能力だ。そのために共通の様式があった方がよい。だからマナー、一般常識、時事ニュースを抑えるのは重要だ。――ということが導かれていると考えている。

だから、いろんな組織にいって、名刺だけ置いてくる、みたいな営業は意味あるの? と思ってしまう。
そうそう、あの、ウィルスミスの『幸せの力』で、営業が成功したのも、フットボールの試合を一緒にみにいったからだ。で、フットボールが確かに好きだったから、話しがあったから……か? いい例を思いついたと思ったが、微妙に違うかもしれない。多趣味なことはいいことだよね、ぐらいな結論……だろうか。



やっぱり、文章を書いていると、いろいろ見えてくるな。
最近能力として向上したのは、文章の構成力だ。いやもちろん、この記事とか、ダメだしばかりになる。今やっているのは、考えていることのメモのようなものだ。時系列もへったくれもない。
構成力、というよりも、言葉の吟味に鋭くなったといえる。まだまだ、一般人レベルにも到達していないと思っている。ようやく、小学生レベルになったといえる。卑下もあるが、結局、難しい言葉を書いても意味がないという事なのだ。

分かりやすいように砕く。徹底的に砕く。そうすると、自分が何を考えているのか、何が問題なのかわかってくるとういことなのだ。書いてみないと分からないことも多いし。

最近どうも落ち着かないなぁと思うのは、文章をさぼっているからなのだ。日記も、ブログも何も書いていない。仕事で書くことが多いから文字が嫌になったのかもしれない。
けれども、仕事の書くと、思考の整理のための書くは全然違う。

と、最近思ったから、毎週土曜日か日曜日かに、日記を書くことにしようと、決めたはずだった。その「最近」とはいつのことやら……。

まぁ、計算練習とか、英語の勉強とか、徐々に習慣づいてきたものもある。少しずつでよい。人生は限られている。午前3時半ごろ、死ぬことについて考えたが、怖かった。
何が怖いかというと、よく分からないまま死ぬことだ。今死んでしまうと、俺はなんだったのか分からなくなる。だから嫌だなと素直に思った。

俺はなんなのかを明らかにするのが、人生の目的なのかもしれない。
聖人、は分からないが、一般人の私としては、自己を中心に物事を考える事しかできないようだ。その考え方以外を試したが、失敗した。ので、その方法を、今から変える必要は、もはやないと思う。50代になって、変わるかもしれないが、それはそれだ。

ゴールがあるとして、角度が45度ぐらいずれたまま歩いて行ったとしても、ゴールには近づいている。ゴールから反対方向に歩いていたとしても、体力がついている。
ゴールを目指して行った行動に、無駄なことなんてないのだ。
というのが、根本の、ポジティブシンキング。

「そうはいっても」として、時間には限りがあるから、ゴールに近づくためには、効率を考えて、無駄なことはできるだけしないようにしよう。
というのが教訓。直近の目標ともいえる。


時間だからここで終わり。きりがないからね。

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