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残業について
2012/09/27 20:06 | Comments(0) | 対人関係
自分の考えなど、無駄なものである。個性など必要ない。

残業とは、無駄である。

そういった認識が、一般常識である。
では自分の上司はどう考えているのか。上司の上司はどうか。人事はどうか。会社組織はどうか。

全く別問題である。

そして、自分がどう思うのかが、最低辺にどうでもよい。


埼玉の公務員が800万の残業代をもらったという。
それについての熱い批判や、なだめるコメント、諸々ある。それ自体が大事である。





昨日あるきっかけから、古い知り合いたち数人に連絡をとった。

そのとき気付いた。
僕は、「関係」をみている。

今に始まったことではないが、一つの具体的エピソードだ。

直情型の人をよくみかける。
ああなりたいものだ、と思うことはある。

しかし、僕はやはり、感情が希薄である、この表現は厳密ではない。
自分のことを、棚上げしている、これも正確ではない。

とはいえ、そう表現するしかない。思考が優先される。そしてその思考は、意識しなければ止められない。


大多数が苦手なのは、処理能力がおいつかないからである。つまり、愚か者なのだ。ダメな人間の典型である。

だから、仮想人格の構築を思い立ったのはなんら不思議ではない。

考えが止められないなら、委任してしまえばいいのだ。



しかしこれは、最適解を見つけようとするあまり、螺旋のごとく沈んでいく罠である。

人生とは、自分の未来のことである。

ゆえに、解答は、自らが描き、かつ、採点も自分なのだ。




それでも、基本的ルールは存在する。人を殺してはいけない。しかし、人を殺すことを解としたら?

1980年代後半のMの事件は、100点だったのではないだろうか。


こういった思考に陥らないように、基本的ルールは、反射できるように刷り込まなければいけない。それが初期教育である。
思考の何たるかを知らない人間は、ルールを守れない人間になる。思考を知らない人間は、ゆえに反射だけがあればよい。

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