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外部刺激によるインプットと思索とのバランス
2016/05/08 16:11 | Comments(0) | 当ブログについて
初めてスマホからの投稿。

タグが反映されるのか



一つメモしておくべきは、タイトルの通り。
例えば、生きる意味という疑問を抱かない人は抱かない、と僕は切り捨てているが、キルケゴールは、絶望を普遍的なもの、としている。

著作を読み進めるうちに納得はしてきた、ただ、それでも、その教化が果たして必要かはわからない。いや、たぶん現代社会にはそぐわないのだろう。

むしろ、怪しげな成長戦略とか、自己実現といった言葉のまやかしによって、資本主義的神を崇め奉るのである。


このメモについて、いわんとすることそれは、決して、その中身だけではなくて、結局やはり、自分一人での思索は限界があるのだ。
ただし、いわゆる自己啓発本、新書的な書物では、もはや足りない次元に到達しているのである。


ところが、残念なことに、頭がよくないのと勉強のたりなさゆえ、あまり専門的になると、とたんによくわからなくなるのである、ただ、それは解説がよくない。

そして、僕が求める分野はあまりにもニッチというか、というより、需要がないのであって、解説が少なく、体系的に不十分なのである。

と、凡人でありつつ、いや逆に、凡人らしく、ひとのせい、にしてみた。

自己肯定感をつくりだそうという試み、例えば、四門出遊の仏陀の心境であるといった、そんな崇高なものに結びつけてみるのである。

ただ、体系としては、キルケゴール、仏陀の思想というのがとても参考になると思う。

まとめ


アウトプットまたは行動ができなくなったときは、インプットの不足である。
そのさい必要なのは、専門的な体系。

当ブログは、その体系の整理のために用いる。
















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