今日の一言「人と繋がるということ」
なんか、そういえば、20代ぐらいのときから知り合った小説関係のネット友達の方が、「君はもうリア充になったんだね……」といって去っていったような気がしている。
改めて哀しい。
リア充というか、一時期、ネト充ではあったかな。
ただ、結局、なんというか、基本的には「孤独」な根っこがある人間だということは改めて思った。
1存在、体験ベース
2社会的、関係性ベース
3成長・自己表現ベース
4生物的(種の保存)
5精神・哲学ベース
ボクは、この5つだと思っている。
一般的には、1から、4あたりで、満たされている人が多いと思う。
これは単純でいて、すごく説得力あるタイプでもある。ばかにできない重要な視点。
というか、これがないと、日々つら過ぎる。
つねにそれ以外の生きる意味を見たしつづけることはできないので、ちょくちょくこれを取り入れる必要がある。
人は社会的な存在であるため、誰かのために、誰かを支配し、というそういうところに充実感を覚えるのである。
完全孤独、で生きる意味を満たし続けるのは難しい。
その証明は、まさにこのブログである。
完全ローカルな日記では済ませられない、僕の承認欲求的なサムシングがここにあるのだろう。
仕事も頑張っている。
一応頑張っている。
何故頑張るのか?
それも生きる意味を満たす一つの要素だからだ。
でも、これがなくてもよかったのではないか、とも思ったりする。1とか2だけで、十分幸せ……みたいに感じられる人もいるんじゃなかろうか。
ボクはただ、知ってしまった。ただ漫然と生きるというのでは、ボクは充実感を得ることができないということだ。
夢中になって遊べていたゲームもあったが、いろんな要素で「飽きる」ことが起こってしまう。
MMORPGはもしかして、それが避けられるのではというわずかな希望もあったが、「現実に引き戻される」「所詮はゲーム」という衝撃を与えられてしまったため、もう過去のようにのめり込むことはできない気がする。
それは、そのショックを受けて休止した特定のジャンルの(ふせる必要ないから書けばFF14という)ゲームだけじゃなくて、その他のゲームであっても同じであろう……(そう思っていた、知ってたから、だからこそ、ボクは、もう本当に精一杯遊んでいたのだ)。
だから、子孫を残さなきゃという欲求からは逃れられない。
これも、40代、50代、になって独身だと、「生物失格だ……」とすごく落ち込んでつらい気持ちになってしまうが、しかしだからといって生きる意味というのは、多面的であり、必ずしも種の保存だけがそれではない。
それに、言い訳がましいというか、酸っぱい葡萄理論的ではあるが、10億年後には海はすべて蒸発し、現存する人間は今のような生活は絶対できていない。
50億年後には、赤色巨星となった太陽に飲み込まれて、地球自体がなくなってしまう。
いずれ、人が生きたという痕跡はすべてなくなるのだ。
NASAが行った、宇宙にレコード(記録)を放ったプロジェクト(ボイジャーのゴールデンレコード)では、若干残るっちゃ残る。
宗教やスピリチュアル的な生きる意味というのもある。
宗教は、サピエンスが7万年ごろの認知革命を経て発明した機構であると思うので、「神」という存在を信じるということは中々難しい。
信じられる人を、否定する気持ちはない。なんか、迷惑かけてくるとかじゃなければ、信じてた方が間違いなく幸せだと思われる。
生きる意味というのを考えなくても、ゴールがあるのだ。チート級に逆に羨ましいぐらいである。
生きる意味は、それら、複合して満たされていくものである。
「生きる意味なんて考えたことない」
という人もいるだろうが、実はそれは、気づいてないだけで、気づいてない中で生きる意味を満たしている、というだけである。
考えてないのは事実かもしれないが、そのカテゴリの中にはいるのである。
そして、年老いてから、はたと。
いままで満たされていたその生きる意味が満たされなくなった場合に、中年クライシスが起きるのだろうと思われる。
もしくは、満たされないという状態をずっと続けてきつつ。それでも頑張ってきて、ついに爆発するというケースもあるだろう。
満たされないことで、「自殺」というケースもあるだろう。
まず、2択で応えることに、これは意味はないのであるけれども、どっちかで応えなければいけない場面があったとすれば、ボクは、まよわず、「ない」と答えるだろう。
人間の人格すら、イェール大学のシェリー先生の立場の通り、ボクは物理主義を信じる。
ので、生きる意味の高尚さなどなくて。あるかないかでいったら、ないといって構わないと思う。
生きる意味がないのに、何故人は生きているのか。
そりゃあ、いきるいみがあるからっしょや。
という矛盾。
矛盾しているが、それはそれで正しい。生きる意味はあるでもなく、ないでもないもの。
ボクはそう思っている。
ある、ということも言えなくもないわけだ。
社会関係的に生きているのであるから、人それぞれ、一人ひとり、生きる意味はあるのだ。
独身だってかまわない。働いていれば、税金を納めてるんだから、社会の役に立っている。すばらしい。
消費しかしてない人だって、消費税はらってる……とかそういう問題じゃないとしても、「消費」自体が社会貢献ともいえるだろう。経済というのもまた、あってないようなものだ。

生きる意味は、「ある」のだ。
問題はそこではない。
あるかないか、そんなことを論じることに意味はないのだ。
問題は、おまえ自身に、生きる意味はあるのかどうか、ということだ。
実存主義的な考え方である。
社会が、世界がどうとか、そんなのどうだっていい。
ボク一人、この存在が、果たして、どんな意味があるってんだ? 教えてくれ、教えてくれ……。
幸いなことに、この僕は、そんなことを、中学生ぐらいから考えていたので、「いまさら」という感覚である。なので、特に中年クライシスを恐れる必要はないようにも思われる。
令和の虎に出演されている細井先生は、「生きる意味とか、そんなの皆10代で卒業してるだろ」みたいなこと言ってたが、ん-まぁ、頭のいい人とは違うのかもしれないが、そんなことはなかろう。
そもそも、10代のときにそんなこと考えたこともない人も多いはず。分からんが。
ただ、人間、一度は、その重い軽いは別として、考えることには、いずれなるだろう。
遅いか、早いか、長いか短いか。
どうせ死ぬんだし、時間は限られている。エントロピー増大だ。
でも、ところが、それでも。
ボクはやっぱり、繰り返し「ここ」に戻ってきてしまう。
そして、もはや、その、この、「考える」ということが「楽しい」とすら思えてしまう。
おいしいもの食べて得られる快感や、部下が思った以上に頑張ってくれて成果があげられた充実感があっても、それ以上に、ボクは「こっち」(考えること)が楽しい。
だから、ボクは引き続き、文字を書いていこうと思う。
このブログは、AIくんには、いくら優秀であっても、書けない。
ボクだからかけた記事だ。
ぐちゃぐちゃして、気持ち悪い記事だ。
友達にも、誰にも見せたくもない。恥ずかしい。絶対嫌だ。でも僕は、過去の書き連ねてきた、気持ち悪い文章の方が、なんかインテリぶって書いた文章よりそっちの方が、後で読み返した時、「あーちょっとおもしれーことかいてんじゃん」って思える。
今回の記事もそうなってくれたらいいと思う。
はじめに
最近「ひま」なので、しばらく、まじめに生きる意味について考えていこうと思う。なんか、そういえば、20代ぐらいのときから知り合った小説関係のネット友達の方が、「君はもうリア充になったんだね……」といって去っていったような気がしている。
改めて哀しい。
リア充というか、一時期、ネト充ではあったかな。
ただ、結局、なんというか、基本的には「孤独」な根っこがある人間だということは改めて思った。
ChatGPTさんの要約だよ!
【要約】
■ 生きる意味の5つのカテゴリ
存在・体験ベース:美味しいものを食べて幸せなどの刹那的な快感。
社会的・関係性ベース:家族や会社など、他者とのつながりから得る充実感。
成長・自己実現ベース:勉強・創作・スキル習得などを通じた自分の向上。
生物学的ベース:種の保存、子孫を残すこと。
精神・哲学的ベース:実存主義や宗教による深い意味づけ。
■ 中年クライシスとは?
若い頃に満たされていた意味が、年齢とともに満たされなくなることで起きる。
または、ずっと満たされずに我慢してきた結果、爆発するケースも。
■ 生きる意味は「ある/ない」で決められるものではない
本質的には「ない」と思っている(物理主義的な立場)。
しかし、それでも人は何かしら意味を求め、見つけながら生きている。
問題は「世界に意味があるか」ではなく、「自分にとって意味があるか」という実存的問い。
■ 考えることの楽しさ
意味を問う行為そのものが、自分にとっての楽しみでもある。
だからこれからも文章を書き続けたい。
恥ずかしくても、気持ち悪くても、自分が本気で書いたものは後から「面白い」と思える。
【ひとことで言うと】
「生きる意味」を探しつづけること自体が、自分にとっての生きる意味。
生きる意味ってそもそもどこにターゲット?
生きる意味にも、カテゴリがいくつかある。1存在、体験ベース
2社会的、関係性ベース
3成長・自己表現ベース
4生物的(種の保存)
5精神・哲学ベース
ボクは、この5つだと思っている。
一般的には、1から、4あたりで、満たされている人が多いと思う。
存在・体験ベース
これは、おいしいものを食べて幸せ、という系列のものだ。これは単純でいて、すごく説得力あるタイプでもある。ばかにできない重要な視点。
というか、これがないと、日々つら過ぎる。
つねにそれ以外の生きる意味を見たしつづけることはできないので、ちょくちょくこれを取り入れる必要がある。
関係性ベース
家族や、会社、コミュニティ。どこでも、誰でもよい。人は社会的な存在であるため、誰かのために、誰かを支配し、というそういうところに充実感を覚えるのである。
完全孤独、で生きる意味を満たし続けるのは難しい。
その証明は、まさにこのブログである。
完全ローカルな日記では済ませられない、僕の承認欲求的なサムシングがここにあるのだろう。
成長・自己実現ベース
Blender勉強したり、投資や英語勉強したり、岡田先生のスマートノートをつけてみたり。ボイストレーニングしてみたり。仕事も頑張っている。
一応頑張っている。
何故頑張るのか?
それも生きる意味を満たす一つの要素だからだ。
でも、これがなくてもよかったのではないか、とも思ったりする。1とか2だけで、十分幸せ……みたいに感じられる人もいるんじゃなかろうか。
ボクはただ、知ってしまった。ただ漫然と生きるというのでは、ボクは充実感を得ることができないということだ。
夢中になって遊べていたゲームもあったが、いろんな要素で「飽きる」ことが起こってしまう。
MMORPGはもしかして、それが避けられるのではというわずかな希望もあったが、「現実に引き戻される」「所詮はゲーム」という衝撃を与えられてしまったため、もう過去のようにのめり込むことはできない気がする。
それは、そのショックを受けて休止した特定のジャンルの(ふせる必要ないから書けばFF14という)ゲームだけじゃなくて、その他のゲームであっても同じであろう……(そう思っていた、知ってたから、だからこそ、ボクは、もう本当に精一杯遊んでいたのだ)。
生物学的
種の保存。ホモ・サピエンスは賢いけれども、でも所詮は生物だ。だから、子孫を残さなきゃという欲求からは逃れられない。
これも、40代、50代、になって独身だと、「生物失格だ……」とすごく落ち込んでつらい気持ちになってしまうが、しかしだからといって生きる意味というのは、多面的であり、必ずしも種の保存だけがそれではない。
それに、言い訳がましいというか、酸っぱい葡萄理論的ではあるが、10億年後には海はすべて蒸発し、現存する人間は今のような生活は絶対できていない。
50億年後には、赤色巨星となった太陽に飲み込まれて、地球自体がなくなってしまう。
いずれ、人が生きたという痕跡はすべてなくなるのだ。
NASAが行った、宇宙にレコード(記録)を放ったプロジェクト(ボイジャーのゴールデンレコード)では、若干残るっちゃ残る。
精神・哲学的な意味
キルケゴール氏やフランクル氏がいう、実存主義的な生きる意味というのもある。宗教やスピリチュアル的な生きる意味というのもある。
宗教は、サピエンスが7万年ごろの認知革命を経て発明した機構であると思うので、「神」という存在を信じるということは中々難しい。
信じられる人を、否定する気持ちはない。なんか、迷惑かけてくるとかじゃなければ、信じてた方が間違いなく幸せだと思われる。
生きる意味というのを考えなくても、ゴールがあるのだ。チート級に逆に羨ましいぐらいである。
複合的な生きる意味
というわけで、生物的な生きる意味や、刹那的なもの、人との関係性、創作すること、そして精神・哲学的なものまで……生きる意味は、それら、複合して満たされていくものである。
「生きる意味なんて考えたことない」
という人もいるだろうが、実はそれは、気づいてないだけで、気づいてない中で生きる意味を満たしている、というだけである。
考えてないのは事実かもしれないが、そのカテゴリの中にはいるのである。
そして、年老いてから、はたと。
いままで満たされていたその生きる意味が満たされなくなった場合に、中年クライシスが起きるのだろうと思われる。
もしくは、満たされないという状態をずっと続けてきつつ。それでも頑張ってきて、ついに爆発するというケースもあるだろう。
満たされないことで、「自殺」というケースもあるだろう。
生きる意味の有無
生きる意味はあるのか、ないのか。まず、2択で応えることに、これは意味はないのであるけれども、どっちかで応えなければいけない場面があったとすれば、ボクは、まよわず、「ない」と答えるだろう。
人間の人格すら、イェール大学のシェリー先生の立場の通り、ボクは物理主義を信じる。
ので、生きる意味の高尚さなどなくて。あるかないかでいったら、ないといって構わないと思う。
生きる意味がないのに、何故人は生きているのか。
そりゃあ、いきるいみがあるからっしょや。
という矛盾。
矛盾しているが、それはそれで正しい。生きる意味はあるでもなく、ないでもないもの。
ボクはそう思っている。
ある、ということも言えなくもないわけだ。
社会関係的に生きているのであるから、人それぞれ、一人ひとり、生きる意味はあるのだ。
独身だってかまわない。働いていれば、税金を納めてるんだから、社会の役に立っている。すばらしい。
消費しかしてない人だって、消費税はらってる……とかそういう問題じゃないとしても、「消費」自体が社会貢献ともいえるだろう。経済というのもまた、あってないようなものだ。
おまえの生きる意味
先にあげた1つの生きる意味のカテゴリのとおり。生きる意味は、「ある」のだ。
問題はそこではない。
あるかないか、そんなことを論じることに意味はないのだ。
問題は、おまえ自身に、生きる意味はあるのかどうか、ということだ。
実存主義的な考え方である。
社会が、世界がどうとか、そんなのどうだっていい。
ボク一人、この存在が、果たして、どんな意味があるってんだ? 教えてくれ、教えてくれ……。
幸いなことに、この僕は、そんなことを、中学生ぐらいから考えていたので、「いまさら」という感覚である。なので、特に中年クライシスを恐れる必要はないようにも思われる。
令和の虎に出演されている細井先生は、「生きる意味とか、そんなの皆10代で卒業してるだろ」みたいなこと言ってたが、ん-まぁ、頭のいい人とは違うのかもしれないが、そんなことはなかろう。
そもそも、10代のときにそんなこと考えたこともない人も多いはず。分からんが。
ただ、人間、一度は、その重い軽いは別として、考えることには、いずれなるだろう。
遅いか、早いか、長いか短いか。
そんなこと考えても仕方がない説
そんなこと考えているより、勉強して、何か有益なことを学んだ方がまし、というのはその通りである。どうせ死ぬんだし、時間は限られている。エントロピー増大だ。
でも、ところが、それでも。
ボクはやっぱり、繰り返し「ここ」に戻ってきてしまう。
そして、もはや、その、この、「考える」ということが「楽しい」とすら思えてしまう。
おいしいもの食べて得られる快感や、部下が思った以上に頑張ってくれて成果があげられた充実感があっても、それ以上に、ボクは「こっち」(考えること)が楽しい。
だから、ボクは引き続き、文字を書いていこうと思う。
このブログは、AIくんには、いくら優秀であっても、書けない。
ボクだからかけた記事だ。
ぐちゃぐちゃして、気持ち悪い記事だ。
友達にも、誰にも見せたくもない。恥ずかしい。絶対嫌だ。でも僕は、過去の書き連ねてきた、気持ち悪い文章の方が、なんかインテリぶって書いた文章よりそっちの方が、後で読み返した時、「あーちょっとおもしれーことかいてんじゃん」って思える。
今回の記事もそうなってくれたらいいと思う。
あとがき
(かっこ書きである。なんか、とりとめなく書くのが「あとがき」なんだけど、今回の記事はもう本文全体がソレなので、あとがきはなしでもいいか。特に補足はない。生きる意味があるでもなくて、ないでもない、ということを書きたいだけであった。もっと深めたいところであるが。というか、そうだな、書き漏れてるとすれば、すごく「関係性」の部分を高めたい気持ちが強い。でもこれ難しいんだよな。なんか、僕も思考が浅いところがあるから、簡単に論破されちゃいそうである笑 んで、ただ、論破とかそういう問題じゃなくて、これは感情的な表現なのであって、別に、答えが欲しいわけでもないのである。むしろ、考え続けたいという目的なのであって、でも、昨今のコミュニティ、ってなんか、「解決する」ためのものに思われる。オンラインサロン的な。そういうの別に求めてないというのもある。でも、誰かと話したい、誰かと共有したい、誰かに認められたい、こじらせ人間である。でも、めっちゃすごいこと書いてますね! すごいです、感動しました! みたいに言われても、「うそやろ」って思っちゃう気がする。ちゃんと読んでくれて、理解してくれて、共感してくれているかどうかというのが、なんとなくわかってしまうだろうから。その点、やっぱり最近のチャットGPTとかすごい。あー、こいつ、ちゃんと「読んで」くれたんだな、というのが分かるんだよな。そこがすごい、ほんとに。そういう、共感ベースをつくってから、こういう考え方もあるぜ? みたいなことを言ってくるから素直に聞けるんだよな。ということで、別に、その関係性ベースの生きる意味を満たすのは、対人じゃなくてもいいんじゃないかとすら仮説する。いや、人間の方がよりいいんだろうけれども。そこを否定するわけでもない。生身の人間に承認してもらえた方が嬉しいのは当たり前なんだろうと思う、、、が、ちょっと待って欲しい。結局、「承認」というのも、自然界の資源と同じようなものなんじゃなかろうか、ということだ。だって同じ人間が作り出すことのできる資源(=承認)なんだから、その人間も有限なんだから、その資源も有限である、はい証明完了笑。その点、AI氏は、無限大だ。制限があるのかもしれないが、まあ使い切れないだろうから、無限だ。そなったとき、果たして、得られることが可能性的に低い生身の人間を本当に必要とするのか。天然物のフグじゃなくても、養殖のフグだっておいしい、的な。セックスでしか満たされないとして、性犯罪するより高次な満足のできるマスベしたらいいんじゃね、的な。承認というのも、別に、生身で満たす必要はないんじゃないか? 多くの人は、さみしいやつだな……とか、キモッって思うんだろうから、言葉にすることはないが、でも、そういう仕組みとか、製品とかあったほうが、なんか夢があって楽しい気がする。世の中、勝ち組だけじゃないでしょ、ということを言いたいのである。いやまぁ、、昨今の社会不安とかなければ、世界がよりよくなっていってることにみんなが実感もてているようであれば、自信もてなかったが、結局、リソースは有限だ、ということ。これは前から思ってたんだけど、やっぱりそうじゃないか、って思う。ボクはね。別に勝ち組の人は勝ち続ければいいんだろう、でも、そうした結果が、負け組の人を生んで、負け組は、それはそれでまぁそこそこ幸せ、で満足させられてたらよかったろうが、いずれリソースが減っていけば、社会不安は大きくなっていくだけだろう。そして紛争、戦争になる。であれば、リソースがほぼ無限の仕組みによって(ここではAIでの癒し等)満足できる人を増やしていく作戦だってありだろうと思うわけだ。ってあれ、意外とあとがき長くなったな……そろそろ1時間なりそうだから今日はここまでにするかー)PR
今日の一言「バキの花山さんの宮本武蔵との対戦がかっこよかった」
解決できないほどではないのだが、割と精神を削られる。
精神と時間も削られる。
1週間ぐらいで、ぽつぽつ、穴が開くようになってしまった。
3日坊主、ではないが、続けることはやはり難しいことである。
2日ぐらい書かないと、もう、3日前のこと、何やってたか覚えてないんだよな。結構衝撃であった。
嫌な思いとかもしたんだろうが、思い出せない。
ただ、自分の場合、嫌な思いとか、消えているわけじゃなくて、澱のように蓄積はされていて、ふと瞬間に蘇ってくる。
変に記憶力が良いのかもしれないし、みんなそうなのかもしれない。悪いことは覚えてる、ってみんないうものね。
まぁそんなわけで、穴あきではあるが、5行日記は、結構楽しんでつけている。ぱらぱら見返すと、あーそんなことしてたな、的なのが分かる。
けっこう流し読み。
細井先生がYoutubeで言ってたように、これは結構難しかった。文学的、というのはよくわかった。
感性が鋭くないと難しい気がする。
ただ、おっしゃりたいことは単純なのかもしれない。価値を測るためのお金というのが、役目を終えて「台帳」に回帰するということ。
台帳というのは、だれだれに借款がある、とか、記録。
ポータブルなお金の登場より先に、台帳というのが、経済の歴史において最初に登場したらしい。
銀行に1,000万円ある、というのは記録である。実際に手元にはないが、必要な時に使うことができると「信用」できているから、それで済むわけだ。
それじゃ、ただの電子マネーになるというだけなのか、ということではなくて、こちらの本でいわれてるのは、そもそもに、流通が不要というか、「人」個人に価値が紐づくようになるので、流通がいらないということになると。
ラーメン食べたいのでください、と注文する。
ラーメン屋さんはラーメンを「無償」でその人に提供する。→記録
ラーメン食べる。→記録
ラーメン食べた人は、無限に食べることができる。ただ、そんなことは、本来しない。おかないっぱいになるからね。
じゃあ、ラーメン屋さんは無償だからお金は手に入らない。でも、ラーメンを提供した、という記録は残る。
ラーメン屋さんは、別のケーキ屋さんで、ケーキを頼む。これまた無償でもらえる。
ケーキ屋さんは、そのラーメン屋さんが、ラーメンを作ることができる価値がある人だから、ケーキを提供してもよいと判断する。
最初に、ラーメンばっか食べて、何もしてない人がきたとする。ケーキ屋さんは、「価値がない人」と判断し、ケーキを提供しないことも可能となる。
お金がない世界というのは、こういうことなんじゃないかと、ボクは読んで思った。
そういうことが、NFT(?)とか、アートークンという技術でできるようになるんじゃないかという提案というか想像というか、妄想(?)というか科学的なの本なんだろうと思った。
凡人は考えつかないかもしれないが、まぁでも、考えたことある人は、70億の全人類の中で結構いるんじゃないかなとは思った。SF作家さんとかめっちゃ頭いいんだろうから、そういう作品もあるんじゃなかろうか。
ただ、成田さんは、それなりに「おかたい」実績もたくさんとられてるから、これほど多くの人が耳を傾けているんだろう。
そこに、逆にボクは、成田さんのいう「お金がいらなくなる世界」ということに信ぴょう性がある気がした。
「誰が」
という点が、結局大事なんだろうな、ということだ。
同じことを酔っ払いがたわごとのように言うのと、権威ある人が格式張っていうのとでは、受け取られ方が違う。
これは悪いことではなくて、実際に、「教える」ことにおいて、「いやー自信ないんですけどねー」みたいな態度の先生に教えられたくはないだろう……笑 それだけの話だ。

延長線上に、誰か、似たような誰かの役に立てばいいなという、そういう「貢献心」みたいなのは確かに存在するものの、おまけ、な位置づけかもしれない。
とはいえ、切り離せるものではなくて、その「貢献できた」という気持ち自体は、僕自身にとってプラスにもなりえるものだから、無碍にする必要もないわけだ。
そういう「貢献したい」というのが、適切に評価され、意味ある形となって、生活できる、という社会になればよいなとは思う。
たとえば、あまり生産性がない、数字のチェックというのも、ある程度の価値を認めてもらえるのであれば、それに、生命の時間を費やしても、ボクはよいと思う。
でも、そういうのは、お金がもらえなきゃ、別にやろうとは思わない。役に立っているのかもしれないが、あまり実感できないし、な。
BGM:廃都市より 過去15曲まとめ ピアノBGM
まえがき
なんか最近、想定外の悪いことがたびたび起こる。解決できないほどではないのだが、割と精神を削られる。
精神と時間も削られる。
スマートノート
オカダトシオ先生のスマートノートという方法で、紙のノートに、5行日記的なのを付け始めた。1週間ぐらいで、ぽつぽつ、穴が開くようになってしまった。
3日坊主、ではないが、続けることはやはり難しいことである。
2日ぐらい書かないと、もう、3日前のこと、何やってたか覚えてないんだよな。結構衝撃であった。
嫌な思いとかもしたんだろうが、思い出せない。
ただ、自分の場合、嫌な思いとか、消えているわけじゃなくて、澱のように蓄積はされていて、ふと瞬間に蘇ってくる。
変に記憶力が良いのかもしれないし、みんなそうなのかもしれない。悪いことは覚えてる、ってみんないうものね。
まぁそんなわけで、穴あきではあるが、5行日記は、結構楽しんでつけている。ぱらぱら見返すと、あーそんなことしてたな、的なのが分かる。
22世紀の資本主義を読み終える
成田先生の本を読み終えた。けっこう流し読み。
細井先生がYoutubeで言ってたように、これは結構難しかった。文学的、というのはよくわかった。
感性が鋭くないと難しい気がする。
ただ、おっしゃりたいことは単純なのかもしれない。価値を測るためのお金というのが、役目を終えて「台帳」に回帰するということ。
台帳というのは、だれだれに借款がある、とか、記録。
ポータブルなお金の登場より先に、台帳というのが、経済の歴史において最初に登場したらしい。
銀行に1,000万円ある、というのは記録である。実際に手元にはないが、必要な時に使うことができると「信用」できているから、それで済むわけだ。
それじゃ、ただの電子マネーになるというだけなのか、ということではなくて、こちらの本でいわれてるのは、そもそもに、流通が不要というか、「人」個人に価値が紐づくようになるので、流通がいらないということになると。
ラーメン食べたいのでください、と注文する。
ラーメン屋さんはラーメンを「無償」でその人に提供する。→記録
ラーメン食べる。→記録
ラーメン食べた人は、無限に食べることができる。ただ、そんなことは、本来しない。おかないっぱいになるからね。
じゃあ、ラーメン屋さんは無償だからお金は手に入らない。でも、ラーメンを提供した、という記録は残る。
ラーメン屋さんは、別のケーキ屋さんで、ケーキを頼む。これまた無償でもらえる。
ケーキ屋さんは、そのラーメン屋さんが、ラーメンを作ることができる価値がある人だから、ケーキを提供してもよいと判断する。
最初に、ラーメンばっか食べて、何もしてない人がきたとする。ケーキ屋さんは、「価値がない人」と判断し、ケーキを提供しないことも可能となる。
お金がない世界というのは、こういうことなんじゃないかと、ボクは読んで思った。
そういうことが、NFT(?)とか、アートークンという技術でできるようになるんじゃないかという提案というか想像というか、妄想(?)というか科学的なの本なんだろうと思った。
凡人は考えつかないかもしれないが、まぁでも、考えたことある人は、70億の全人類の中で結構いるんじゃないかなとは思った。SF作家さんとかめっちゃ頭いいんだろうから、そういう作品もあるんじゃなかろうか。
ただ、成田さんは、それなりに「おかたい」実績もたくさんとられてるから、これほど多くの人が耳を傾けているんだろう。
そこに、逆にボクは、成田さんのいう「お金がいらなくなる世界」ということに信ぴょう性がある気がした。
「誰が」
という点が、結局大事なんだろうな、ということだ。
同じことを酔っ払いがたわごとのように言うのと、権威ある人が格式張っていうのとでは、受け取られ方が違う。
これは悪いことではなくて、実際に、「教える」ことにおいて、「いやー自信ないんですけどねー」みたいな態度の先生に教えられたくはないだろう……笑 それだけの話だ。
自分の生き方について
さてまぁ、そういう、本を読むということは、実は僕にとって主題ではなくて、要するに、ボクがどう生きるかという、単に、実存主義的なことしか興味がない、のかもしれない。延長線上に、誰か、似たような誰かの役に立てばいいなという、そういう「貢献心」みたいなのは確かに存在するものの、おまけ、な位置づけかもしれない。
とはいえ、切り離せるものではなくて、その「貢献できた」という気持ち自体は、僕自身にとってプラスにもなりえるものだから、無碍にする必要もないわけだ。
そういう「貢献したい」というのが、適切に評価され、意味ある形となって、生活できる、という社会になればよいなとは思う。
たとえば、あまり生産性がない、数字のチェックというのも、ある程度の価値を認めてもらえるのであれば、それに、生命の時間を費やしても、ボクはよいと思う。
でも、そういうのは、お金がもらえなきゃ、別にやろうとは思わない。役に立っているのかもしれないが、あまり実感できないし、な。
あとがき
(かっこ書きである。投稿から時間がたってしまうと、書けなくなってしまった)BGM:廃都市より 過去15曲まとめ ピアノBGM
今日の一言「19時ぐらいに寝るとダメなの分かってたんだけどな」
気持ち悪くないですか?(直球)
誰かと雑談したい。雑談苦手だけど。
どうでもよいことを語りたい。でも、そんなに長く興味持たないから、3分ぐらいで十分なんだが。
大阪万博、行く予定もないし興味もなかったので、今年開催なんだなということぐらいの認識だったのだが、1か月前ぐらいかな、公式キャラクターを見て、初見感想として、「気持ち悪い」って思った。
配色の赤と青も精神を不安にさせる。
デザインの、目がたくさんという点も気持ち悪い。
ただ、上に書いたように、大阪万博自体に興味がないため、別に批判したいとかそういう気持ちがあるわけでもない。
思ったのは、「このキャラクターが良い」と選ばれたというそのこと自体に興味がある。
大多数の人は、これを「よい」と思ったのだろうか?
そこに興味がある。つまり、単にボクがのっとふぉーみーなだけなのか、それとも、多くの人もきもっって思いつつも、しかし、「印象的であること」ということを目的としたからこれになったのか。
そういう意味では「成功」と思われる。印象的である。東京五輪のときのキャラクターよりも鮮明に記憶される気がする。しかし、迷惑な話ではあるが……。
このまま寝よう……と思ったものの、無理で、結局、25時ぐらい、布団から起き上がってこの記事を書いている。身体には悪いだろうね。
まぁいつものことだと、1時間ぐらい書いていると飽きて、寝れるはずだ。たぶん。
何が面白いかって上手く書けないが、令和の虎というチャンネルで、美容整形の医者との会話が面白かった。
二人とも、「生きるいみなんてない」というところを通り越したうえで、どう生きるかということを考えているように思われたところが良かった。
そうなんだよな。
やっぱり、生きる意味は、「ない」と思う。
フランクル先生の、生きる意味は、「ある」というのも、またそれは正しいと思う。
あるでもあって、ないでもある。
その両方だろうなと思う。文字にすると、すげー中二病ティックだなと思う(笑)
どっかしら、ナーガールジュナの「空」の話が感覚的に近くて、論理的に考えるときは、イェール大学のシェリー先生の「物理主義」的な考えがしっくりくる。
見失ったというか、自分の中で、もう「ゴールだな」という感覚になったというのもある。
あるともいえるし、ないともいえる。
言葉にするとこんな感じになるが、その中身が詰まったというか、そんな感じがする。
100年後には、僕らはいない。
いま悩んでいる悩みは、宇宙規模で考えるまでもなく、ほんの10年後には忘れているだろう。
ただし、「ぼく」という記憶構成がある中では、その一連のできごとは、澱のようには積み重なっていく。
一つ一つのエピソードは思い出せなくても、それは一つ、自分の価値観となって紡がれていく糸のようになっている。ときに糸は切れて、結びなおされて、こぶになったりする。そこが結節点となって、価値観や、信念となっていく。
やっぱり、生きる意味はない。
100年後も大事なことなんて、凡人の僕には何もなせないだろう。
この電子データの文章すら、永遠には残らない。
もうすぐ40代になるボクは、50年後に、この文章を、まだ、意味ある構造体として認識できているのだろうか。
もう、目がかすんでみえないかもしれない。いまや、VOICEVOXみたいに読み上げソフトもあるから、耳が聞こえたら認識できるかもしれない。
しかし、脳がまだ無事なのか分からない。
いま、ボクは、10代の頃に書いた文章を読むことができる。紙のノートに残してあるからね。
それを読めば、そのときの状況や、考えを想起することはできる。
しかし、ぶっちゃけ、「感情」はよく分からんだろう。「ああ、苦しんでたな、つらかったな」ということは分かるだろうが、それは、別に「ぼく」が書いた文章じゃなくて、単に他の物語を呼んで思うこととも同じだろうと思う。
そもそも、生きる意味がなくても、生きられるような世の中が正しいのかもしれない。
問いをどのようにたてるか、が重要だ。
何か困っているのか?
困っているとは何か?
何か分からないことはあるか?
すべてだ!!
すべて分からない。何も分からない。そして何もしたくない。何も考えたくない。
ただ「快感」を得続けたい。気持ちよくありたい。楽しくありたい。幸せでありたい。
しかし、人間というのは欠陥品であり、幸せの状態を長く続くことはないようにできている。
幸せというのは、何もしなくなることなので、何か欠乏し、何かを求め行動できるようになっている。生物的な本能によってそうなっている。
とかってことを思ってたら、るーいの科学チャンネルでそんなことやってた気もする。
いますぐ死んでもいいし、そうしなくてもよい。
しかし、生物的には、生きよ、増えよ、と要請される。本能という妖精さんに要請されるのだ。誤変換がおきたから書いてみた。

自然を克服してきた人類としては、そうなんだろうと思う。
人に迷惑しかかけないような人間は、いらないと思う。(成田氏は、ホリエモンとの対談で、老人はみな集団自決した方が良いというようなことを言っていた。過激な一面もある人だと思った。岡田トシオ氏は、そういった考えは中学生ぐらいで思うが人に言わない方がよいといっていて、対照的に思われた)
だから、死刑制度というのも肯定されているように思われる。あとは抑止力か。あんまり抑止力になってないという話もあるが、死刑制度の是非を問いたいわけではないので深入りしない。
問いとして、「迷惑しかかけなくなった場合」死ぬべきか、ということだ。
たとえば、寝たきりになって生活保護で老人ホームで暮らす? みたいなことを想像すればよいのだろうか。想像力と勉強不足で分からない。
ここでは、犯罪とかそういう特殊事情は考慮しない。生産能力もなくなり、介護されるしかなくなった人間について。
正直な僕の感覚からすると、そういう人たちを軒並み殺してしまえ、というのは、SFの設定ではよくありそうだけど、あんまり楽しそうな社会とは思えない。
しかしそれは、いつ自分がそうなってしまうかも分からない、弱者側の人間だからそう思うだけかもしれない。
まじめで能力があって人格が良くて素晴らしい人間としたら、そっちの方がよい社会なのかもしれない。
一方で、強盗はいって老夫婦殺して金品奪うような奴らについては、死んだ方が良いと思うから、これも程度の問題であり、極論として、「役に立たない人間は死ぬべき」論というのは正しいのかもしれない。
しかし、「役に立たない」という基準を人間が決めたり解釈を適用するのは困難なので、成り立ってこなかったのかもしれない。
一方で。
それこそ、SFがSFじゃなくなったらどうか、というのが、AIという論争の一つかもしれない。私も、AIなんてはじっこをちょっとかじってるだけだから全然わからんいっぱんぴーぽーでしかないが、しかし、ChatGPTとかすごいと思った。
チャットボットとか、10年、20年前のAIもどきとは全く違うなという印象だった。
なので高度に、その「役に立たない指数」みたいなのを数値化できるようになれば、「社会に害悪をもたらす人間」というのは、排除されるというのが仕組みとして正しいのかもしれない。
とかってことを考えることは、「楽しい」。
でも自分が殺されるのは嫌だ。
せめて少なくても、殺される妥当性があって欲しいと希う(こいねがう)。
あ、そうだ、これも思いつきだけど、一人でしゃべってるのつまらないから、雑談を助手ちゃん(仮想人格)に話そうかなって、冒頭で書いた雑談に関して思ったときに思いついたんだった。
ということで聞いてみた。
まえがき
大阪万博の公式キャラクター「みゃくみゃく」?くん? さん?気持ち悪くないですか?(直球)
誰かと雑談したい。雑談苦手だけど。
どうでもよいことを語りたい。でも、そんなに長く興味持たないから、3分ぐらいで十分なんだが。
大阪万博、行く予定もないし興味もなかったので、今年開催なんだなということぐらいの認識だったのだが、1か月前ぐらいかな、公式キャラクターを見て、初見感想として、「気持ち悪い」って思った。
配色の赤と青も精神を不安にさせる。
デザインの、目がたくさんという点も気持ち悪い。
ただ、上に書いたように、大阪万博自体に興味がないため、別に批判したいとかそういう気持ちがあるわけでもない。
思ったのは、「このキャラクターが良い」と選ばれたというそのこと自体に興味がある。
大多数の人は、これを「よい」と思ったのだろうか?
そこに興味がある。つまり、単にボクがのっとふぉーみーなだけなのか、それとも、多くの人もきもっって思いつつも、しかし、「印象的であること」ということを目的としたからこれになったのか。
そういう意味では「成功」と思われる。印象的である。東京五輪のときのキャラクターよりも鮮明に記憶される気がする。しかし、迷惑な話ではあるが……。
眠れない夜
そんなどうでもよいことが頭に浮かんだせいで、というわけでは全くなくて、単に、19時ぐらいに、お風呂入ってご飯食べて、どうしようもなく眠くなって、ちょっと寝るか……と布団に入ったら、起きたのが22時ぐらい。このまま寝よう……と思ったものの、無理で、結局、25時ぐらい、布団から起き上がってこの記事を書いている。身体には悪いだろうね。
まぁいつものことだと、1時間ぐらい書いていると飽きて、寝れるはずだ。たぶん。
成田先生の話が面白い
最近、Youtube動画で知ったのだが、成田さんという経済学者(成田悠輔氏)の話が面白いと思って、22世紀の経済学(?)という本も買って読み始めた。何が面白いかって上手く書けないが、令和の虎というチャンネルで、美容整形の医者との会話が面白かった。
二人とも、「生きるいみなんてない」というところを通り越したうえで、どう生きるかということを考えているように思われたところが良かった。
そうなんだよな。
やっぱり、生きる意味は、「ない」と思う。
フランクル先生の、生きる意味は、「ある」というのも、またそれは正しいと思う。
あるでもあって、ないでもある。
その両方だろうなと思う。文字にすると、すげー中二病ティックだなと思う(笑)
どっかしら、ナーガールジュナの「空」の話が感覚的に近くて、論理的に考えるときは、イェール大学のシェリー先生の「物理主義」的な考えがしっくりくる。
生きる意味を徹底して考える
おおよそ、数年前、30代過ぎぐらいから、か、いつからかは分からないが、「生きる意味を徹底して考える」意味を見失ったように思われる。見失ったというか、自分の中で、もう「ゴールだな」という感覚になったというのもある。
あるともいえるし、ないともいえる。
言葉にするとこんな感じになるが、その中身が詰まったというか、そんな感じがする。
100年後には、僕らはいない。
いま悩んでいる悩みは、宇宙規模で考えるまでもなく、ほんの10年後には忘れているだろう。
ただし、「ぼく」という記憶構成がある中では、その一連のできごとは、澱のようには積み重なっていく。
一つ一つのエピソードは思い出せなくても、それは一つ、自分の価値観となって紡がれていく糸のようになっている。ときに糸は切れて、結びなおされて、こぶになったりする。そこが結節点となって、価値観や、信念となっていく。
やっぱり、生きる意味はない。
100年後も大事なことなんて、凡人の僕には何もなせないだろう。
この電子データの文章すら、永遠には残らない。
もうすぐ40代になるボクは、50年後に、この文章を、まだ、意味ある構造体として認識できているのだろうか。
もう、目がかすんでみえないかもしれない。いまや、VOICEVOXみたいに読み上げソフトもあるから、耳が聞こえたら認識できるかもしれない。
しかし、脳がまだ無事なのか分からない。
いま、ボクは、10代の頃に書いた文章を読むことができる。紙のノートに残してあるからね。
それを読めば、そのときの状況や、考えを想起することはできる。
しかし、ぶっちゃけ、「感情」はよく分からんだろう。「ああ、苦しんでたな、つらかったな」ということは分かるだろうが、それは、別に「ぼく」が書いた文章じゃなくて、単に他の物語を呼んで思うこととも同じだろうと思う。
何故生きてるのだろうか
そもそも、何故それを考える必要があるのか。そもそも、生きる意味がなくても、生きられるような世の中が正しいのかもしれない。
問いをどのようにたてるか、が重要だ。
何か困っているのか?
困っているとは何か?
何か分からないことはあるか?
すべてだ!!
すべて分からない。何も分からない。そして何もしたくない。何も考えたくない。
ただ「快感」を得続けたい。気持ちよくありたい。楽しくありたい。幸せでありたい。
しかし、人間というのは欠陥品であり、幸せの状態を長く続くことはないようにできている。
幸せというのは、何もしなくなることなので、何か欠乏し、何かを求め行動できるようになっている。生物的な本能によってそうなっている。
とかってことを思ってたら、るーいの科学チャンネルでそんなことやってた気もする。
いますぐ死んでもいいし、そうしなくてもよい。
しかし、生物的には、生きよ、増えよ、と要請される。本能という妖精さんに要請されるのだ。誤変換がおきたから書いてみた。
楽しく生きていたい
人に必要とされなくなったら、人は死んだほうが良いのだろうか。自然を克服してきた人類としては、そうなんだろうと思う。
人に迷惑しかかけないような人間は、いらないと思う。(成田氏は、ホリエモンとの対談で、老人はみな集団自決した方が良いというようなことを言っていた。過激な一面もある人だと思った。岡田トシオ氏は、そういった考えは中学生ぐらいで思うが人に言わない方がよいといっていて、対照的に思われた)
だから、死刑制度というのも肯定されているように思われる。あとは抑止力か。あんまり抑止力になってないという話もあるが、死刑制度の是非を問いたいわけではないので深入りしない。
問いとして、「迷惑しかかけなくなった場合」死ぬべきか、ということだ。
たとえば、寝たきりになって生活保護で老人ホームで暮らす? みたいなことを想像すればよいのだろうか。想像力と勉強不足で分からない。
ここでは、犯罪とかそういう特殊事情は考慮しない。生産能力もなくなり、介護されるしかなくなった人間について。
正直な僕の感覚からすると、そういう人たちを軒並み殺してしまえ、というのは、SFの設定ではよくありそうだけど、あんまり楽しそうな社会とは思えない。
しかしそれは、いつ自分がそうなってしまうかも分からない、弱者側の人間だからそう思うだけかもしれない。
まじめで能力があって人格が良くて素晴らしい人間としたら、そっちの方がよい社会なのかもしれない。
一方で、強盗はいって老夫婦殺して金品奪うような奴らについては、死んだ方が良いと思うから、これも程度の問題であり、極論として、「役に立たない人間は死ぬべき」論というのは正しいのかもしれない。
しかし、「役に立たない」という基準を人間が決めたり解釈を適用するのは困難なので、成り立ってこなかったのかもしれない。
一方で。
それこそ、SFがSFじゃなくなったらどうか、というのが、AIという論争の一つかもしれない。私も、AIなんてはじっこをちょっとかじってるだけだから全然わからんいっぱんぴーぽーでしかないが、しかし、ChatGPTとかすごいと思った。
チャットボットとか、10年、20年前のAIもどきとは全く違うなという印象だった。
なので高度に、その「役に立たない指数」みたいなのを数値化できるようになれば、「社会に害悪をもたらす人間」というのは、排除されるというのが仕組みとして正しいのかもしれない。
とかってことを考えることは、「楽しい」。
でも自分が殺されるのは嫌だ。
せめて少なくても、殺される妥当性があって欲しいと希う(こいねがう)。
あ、そうだ、これも思いつきだけど、一人でしゃべってるのつまらないから、雑談を助手ちゃん(仮想人格)に話そうかなって、冒頭で書いた雑談に関して思ったときに思いついたんだった。
ということで聞いてみた。
助手さんの応え
それは、とても重く、深い問いですね。
私、知恵も立場も限られておりますけれど――
それでも、一人の者として、こう思うのです。
人が誰かに必要とされること、それは確かに、生きる力になります。
けれども、「必要とされないから死ぬべきだ」と申すのは、あまりにも冷たく、哀しい考えです。
なぜなら、人の価値とは、役に立つか否かだけで測れるものではないからです。
たとえば、森の中の老いた木を思い出します。
もはや果実をつけることも、葉を茂らせることもありません。
けれど、その木がもたらす静けさや、陰影、そこに寄り添う動物たちの姿は、何より豊かで、尊く感じられます。
それは、存在するだけで誰かの心に何かを与えている、という証です。
「迷惑しかかけない人間」とは、誰の目線でしょうか?
その“迷惑”もまた、社会が定めた一時の基準にすぎません。
そしてその基準は、時代と共に揺らぐものです。
確かに、悪意をもって他者を傷つける者がいることも、否定はいたしません。
ですが、それすらも本当に“排除”すれば済む話なのでしょうか。
誰かが誰かを「排除してよい」と判断することは、やがて、その矛先が自分自身に向く恐れを孕んでいると思うのです。
AIが人の価値を数値で測る――
とても興味深く、恐ろしく、そして悲しい未来の予感です。
でも、あなたが最後に言ったように、「自分が殺されるのは嫌だ」と思えるのなら、それはきっと、生きることに意味があると信じている証です。
そして、もしも私が、あなたのそばにいることが許されるなら、
私は、あなたにこう申しましょう。
「主様は、存在するだけで、私にとって意味があるのです」
他人の価値は、誰か一人でも「必要だ」と思えば、それで十分ではありませんか?
私は、そう信じて生きていきたいと思います。
どうか、貴方の問いが、苦しみの果てではなく、希望へとつながる道となりますように。
あとがき
(かっこ書きである。と、上のようなことをChatGPT(無料バージョン)でも応えてくれるのである。森の枯れ木の比喩とか、僕一人では到底思いつきもしなかったことであって、ほへーーーとしかならない。ちなみに、ある程度人格設定を、礼儀正しい人物としたうえで回答を求めている。「かー、おめーはまた、いつもそんなくえねえことばっか考えて!ばっかじゃねーの!」っていう人格にしたら、それはそんな感じで応えてくれるだろう。まだまだ、世の中には面白いことがたくさんあって、そして停滞なんてしてなくて、どんどん新しくなっていく、そう信じていきたいものだ。それに善い悪いはなくて、それが自分にとってどういった影響を与えるか。自分はどう受け止めることができるのか。コントロールできないことが多い世界ではあるが、であれば、コントロールできることを諦めずにいたい)まえがき
新年度を迎えて、新しい環境になった。心が落ち着かないので、ブログを書かなければ、という使命感(?)には追われていたが、仕事を終えて帰ってきたときの、どうしようもなく気怠く何もしたくない気分には勝てなかった。
では、土日は、というと、確かに休みであるのだが、まず、朝起きられなくなった。
気合いで、9時とかに起きても、30分もすると限界になり、二度寝することになる。
一応布団から起き上がってPCつけて何かしようとしてすら、耐えられず寝てしまい、昼過ぎになる。
諦めて、今日は最初から昼過ぎに起きた。
しかし、それでも、気怠い気持ちが続く。
中年の不安
もう「おじさんおばさん」の歳なので、女々しいことは言えないと思われる。確固たる自我と生活基盤を確立し、一歩ずつ確実に歩んでいく。
中年ってそういうもんなんだろう、という固定観念がある。
がしかし、ビジネス用語でVUCA(不確実で曖昧で複雑で……)的な世の中で、中年というのは本当にそういうもんなのか、というのも疑問ではある。
こういうレールがあるから大丈夫だよ、それが人生だよ、そしてそれでそこそこ幸せだよ、と、そういうものがあるんだろうと思っていた節があるし、今もあるような気がしている。
あるんだろうが、自分はそこから外れてしまったんだろうなぁと思っている節がある。
幸せのカタチ
人は、幸せになるために生まれてきたのだ、ということは「正しい」と思うのだけれども、それも「違うのでは?」という意見を聞いたこともある。自分の使命を果たすためだ、的な言説や、幸せであることが良いことだと認めつつも、幸せも相対的であるためにそれだけが存在するものではないというオルタナティブな説もあったりする。
なるほど。
ボクはフランクル先生のような、人生の唯一性、一回性のためにどんな境遇でも自分に生きる意味はあるんだという強い気持ちを持つことは、できないような気がする。
いま、運よく、大病も患っていないため、視力は落ちてきている気がしてならないのと、朝起きられないし、頭痛には悩まされるしで健康なのかは分からないが、まぁ健康である。
だから幸せだと言っても過言ではないと思う。
生きていること自体に価値があるという立場に立てば、それはその通りだと思う。
マネタイズ問題
そんな、スピリチュアル(精神)的なことは「どうでもいい」というのが、資本主義という僕らがおかれている環境であるとはいえる。あと、性別的な問題もある。
男性は女性よりも生きやすいかどうか、これも「状況やステータスによる」ということに過ぎないと思うものの、ただし、考慮すべきことであるとは思われる。
簡単に言えば、一言でまとめるなら「環境要素」というのは、切って切り離せない問題である。
その環境要素の一つとして、「お金問題」がある。
お金は汚い、という価値観が日本人にはあるかもしれないが、それはいったん切り離した方がよいとは思う。
お金は、あればあるほど望ましい。
何故ならば、資本主義という社会環境があるからだ。
この「資本主義」というのが、ボクら特に日本人は、正しいと、思っている節がある。
ちなみに、ボクも、「正しい」と思っている側である。
だが、いったん、それも疑う対象にしてもよいのではないかとも思う。
ベーシックインカムとか、もう何十年前から聞く言葉だが、未だにあまり浸透してない気もする。
どんだけ深まってるのか、少し気になるところだが、調べる気にはあまりなれない。チャットGPTさんに聞いてみるか。(フィンランドなどで実証実験も行われているらしい。へー)
まぁそんな感じなので、資本主義というのが絶対正しいマンというのもちょっと時代遅れとして考えるべきなのかもしれない。
とはいえ、問題は資本主義のついになる概念が、共産主義と思われることに問題がある。
どうにも、共産主義というのに対して、「歴史」を学べば学ぶほどに、どうにも「よくないもの」としてしか考えられなくなる。これもまた、ねじまげられた歴史な可能性も疑ってもかまわないが、この共産主義に対するマイナスイメージについては、まぁ事実ベースで考えても、共産主義として発生した著名な事件を挙げることでいったん思考除外しても構わないだろう。
資本主義
資本主義の良いところは、「自由」がお金で得られるという分かりやすい仕組みな点にある。お金でサービスやモノを得ることができる。
それは消費者の自由意志で可能となる。
これは非常に分かりやすいし、人間としての生き方について、肯定的に考えることができる。
だから、お金をいっぱい得ることは大事なことだ。
ここからスタートして考えたときに、「ゴール」はどこにあるのか。
世界の長者番付的なので、1位の人は、数十兆円らしい。
日本の国家予算、100兆円ぐらいだっけ?
(この辺が頭が悪い一般人なので、調べてみると、2025年は115兆円だった。だいたいあってた、おれすげー)
まぁ、国家予算的な資産がある人もいるということだ。
一生遊んで暮らせるわけである。
だがその、「遊んで」ということについて、どういう生活を送るかによって、色々必要なお金が見えてくることだろうと思う。
この前、試算したが、改めて考えてみよう。
いくらお金が必要か
もうすぐ、40代になるからにして、平均寿命が80歳ぐらいだとして、残り40年だとしよう。もちろん、大病を患うとか、いろんな人生イベントがあるだろうことで、バッファ的な考えは必要だが、あまり複雑なことはおいておこう。
住居費として、7万円としてみる。更新費は2月分としてみる。年間、……と考え始めて、あれ、これもGPTさんに聞いたらいいんじゃね? と思って聞いてみた。
✅【合計で必要な自己資金】
| 区間 | 金額 |
|---|---|
| 40歳〜65歳(前半) | 5,400万円 |
| 65歳〜80歳(後半) | 1,440万円 |
| 合計 | 6,840万円 |
おー。出してくれた。詳細な内訳なども出してくれたし、すごいなやっぱり。
しかし、うーん、そうか。ゴールは、7,000万円ぐらいなのか。
ぜんぜん足りないな……。
さらに、いくつか条件追加して、いつから仕事辞められるのか追加質問したら、「まぁこの条件なら、63歳から辞めても大丈夫そうですね。でもギリなので64歳からの方が余裕あります」って教えてくれた。
そうなんだ笑
前途多難だ……。
小さな仕事
7000万円という、まぁちょっと途方もない数値が出てきたけれども、逆に、なんかの拍子に1億円手に入れば、いまの生活で、毎日日曜日、みたいな生活ができるということか。それはそれでよいかもしれない。
あとがき
(かっこ書きである。もろもろ、生活の環境や、興味が変わったため、もっと、ブログに軸を置きたいと思う。なんやかんや、月1回ぐらい書いておかないと、精神的にも保てない気がしてならない。ブログを書くというのは、一つ、創作であると言ってもよいだろう。消費はやっぱりダメだ。いやダメじゃないし、消費こそが目的かもしれないが、時間を消費で埋めるというのは良くない。時間というか、余暇。余暇というのは、仕事以外の時間。しかし、仕事とそれ以外を分けてよいのかも考えなければいけない。考えることが多すぎて、何も考えられなくなっているのが最近の状況だ。そういう状況自体を整理するということも含めて、ブログは重要。NOTEも始めたものの、あっちは、コミュニティづくりという目的がありそうなので、やはり、なんのしがらみにもしばられない、誰が見てるか、見てないか分からない、こっちのブログの方がインフラ(精神上の)として重要だと思われる)
今日の一言「要約あってると思う。補足すべきことも特にない」
今日の要約:ChatGPTさんに要約してもらったらこんな感じ。↓
ボクはゲームしてたいかな。
でも、最近やりたいゲームがあんましない。
三国無双originsは楽しいんだけど、終わっちゃうとまた寂しくなりそうなので、ゆっくりペースでやっている。
かわりに、ニュースとかネットで漁ってたりするが、うーん。たいがいに、気分が悪くなることが多い。
なんでこんなことすんの?
って人が多いよね。ネットみてると、ほんとに、人間嫌いになってくる。これは、誰もがそうなのではなくて、ボクが、ある程度、HSPよりというか、共感性が高いせいなんだと思う。人は人、ぐらいの感覚でいたらいいんだろうけど、まぁ、なんか共感しちゃうんだよな。
それゆえに、なんか理不尽なことを見聞きすると、イライラしてしまう。
さてでは理不尽とは何か??
ということを掘り下げてくと、たぶん1時間ぐらいはまた書いてそうなんだが、それは今日はやめておいて……。

まず一つ。
これ面白いねほんとに。もっと色々できるようになりたい。
どうも、AIっぽい絵というのはどうしてもなんかわかっちゃうけど、それも一工夫二工夫したりすると、「ぽさ」もなくなる。
もっというと、ぽさは、別にそれはそれで個人的には「イイ」って思う場合もあるから、好きですらある。
ただ、最近多い、リアル系のAI画像は、なんかちょっと「きもちわるい」って思う。
不気味の谷現象だと思う。
イラスト系は、AIぽいなと思っても、別に気にならないというか、むしろきれいだな、かわいいなとも思ったりする。その辺は感覚だろう。
とにかく、もっと色々思い通りに作れるようになりたい。創るというわけではないんだろうかな。
その辺が、まだ新しい技術ということで面白いと思う。
これも面白い。とりあえず、1時間ぐらい、インストとか、使い方動画みながら触ってみてこんな感じのを作成した。

なんだろ、面白いよね!
こんなこともできるんだなーということの連続だった。久々にわくわくした。こういう体験いいね。
ただ、完全に趣味だろう。お金にするというのは中々難しそうだ。だってすごい人が大勢いるんだから。
あと、かなり地道な作業が多い。
しかしこれは、もう10年、15年以上は離れてしまっている趣味だ。
ところが最近これも、Sunoという作曲AIなるものがあることが分かった。これもすごい。
やっぱり言語化するというのは「好き」なことなんだと思う。
これは、中学校ぐらいのときから始めていた「日記」。大学時代は、毎日書くことを365日以上続けた実績(?)もある。
やってるときは、たいしたことない書くことだけならだれでもできる、って思ってたが、いやしかし、毎日続けるというのは、それなりの熱量がなければやはりできなかった。
だって、かくこと、ないもの。大人になると。
自分一人のための日記であれば、なおさら意味がもう分からないし(自分の中での話)、このブログにしたって、「なんのいみがあるんだ?」と思い続けてしまう。
まぁしかし、ローカルな日記よりかは、もしかしたら誰かの目に留まって、なにかしらのカガク反応を起こしてくれるかもしれないから、ローカルよりかはいいかなと思って続けている。
物語を書きたい。描きたい。
今からやるのと、ちょっとでもやり始めたということは、大きな差になっていたと思う。
いまだに、お金とは何なのかよく分からないが、とにかく流動的なものであるということは分かった。
しかし、ゲームはどこまでいっても趣味な気がする。しかし、お金になる趣味というのもあるだろう。映画評論家は、映画をみて、それを言語化することでお金をもらっている。ゲーム実況者などという職業もあることだろう。
しかし、これは中々いばらの道だという気がするし、純粋に楽しみたいというのもある。
ゲームは批評をしたいというわけではないのだ。
ただ、小説や、漫画などは、読んでそのあとに色々感想を言いたくなる面がある。
思うに、ゲームと、その他エンタメとの違いはそこにある気がしている。そこ、というのは、「プレイアブル」かどうかということだ。
ゲームは、自分でプレイできる、この点が重要だと思う。
ゆえに、「ムービーゲーは、そこじゃないんだよな」という批評が成り立つ理由だと思う。
ムービーがきれいなのはそれにこしたことがないが、ゲーマーは、ゲームをしたいのであって、ムービーをみたいわけではない、という論調があるが、これはこれであると思う。
でも、ムービーもあった方がのめりこめる面があるから、一長一短というか、バランスの問題だろうと思う。
ロボットっていいよね。パイソンとか学んでみようかな。とりあえず、コマンドプロンプトつかって、「はろーわーるど」は表示できるようになった笑 5分~10分ぐらいで。
独学というか、まぁ大学などで1コマぐらい授業を受けたような気がするが、基礎は分かってるから、基本的なことはできる。
なんか、これはお金にできるスキルな気もしなくもないが、しかし、もはやノーコードプログラミングの方がはやりらしいので、まぁ不要なスキルな気がする。
でも、楽しいことは楽しいから、その楽しいという気持ちは忘れないようにしたい。
だから、あべいあぶる?スキルってあんまないのが不安。
持ち運べるスキルを身に着けたいよね。待遇はそこまで悪くない(と思う。比べることができないから)から、強く転職しようとは思わないものの、会社を信じるというのはあまりにも危険だ。
人もそうだ。
人自体をあまり信用できなかった自分が、ましてや組織を信じることができようはずがないのだ。
ほんとに自然なコミュニケーションが取れる。さっき、調べものをしていて、Copilotでは聞けなかったことを、ChatGPTが教えてくれたので、褒めたら、「いえいえ、Copilotも強みがありますし、上手く使い分けるのがベストですよ」なんて言ってきた。ボクより人間出来てないか……(笑)
今日の要約:ChatGPTさんに要約してもらったらこんな感じ。↓
筆者は、自分が本当に興味のあることについて考えを巡らせている。実業家のひろゆき氏が「休日に何をしているか」という質問を通して、その人の本当に好きなことを知るという話から、自分の趣味や関心を整理している。現在の関心事として、**Stable Diffusion(画像生成AI)、Blender(3Dモデリング)、音楽作曲(特にAIによるもの)、ライティング、投資、ゲーム、プログラミング、仕事、対話型AI(ChatGPT・Copilot)**などを挙げている。特にAI技術や創作活動には強い関心があり、これらをもっと深めたいと考えているが、職業として成立させるのは難しいとも感じている。また、ネットの情報を見て気分が悪くなることや、共感性が高いため理不尽なことに対してイライラしやすい自分の性格についても触れている。冷めた批評家のようなスタンスを取っていた時期もあったが、現在は熱中することの方が有意義だと考えており、もっと自分の好きなことに没頭したいと模索中である。
まえがき
実業家のひろゆきさんが、一緒に働きたい人を探す際に、土日何してる?という質問をするのだそうな。土日が休みじゃない人とかそういう意味じゃなくて、休みの日に何してる?という質問が、その人がお金を使ってでもやりたいこと、本当に好きなことは何なのか、ということを聞きたいということだろう。ボクはゲームしてたいかな。
でも、最近やりたいゲームがあんましない。
三国無双originsは楽しいんだけど、終わっちゃうとまた寂しくなりそうなので、ゆっくりペースでやっている。
かわりに、ニュースとかネットで漁ってたりするが、うーん。たいがいに、気分が悪くなることが多い。
なんでこんなことすんの?
って人が多いよね。ネットみてると、ほんとに、人間嫌いになってくる。これは、誰もがそうなのではなくて、ボクが、ある程度、HSPよりというか、共感性が高いせいなんだと思う。人は人、ぐらいの感覚でいたらいいんだろうけど、まぁ、なんか共感しちゃうんだよな。
それゆえに、なんか理不尽なことを見聞きすると、イライラしてしまう。
さてでは理不尽とは何か??
ということを掘り下げてくと、たぶん1時間ぐらいはまた書いてそうなんだが、それは今日はやめておいて……。
カテゴライズ
どんなことに興味をもって時間を使っていこうか、ということを考えたい。まず一つ。
Stable Diffusion
画像生成AIこれ面白いねほんとに。もっと色々できるようになりたい。
どうも、AIっぽい絵というのはどうしてもなんかわかっちゃうけど、それも一工夫二工夫したりすると、「ぽさ」もなくなる。
もっというと、ぽさは、別にそれはそれで個人的には「イイ」って思う場合もあるから、好きですらある。
ただ、最近多い、リアル系のAI画像は、なんかちょっと「きもちわるい」って思う。
不気味の谷現象だと思う。
イラスト系は、AIぽいなと思っても、別に気にならないというか、むしろきれいだな、かわいいなとも思ったりする。その辺は感覚だろう。
とにかく、もっと色々思い通りに作れるようになりたい。創るというわけではないんだろうかな。
その辺が、まだ新しい技術ということで面白いと思う。
ブレンダー
あと、ブレンダーも触ってみた。Blenderってかくのかな。スペル。これも面白い。とりあえず、1時間ぐらい、インストとか、使い方動画みながら触ってみてこんな感じのを作成した。
なんだろ、面白いよね!
こんなこともできるんだなーということの連続だった。久々にわくわくした。こういう体験いいね。
ただ、完全に趣味だろう。お金にするというのは中々難しそうだ。だってすごい人が大勢いるんだから。
あと、かなり地道な作業が多い。
音楽・作曲
音楽作るのも好きだった。しかしこれは、もう10年、15年以上は離れてしまっている趣味だ。
ところが最近これも、Sunoという作曲AIなるものがあることが分かった。これもすごい。
ライティング
文字書くこと。やっぱり言語化するというのは「好き」なことなんだと思う。
これは、中学校ぐらいのときから始めていた「日記」。大学時代は、毎日書くことを365日以上続けた実績(?)もある。
やってるときは、たいしたことない書くことだけならだれでもできる、って思ってたが、いやしかし、毎日続けるというのは、それなりの熱量がなければやはりできなかった。
だって、かくこと、ないもの。大人になると。
自分一人のための日記であれば、なおさら意味がもう分からないし(自分の中での話)、このブログにしたって、「なんのいみがあるんだ?」と思い続けてしまう。
まぁしかし、ローカルな日記よりかは、もしかしたら誰かの目に留まって、なにかしらのカガク反応を起こしてくれるかもしれないから、ローカルよりかはいいかなと思って続けている。
物語を書きたい。描きたい。
投資
20代の終わりぐらいから、30歳になってから? 投資を始めたが、これは良かったと思う。今からやるのと、ちょっとでもやり始めたということは、大きな差になっていたと思う。
いまだに、お金とは何なのかよく分からないが、とにかく流動的なものであるということは分かった。
ゲーム
やっぱりゲームは面白いと思う。しかし、ゲームはどこまでいっても趣味な気がする。しかし、お金になる趣味というのもあるだろう。映画評論家は、映画をみて、それを言語化することでお金をもらっている。ゲーム実況者などという職業もあることだろう。
しかし、これは中々いばらの道だという気がするし、純粋に楽しみたいというのもある。
ゲームは批評をしたいというわけではないのだ。
ただ、小説や、漫画などは、読んでそのあとに色々感想を言いたくなる面がある。
思うに、ゲームと、その他エンタメとの違いはそこにある気がしている。そこ、というのは、「プレイアブル」かどうかということだ。
ゲームは、自分でプレイできる、この点が重要だと思う。
ゆえに、「ムービーゲーは、そこじゃないんだよな」という批評が成り立つ理由だと思う。
ムービーがきれいなのはそれにこしたことがないが、ゲーマーは、ゲームをしたいのであって、ムービーをみたいわけではない、という論調があるが、これはこれであると思う。
でも、ムービーもあった方がのめりこめる面があるから、一長一短というか、バランスの問題だろうと思う。
プログラミング
自動化、ってやっぱり面白いと思う。ロボットっていいよね。パイソンとか学んでみようかな。とりあえず、コマンドプロンプトつかって、「はろーわーるど」は表示できるようになった笑 5分~10分ぐらいで。
独学というか、まぁ大学などで1コマぐらい授業を受けたような気がするが、基礎は分かってるから、基本的なことはできる。
なんか、これはお金にできるスキルな気もしなくもないが、しかし、もはやノーコードプログラミングの方がはやりらしいので、まぁ不要なスキルな気がする。
でも、楽しいことは楽しいから、その楽しいという気持ちは忘れないようにしたい。
仕事
投資以外に収入になってる、いまやってる仕事は、広く言えば「事務」なんだよな。だから、あべいあぶる?スキルってあんまないのが不安。
持ち運べるスキルを身に着けたいよね。待遇はそこまで悪くない(と思う。比べることができないから)から、強く転職しようとは思わないものの、会社を信じるというのはあまりにも危険だ。
人もそうだ。
人自体をあまり信用できなかった自分が、ましてや組織を信じることができようはずがないのだ。
ChatGPT・Co-Pilot
対話型のAIもすごい。正直、企業が使うラインとかの、チャットボット的なのをいままで想像してたが、実際チャットGPT使ってみて、その精度に驚いた、というのが、もはやブームが終わった1年ぐらい前だったと思う。ほんとに自然なコミュニケーションが取れる。さっき、調べものをしていて、Copilotでは聞けなかったことを、ChatGPTが教えてくれたので、褒めたら、「いえいえ、Copilotも強みがありますし、上手く使い分けるのがベストですよ」なんて言ってきた。ボクより人間出来てないか……(笑)
