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2010年のために
2010/01/03 22:11 | Comments(0) | 目的・目標
目標を書くとか、そんな感じで行きましょう。
まず、情報は、尽きないということ。既にこの世界では、人間が一生かけても記憶できないどころか、触れることすらできない情報で溢れているということ。できることは、選択のみ。
自己に執着しているという見られ方は本意ではないけれども、「受容」などという戯言を吐いている暇は確かにないために、その人間像は甘んじて受け止めようと思います。
さて、久しぶりに気分を乗せて行きましょう。ただし、「目標」設定ということを忘れずに。
 今年、2010年は、禁欲の年にしようと思っています。
禁欲とは二種類あって、一種類は、「~~をしない」という一般的なものと、「~~をする」という能動的な禁欲。
勉強というのは、能動的禁欲と言えるわけです。私はその両方を目標にしています。
 
ただし、ここで陥ってしまうだろう過ちを先んじて抑えておけば、禁欲が、それ自体目的となるようにしなければなりません。将来のためなどという戯言に耳を貸してしまうことは、自ら奴隷になろうとするようなものです。
良い言葉で書けば、自らを向上させることに幸せを感じるように、ということですし、悪い言葉で書けば、自虐を快とするように、ということになります。どちらもこの場合真実を述べているということに着目する必要があります。このような私の言葉の使い方を、自己納得型の言葉と呼びますが、対する他者納得型の言葉に気を付けようという警鐘なのです。
 
さて、最初の問題提起に戻れば、不可塑な現実において、反省はありえども、後悔はありえないということです。
抽象的な言葉、理想的な言葉というのも天敵です。「真面目」なんて言葉には、真っ先に敵意を向けなければなりません。「真面目」という言葉を利用して、それを「嫉妬」という美しい概念に昇華させる余裕があれば越したことはありませんが、現時点で生起している感覚を無視することは、害にしかなりません。
 
ところで、目下重要なのは、遠藤 敬之という私自身を、どう扱うかということになります。
今わたしは、mixiとこのブログと、サイト運営という三又をかけていますが、はてさて、そのような余裕があるのだろうかということです。
確かに私の本質は、自己紹介で書いたように、多面的であります。
多面的であることを確認するために、いえ、強化するために、忘年会や新年会というものに積極的に参加し、手ごたえは感じました。
具体的にいえば、「空気を読む」「役割意識をする」ということです。
注意すべきは、そこに「自己」を介在、注入することでした。自己を抑圧することは確かに可能ですが、陳腐で幼稚な方法です。如何に自然な自己を入れて、なお、俯瞰する「自己」を存在させることができるのか、その実験でありました。
実験という言葉が示すとおり、私はその場にいてその場にいないようなものでしたが、間違いなく、ある意味、ある面において、私はその場を楽しむことができました。そのため、完全なる成功といえました。
 
このような、自己言及的な文章そのものが、「自己満足」であるという謗りを受けるに十分なものですが、ここでまた当初の問題に戻りまして、自己言及以外の問題が、私の中で存在し得ないのだという事実、これこそ、私が長年気付かず涙を流していたことなのでありました。
ここで、ネクラ、卑屈という謗りが発生しますが、しかしながら、この事実(概念)の気付きによって、私は現実的において、明るく、思いやりある人間になることができたのです。
私がよく用いる、「死」こそ最大のポジティブだという矛盾概念、確かに矛盾するがゆえに多くの人に理解されることはありませんが、私の中で燦燦と光を放って私を魅了し続ける唯一の概念なのであります。
 
私が唯一信じているのはそれであり、ゆえに、それを「神」という名で呼称することに、私は何ら違和感がありません。そしてその神自体が自らの死を望んでいるため、私としても、神を信じながら、神を真剣に殺そうと試みるのです。しかしながら、その殺害の意志が強固であればあるほどに、神の強力さが私の力となるのです。
 
「自己満足」という非難は確かだろうと思いますが、私が変わったと実感できるのは、自分への執着から、神への憧憬へと変化していることだと思われます。もちろん、神という言葉が適切な表現でないことも知りながら、それ以外の言葉を私は知りません。
 
さて、こういった言及は、私に、自己欺瞞を生じさせるだけであり、全くマイナスになる事柄なのですが、しかしながら、2010年の始まりとして、こうした記事を書くのは悪い事ではないでしょう。
 
要約すれば、禁欲を目標に掲げ、その内容と、その方法について述べただけです。


COMMENT:

AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 01/08/2010 23:57:46
> その場にいてその場にいないような

 この感覚は、自分と遠藤さんに同一というレベルで内包されている『自己完結の牢獄に潰される苦痛』というのを、感じてしまいます。
 この感覚は、他人には見えない葛藤が半端ない。自己完結というのが『何が苦痛?』かを考えると、自分という媒介が、ドバドバと洪水のように思考させる被害妄想でありそれに屈すると、他人を、他人として見れなくて、自己完結された妄想体と混在してしまう。
 そして、妄想をリアルに外在化させると、羞恥心によって、とても気が気でないダメ-ジを背負って翻弄する。

 過去を割切る思考に関しては、自分や、遠藤さんは度を越えているレベルになります。他人と会話してコミュニケ-ションエラ-を引き起こすのは、引用したような『過去に自分を存在させる権限がある』考え方ができてしまい、人との会話が、支離滅裂になってしまう。コミュニケ-ションエラ-の度合いとしては『キャッチャ-を自己完結で妄想する』という仕組みにより、キャッチャ-(会話の対象者)に向けて言葉を投げているつもりなのに、自己完結の生み出す妄想体に向けて、気づいたら言葉を投げて会話がズレる、というレベルを飛び越えてしまい、まるっきり明後日の方向に、言葉(ボ-ル)を投げてキャッチャ-(対話の対象者)は呆れたりもします。

 相手が呆れているというのも、自己完結の妄想感情でしかなくて、リアルに相手の心情はどうなのかはまるっきり分からなくなっている。自分はきっと、このコミュニケ-ションエラ-が、たまらなく嫌で他人を見透かすほど理解し抜こうとする癖がある。

 ザックリと互いが苦痛として所与する、自己完結の循環を述べましたが、言うまでもなく遠藤さんや、自分レベルの自己完結という妄想に狭窄された折は難攻不落そのもであり、ふと、自己客観してみるとあたかもキチガイのような自分を、感じてしまう。

 しんどいッスよネ、自己完結ってのは。対処法など何もないのは、欲が欠如していることが、自己完結という『無駄なベクトルでの思考パタ-ンを強制』してしまう。欲がない者は、総じてベクトルのない真っ白な世界という苦悶を、重たく抱えています。

 自己完結された自分が、凄く明るいのに、周囲には暗いと捉えられてしまう。そして、他人に流されることのない、動じない自分が形成されるのですが、そうなればなるほど、自己完結はより難攻不落さを増して行き『他人というリアル』が、自分の妄想により生み出された『自分が脳内占有する幻想体』により、距離を突き放されてしまう。やがて、自分がリアルにいるのかを疑うような嫌な気持ちに陥り、何が何だかわからずに『後付けの勢いだけの理由』により、自滅の暗黒に溺れてしまうのを防げない。

 長々と述べましたが、ここらは理屈として隙がないほど『一般の非にならない崩れない自己完結』を、意味してもいます。口論には強い、しかしながら、あくまでも自己完結の妄想リアルを脱せない。強い現実感がありながらも、まるっきりリアルではない精神世界に閉じ込められたまま。更に言うと、妄想により生み出す幻想世界の激しさとは、一般の非にならない『束縛の僅かな自由な思考』が厄介であり自由なのにも関らず、自己完結という狭いイメ-ジだけでしか、自分が存在しているかの実感がない。

 この見地から、遠藤さんは『孤独感に弱いが平気』という自分と同一の孤独感の苦痛があるなと、判断してもいます。『寂しい』という孤独感はあれどもそれよりも『妄想の洪水に耐えられない痛み』が、恐らくあるだろうと思うんです。『恐怖感の対象』というのが、分からない。にも関らず、何故か凄く怯えている自覚が激しくて、自分を臆病なのだと、妄想だけで、自己完結して、リアルでは臆病かも、まるっきり分からないことに、苛々したりもする。

 他人の評価がズレている、しかしながら、こちらはズレた見方を許されない。何故なら、自由な思考をできるので。自由は、自己完結の苦痛と比例する。

 いつも、どうして人は過去を自分と同じように遮断できないかなと思っていました。『リアル空洞』が過去すら自由に思考できてしまう、現状かなって。

 リアルな空洞が激しすぎるので、過去を代償にする癖が染み付いているんです、自分も、遠藤さんも。

 リアル空洞を焦って埋めようとすれば、何しようが空回り、火だるまとなる。かといって、受動なのは『何もしていないと責められる妄想に溺れる』ので常に、全力で能動でいなければならない。しかし、それには莫大なメンタルの強さを要します。かつ、このメンタル強さは、過去に自由な思考しなくてもリアルに欲を素直に満たせる者には『割合』として強がりと捉えられることが多い。この『割合』が、他人を信用することが、苦痛と感じる元凶ッスよ。


 この点、自分は他人と向き合えば、他人しか視野に入らなくなり、津波のような妄想はすぐ拭えます。
 逆に言うと、一人と実感した途端、自己完結という妄想世界は、自分ではない他人を、リアルで実感をしていた感情の持続が尽きると、一気にリアルから遠のける。孤独感の機能、恐らくはお互いサッパリ正常ではないと判断します。越えているんですよ、一般の『ヤバいライン』を一人だと感じる時間で。

 かといって、馴れ合いは、生理的に耐えられない。

 人は、徒党を組まなければ、この世界では孤立が、どんどん手に負えなくなります。孤立するほど妄想というのは、魔物のように強大さを増してしまう。

 ‥‥とまあ『半端を無視した自己完結の妄想』で、遠藤さんを妄想したコメントをしてみました。ただ恐らく、的は外れていない。何故なら、自己完結をする者は、現実感は強烈にあるので。なのでこそ、妄想に生きる、リアルにいない現実感が苦痛ッス。

COMMENT:

AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 01/09/2010 00:09:29
 最初のコメントは『手に負えない自己完結の暗黒』を素直に理屈化しただけです。素直な気持ちであろうがそれは、リアルでは卑屈とされてしまうせいか、気がつけば、卑屈を常として組み込んだ人格となります。

 しかしながら、リアルは卑屈さを悪とする『割合』が途方もなく高い。卑屈でないのに、卑屈になるので、自己完結という牢屋に、半端な気持ちでは戻らされてしまいます。では、どうすればこの悪循環を断てるかと言うと『恋人』という『自分を固体としない存在』しかない気がします。遠藤さんは、自分同様に、並の恋人欲など非にならない恋人欲を抑制しているような気がします。何故なら、妄想にうんざりし過ぎであり妄想そのものは悪ではないのが、妄想をジャッジする存在とは『比率として多数に該当』する者だけッス。

 なのでこそ、他人を見下している気持ちがないのに、周囲には『偉そう』だと映ってしまうリアルがある。

 恋人とは、このリアルを変化させる鍵そのものです。

 恋人を除いた鍵は、地位や、金しかない。けれども、それに無関心でこその、自己完結の暗黒であり矛盾。

 あらゆるものが、自己完結が気を抜いたら生み出す、妄想による矛盾ですが、人は、そこまで固体としては気を張れる道理はない。孤独感は、張り詰めた神経を解放させたい締め付けられたような呼吸困難かなと。

COMMENT:

AUTHOR: 遠藤
DATE: 01/10/2010 13:24:13
 これほど適切な分析は、未だかつて無かったと思います。「的は外れていない」と謙虚なコメントをされていますが、差異を見出すことの方が苦労します。

 例えば、上記の文章に、「今のところは」という言葉を付け足そうとしましたが、顔文字さんに関しては全く必要ない言葉だということが痛烈に感じられました。

 何故コミュニケーションエラーが発生するのかという、現実的なアドバイスも非常に参考になりました。そして、その対処法を実践され、現に実現されている顔文字さんには頭が下がります。

 それゆえの、他人と向き合う、恋人つくれ! というアドバイス。受け入れざるを得ない部分ですね。
>‥‥とまあ『半端を無視した自己完結の妄想』
ブレがない分、100点か0点だったことでしょう。よくぞ書いて頂けました、といった感じです。


 しかし、これは、今まで一切触れてこなかった、いわば切り札的なことなのですが、ここで初めて少しだけ触れたいと思います。
(もしかすれば、顔文字さんのせいで(おかげで)これから先の記事はそちらへ関心が移るかもしれませんね……)

 といっても、ストレートにそれに言及できるほどわたしの語彙力はありませんので、やはり外堀から埋めるかたちになりそうです。

 前置きはこれくらいにして、即ち、「恋人」という概念についてです。
 端的に言えば、「恋人欲」というものが、全く理解不能、意味不明と化しているのが現在のわたしの状況といえます。
 目的を達した後の、瞬間的な充実感と、眼前に広がる切り立った崖。

 わたしとしては、顔文字さんの状態が、理解したいと希求しつつも全く分かりません。
 といいつつ、知りたいのは次の単純な一点。
「恋人」が主軸となっているのか、「恋人」という軸を主軸に構築しようとしているのか、について。
 自己完結のリスクに触れられていることから、前者を理想としていることが読み取れますが、現時点での状況がどちらなのか、それによって、このあまりにも適切で的確な上記顔文字さんのコメントの文脈が異なってきます――もちろん、どちらも未だかつて無い重要な意味をもちながら。

COMMENT:

AUTHOR: 遠藤
DATE: 01/10/2010 13:32:44
 不思議なのは、顔文字さんという存在です。
 顔文字さんは、上記のような洞察を、どのあたりで得られたのでしょうか。
 もちろん、今回の記事を読んだだけで書ける文章ではないことは明白です。
 わたしが最も言及したい部分、しかしそれは、わたしの能力では、文章の中には到底表せるものではありませんでした。
 基本的に、コミュニケーションエラーが発生するのは明確で、書けば書くほどに、つまらない作品しかできない矛盾を抱えていることでありました。

 単純な疑問として、顔文字さんはやはり、天才か、それに準じるような特殊な人なのでしょうか?

 わたしが今考えているのは、例えばミクシィのよなコミュニティで発生するようなやりとりが、顔文字さんの前提を踏まえた上で、その延長線上のコミュニケーションなのかどうか。
 とすれば、それこそ、わたしが「偉そう」と印象を受けるのはその通りであり、わたしも意識を改善しつつ、猛省しなければなりません。

 逆に、顔文字さんが特殊なのであれば、わたしの中に、例外者意識という危険な思想が発生し、恋人以前にその制御対策に追われることになるでしょう。
-----

COMMENT:

AUTHOR: チリリン
DATE: 01/10/2010 13:43:20
 あはは、しっかし、卑屈に関しての(一連の)コメントは面白い。
 ああいうのを、「卑屈」とかネガティブとかに感じるというのが、ホント面白くて、笑ってしまいます。
 そこら辺の感覚が、エラーのもとなんだと、身震いしましたが……。

COMMENT:

AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 01/11/2010 07:59:24
『恋人の何が良いのだ?』ですよネ。まず作らないと理解不能。更に言うと、作ったところで『恋人をとことん理解し抜いた』誰かに『恋愛という支配空間』を聞かないとすれば、遠藤さんは、自分と同じように『三日で飽きそう』という脅迫観念などが具現化されるだけな気もしています。ただそこまで飢えていないのかな-とも思えたのは『スキ』というのにリスクだけしか、感じていないからなのかな?スキは理解をしなくても、何故か、理解している感情。

 でも、検証してみたいなとは思いますネ。

 他人の両想いを見ると『楽しいのかな?』と思いますし、無欲であろうが、恋人には欲はあり、なければ確実に生きていない。

『スキ』は一度でも理解すれば、外見だけでも自在にスキになれます。だからこそ、昔と違い、きっかけないリアルがキツイ。

 言うなれば『恋人の良さだけ仕込まれた』状態で、覚悟していたよりも嫌な終わり。

 初恋は『未知のジゴク体験』でしかなく、素晴らしいことに、恋愛の奥底の激痛を、最後まで容赦、手加減、など一切なしに、お相手してくれました。未だ感謝なし(汗)


 本題に入ります。女性に言う台詞ですが‥

∟∟∟∟∟∟∟∟∟ ∟∟∟∟∟∟∟∟∟
この世界は、自分ら二人だけの、遊び場と
なるんだから、何も怖いことなく、ただ、
楽しめるように互いに高みを目指せば金の
ことも考えずに、楽しみ抜けると思うよ♭
∟∟∟∟∟∟∟∟∟ ∟∟∟∟∟∟∟∟∟

 女性は、強引な口説き方でなければ、駄目なのかな?ってくらい『気持ちが伝わる』『凄く元気になれたよ』でおちまいッス。

『高みを目指す』がアウトと指摘されてもいます。『それはプレッシャ-だよ』と。

 プレッシャ-与えないようにする部分は、自分の強みであるのが、口説いて一度でも恋人を経験しないと、分からないんです。

 ただ、せっかく分かっても、きっかけが‥

COMMENT:

AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 01/11/2010 09:04:02
 洞察力は『人をよく分かっていない』といった度合いが桁外れなので、高くて当然なんです。

 人を理解しているのは、人が理解できなくて。

 という矛盾していますが、原点は『笑いたい』『何故、人はすぐに笑うのかな?』というのが
人の思考を見透かせる、執念に生んだ洞察力。


> 猛省しなければなりません

 たぶん猛省することは、半端を悪化させます。

 反省は、自分がジャッジできないことが、最もつらくてしんどいからこそ、反省なんですよ。

 自分でできる反省は、自傷レベルです。言わば『反省を○○日は何があろうがしない』などが本当の反省です。何故なら『何かを理解する』というのは、これくらいの苦痛ならば、確実と
なりますが、半端は『自傷した。終わり』このエンドレスでしかありません。何故、一度でも
『ブレ-キあるレベル』でも、全力主義となる者は、ブレ-キ(半端)を触れないようになうかというのは『何も得ない半端な苦しみ』が一体どれほどかを、肌で感じ取るからです。自分は全力主義では『レベルマックス』となります。

 ですが、最も良いのは『ギアの最も低い』まだブレ-キが『ある』という戻れるレベルかな。

 レベル区分すると『五段階』浮かびます。例を挙げると『どん底に触れた』場合は、レベルが
二つは上がるかな。元々の精神が、真っ白だと確実に全力主義の低レベルにはなるでしょう。

 真っ白だと、社会の黒さに目を背けることってできないので、現実感が強くなり、一人だけで
苦痛を感じる虚しさ、寂しさで、そして妬みを抑えきれず、黒転します。自分が黒転できない
理由は、純粋という普遍により。更に言うと、純粋は全力主義ではマックスになってしまい、
ドス黒い思考に、真っ白な精神で耐えてしまい既存の真っ白で繊細な精神で、しんどいかな-


> 偉そうと印象を受けるのはその通りであり

 これは、文章を読めば見えますよ。というより日常で何を考えながら、感情がどう動くかは、
恐らく、外しはしないでしょう、文章が動いた感情にしか、読めないですから。何故なのかは
『思い遣り』という感情の動きが同一だから。

 読解力が、桁外れにありません。だから文章は読んでいませんよ、感情だけを見ている程度で
流し読みでしか、文字などは見ていませんよ。

 流石にこれだけやりとりすれば、文字でどんなことを書いても、恐らくは関係なくなるかな-


> それに準じるような特殊な人

 天才程度に、劣りはしません。『苦労人』って特殊な人かどうかが不明ですが、自分は苦労人
なので、たかだか天才レベルの苦労なんぞは、全部、自分という存在感ない者の精神で喰らい
越えられると感じます。苦労すれば、天才は、如何に『半端は進歩しない』かを理解します。

 全力主義など、誰もがなりたくてなったりせず己の小ささ、何もかも分からないで死ぬのに、
迷いが出る意気地なしな自分を殺したい思いでなるのかな-って気がします。天才を卑下して
いるのは、天才より、純粋が遥かに苦痛なのは時折、天才が残した戯言を知ると、実感して。

 人は『阿呆で素直』という『愚直』が、何よりバランス良いですよ。天才が何故、くたばるか
とは、神経系列がしんどい割に、何も得してはいないと嘆ける、甘い恵まれた苦労人なので。

 因みに、初恋相手も『天才風情など』タイプで『人類全部を敵に回そうが、全力に勝てない』とまあ、相性最悪だと危うい、真っ白な精神が黒転した『完全虚偽者』でしたが。全力主義は
天才を核下扱いするのは『どういう仕組み』か苦労人の方が見透かせているからです。逆に、
自分を理解できる人間、この世にいませんよ。

 自分には、凄まじく分かり易い人間だったのを『他人に理解されな過ぎる』ので、普遍なのを
滅茶苦茶にして、滅茶苦茶な精神を安定化して落ち着いているので、仮に『虚偽皆無制限』という自己ル-ルなければ、自分自身ですらもう完全に自己統率など不可能に、滅茶苦茶ッス♭


 苦労はすべきではありませんが、もし苦労してしまうことあれば『何故、見透かせる』かは、
遠藤さんは『同じ思考体型と感情の動き方』をしているので、造作もなく完璧理解しますよ。

 逆に言うと、苦労人の頭脳はほぼ底なしですが理解できる者が天才より少ないので、努力とは
『ただ死に純粋に歩み寄るだけ』となります。

 反省するというのは、自傷すると公言しているレベルに過ぎません。何故なら、苦労人という
特殊文化圏は『自分と、他人は、一人の他人』こんなん(笑)理解できるのは、相応に苦労した
者か、あるいは、強制理解の空間支配、洗脳、という以外は、人には不可能な領域ですよん♭

『天才の定義』は、色々と改変されていますが『共感能力』という旧式天才は、世間にすれば
天才と言われる凡人としての偉人クラスです。

 次の『神経系列に特殊な苦痛がある』天才が、自分と同ジャンルの『前例ない』になります。

『特殊な苦痛』あれば天才というのは理屈には伴いますネ。不眠症だって、天才の定義です。

 自分は、生まれて半年後に、世界が黒い石炭のような闇に覆われて、死のうとしていた記憶を
鮮やかに覚えています。これを言うと、天才と言う人もいるので、該当者かなぁ-なんて(冷)

 一応、これトラウマですよ。苦労人はトラウマというのを常とするほど、苦労してはいます。

この時点で『生きない方が良いです』と医師に言われるレベル。苦労し過ぎると、生きるのが
間違いという生涯になります。だから、他人に何されようが、怒るなどありません。我が侭を
いくらしようが許されます。まともな人には。

 なので『同情嫌悪感』は半端ない時期は確実にあるのですが、それすらも消えてしまいます。

 闇などは、純粋という苦痛に比べれば、綺麗な世界を苦しみで見れる、単なる祭でしょう(笑)

 とまあ、これらは『究極の純粋』という全貌。無欲レベルに着目すれば、才能が乏しいという愚痴で、内面を侵食された人と見透かせます♭

 苦労を除けば、確実に完璧レベルの無能ッス。

COMMENT:

AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 01/11/2010 09:06:02
> 謙虚なコメントをされています

 謙虚なコメントしていません。これはそういう『雰囲気』のが、伝わるのを理解した上で勝手になってもいます。

傲慢/謙虚は本来、存在しない概念♭



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