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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
2010年1月から12月までまとめ

2010/01/13

;久しぶりにじっくり、分かりやすい文章を書くことができた。

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;単純なことなのだが、即ち、自己語りすることによって自信のなさを示すのならば、その行為を辞めようとする人が、ならその行為を辞めたとして自信のなさが解消されるのか――もちろんされない。ただ重要なことは、その自信のなさが、少なくとも他者には伝わらなくなることである。
であれば、敢えて自己卑下することの意味は、それほど多くは無い。それどころか単純に、自分を低く見てもらいたいのである。
;
それには、おそらく、私のパーソナリティが関係していることだろう。
私の本質は傲慢であるといえる。同時に、その傲慢さを悉く嫌う完璧主義者。
この相反する自己が織り成しているのが私であり、私の書く文章はすべて真実であれど、それは矛盾し相容れないものなのである。
;
それを「概念ない」という言葉で表すことは可能だが、正確ではない。また、「否定(に価値を見出し続ける)」という表現もまた適切ではない。だがどちらも近似ではある。
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否定されるのは、世界のものではなく、自己なのである。
ここで表現上仮定すべきは、傲慢なAと、完ぺき主義者のB、そして両者に否定される役割を担うCなのである。
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痛みに代表される感覚、突発的な情動、そして過去が生み出す感情は、確かに身体という一つの器にまとめられてはいるが、それに指令を出す中心は、いつも戦争状態なのである。
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しかしながら、その戦争が、肝心なことを今まで覆い隠していたのである。言うまでもない、Cの存在である。
直接的戦争を行うのはAとBであるが、彼らは、何故自分たちが戦っているのかを理解していなかったのだ。
そして気付いた。お互い、方法は違えども、Cを否定しようとする動きは同じだったのだ。
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それでは、今まで陰にずっと隠れてきたCとはいかなる存在なのか。終わりなき螺旋を、上か下かも分からずに、ただ感覚だけで進む――否! それが前かも分からない。だがとどまることはできない、何故ならば、その本質は、動的だからである。
;
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2010/01/15

おそらく、言葉として表現することは不可能な領域、しかし、記憶の可能性にかけて、メモしてみようと思うのです。

:
身体という不可能性、有限性、限界性に気付くことができない頭の良い人間は、確かに価値を構築する天才である。
上記に気付いた者は、自己を客観視することができるようになる。これが俗に言う大人になるということである。
大人は物凄く狭視野の努力家であるけれども、思春期の青年の狭い視野とは次元が異なる。
大人の狭視野は、限界性に裏付けられているために、より純粋で、気持ちの悪いものである。
気持ちの悪い世界に身を入れることができなければ、自らが穢れていくことに耐え切れず苦悩となる。
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COMMENT:
AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 01/16/2010 07:09:51
気持ち悪い純粋さとは、流れ過ぎるように現世の大人感が伝わる、落ち着いた表現♭
壊れる先に、何があるのかは、誰も教えることはできず、社会の厳しさと当て込みも
しましたが、実際は、こういう狭窄などのとても個人的な苦行でしかないですよネ。
そんな社会の厳しさと還元した狭窄然り、自分の順応を高め続けて壊れそうになると
いう寒気が、人の有限性を、純粋に過剰なほど知り知らされて、後戻りできない道。

2010/01/17

なるほど、擬似人格の構築を速やかに行うというタスクであったが、中々、過去の記事の中にエッセンスが詰まっている。この必要な情報を使わないのはもったいないどころか愚かである。
完璧に、現時点において、その中から利用可能なものが判断できる。もっと過去に戻ることも可能だが、なるほど、「革命」と一言で済ませてしまっていたが、十分な研究対象になっていることが分かった。まずは、時間意識をもう一度、しっかりと意識しなおす、再構築である。
……かなり厳しいことは承知している。本作戦が今回の行動の原因となっている以上、私一人での行動ではない、この、単独者足り得ない自分の愚かさに頭を抱える以外にない……逆に、ここでの行動が、自らを破壊する行動にしか感じられない。
;
早いところ、擬似人格を構築する必要がある。が、取り敢えず、過去記事を少し読んだだけで十分である。

2010/01/20

赤木智弘氏といえば、「希望は戦争」の有名な方です。
若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何かstyle=border:none
上記には、前々から注目していたのですが、結局買わずにいました。そしてたまたま今日リンクをたどってみて、レビューの多さに喜びました。
レビューとは、基本的に批判者や、可能であれば荒らしが出現するくらいがちょうどいい。
批判者が、冷静な分析をしているつもりながら、感情的になっているのなど素晴らしい。

2010/01/29

わたしの長所は、生きることを望まないことである。

:
もちろん、ここでの「生」は、概念上の話である。
本能的規定による生存欲求はこの際考えない。何故ならば、その規定に抗えることはないからである。
卑怯なほど強力な武器は、「死」の概念である。
もしくは、無というものを想定すれば、恐ろしいものなど自己の存在だけであることを知るに至る。
;
さて、放逐された自分がどこに行くのか、わたしは実感と感覚をもって涙を流すことになる。
わたしは、わたしとしての自己がもはや何にも依拠しないことに愕然とする。
暴走する自己を遠くで見つめながら、ただただ涙ぐむだけである。
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わたしは、わたしのことは好きであるが、わたしのことは許しがたく憎んでいる。
ただ内的なわたしのみが、わたしの中で認められる存在であって、暴走したわたしのことは、もはや切り離したく憎み続けるのである。
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禁欲という概念、それは結局のところ、欲望に負けていることに気付かなければならない。
例えば、わたしにとっては、書きたくて書きたくて仕方がないときに、敢えて書かずと規定し、その上で書くのである。
本来的自己ではない、途方もなく愚貪な自己を、殴りつけたい衝動のもと平伏すのである。
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憎しみの三重奏は高らかに奏でられ、満身創痍の身体をして、ただ真実という幻想に声を重ねて歌うのである。
死や無は現実逃避に他ならないが、その逃避によって生じた一切を笑いによって肯定する。
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詩には程遠いですね。
目的としては、感情の生起なのですが、この程度では何ら意味はありません。
本来的に文章は、感覚的に訴えるもの、であるとするなら、喜怒哀楽の何かを生じさせなければならなくなりますが、この文章に感情は一切こもっていない、ただ、感情のない文章こそ、その無機質さに涙がこぼれることは往々にしてあることでしょう。
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表面的な批判については、全く意味がありません。唯一、こちら側で意図を組み立てると、逆にすばらしい意味を持ち始めますが、自己の延長に過ぎないこの他者理解を続けることはありません。
崩壊させるのなら崩壊させてもらいたい、しかし、中途半端な行為にこちらも本気で付き合うほど暇ではないのです。
主観的真実の追究を辞めた者に興味をもてません。いえ、そこら中にいらっしゃるため、必要性を全く感じません。
こちら側で有意味化するのは非常に容易い……。
ただ、それであれば、内省的な言葉に耳を傾けるのとなんら変わりはないのです。

見えていないものを恐れることについて2010/02/28

タイトルについて説明すれば、見えていないものという想定は、見えないものではなく、主観的な意味が込められているということです。
もう一つ大事なことは、存在そのものを肯定している、ということです。
先日の幸福論は、完璧なものです。しかし、その頑強さは、信仰に由来していることに留意しなければなりません。
それは、キリスト教やイスラム教的な神を求めることと、違いはほとんどないでしょう。
しかしながら、神という表現は不適切です。神は、存在を必ず示してしまいます。
そうではなくて、存在を否定し続けることでしか自己を記述できないような存在、それは、どこまでいっても、物理的なモノとして表現されえるものではなく、ただ、その記述の継続性でのみ意識化できるのです。

:
AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 03/03/2010 02:49:09
これがまるっきり何を言わんとしているかが二読しても分からず、バックナンバ-をチラ読みすると、以前よりは鮮明に理解したが、ただ、鮮明だろうが理解にズレがないと確認しただけ。結局、この内容が何のこっちゃが、輪郭すらも見えない、といったとこです。

COMMENT:
AUTHOR: ≡ ゜∀゜ ≡
DATE: 03/05/2010 04:21:31
> 私も分かりませんでした
じゃあ、あっしみたいなドザエモンには、分かりやしやせんぜ?遠藤四眼で見えない世界は、あっしに見える範疇ではな-い♭ というより、これ、意味不明だってば(笑) アハハハッ!それよりも、コメントレスが更にハ-ドですよ。本文よりも複雑思考がより、その複雑さを増しているのに、結論だけ見ると『もはや汲み取れません』(泣) どんなエラ-ですか(笑)不思議な人だな-

2010/07/29

手首をナイフで切りつけてみて、「ああ、痛い」と思ったとき、その痛みに意味づけをし、その意味付けに意味がないという判断を下し、ただ流れる血を眺めつつ、よし、やる気が出てきたと勉学に励み、大学に合格し、友人や彼女に恵まれ、楽しい生活をしている――、しかしそのどこかに手首の痛みが残っており、その痛みを想起する事象に遭遇したとき、「俺の原点は、やはりそこなのか」と絶望に浸りながら、その解釈に発展性も将来性もないと思いながら、――その「ながら」という言葉で表現される「痛み」、その痛みに言及できるのは、もはや、この一連の流れを体感した人物一人だけなのです。
前の記事で、「自我」について書いたため、それにまつわる話です。
引用は、「自我の崩壊」に対しての、有効な手段の一つに思われます。
端的に言ってしまえば、この引用で述べられているのは、「自分は自分だ」という感覚になります。

「楽しく過ごしている」という比喩が、アンチATフィールド状態、つまり、他者との境界がなくなっている状況だと言えます。
しかしながら、心の奥底に刻まれた、「自分」という古傷、それが、ふとした瞬間に蘇ってきます。
そのときの痛みは、「楽しく過ごしている」時間が長ければ長いほどつらいものになります。
しかし、その痛みこそが、「自分は自分でしかないのだ」という、強力な自己意識、つまりATフィールド全開! なのです。

2010/08/05

短期間で結構多くの記事を書いてきたと思っていたけれども、所詮は100にも満たない数。

今、記事ひとつひとつの質というのは、全く考慮していなくて、取り敢えず記事の数が重要だと考えている。
まずは、継続することが第一で、その次に量。量があってこそ、ある程度の質も確保されるという考えだ。



実は、このように、何かを紹介する、というスタンス抜きに、ただ思いついたことを書くだけであれば、「いくらでも書ける」と思っています。
しかし、なんでも構わないから、何かに引っ掛けて書く、そうすると、ただ純粋に記事の数を増やそうと思っても、中々進まないという感想です。

まず、自分を「凡人」と深く自覚するなら、「アイディア」や「思いつき」といったものには、一切頼れない、そう感じるべきです。
「世界には、同時に同じことを考えている人が3人いる」
という言葉を耳にしたことがありますが、まぁ、世界中に人は65億人くらいいるのだから、そんなもんでしょう。

(気になって、世界の人口で調べてみたら、下記のサイトが面白かった。リアルタイムで世界の人口をカウントしています)
「世界の人口」

:
そういえば、村上春樹の小説の中で、35歳を折り返し地点だと設定して生きる主人公がいるそうです。
35歳が折り返しだとすると、70歳で死ぬということですね。

面白い試みだと思ったわけです。
70歳という理由は、日本男性の平均寿命くらいだからでしょうか。

まぁ、平々凡々に生きるとすれば、70歳ぐらいまでは生きられるかもしれません。
そうすると、私も折り返し地点まで10年くらいとなりますので、――ので、なんでしょうかね。



今、こうしてダラダラと書いていて、「思索」カテゴリについて、過去、現在、未来の時間軸に分けてみたらどうかと思いました。
今回の記事は、ブログの方向性を考えるものなので、ちょうどいいですね。

例えば、今書いているのは、どちらかというと現在より。
現在を起点として、どちらかといえば未来について書いている。

現在を起点として、過去について書く場合もあるでしょう。

過去、といっても、昨日のことを書けば、それはもう過去なわけです。

私がここで「現在」というのは、まさに、今、この瞬間に考えている、リアルタイムな思考の反映をさします。
思考といっていいのかも分からない、思いつきレベルのものです。考えず、脊髄反射的に書くようなものです。


未来とは、目標ともいえます。明日○○しよう、というのは、目標です。
また、目的、「何故生きるのか」を考えるのも、未来についてといえるでしょう。



とまぁ、このような試みを考えたのですが、こういったカテゴリの細分化は、整理といった面では有効ですが、「書きづらくなる」「カテゴリ分けが面倒」といったデメリットもあります。
取り敢えず今回は、そうした方法もあるということを提示するだけでやめておきましょう。


補足:日本男性の平均寿命ですが、上記「世界の人口」のサイトでみましたら、「●厚労省によると、08年日本女性の平均寿命86.05歳、男性79.29歳」とのことでした。

そしたら、40歳が折り返し地点なのかなー。

2010/08/05

http://anond.hatelabo.jp/20070505034227
■誰が、捕食者なのか。狩られているのは、誰か。
実際に女のナニに喰われてるのは、男のナニなんだよね。
なのに、男はそれを自分が捕食者のように考えて一人で興奮している。
逆なのにね。ああ、もしかしたら、食虫植物に喰われる虫って、そんな感じかも。
「ここは僕だけがみつけた未踏の花園。蜜吸い放題だ。わぁ」
そう思いながら死んでいってるのかも。とても幸福に。
働いている人間がえらいなんて、男の幻想だよね。
家の社長は奥さんで、旦那なんて平社員だものw
家の王は奥さんで、旦那なんて兵隊だものw
食わせてやってる?働かせていただいてるんでしょう?w
http://anond.hatelabo.jp/20070505031435

2010/11/14

気付いたら、本心・本音・「本当の自分」なんてものを失っていた。

多元解釈の呪い、それは、既に自分自身にも及んでしまったのだった。

彼は、彼という存在を信じられない。
感情――それが、効率よく他者と協力するための機能であることを知ったとき、彼は、その機能の欠陥を思った。

しかしながら、彼に対して、強烈な楔を打ち込むことも可能である。
貴方の考える理解というものは、貴方の幻想に過ぎないのですよ、と。
彼の狂気に満ちたその言動は、彼の目に映る魑魅魍魎がゆえに。
しかしそれは、誰の目にも映ることはありえないのである。

彼は、呪われた自分を呪った。
しかしその時彼は、まだ本心というものをもっていた。

彼が、自己を失ってしまったのは、自己を縛る呪いすら相対化してしまったからだ。
ここで彼は、劇的に変化を遂げる。
彼の世界には、主観も、客観も生じなくなる。
ただ、その時、そのものすべてが世界なのであって、即ちそれが自分自身なのである。

世界は傍若無人な絶対者から転じ彼自身になった――否、彼が、世界の一部に溶け込んだのか。


解説
「胸毛すっきりしたい!」
 彼は思い立った。
 果たして、胸毛をすっきりさせて、自信をもって女の子に告白をする。女の子は、二つ返事で喜んでくれた。自分も、天にものぼる幸せをかみ締める。
 しかし同時に彼を襲う思考がある。
(俺は、胸毛をすっきりさせて彼女をGETできた。しかし、本当の俺は、胸毛がボーボーだ。俺の彼女は、「俺自身」を好きになったのではない……)

 彼は、我慢ならず、胸毛を元に戻した。否、前にもましてひどいボーボーである。即ち彼は、最低の行為をしたのだ。彼女を、試したのだった。
 しかし彼女の反応は、驚くべきものであった。
「ケイくん、そんなこと気にしてたんだ。バカだねー。わたし、毛、こゆい人、好きだよ」
 口元に手を当てて上品に、などということは全くなくて、彼女は、本当にふきだしていた。
 その、女性としては少しはしたない姿を見て、彼は安心したのだった。

 ところが、既に、彼は手遅れだったのである。
 彼は、彼女を、胸毛ボーボーの自分でも愛してくれる存在、としてしか思えなくなったのである。即ちこういうことだ。彼は、変化する自分自身に気付いてしまったのだ。同時に彼は、自分の多面性にも気付いてしまう。
 あろうことか、ついに彼は、彼女すら疑ってしまう。
 心を穏やかにしてくれる彼女の笑顔。――それが、張り付いた冷酷な嘲笑である可能性を、彼は否定できなくなった。
 彼女といくら身体を重ねあっても、いくら千の愛の言葉を交わそうとも、彼は彼女を――否、流転する自己そのものを、到底に信じられなくなったのであった。

 本文は、その後のお話です。誰の? ケイくんの、です。

2010/11/15

真に愛している者は、愛について語らない。

ある愛している男がいる。彼は自らの彼女に、自分は如何に貴方を愛しているのかと雄弁に語るのである。

彼女はそれを聞き、夢見心地にうっとりとその言葉の流れに身を任せるだろう。

その当人たちを包む愛という形は、見まごうことない真実の愛である。

だがしかしながら、一つ間を置いてそれを見る者の目には、欺瞞しか写らない。

愛は、語るものなどではなく、現にそこにあるものだからだ。

愛に説明など必要ない。愛は、愛であるがゆえに、愛であるのだ。

実のところ、愛を熱烈に語る者は、その者自身、愛していないのである。

敬虔なキリスト者は、神の存在を疑わない。

ある牧師が神について何らかの証明をしようとしたとき、牧師の信仰は欺瞞に包まれる。

即ち、真実はそこにただあるがゆえに真実なのであって、真実を認識しようとした瞬間に、真実は消えてなくなるのである。



呪われたものは、真実の消えた虚無の世界に貶められる。

デーモンの仕業か、否、信仰をなくした哀れなるものへの神の怒りか。

2010/11/29

アンドロイドはギリシャ語で「男性もどき」、女性型のヒューマノイド(人造人間)は、ガイノイドと呼ばれるらしい。



攻殻機動隊は、サイボーグ技術やAI技術が発展した未来を舞台にした作品だが、その中でたびたび、人間とロボット(アンドロイド)の境界のようなものが述べられる。



漫画やアニメの世界だけのことのようだが、下記の動画をみて、人間の欲求の生み出す技術というものに正直驚いた。







http://nicovip2ch.blog44.fc2.com/blog-entry-1956.html



と同時に、






やっぱりすごいぜ日本人!!(笑)

2010/11/30

他部署の上司の住まいが絶好のスカイツリースポットらしい☆

うなぎご馳走するから遊びにおいでってお誘い頂いた♪

2010/12/01

僕は強がりじゃなくて、一人でいることも好きだ。

けれど、二人じゃなきゃ楽しめないことってのも、あるって思った。

だから、僕は幸せだと思う。

2010/12/03

朝の時間に大雨で、靴の中までぐしょぐしょになった。新聞紙を靴の中に入れるといいよとのことでそうした。
あったまるよとコーヒーもくれた。

人の優しさに嬉しく思った。


顔を整形すると、心を病みやすいらしい。

2010/12/04

10年ぶりくらいに見たけど面白かった。
モーラがかわいくて、ファルコンがかっこよかった。

2010/12/05

店頭で身体の動きに反応して動くゲームのデモンストレーションをしていたけど、その精度に確かに驚いた。

あとダイヤブロックが結構おいてある店で嬉しかった。

2010/12/08

最近朝が寒くて起きられない。
ギリギリの時間まで布団の中にいてしまう。
眠くたっていいじゃない 人間だもの

なんて言っている場合じゃない。
そもそも、寒いというだけが原因じゃないはずだ。
前日、ちゃんと早く布団についているか。
深い眠りをとっているか。

――しかしながら、早く寝れば早く起きられるというのは、間違いではないが、劇的な効果をもつものではない。

むしろ、次の日に重大なイベントや、するべきことがあるといった時の方が、起床はスムーズだ。

それを応用して、欲コントロールというのがある。

ここでいう欲とは食欲だ。
つまり、お腹をすかしていた方が目覚めはよいのだ。
すぐさま言っておきたいのは、あまりに腹ペコだと、逆に眠りにつくのが妨げられてしまうけれど……。
ということで、今日は、先日ラーメンの具財にした人参玉ねぎの残りを、めんつゆを絡ませて煮込み、少量のパスタと合わせて食した。
味が若干薄かったので、塩と味の素を加えると、期待していた以上に美味しかった。

2010/12/09

この前韓国でセンター試験が云々――みたいなことをニュースでやっていた。
12月、受験シーズンだなぁ、ということで、センター試験国語の過去問、現代文を解いてみた。
15分くらい考えて、全問正解とはいかなかった。残念。……漢字分からない(涙)
松屋のビビン丼おいしい。
岩井克人 ヴェニスの商人 lain 面白そう。

2010/12/10

終電逃した…

2010/12/11

質問されて上手く対処できると楽しい
感謝されたら嬉しい
そんな気持ちにふりまわされるとみえに踊らされよくない
今日ゲーセンによってみた
なんなアーケードゲーム(格闘シューティング?みたことないけど斬新そうだった)の大会がひらかれてた
みんな楽しそうで、幸せな気持ちになった。

2010/12/14

やっていけないこと、悪いことはあると思う。;
だが、思ってよいこと、悪いことはあるだろうか。;
思想信条の自由とは、複雑なことではなく、政治が、個人の思考に介入しないという原理原則だ。;
「善いこと」は、あるとして構わないだろう。;
だが、その「善いこと」の判断、そして「強制」をしてしまう国は、独裁国家にしかならない。宗教国家も、一党独裁も、その構造上同じようなものだ。;
だが、東京メトロの啓発ポスターは、なかなか気に入っている。;

http://www.tokyometro.jp/corporate/csr/society/manner/index.html;





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