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創作について3
2018/09/13 00:00 | Comments(4) | 目的・目標
今日の一言「そういや冒頭で『今日の一言』っていうのをやってたな」「結局内容と一致しないんですよね」

ツイッターについて

 先日、ある方がプロモートにおいてツイッターを活用する、と仰られていた。
 自分、ミクシィはむかーしかなり使っていたけれども、同時期に登録したツイッターは、あんまし活用しなかった。
 よく分からなかった、というのが正直なところである。だって、あれ、140字なんでしょ。でも、それ以上も打てるとか打てないとか。どっちやねん。――調べた。やっぱり140字らしい。英数字だと280字になるとかならないとか。

 あと、なんか、商業的な奴がツイート欄にのってきて、読みづらい、ってのも思った。
 あと、なんか、これは……正直書くと微妙なんだろうけれど、「断片的な情報だけで、内容が140字で完結しないツイートが多い」というのが気になる。
 あと、なんか、連続投稿的なの。あと、「朝起きた、おはよー」的なの。

 著名人とかも呟いたりしてて、面白いメディアだとは思う。のだけれども、情報の選別ってのが上手く、僕は使いこなせなくて、あんまり使えていない。

「心理テストやってみました」
 的なつぶやきがタイムラインいっぱいになっていたら、なんか、ねぇ……。

 とはいえ、よいきっかけでもあるので、もう少し活用する方法を前向きに考えて行動したいと思ったのであった。

ブログ開設について

 逆に、ブログを開設するんじゃなくて、ツイッターでなんかやればいいんじゃない?
 と思ったのが、本記事の冒頭の内容の所以である。

 しかし、今の時点、ツイッターを活用できている自分が想像できない。
 なんか、「わかる人にはわかる」的なのが嫌なのである。

 このブログが、いっつも長くなるのは、初めてこの記事を読んだ人でも、僕の言いたいことが分かるかどうかは別として、「何について」書いているかは分かるように書いているつもりである。そういう意味で、中学生が読んでも分かると思う。

 ツイッターは、経緯を、前置きをダラダラ書くことは許されない。許されるとしたら、長文になるし、連続投稿になると思う。連続投稿になると、他のつぶやきなども流れてくるから、きっとカオスになって読みづらいと思う。
 それは何となく嫌である。

 第一、ブログで、明確に伝えたいこと、なんてのは、正直ないのだ!(開き直り)

 むしろ、いつも書いているのはプロセスである。結論が書かれていることなんてマレである。(というのか、あるのだろうか)

 コミュニケーションとしては大失敗である。文章の書き方講座的にも大失敗である。

 だからこそ、前回記事などで、リアルの人に話してもしょーがねーっとか書いているのである。別にそもそも、相談したいってわけでもないのである。え、そうなのかな? コメントもらえるのは嬉しいよね。それは、ある程度全部書ききってからのものに対してだからだ。対面的コミュニケーションは、会話のキャッチボールである。いったりきたりが重要だ。えんえん、話してられないのだ。だから違うのだ。

 なんの話だっけ。

ブログ開設について2

 ああ、そうだ、ブログ開設についてだ。
 創作用に、運営サイトと直結する何かブログを書いてはどうか、ということである。

 そういう意味では、別にサイトのお知らせ機能で、情報を流すことも可能である。
 先ほど挙げたツイッターも活用する方法がある。
 あと、noteってサイトもあるらしい。面白そうである。(ただ、自分の非力なスマホで表示しようとすると、非常に重い。アメブロも重くて好きではない。スマホ変えろって話かもしれない。ただ、PCで表示しても、やや重い気がする)

 作業として面倒ではあるが、創作系の記事をこのブログから移行するとか……なんの意味があるのか。
 やはり、考えるにあたって目的は大前提である。

 前回記事引用。
 目的は、上に書いたように、サイト利用者に管理人の状況、運営状況などをお知らせするものである。
 それをしたからの効果は何かあるのか?
・利用者が、一応運営されていることは知ることができる
・僕が、ああ何かそろそろ更新しなきゃと思う
 やっぱり、利用者さんへの告知が目的なのである。とすれば、ツイッター案はアリ、となる。

 うーん。
 問題は、「継続性」である。続けられることでなければ意味がない、というのが持論である。
 ツイッターが悪いものではないのだろうけれど、僕があまり使いこなせたことがないので、できるか不安である。そんなかしこまらなくても、テキトーに呟けばいいのかもしれない。しかし、僕の呟きはこのブログのようにきっと長い。ツイッター文化と相いれない気がする。

 んじゃー考え方を変えて、ブログ記事を逆に分割してツイッターに流せばいいんじゃね?

 というのもある。あるけれど、ちょっと待ってほしい。ブログは、リアルタイム性があるからかけているのである。ゼロ秒思考のアウトプットだ。別に深く考えて書いているわけじゃない(いや考えろよ! という突込みはもっともである)。

 だが、ブログの内容を切り取ってツイッターに(140字に)流すとなると、それは「編集」という作業になる。編集はとても大事な作業であるが、大変である。ゆえに、続けられるとはあまり思えない。

カクヨムに投稿中の作品について

 別件で作業が中断し、席を外していた。
 戻って思ったのは、カクヨムに投稿中の作品についてである。あれも、他サイトに投稿したからには完結させなければならない。
 誰からにも強制されることではないが、しなければならない。内なる道徳律的なアレである。
 ということで、読んでみた。

 おーん、まぁ、面白いんじゃないか。

 一応、人に読ませる体裁にはなっていると思うし、今読んでみても、当時の感覚から乖離していることを書いているようには思えない。
 まぁ元は、このブログの記事を推敲・編集したものである。一からの書下ろしってわけではない。

 ただそれがゆえに、表現したいポイントってのはまとまっていると思う。
 もちろんそれは、結論が出ているというわけではなくて、前置き、導入、内容、結論または方向性、といった流れができているであろうということである。

 ここまで体裁が整っていれば、自分の中では及第点である。これで面白いか面白くないか、必要と感じるか無価値と感じるかは、あとはその人次第である、とまで傲慢に言い切っていいと思う。

 まぁ、推敲と編集だけ、と書いたが、それはそれで大変ではあったはずなのだが……。

 とにかく、年内中にそっちの更新も行いたいと思う。

ブログの開設はどうするんだ

 閑話休題。
 どうするか。
 正直、時間をある程度取れているからいろいろ考えられるのであるが、またこれからも同様にまとまった時間が取れるのかは疑問である。

 と、いうか、問題がそもそもそこじゃないんじゃないかと思う。

 肝心の作品作りに、全然着手できてないじゃないか。
 無駄なプロセスだな、と思う、……が。

 これはモチベーションコントロールである。

 ご飯食べたり、家事をしたり、眠ったりというのは、しなきゃならない。
 しなきゃならないことはしなきゃならない、トートロジー。

 今からやろうとしていることは、「絶対にしなくてもいいこと」である。
 だから、モチベーション、動機付けが最重要なのだ。

 もちろん、僕は、ここで、「そもそも生きること」というのも、長らく、最重要課題には思えなかった。いやむしろ、先日のアンケートのニュースであったように、実は多くの人は、何ら大きな目的や生きがいも持たずに生きているのではなかろうか。

 別にそれでいい人はいい。
 俺は違う、……のだ。ただ生きることそれだけを賛美することはできないのだ。

 いやまてまてまて。この表現は良くない。ルーチンの、日々の生活を平穏に送っている人たちに対してのディスりなのではなかろうか。そんなつもりはない、と、すぐさま書いておかねばなるまい。
 単に俺が異常である、ということでいい。若者なだけなのか。血気盛んなのか、モラトリアムなのか、裕福で幸せボケなのか、平和ボケなのか。

 しかし、僕は単に、……時間は、有限であると、人生は終わりが来ると、死んだら何もできなくなるのだと、それを感じているだけなのだ。
 生きることそのもの、生き残ることそれだけを目的ないし意味であると、思えないし、思いたくないということなのだ。

 ――えっとー、これ、創作についての方針に関する記事だよね。どうなってるん?

創作と生きる意味は切り離せない

 なんというか、思った。
 やっぱり、ブログ分ける案はダメだ。
 分けられないわ。

 僕は創作で特にお金を得ているわけではない。だから、趣味である。釣りとか、ドライブとか、ゴルフとか、服飾とか、旅行とか、様々ある趣味の中の一つである。道楽である、娯楽である。

 しかし、ドライブとか、その他の趣味と違って、創作に関しては、……なんというか、より、自分自身に近い趣味である。表現が浮かばなかった。根源的な趣味である? 仰々しいな。
よく分からない。

 とにかく、生きる意味に近いものである、ということだ。

 だからこの、「生きる意味を徹底して考える」ブログとは、切り離すことはできない。ゆえに、新しいブログ開設は、何回かの記事に分けて書いてきたけれども、結局やめ、とする。

 かといって、連結させる案は、なんかいろいろ嫌なので、それも特に行わない。

 サイト運営については、普通に、お知らせ欄とか活用しようと思う。あとは、ツイッターのタイムラインを挿入するとかも、そんなに難しくなくできそうだ。が、どうにも、そういうサイトもあまり好きじゃないんだよな(重いから、というのと、記事の連続性と意味性において)。

 

方針

 長々と書いてきた。
 要約すれば、

・サイトのURL変更をする
・サイトの不具合修正をする
・カクヨム投稿中作品を更新する

 というものだ。
 あれ、小説作品の更新はどうしたのだ?!

 それも継続して行う。それについては、細切れに断片を紡ぐ以外に、今のところは方法はなさそうだ。時間を投入して達成・完成させられそうなのは、上の挙げた内容であるとの結論である。
 小説の方は、プロットというか、ストーリーの骨格作りを進めねばなるまい。

 あーしかしそういえば、プロットまでできている作品はあったんだった。ちょっと、自分が今手掛けている作品についても、これを期に整理しておくか。

メインで手掛けたい作品

 大きくは4部構成で考えている。一部では、繁栄した都市で国の中枢組織の一つに属していた主人公が、突然左遷になって、田舎村に飛ばされる。そこでの文化レベルの低さに衝撃を受けつつも、改革を遂行し村を繁栄させようとするが、村の保守勢力との対立などによって思うようには進まない。その間に、堕骸と呼ばれる幻霊が田舎村にも迫る。
 第二部は、堕骸を打倒するための力を得るため、根源の森の調査と、協力を仰ぎにいく。
 第三部では、堕骸の生じる原因と、黒幕が明らかになる。
 第四部では、総括となる……ようなことを図式化して考えていたが、見せ所、テーマ、目的がいまいち定まっていない。人間ドラマなのか世界観なのか、異能バトルなのか政治駆け引きなのか何なのか。……ある程度、エピソードとか世界観を書き進めながらストーリー構築を地道に進めていくしかなさそうである。一つ含めたい要素としては、シムシティ的なのを入れたいと思っている。

少女領主と官吏が国をよくする話

 今途中まで連載している奴。確か1話目は、何か降臨して1日、数時間で書いた気がする。1話目は導入としては満足の出来である、が、既存投稿分以後の続きを書いていて、何か面白くなくなってしまった。勢いは大事だが、勢いだけだと行き詰るという悪いパターンの良い例である。これも、投稿したからには完結はさせたい。

タイピングで世界を救う話

 これは未投稿で書き進めていて、これのプロットはできあがっている。昔、タイピングオブザデッドというゲームがあって、それのオマージュというかインスパイア的なお話。やる気になれば、プロット(道筋)まではできているから、一応年内中とかに完成させられそうな気もする。

電脳デバイス的な話

 これも未投稿で書き進めている、が、例のごとく途中で面白くなくなった、飽きてしまった。プロットはできているが、プロットが面白いと思えなくなった。挿入エピソードも思いつかない。ので塩漬け状態。

アンドロイドを買ってみた話

 ブログで連載している話。荒いプロットはできているが、挿入エピソードが思いつかないため中断中。上の電脳デバイスの話はこちらに組み込み統合してもよいかなとも思ったりする。
 というか、この話、テーマとしては好きで、面白いんだけど、読み返すとちょっとインパクトに欠けている。エピソード的なインパクトというよりも、「質感」が薄いのである。ペラペラなのだ。イメージがすんなり入ってこない。説明的なのである。もっと描写しろよと言いたい。
 この、アンドロイド系の小説って「惜しい」って思うことがあって、その「アンドロイド性」が上手く引き出せていないことが多いのである。というのは、「人間と同じ」ように描いてしまうことである。その、アニメとか、……最近みたやつだと、ええと、プラネタリアンだったか。アニメ面白かったんだけど、あれ、そのまま小説にするってか、「セリフ」だけを抽出すると上手くいかないと思っていて、要するに映像だと「アンドロイド的」であるのが一目でわかるからいいのだ。一方、小説になると文字だけなので、その「アンドロイド性」が上手く描写するのが難しいのだ。だからその点を気を付けようと、できること・できないこと、得意なこと苦手なことを描こうとしたのだけれども、それがどうにも説明的過ぎて、あんまりおもしろくないのである。惜しいというかもったいない。
 とはいえ、それはまぁ次のステップであって、とにかくストーリーとして完結させないといかんのであるが……。

寿命でイベントを購入できる話

 未投稿。プロットは10年前くらいかなぁ。何か月か前にパソコン整理していたら出てきた。主要エピソードもできあがっている状態のプロットであったので、これも頑張れば完結させられそう。ただ、僕の現状の感性がその作品のテーマをあまり求めていなくて、気乗りがしない。

方針2

 ああ、まぁ、そんなところか。
 こうやって整理というかピックアップしてみると、ああ、なんか全部中途半端だなぁっていうのがよく分かる。だから、紙に書いて目標はっておくとかほんと大事。

 その、「自分で面白いと思えるか」という尺度が入ると、これ非常に大変である。学校の課題とかなら、もう締め切りがあるからこれでいいやってなるけど、「面白くしたい」って思いがあると、「そもそもあんまり面白くないからやめたい」ってなったりする。――甘えじゃねえか!!

 面白いってのは至極大事だが、それを免罪符に使っていいもんじゃないでしょうや!!

 と、自分を叱咤しつつこの記事は終わる。




(かっこ書きである。――「我々はどこから来たのか、我々は何なのか、我々はどこへ行くのか」――こうした反省的で抽象的な意識が人々の間に広まるような社会は、人々が現実の死や破滅と毎日のように直面していた社会ではありえないのだろう。――『グノーシス 古代キリスト教の異端思想』P.44 ふと、書棚の本を手に取って、ペラペラとめくっていた。上の言葉は、ゴーギャンの有名な絵画のタイトルだけれども、こうした問いは、古代ローマ、1世紀にも遡ることができるのだという。東京で暮らしていると(東京でなくてもだが)、朝の通勤などで本当にたくさんの人がいることに眩暈を覚えることがある。僕が、涼宮ハルヒの憂鬱を最後まで見ようと思ったのは、主人公ハルヒの、幼少期に野球場に行って「こんなに大勢の人がいるなんて」と思った体験が描かれたシーンであった。そうした経験から、彼女は、世界を、自分の人生を面白いものにしようと奇天烈な行動をしていくのであった。と、いったことを思うほどに、いやほんと、毎日、人の波で渋滞ができるのである。自分の速度で進むことも、立ち止まることも許されずただ流されていく。そして、一日はあっという間に終わる。……だが、文章を書いている間は一瞬ではない。波に乗って書いているとあっという間に時間が過ぎることはあるが、ただ、思考はある。自分で考えている感覚がある。自分で歩いている感覚がある。文章は、思考のとっかかり、結節点のようなものである。さらには付加効果として、読み返したり、過去の記事を読めたり、音読できたりもする。素晴らしい。この記事、他の作業したり、ご飯食べたり、シュタインズゲート1期をもう一度見たりしつつ、5時間ぐらいかかっているが、不思議と時間を無駄にしたなぁとか後悔感がない。内容の無さはともかく、時間使えてよかったなぁとすら思う。やっぱり、これと実生活とのバランスを取ることも重要に思う。期間限定的に書ける時間を確保できるのではなく、もう少し定常的に、恒常的に……だな。しかしながら、空間的に……難しいのである。空間的に。時間的にも。どうしたもんか……、ああ、しかしこれは、先日の記事で「とりま、保留ね」としたことだった。先日、書いておいてよかった。だから、このかっこ書きもこのまま終わることが、できる。――しかしだ、この、書き終わろうとするときにいつも感じる、「この記事面白くなさそうだなぁ……」という感覚はどうにかならないのか)

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コメント

 ツイッターについては私もアカウントいくつか取りましたが、その中で使っているものといえばゲーム関係のコミュニティ用のアカウントぐらいしか今使っていません。
 私自身も自分のサイトの更新報告や創作あれこれについてのアカウント取りましたが、アカウント切り替えでログインし直すのが結構面倒になってしまって、専らゲーム用アカウントばかりで呟いています。
 ちなみに何故ゲーム用アカウントが続けられているのかというと、

1.オンラインゲームのコミュニティ(ギルド等)の連絡に使える
2.オンラインゲームにログインしていなくてもフレンドと雑談や連絡の取り合いができる
3.スクリーンショットなどをアップロードすることで遊んだ時の記録や思い出を残し、共有できる

 といった辺りの要素が強いように思います。
 特に、オンラインゲームをプレイしている上でこのログインしていなくともコミュニティやフレンドと連絡が取り合えたり、一緒に遊んだ思い出をスクリーンショットと共に記録したり共有し感想を言い合ったりできるというのが大きいです。オンラインゲームは特に、「一緒に遊んでいる感」って大事だと思うので。

 で、次に創作用のアカウントの方ですが、私の場合も筆不精というか、「アップロードするにはそれなりのクオリティのものを(=中途半端は嫌)」と考えてしまう性質なのと、「自分が使うネタの呟きはしたくはない(=完成するまで伏せておきたい)」というのがありまして、どうしても更新報告がメインになってしまうんですよね。
 雑談だったり、日々の愚痴だったり、遊んだゲームや見たアニメや漫画小説の感想だったりは、創作アカウントでなくてもいいやと思ってしまうところもあり(実際、ゲームやアニメといった娯楽関係の呟きはゲーム向けアカウントでしているし)、余計に。
 加えてアカウント複数管理が面倒になっているというのもあったりして、ブログ定期更新するようになったし、更新報告する必要ある?と思ったりするところもあったりして。
 うーん、私も創作アカウントの方もう少し考えた方が良さそうです。

 とはいえ、ツイッターの強みは、短文しか使えない故のリアルタイム性の強さとその共有性の高さかなと思います。

 話は変わりますが、これまでのここのブログの様子を見ている限りでは、私も分けるべきではないと思います。
 創作サイト側のブログの内容が少しずつこちら側に引っ張られていく可能性も十分ありますし。
 私に提案できるとしたら、ツイッターと創作サイト内の専用記事のハイブリッド運用でしょうか。
 短文で済むような報告や関連の呟きはツイッターで行いつつ、サイト内に専用のページを作成して長くなりそうなもの(不具合修正の詳細、告知など)はツイッターにURLを貼る形で誘導するとか。
 二重に作業が必要なのでこれはこれで面倒な気がしなくもないのが難点ですが……。
posted by 白銀URLat 2018/09/13 17:39 [ コメントを修正する ]
白銀さんありがとうございます。ツイッターについては、他の所でもコメント頂き、今後どうしようか考えておりました。

>ツイッターの強みは、短文しか使えない故のリアルタイム性の強さとその共有性の高さ

リアルタイム性と共有性の高さというのは情報発信において重要ですよね。ライブ感ともいえるかもしれません。
そう考えると、作品やサイト作りは、ある程度時間がかかることなので、あまりリアルタイムに情報発信できることが少ないのかなぁと思ったりします。
白銀さんのメイン使用用途のゲームコミュニティという面では、逆に合致したツールなのだろうと思いました。


>ツイッターと創作サイト内の専用記事のハイブリッド運用

今のところ考えうるのは、これですかね。
ただ、先ほどサイトの更新をしてきましたが、正直、微修正(使う人にとって)レベルの内容をいちいち通知されても、うざったいと思います(逆を返せば、自分はそう思っている)。
何を発信すべきで、何を発信すべきでないか、というのは、非常に重要なことに思います。何からなんでも全部発信していては、情報の取捨選択が受け取り側もできなくて、結局その情報全体を不要と判断してしまう。

だから、ツイッターとかでも、「重要度」とか設定できるといいかなと思いました。3段階ぐらいで、フォローしているアカウントごとに、どの重要度のつぶやきを拾うかを選べるという設定。
「この人は大好きだから、些細なつぶやきでも全部知りたい!」場合は、重要度ALLで受け取って、「このアカウントは時折重要な情報だけみたいな」という場合は、重要度3のみを受け取る、とか。
まぁ、こういうの、良さそうですが、結局「運用」ができるかというのと、ユーザーのモラル(結局全部「3」で呟いたら意味ない)によってしまうんですけどね……。


と、色々悩みましたが、しばらくはツイッターも使っていこうかと思っています。先日ちょっと呟いてみたら、イイネとかリツイートしてもらったりして、なんかそういった反応がすぐにもらえたりするのは嬉しかったりしたので……(現金な奴です、はい)。
posted by 遠藤at 2018/09/17 10:06 [ コメントを修正する ]
twitterは人をフォローするために使っているわ。自分にとって役に立つ情報をつぶやく人を探してフォローする。

要するに情報取得のツールですね。

こういう人はダメなのでフォローしません
・宣伝のためにツイートしまくる
・ブログの更新しかつぶやかない
・役に立たないツイートをしまくる

人によっては大量のツイートを見たいっていうやり方もあるんだろうけど僕はあんまりツイッターに時間を使いたくないから

・自分にとって何かしらの気づきを得られるツイートを適量する人
・自分がアンテナを張っておきたい分野のツイートを適量する人

を探して、フォローしています。

フォローできるのはせいぜい10人までですね。これを超えると、情報が流れすぎて、混ざりすぎて意味が分からなくなる。スイートスポットは5人かなぁ。

こんだけ少人数でも、宣伝ばっかりする人が混ざると、有益なツイートを見逃したりするので、絶対に入れないようにしています。


でも、これだとなんかほしい情報が手に入らないなぁっておもっていて、twitterのクライアント(強力なフィルター機能付き)を探しています。

posted by イミフat 2018/09/24 16:24 [ コメントを修正する ]
非常に共感しました。
少ないんですけど、実際、10人程度の内容ぐらいがタイムラインはちょうどいいのかもしれないですね。
まぁ、アイドルのライブとかの宣伝情報を集めたい人もいるでしょうし、使い方はいろいろなのでしょうが、僕のツイッターのイメージはイミフさんに近いように思いました。

その中で、自分が発信する立場になると、どう使おうかというのはまだまだ模索中ですね。最近も、ちょっとメモがてら呟きたいなと思ったことは何回かありましたが、「これ、意味あるのかなぁぁぁ」とか思って結局やめました(笑)。
その点、このブログはそのあたりを(感じることは避けられないのですが)飲み込んだうえで書くことができるので、ありがたい場だといつも思ってます。
posted by 遠藤at 2018/10/01 03:39 [ コメントを修正する ]

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