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2012年思索(5)「目的設定の重要性について(凡人による思考の限界性」)」
2012/01/02 08:00 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
ここに、情報の限界性、いやいや単に、能力の限界性という問題が立ちはだかるのである。
僕の主張、価値観というものが、仮に正しかったとしても、そうでなかったとしても、時代の潮流にさからうのは、極めて難しい。この困難さは、「諦め」という言葉に還元されるべきではない。スラムダンクで「諦めたらそこで試合終了ですよ」といわれ、努力とか根性とか、継続性とか、目標に向かってひたむきに立ち向かっていく姿を美しく描かれるわけなのだけれども、それは、「ある意味」間違っている。
先に僕が述べたとおり、その目標(目的)というものは、「自ら設定」すべきものだからだ。
自ら設定した目的に対しては、スラムダンクのように立ち向かっていくべきだ。ところが、それが、イデオロギーとまでいかなくても、上司や教師や親や周囲の人が無意識に信じているからといった理由によって選ばれてはならないのである。
諦めは、必要なのだ、それが、自らの意志と反するのであれば。
僕が一時切り替えた「行動至上主義」は、確かにそれは、とても素晴らしい結果を僕に与えたのである。しかしそれは、その結果の享受の後、行き場をなくしたのであった。キャピタルゲイン、拡大再生産できるプロセスではなかったのである。考えてみれば、「行動至上主義」のために掲げた目的群は、言葉にすれば大したことではない、小学生でももてそうなものだ。ところが、その設定が可能であったのは、まず「プライド」という阻害要因を排除できたからであったし、徹底的な「破壊」があったからなのだ。
2008年からの「行動至上主義」は、それを単独でとらえると見落としてしまうが、それまでの過程が重要であったと考えるべきである。

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