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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
取捨選択の前にすべきこと

ドリンク作り

家で美味しい飲み物を作るのは結構楽しい。
牛乳を買って、カップの2/3くらい注ぎ、電子レンジで温める。そこに、コーヒーメーカーで、深入りの、ストロング(じっくり抽出)したコーヒーを注ぐ。
美味しいカフェラテの完成だ。

グラスに氷をいっぱいにする。ジンを注ぐ。グレープフルーツジュースをジンと1:1ぐらい注ぐ。炭酸(トニックウォーター)を注ぐ。
ジンモーニの完成だ。(ジンモーニというカクテルは検索してもヒットしない。恐らく、スプモーニ=カンパリ+グレープフルーツルジュース+トニックウォーターの派生だろう)


カフェラテは、豆とか、コーヒーメーカーの選定とか、水の配分とか色々試して、ようやく、満足の行く味を安定して作ることができるようになった。アイスカフェラテもいい感じだが、最近は、ホットのカフェラテをつくる。あったまる。
自分で作ったというのもあるが、普通に、その辺のコーヒーショップ・カフェで飲むのと遜色ないぐらいになった、むしろ、それよか美味しい。コスト的にどうなのかは厳密にはかってないが、コーヒー豆が200g700円ぐらい、牛乳が200円、あと電気代・水が少々。店で飲むやつは、500円とか普通にするから、そう考えると、少なくても4杯以上は余裕で作れるから、間違いなく低コストだ。

しかし、競争相手で手ごわいのは、コンビニのコーヒーたちである。ファミリーマートのカフェラテは180円だが、ローソンは150円だ。そして、味は文句のつけようなく美味しい。


ちなみに、「ラテ」といったときには、スチームされた牛乳に、エスプレッソを注ぐ。さすがに、エスプレッソメーカーは置く場所もないし買おうと思わないから、厳密にカフェラテを作れているわけではないが、深煎りの豆にストロング抽出をかけると、近い味になることが分かった。

属性が与える情報

とか、
蒼太の包丁 
http://livedoor.4.blogimg.jp/nwknews/imgs/0/8/087789aa.png
で、40歳過ぎのおっさんが、一人で料理してお笑いのテレビみて涙を流すというまさにそんな感じだな!

と思った。
上のような記事も、家族がいて、子どもがいて、家族に作ってあげたら喜んでくれたとか、そんな内容なら、会社のフェイスブックにも投稿できるぐらい微笑ましい温かみを帯びた記事になる。

つまり、同じ内容、同じことを書いたとしても、その人の境遇や、その人自身の「属性」によって、他者に与える印象は大きく変わる可能性があるということである。

この問題をよく描いているのは、


攻殻機動隊2ndGIGの黒幕、合田一人さんだ。

彼は、若いころから英雄になりたかった。けれども、彼のルックスは普通だったため、真面目に研究に取り組んで大きな成果も出すけれど、結局「目立たない奴」という評価しか得られなかった。

そんな彼も、ある事故による「身体的変化」によって、自己の内面も変化させていく……。


これから表現されていることはもう一つ、これは、攻殻機動隊全体のテーマでもあると僕が勝手に思っているが、身体の思考へ与える影響というものだ。

ある40代の筋トレ好きな男性は、とってもポジティブな思考をもって毎日積極的に生きている。
その彼が言うに、筋トレしろと。ぐだぐだ頭で考えてないで、瞑想とかスピリチュアルで悟ったとかウダウダ言ってないで、身体を動かせ、という。

とても、大事なことだと思う。
よし、筋トレ始めようかな。

試験を終えて

いやぁ、ほんと、昨日の夜はショックなことがあったし、朝早かったし、夢見は非常に悪かった。覚えてないけど、死んだじいちゃんが幼い俺になんか教えてくれているとか、そんな郷愁的な夢から、仕事でへぇひぃふぅとあたふたトラブルに対応している夢とか、なんだか目まぐるしく発生して。

行きたくないな、さぼっちまおうかなって思いもよぎったが、何とか、奮い立たせていった。
そしたら、改札くぐってから受験票もってくの忘れたことに気づいてダッシュで家をまた往復したり、疲れたしギリギリになったし、大変だった。よく間に合ったものだ。

結果として、無理やりでもいってよかった。
手ごたえは、「あった」。けれども、完全にダメだろう、半分ぐらい分からなかった(笑)。
ただ、序盤に勉強した範囲は、ばっちり、他の選択肢のダメな理由とかまではっきりと、自信をもって答えることができた。いやいや合格しなきゃただの負け惜しみだろう、まぁそうなんだが、ただ、試験で使える知識というより、実感を伴った理解と知識を身に着けるというのが、自分の中で本当の目的だったから、ある程度それが達成されていることが分かってよかったということだ。


ほとんどは、恐らく大学生ぐらいの若い人たちだった。
そして、会場は、ある高校だったが、校舎が、とても綺麗だった。これが学校……?! というほどの衝撃だった。


他に例えば、午前の試験が終わってから、友人たちとわいわい、答え合わせを始める大学生っぽい人たち。
試験終わってから、全部終わってないうちに答え合わせするってのは、やっちゃいけない愚昧な行為である。既に済んだことを言い合ったところで、そもそも、受ける側同士ほんとの答えなんて分からないし、間違っていたとして心配しても取り返しがつかない。

けれども、ふと思った。
まぁ、別にそんなふうにワイワイやってもいいじゃないかと。
合格するって目標に対しては無意味な行為でも、一緒に学んできた仲間たちと一喜一憂するのだって、貴重な体験なんじゃないか、と。


そして、久方ぶりに試験なんてやったけれども、非常に集中した時間だった。もう、全然まったく歯牙にかからない意味不明の問題はさておき、自分が勉強した範囲の内容については、集中し、必死に答えを導き出した。


ああ、試験って、そうか。
これ、「アウトプット」なんだな。

インプットとアウトプットのバランスが大事、と何度も書いてきたけど、「勉強」ってのは、やっぱり、それを発散する場があってこそやりがいがあるのだ。

僕が作ったWEBサイトもそう。誰かみてくれて、反応してくれる人がいるから、電気代も時間もかけて作れるのだ。いや、その作っている作業自体がそれなりに楽しかったりするのだけれど。

勉強だって、その「勉強」ってのは、また、表現がいろいろあるけれども、実は楽しいものだとは思う。
いやいや、学校の勉強なんて面白くなかったスわ。という人だって、ああそうそう、今日その高校の図書室の前を昼休みに通ってみたが、推薦図書とか、新着図書とか掲示板にはってあって、そこに、結構たくさん、ライトノベルがずらり並んでいた。

へー、今の時代、ライトノベルが図書室に置かれるようになったんだな。うんうん、俺が高校の時は、キノの旅ぐらいしか読んだことなかったけれども、難しい文学者の作品もいいけれど、手始めにライトノベルを学ぶのだっていいんじゃないかって、当時思ったことがあったような気がしたのを少し思い出した。

まぁ、「不合格」って通知をみるのは、きっと落ち込むんだろうけれど、ちょっとそれみてから、今後どうしようか考えよう。けれども、何だか、リベンジしてやるぞ、って少しやる気が、今時点は維持できている。もうちょっと、長期的な目標・目的を立てて、再度望んでみたい。

やりたいことリスト

さて、30代に必要なことは、とか、夢の探し方とか、帰りの電車で調べてみた。

もう、やっぱり、グーグル検索とかでヒットする記事に、何ら感銘は覚えない。アクセス数は数万HITとかあるのだろうけれども、正直「くだらない」記事ばかりだ。
それより、今、その一人として、現時点、生きているというその個人的なブログの方が、何倍も面白いし、参考になることが見つけられる。

グーグルの記事の多くは、「答えがあります!」と最初結論が書かれてあって、途中、何だか偉そうなこと書いて、その人の経験とか、何だかの書籍でこうあったとかもっともらしいことが書かれて、最終的に、「生きる意味は、即答できます! 妻と子供のために頑張ることです!」とか、アホかと。読んだ時間返してくれと割かし本気で思った。


「30代、これだけはやって置かないと絶対に後悔する5つのこと」

とか、え、まじ、何それ、俺わかってないよ、気になるよ!

と扇動される見出しが多いけれども、もう、必要ないわ。
その全部が、表現レベルだと分かってることばかりだ。

いや、その書かれていることが正しいとか間違ってるとか、そこがポイントではない。
問題は、「実感」できるか、「感動」できるか、ということだ。

そんな自己啓発的な表現を読む時間があれば、よほど、面白い漫画読んだ方が有意義である。
まぁその、「面白い」ってのが、中々見つけられないんだが。
だから、友人知人からの紹介などは重要だ。「もつべきものは人脈である」とか、そんな表現、たくさん溢れてるわけだが、そんなこと分かってるのだ。じゃあどうやってそんな大切な人脈作ればいいのか、それは「いろいろ頑張ってね!」と結局精神論ばかりだ。

もう一つ、俺としてはバカバカしいと思ったが、きっと多くの読んだ人は、きっと間にうけるんだろうなぁと思った表現は、「×0.9」の人とは付き合うな、的なものである。
つまり、掛け算をして、自分の価値がその人と付き合うごとに下がっていくというものだ。
30代になれば、付き合う周りの人を選びなさいとか、そんな表現もたくさんある。

アホかと。
いや、その「表現」としては、まさしく、僕が言う「反転しないポジティブ」として、正しい。当たり前だ、自分をどんどん、マイナスに落とし込もうとする悪い奴らとの付き合いが、必要なはずはない。
ただ、すぐさま気づくべきは、そもそもその後生大事にしようとしている、自分自身の価値とはなんだ? そして、その「×0.9」の人間とはどんな人間だ? ぐちぐち、マイナス思考な奴?

ああ、そうか、俺のことか(かっこ笑い)。
それは置いておいて、その、自分を押し下げる人間ってのを、どう判断するか、そこに既に価値観が入り込んでいる。例えば、貧乏な人だったり、低学歴な人だったり。不細工な人だったりするかもしれない。仕事が遅い人? 口数が少ない人?

他者がどうあるべきか、って前に、まず、自分がどうあるべきか、そのイメージが重要なのは言うまでもない。


そういう意味では、僕もまた、その笑い飛ばした記事と、同じことを目指し、やろうとしているだけなのだ。
まず、自分を確立しようと。故に、他者のへらへらした言葉になどもう惑わされないようにしようと。
その、「へらへらした言葉」を発する人たちが、俺にとって、「マイナス」だとか、「×0.9」の人たちである。
しかし、むしろ、俺は、ノー思考の「ポジティブ」な言動をとる人たち、「生きる意味なんて考えても無駄」とか、「未来なんて考えてもどうせ分からないから今を楽しく生きよう」とか、そんなレベルで止まってしまう人をむしろ「害悪」として捉えるだろう。

自己啓発表現の無価値性

けれども、だからといって、じゃあ、「思考」「価値観」が俺と不一致な人間を全部遠ざけるとか、そんなことするはずがない。
人の一面だけ切り取って、この人は「あわない」から切り捨てるとか、アホである。

「全人格的な付き合い」の崩壊。
選択的な付き合い。
他者とのチャンネルの切り替え。

なんか、専門用語的なのがあった気がするが、思い出せないけれども、つまり、コミュニケーションの方策として、プライベート全部丸抱えで付き合うみたいな、職人徒弟制度のような対人関係方策は、もはや有用ではないと。

映画みにいくときは●●ちゃん、恋人は○○君、一緒に勉強するのは▼▼ちゃん、買い物行くのは◇◇ちゃん……とか。

その場面に応じて、付き合う相手を変えるという。
SNSとか、ブログとかの、「コミュニティ」ってのが、そういう社会心性を満たすために作られたソーシャル機能である。
コミュニティの中には、誰でもカモンな奴もあれば、パスワード付限定のやつもある。

自分自身の要素を、様々な所属組織に委託して、自分の快感情を高めようとするのだ。


となったとき、もう、誰がマイナスで、誰が×0.9とか、そんな判断が無意味なことが分かるだろう。
どのみち、有限な一日の時間において、他者にさけるリソースは限られている。
別に、わざわざ表現してまで、重要性を説くことなどではないのだ。


……とか言いつつ、何故大真面目に反論を書いてしまっているのか。いや、別に反論ではない。自分の中の整理だ。
昨日から、色々、整理していたのだった。消えてしまったが……。今日は反省して、こまめに保存をしながら書いている。

憎しみについて

憎しみとは何ぞや。
昨日、「犯罪」について書いていたのは、この他者を憎むって心性が何故起きるのかのメモのために書いていた。

そもそも、犯罪って書いてしまうと、思想犯とか、イスラムの教えに背いたとか、姦通したとかいう理由で犯罪になって石打ちの刑になったり、現代日本人の感覚ではハテナ、となるものも世界では多い。
イギリスでは、議会で死ぬことは法律的に禁じられているという。議場で死ぬと、国葬しないといけないからだとかなんとか。フランスでは豚にナポレオンと名付けてはいけないとか、そんなことが法律だったり。

犯罪といっても、その時代、その状況、その価値観などによって、何が罰せられるか異なっている。犬を殺したら死罪じゃ? 的な法もあったそうな。

だから、一様に犯罪について書いても仕方がなくて、ここでは、人を憎くて殺してしまうという心性についてである。

殺したいほど憎い、というのは、思考が足りてない愚か者である、と昨日書き捨てた。

これが、きっと、炎上の理由にもなりそうで、あえて、忍者ブログさんが、こんなこと書いちゃいけないよと、ブラウザをクラッシュさせたのではなかろうか。


確かに、今思うと、何故そんなこと書かなければいけなかったか、自分でも皆目つかない。だからこそ、本当に、今この瞬間におけるアウトプットが非常に重要なのだ。
一秒でも過ぎてしまえば、もう紡げない言葉。けれども、その言葉に、もしかすると、これから重要視すべき、一瞬で消えるような思い付きではなくて、自分の信念としてインプットすべきようなことが含まれているかもしれないのだ。



少し思い出してみようとしても、やっぱりだめだ。この憎しみについて、という表現は、いまいちよく分からない。例えば、恋人が殺されたとか、親が強盗にあって殺されたとか。弱みを握って金銭を強請ろうとしてくる奴とか。
凄惨ないじめをしてきたいじめっ子とか。犯人を殺したいほど憎い、と思う心性というのは理解できる。

そうすると、先ほど書いてきた、「×0.9」の人間と付き合うな、とか、ほんとむしろその通りだと納得するぐらいなのだ。いや、まぁ、そんなクソったれな奴らは、0.9どころか、0.1いや、マイナスだろうし、話しにならないんだろうけど。



そう、だから、さっきの話しの整理は、はっきりいってあまり意味がなくて、ああいうことを書いたり考えても、何ら意味はないと、逆にそのことを覚えておくためのメモなのだ。





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