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ブログを書く時間は貴重で幸せである
2018/01/21 12:00 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「結節点としての役割」「超人たれ」

超人

 いきなり引用から始める。
正直俺は永劫回帰的な意味での超人に近づきつつあるような気がする。この一生を何度繰り返そうが、別の道は歩まないという強い肯定感。幼少期にオタ方面の満足を得てしまったら、きっと俺の小説作品はなにひとつ生まれることなく終わっていただろう
――螺旋のモノリス
 リンクフリーなのか分からないが、非常に、強く感銘を受けたために引用してしまった。
 なんと力強い文章だろうか。
 かっこいい。熱い。強い。頑強だ。

 いやしかし、これは、単に文章の力強さだけの問題ではない。
 何のことはない――たいてい人は、自分のことを肯定したいのであって、歩んできた道のりが誤りであったなどと思いたくはないのであって、似たようなことを思って生きているのである。私、自分も例外ではないだろう。

 言葉としてではなく、現に、僕がその文章を書いた人、その人自身に対する尊敬の念が、上の引用文に魂を、活きた力強さを感じさせているのであろう。

 ここに、言葉が先か、結果が先かという疑問が生じるのであるが、その二者択一的な思考自体が、無価値とまでは言わないが、重要なことではないと思う。結局、相互関連し、僕は感動した、ということである。

短い記事を書くためには

 1時間の可用時間がなければ、僕は最近ブログを書いていない。
 1時間ぐらいで、大体5000字を超えるのであるが、それぐらいの時間がないと、頭を切り替えられない。

 しかし、1000字ぐらいが、読む人にとってちょうどいいと、コメントを頂いた。
 その通りだと思う。
 思うのであるが、やはり、5000字ぐらいが最小のまとまりなのである。書いていることはループしている部分があるし、些末なことや、本筋と関係ないことや、そもそも脱線することが多いけれども、それをひっくるめて一つのまとまりなのである。

 プロセスのメモという点が強い。思考過程。

 だが、今回は、30分の時間制限である。
 時間が取れない。

 繰り返し書いているが、決して物理時間として、1時間が捻出できないのではない。
 身体が、気持ちが全く動かないのである。
 昨日は休日であった、にも関わらず、一日中なにもできなかった。一回の食事と、部屋に掃除機をかけたぐらいだ。

 こうやって書くと、「なにやってんの?ワラ」としか思わないのであるが、しかし、昨日の俺は、動けなかった。まったく。

 今、こうしてPCに向かって、ブログを30分でも書いておこうと思っている、この今の感覚からは、到底想像できないほどの倦怠感。「ナニモシタクナイ」「ナニモカンガエタクナイ」

 ――それでも、最小限のルーチン、筋トレ・腕振り運動はやった。

1000字を超えた

 はい。ということで、上の二つの小見出しまでで、1000字ちょい、である。
 時間としては、15分ぐらいだ。

 うーむ、しかし、ものすごい物足りなさがある。

 だからなんだっつー気持ちが強い。いや、じゃあ、いつもの記事はどうなんだ、というと、結局「で?」という終わり方をしているのであるが、「とりあえず全部吐き出した」的な思いはあるのである。

 思うに、5000字は、気持ちの整理も含めた時間・量なのだろう。
 ――であれば、これを短くすることで、頭の切り替えを素早くして、効率的な人生を送れるようになるのかもしれない。

 しれない、が、まぁ、すぐには無理だろう。ああ、しかし、昨日の、24時間のうちに、どうして、一つの記事ぐらい書けなかったのか。本当に、今考えると思い返すと疑問である。しかし、どうしようもなく動けなかった。これだけは、事実として書いておこう。

 あの、どうしようもなく動けないときに、どこまで活動できるかが、これまでも、今年としても重要になりそうである。

残業(平日)

 話しに関連はないが、家に帰る時間が、21時を超えるかどうかが、平日の活動を左右する気がする。
 いっつも、この手のことを書こうとすると、「いや、もっと忙しい人もいるだろうし」というのが浮かぶのであるが、もういい、そういうの、無視する。俺は忙しい、と、宣言しよう。
 俺は忙しい。
 忙しい。
 忙しいのである。

 ああ、そうだったのか。
 自分で認めていなかったのか。

 そもそも、「残業が多いってのは、それは能力が足りないからだ」という言説を、僕自身信じている気がする。まぁそれはいい。それは事実だとしよう。
 が、現実問題として、自分の能力として、時間がかかるのである。それだけの量なのである。

 一月に入ってから、体感で平日の8割ぐらいが、21時、22時まで残業である気がする。具体的に時間をかけば、「いや、俺もっと遅いし」という人が大勢いるだろうので、気が引けるけれども、その人は家まで15分の距離なのかもしれないし、自家用車での通勤かもしれないし、いろいろ条件は異なるだろうし、仕事の内容にもよるだろうし、まぁだから繰り返しになっているが、比較はしても仕方がない。
 俺はどう思っているかというと、忙しい、のである。


 平日が忙しいと、休日にも影響するということも認めておこう。
 昨日は何もできなかった。悔しい。

ブログを書く時間は貴重であり幸せである

 幸せ、って言葉は最近嫌いなのであるが、まぁしかし、この時間は大事である。

 ああ、ようやく、「自分」になってきた気がする。
 この状態になってようやく、活動的なことができる。

 考えることができる。制御できる。動ける。

 ここ最近は、ゾンビ的であった。

 人の言葉が頭に入ってこなくなる。

 ニュースとかブログとか読んでも、意味は分かるのに、何も感じなくなる。



 ゾンビから人間に戻るための結節点がブログなのだと、そう思う。
 そして、今年の目標の「考える」とか「創作」ってのは、人間状態じゃなきゃできない。
 ルーチンは、ゾンビ状態でもできる。
 ルーチンができていても、同じやり方で人生を改善できるわけではないということ、それを今回の気づきということで書いておこうか。

 といったところで、30分、2500字ぐらい。まだ全然書き足りないけれども、お出かけなので時間切れ。

(かっこ書きである。あー。昨日何もできなかったと書いたけれども、マジェスティックプリンスを最後までみた。面白かった。劇場版までアマゾンプライムでやっていたのでみてしまったぐらい面白かった。面白かった、のだけれども、なんか、どこで感動すればいいのか分からなかった。うーん……。搭乗型ロボットものがあまり好みじゃないのかなぁ。「ブラスト・オフ」(発進)のシーンは、かっこいい……のだろうか。ポーズ決めて、バーン! っと飛び出していくシーンに、なんか大げさ感があって、微妙に思った。あと、「覚醒」って概念がちょっと受け入れがたかった。もちろん、最初からアッシュという機体の「ジュリアシステム」をどう乗りこなすのか、というのがテーマであったし、伏線としても十分に思うのだけれど――エネルギーの羽みたいなの生えて、ってのが、いや、映像としてはかっこいいんだけど、なんだか僕の気持と作品の熱量とに距離感があった。――でも、劇場版の、プロトタイプがピーキーすぎて扱えなかったんだけど、仲間がそれぞれの機体の特徴を伝えて、なんとか扱えるようになっていった、というシーンはとってもかっこよかったし、面白かった。ただ、ガンダムのオルフェンズと比べると、オルフェンズの方が面白かった気がする、けど、それは機体がどうこうというよりかは、群像劇としての云々による感覚な気がする。うーん、何かここら辺も書き足りないけれども、ほんと時間切れ)


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コメント

 ア、アイエエエ……ちゃうねん、深く考えもせずにテキトーなふかしをこいただけやねん……ワイのような凡人がニーチェはんの孤独なんか理解できるわけあらへんねん……

>マジェプリ

 もはや実態を失った分類ですが、スーパー系なのかリアル系なのか、どっちつかずだったような気は確かにしますね。
 覚醒シークエンスを見るに、「なんか不思議パワーの過剰出力で形態が変化している」というよりは、機体にもともとそういう変形機構が組み込まれているように思え、「それは手動でオンオフできないのか? トリガーがパイロットのメンタルでなければならない理由はなんだ?」みたいな疑問は一瞬浮かびましたが、「ま、カッコイイしいっか!!!」で思考停止してましたねwww本当に戦闘シーンさえかっこよければ後はすべて許してしまう意識の低さに我ながら呆れています。ジュリアシステムって何なんだ……(哲学)。ブルーレイボックスには設定集も入っていたのですが、覚醒まわりの疑問は解消されないままでした。に、二期で明かされるんですよきっと……(震え声)
posted by バールat 2018/01/22 23:00 [ コメントを修正する ]
バールさん

 深く考え選び抜かれた言葉が素晴らしいときもあれば、ふとした瞬間の何気ない一言が心を揺さぶることもあると思います。
 僕は単純にバールさんの言葉と姿をかっこいいと思いました、本当に。
 一方、「超人たれ!」と唱えたニーチェさんは晩年(もとから……?)精神を病んでしまったといいますし、単純手放しで目指すべきなんだろうかという、せせこましい感覚が僕は思ってしまったり、いやはや自分の凡人具合に呆れます。

>マジェプリ
 スーパー系とリアル系という区分があることも初めて(今ぐぐって)知りました(笑)。
 たぶん、区分の定義(明確なものではなさそうですが)をぱっとみますと、マジェプリはリアル系なのかなぁ。

>機体にもともとそういう変形機構が組み込まれている

 あー確かに。レッドファイブとか目が増えたり完全に変形してましたね。高出力エネルギーの実体化というものではなさそう。かっこよきゃ、ま、いっか、ってのはありますよね(笑)。

 なんか色々批判的に書きましたが、ゴディニオン(?)母艦から、メンテナンス用のピット艦を射出して、さらにそこからアッシュを発艦させるという機構とか、「なるほど、面白いなぁ」と思う点はたくさんありました。二期あればみてみたいですね。

 どっちかというと、ロボットまわりというよりか、主人公たちの悲壮感のなさが気になったのかもしれないです。
 生まれた時から戦うことしか道を示されていない子どもたち、なわけですが、そこら辺に(少々疑問をもつ場面はあるにせよ)あんまり頓着していない。オルフェンズはそのあたり、ドロドロしたところも描かれていてよかった(その中でも希望を失わないでやっていく、というのを描きたいのがちゃんと伝わってきた)。
 そういったことに疑問や、大人に対しての反抗心とかを持ちにくいような、そんな遺伝子操作も行われているのかなぁ……。そう考えると、ピットクルーとかの笑顔ってのが、なんか胡散臭いように思ってしまったり……まぁ変なところにこだわってしまったんでしょうなぁ。(スズカゼ艦長とかピットのおやっさんとかも、「私たち、サイテーね」とか言ってたし、表現が足りてないわけではないと思うのですが、なんかその「サイテーね」っていう気持ちがあんまし伝わってこなかった。それは主人公たちがあんまりにも無邪気ってのも一因だと思います。あんまり、そういう大人のゴタゴタとかは本筋じゃないんだろうなぁ……でもそうだったら、「遺伝子操作で記憶を消されて育てられて」って設定じゃなくて、単に適性があったとか、そういった軽い設定でもよかったんじゃないかなぁ……)

 あー、またグダグダまとまらないまま書いてしまった。まぁ、いろいろ書きたくなる作品ってのは良い作品なんだなって、割とマジで思ってます(自己弁護)。
posted by endoat 2018/01/23 21:09 [ コメントを修正する ]

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