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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
カバネリとGOMAさん
タイトルは、これから書こうと思った内容のメモであるけれども、そのうち、書いていると、書きたいことが変わってくることは多くある。

そして、仕事の一環で、仕事に関する論文を書かなくてはならなくなったのだけれど、いざ、何か書こうとすると何も書けなくなる。このブログに載せてある記事以外にも、ローカルのものを含め、非常にたくさんの文字を書いてきた。それでも、「書かなければいけないこと」については、何も書けないのだと、自分の能力のなさに愕然とする。

論理的思考力と、こうした、ダラダラとした、ぐちぐちとした、カオスな文字とは、全く異なることなのだ。
だから、いくら文字を書く量を増やしたところで、お金を稼ぐ能力には何ら繋がらない。

……と、ここで思考を止めてしまうことも可能だ。「だから」、論理的思考力を高めるような文章を沢山練習するべきだと。

これに対して、「否」と、僕の心は言った。「こころ」とか、赤面するような表現だが、それでも、仕事に対する率直な思い、例えば、専門的な知識を身に着けようとしないで、日々のルーチン業務で満足し、自分の仕事だけに固執し、周りを助けて、組織全体がよくなるように考える人が少ない、いわゆる一般的なコンセプチュアル(概念)化スキルが重要だとして、現場を見ようとせず、深く考えようとせず、場当たり的で、分からないことを恥とも思わず……。

驚くほど、言葉があふれてくる。正直、今も、これほど長いことを書こうと思ったわけではなかった。
アウトプット。このアウトプットは、「恐怖」によって抑圧される。

つまり、「こう言ったら、こう思われるだろう」という、他者を気にする気持ちだ。
この気持ちは、良い言葉で言えば、「思いやり」と表現することも可能であって、人として、前頭前野が発達した人間にとってなくてはならないことだ。前頭前野なんて言葉を織り込んだが、論文的には不要である。僕の言いたいこととも異なる、ただ、記憶の定着として、使ってみただけだ。こんな表現も不要だ、しかし、この「不要さ」こそが、本当の表現したいことに繋がっているのではないかと思う。

ゼロ秒思考

思いついたことを、そのまま表現するということは、不可能である。それは、何らかの方法、例えば、録音であっても、文章であっても、思考として生じたことを「表現する」(=アウトプットする)ことによって、何らか歪められて……歪めるとは悪い表現に思えるが、そうではなくて、何らかの整形が行われているという意味である。

前に、自分の記事の中で、面白いと思ったのは、「思考を表現するというのは、真実と虚飾とに苛まれることである」とか、……なんか違うな、やはり、ふと思いついた表現は、「記憶」として定着していないのだと思う。ちょっと調べてみる。ああ、これこれ、
自分の内面を表現するということ、それは、虚飾と真実との狭間に悩み、誠実であろうとする思いと同時にわきおこる虚栄心を抑え込もうと努力する必要がある。

そう、何故、最初に書いた、論文的なのに対して、何ら言葉が浮かばなくなったかというと、「良いことを書こう」「上司にウケる文章を書こう」「共感してもらえるものを書こう」と、「自分本来の気持ち」から離れたところに「思考」が生じたからである。

本来、文章とは、まさに、自己の表現なのであるのだが、往々にして、学校の作文の授業でもなんでも、「書いていけないこと」「書いていいこと」の指導となってしまう。
朝起きて歯を磨いてトイレに行って学校に行って時任くんと話しをして帰ってハンバーグを食べて9時に寝ました、という日記は、読んで何も面白くないということは、小学校で初めに学ぶことであるが、しかし、その「記録」が果たして無駄かどうか、そこをよく考えるべきだ。
いや、その書いた本人が、「何か日記を書きなさい」という宿題のために無理をして書いているのであれば、ゴミでしかない言葉だ。しかし、日記とは、自己の記録としての意味をもっているはずだ。

ディジュリドゥ奏者GOMA氏の本






『失った記憶 ひかりはじめた僕の世界 ―高次脳機能障害と生きるディジュリドゥ奏者の軌跡2016/8/1』

を読んだ。
GOMAさんがどんな人かは、
http://www.cinra.net/interview/201608-goma

↑こちらの記事を読むと分かるし、本の内容についても、ある程度記載されているから、僕の感じたことを書く。

この本の存在と、この方の存在は、先日、あるブログで、とても面白い(面白いという言葉はときに侮辱となるが、僕の頭に最初に浮かんだのはこの表現だ、じっくりと、相手に不快な気持ちにならないような表現を考えることはできる。ただ、その行為自体はまさに、この記事で書こうとしていることそのものに反するのである)記事を沢山書いている方に出会って、その方の記事で取り上げられていたものだ。

興味を持って、早速購入して読んだ。
本は、GOMA氏が事故にあってから書き始めた日記が中心だ。日付と、その日記内容が書かれている。
日記はほとんど、手書きだったというが、殆どは活字化されている。時おり、手書きの、たくさん修正が入ったような、真っ黒な日記原本も掲載されていて、こちらのリアリティは強く感じた。

故に、活字化されているがため、その「現実性」というものをあまり感じられなかった。

が、時おり挿入される、GOMA氏の奥さんの日記が、重要な役割を果たしている。


僕が非常に気に入ったブログ主さんが取り上げてくださっていた方の本なので、あまり批判的なことを書くのはどうなのかと、悩んで、この記事を書くまで時間がかかった。しかし、仕事の論文のことと相まって、やっぱり、もう、思ったことを無理やり捻じ曲げて、誰かに合わせて生きてくってのは、「いやこれからもそうやって生きていくしかないような気がするけれども」、せめて、このブログの中ではやめようと、思ったのだ。

そう思ったのは、反転して、GOMA氏のその日記集の本を読んだためでもあった。


それは、複雑な思いだ。というのは、そもそも、彼の本に不満をもったのは、その言葉の大半が、「ポジティブ」「前向き」「他者への感謝」「生きていることの喜び」であったからだ。
妻や娘に支えられて、去っていった友人たちもいるなか、ずっと向き合ってくれる友人に支えられて、新しい記憶がほとんど覚えられない中、社会復帰のために、身体のトレーニングや、ディジュリドゥの練習、ライブや絵画の個展、映画化に向けた目標・目的を定めて必死に努力していく姿。素晴らしい。素晴らしいゆえに、僕は感動できなかった。共感できなかった。

しかし、最後の方になると、この日記群は、新しい記憶ができないが故の、外部記録装置としての意味、即ち、現時点の自分としては、過去の自分が思い出せないから、その過去の自分から今の自分への、「頑張れ!」というメッセージなのだという、そんな表現を読んで、なるほど、と思った。

恐らく、彼は、やはり、相当苦しんでいるのであって、だからこそ、体の痛みや、脳の機能しない自分自身について、何でこんな目にあうのか、消えてしまいたい、逃げたいという思いで、体や頭を覆いつくしてしまうのだろう。だからこそ。
だからこそ、日記を書くことで、それを読み返すことで、前向きに、頑張れ、みんな応援してくれている、自分一人じゃないんだと、そう言い聞かせるようにして、一歩一歩進んでいるのだ。



それが読み取れたからこそ

だからこそ、不満だったのだ、僕は、もっと、その苦悩の表現をしっかりして欲しかった。いやしかし、今まさにこう書いた表現が、多くの人に「キモチワルイ」と印象を与えるだろうし、そんなマイナス思考的な表現を出版するなど、ほとんど意味のない、デメリットばかりなことだろうので、望めぬことだろう。
その点で、唯一、妻の日記は、客観的な視点からのもので、ほとんど、GOMA氏彼の言葉からは読み取れないのだが、爆発的なエネルギーが生じて暴力的・感情的になりがちなGOMA氏のことをしっかり書いている。同じ人物に対しての内容なのに、彼自身から見える世界と、奥さんから見える世界が異なっている点が面白かった。

要点

って、なんだこの感想。面白かったのか面白くなかったのかよく分からないが、一つまとめておけば、

いらないもの捨て去って、自分自身として生きることの大切さ

というのは感じることができた。
GOMA氏の障害は、はたから見ると全く分からないので、実際会話してみたときのちぐはぐさなどで、「あれ?」といった印象を与えるのだろう。だから、そうした、他者に変な目でみられるとか、上手くコミュニケーションとれないのでは、といったそんな思いで、社会にでていくのが、復帰するのが怖かったと書かれていた。でも、そんなことに恐れていてはダメだと。

僕はGOMAさんのようにイケメンでもなければ愛する守るべき生きがいになる娘もいないから分からないけれども、ただ、その生き方、姿勢というのは、共感というか、そうあるべきだと、実感として思った。

というわけで、仕事の論文も、どう感じられるかとか、評価がどうかとか、そんなこと関係なく、「本当の自分の思っていること」をベースに書こうと思う。一応仕事なのだから、「論理化」はするが。

で、その論理化するにあたって、そのベースとなる要素、カオスな言葉の群れは、やはり、ゼロ秒思考でどんどん作り出していこう。

カバネリ

ああ、やはり、書いているうちに最初の予想と異なっていく。
本当は、「甲鉄城のカバネリ」の感想と、GOMAさんの本の感想とを、半々ぐらいに書くつもりだったが、取りあえず時間切れだ。

取りあえずメモとして、この作品も、とある非常に面白いブログの中で紹介されていて、気になってみてみたのだ。アマゾンプライムで見れるぜという情報も後押しした。もう1、2年前になるだろうが、アマゾンプライムの無料期間みたいなのがあって、それで申し込んだら、あまりの便利さに抜けさせなくなってそのまま会員だった。
最近、映像も無料で見れるらしいことは分かっていたけれども、特に気にしていなかった。
けれども、意外に映像きれいだし、ストリーミングも早いし、やるじゃんアマゾンプライム、と思った。

いやそんなことじゃなくて、カバネリの作品のことだ、いやこれ面白い。取りあえず1話みて、久しぶりに最後まで見てみようという気にさせてくれた作品だ。攻殻機動隊ARISEも面白いが、その面白さは、ある意味予想内の範囲で、十分ではあったが飛びぬけてはいなかった。
やっぱり、原作のアニメーションじゃなくて、オリジナル作品ってのは、ストーリーや映像構成からアニメーション用に考えられてつくれるから、面白い作品がつくれるって、コードギアスの監督さんだかが言っていた記事を最近読んだけれど、なるほどなーと思った。

最後までみたらまた感想でも書こうかな。





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GOMAさんの本の感想ありがとうございます
内的体験は結局完読できませんでしたが、考えるヒントを得られました、ありがとうございます。
また、僕の紹介したGOMAさんの本の感想有難うございました。参考になりました。奥さんからの客観的な記述がされているのが特によかったんですね。
ちなみに、僕の紹介した本を批判していただいても全然Okですよ。むしろ、僕はAmazonなどで他の人のレビューを読むときは、☆一つの批判的な意見を参考にしてます。褒めている意見よりも厳しい意見のほうが本音に近いですから。
此方こそ有難う御座います
うーたんさん、こちらこそありがとうございます。
内的体験、難解だったでしょうに、興味を持ってくださって、読んでくださったこと、驚きとともに非常に嬉しかったです。
そういえば、ブログを書き始めた当初、自分が書いた本とか映画とか漫画とかのレビューなどで、誰かが興味をもってくれて見たり読んだりしてくれたら嬉しいなって、そんな風に思っていたことがあったと、今少しだけその当時の気持ちを思い出すことができました。
人生の一つのヒントになった気がします。重ねてありがとうございます。

GOMAさんの本の感想も、……なんだかすみません、ほんと思ったことそのまま書いたような感じでしたが、でも、お読み取り頂いたとおり、一見あまり苦しみを抱えているように思えないGOMAさん本人の日記に対照するカタチで、例えば罵声を挙げて他人に攻撃的になる姿(感情が抑えられなくなることがあるそうです)とか、客観的な視点をインプットしてから本人の日記を読むと、単純にポジティブ的な表現も違った意味合いに捉えられてきた点が面白かったと思いました。

☆1つの意見、私も同意見です! 時に単なる誹謗中傷にしか思えないものもありますが、良くないところ、欠点というのを知るのには重要な意見だと思えます。
  • 遠藤 さん |
  • 2016/10/12 (20:22) |
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