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生の喜び
2008/05/18 08:58 | Comments(0) | 生きる意味
圧倒的なまでの生きづらさ。
 真っ暗な将来の展望。
 日常の苦痛。喪失感。

 何のための努力か。何のための生か。

 生きることの意味を問い続けて6年。ようやくその答えに辿りついた。

 それは、楽しむこと。
 喜ぶこと。
 感謝すること。

 答えは、初めと同じ。けれども、その内実は大きく変化した。

 生は、もちろん自分のためにある。
 けれども、そのための方策は、人のために生きることである。

 自分が他者にプラスの影響を与えること。それは自己有能感に?がる。
 自己有能感は、安定した自己を保つために必要な要素である。

 善人と呼ばれる人たちは、思いやりを持てだとか、他者のために生きろだとか言う。
 そのようなことは、私のような凡夫には不可能だと思った。矛盾を抱えて生きていたくなどはなかった。

 しかしそれは違う。
 人のための行為は、即ち自分のための行為なのである。
 これは私の感じ方、考え方、生き方と合致する。
 もう、自分を曲げて生きる必要は無い。

 私は自分のために生きる。
 ただそれが、「結果的に」他者のためになるというだけだ。

 私の喜びが、即ち他者の喜びに?がるように、そのような方策を考えよう。


 だからといって、他者の評価を気にすることは無い。
 万人の幸せを願う?
 身の程を知るがいい。仏陀でさえも、キリストでさえも、人類全体を救うことはできなかった。有名な思想家、哲学者でさえもそれは不可能だったのだ。それが一介の凡夫に、可能なこととでも思ったか。

 自分のできる最大限のことをするまでだ。即ち、周囲の人間には、徹底的に優しくする。思いやりをもって接する。もちろん、自分をすり減らさない程度に。

 繰り返すが、他者の評価は関係ない。そして、過去の失敗にとらわれることもない。すべて肯定してしまえばいい。主観的判断で構わない。何故なら、私の目標は、自分の幸せなのだ。
 人に迷惑をかけない?
 身の程を知るがいい。他者に迷惑をかけずに生きている人間が、この世に存在するだろうか。生きている以上、大小の違いはあれ、必ず迷惑はかけてしまう。だからこそ、他者の気持ちを必要以上に考える必要は無いのである。自分に実害が及ぶ場合のみ、考慮の対象とすべきだ。

 自分勝手?
 その通りだ。しかし、その自分勝手が他者との共存というベクトルに向いている限り、それは悪いことどころか、素晴らしいことである。

 教育とは、共存的自分勝手を育てるものかもしれない。もしそうだとしたら、もしそれができるのだとしたら、私は教師になってもいいと思う。


 涅槃の境地に至ったといえばオーバーだが、今の私はそのくらいの気持ちを、毎日もって生きている。毎日が充実と幸せで満ち溢れている。

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