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離婚を突き付けられた30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
時間を無駄にした休日、ようやく回復
今日の一言「金曜夜から体調が悪く」「精神に負けただけ」

無駄に過ごした!

 無駄とは何か。
 僕は別に、休日に何の予定もなく、ダラダラとテレビを見て過ごすことが悪いことだとも、無駄だとも思っていない。

 無駄という概念は、理想とすべき生活軸があるから発生するものである。

 分かりやすく書こう。無駄の反対は何だ? 役に立つことだ。では、その役に立つとは何に対して? 自分? 友達? 恋人? 家族? 会社? 社会? 世界?

「あー失敗した……無駄に過ごしてしまった」

 という気持ちになるのは、何らかの、目指すべき何かがあるからなのだ。ただ、それが意識されるかどうかは、別問題である。何となく、無駄。この感覚が大半であろう。何せ、無駄なことをしている際には、ろくに思考も働かないのである。



 御託はいらないか。
 とにかく、休日前のゴールデンタイムからほぼ1日、何もできなかった。
 その、「何もできない」というのは、ぐっすり眠るということすらできなかったのだ。

外食も難しい

 まず諸悪の根源は、金曜日の夜、気分の良い食事タイムを取れなかったことだ。何故か? いつもたびたび訪れる外食屋さんが、込み合っているせいか何なのかわからないが、喧噪で落ち着かなかったことが一つ。食事のクオリティはよいのだが、「環境」というのが重要であることが、改めて分かった。コストパフォーマンス(費用対効果)がよくても、狭い座席でがやがやうるさかったりすると、気分が落ち着かない。

 そう考えると、おいしい食事を家に持ち帰って、ゆっくり食べるというスタイルが一番良い。しかし、宅配系(ピザにとどまらず、和食洋食、寿司など今や様々)は、味はそこそこだが、コストパフォーマンスが良いとは残念ながらいえない。

 じゃあ自分で作ろう、というのも、作るというよりも、後片付けが面倒だったりする。

良質な睡眠

 そして、寝落ちしてしまったことが反省すべき点の二つ目。
 疲れて家に帰るというのは、まぁ、日常茶飯事であるが、休日前となると、気が抜けているのだろう。ほぼ床で寝ていた。エアコンもかけっぱ、電気もつけっぱ。当然、睡眠の質は悪くなる。

 深夜、明け方など、何度も目が覚める。しかし、頭の病みがひどくて、起き上がることはできない。膀胱に負担がかかって、お手洗いには何とか行くが、またきれいに布団もしかずに寝てしまう。

 そして、何とか気合を入れて起きる。風呂に入る。そして、やっぱり具合が悪くて、寝る。

 そんなことを繰り返しながら、もう外は暗くなってしまった。

 本当は、日用品など、買い物に行かなければならない。食事もまともにできていない。

 かろうじて、洗濯だけはできた。

クレジットカードの整理

 やることは、結構あるのだ。
 まず、掃除、片付け。
 本が、書類が、暴れ始めている。
 良質な部屋空間がつくれていない。

 頭を整理したい。身体を整理したい。

 費用面を整理したい。


 クレジットカードを、2枚ぐらい解約したい。しかし、生活費の自動引き落としになっていたり、ポイントがたまっていたりと、少しばかり対処が必要である。
 それでも、スマートホンの解約、格安SIMへの切り替えよりかは楽だろうが、気分がのらない。節約効果も、年間2000円いくかどうかである。ポイント利用を考えると、もとが取れなくもない状態。ただし、ポイントというのは、その対象のお店でしか使えないため、買い物の幅の限定がなされる。それでもよかったのだが、もっとよいお店を見つけてしまったので、必ずポイント対象の店を利用しなければならないというのは、デメリットが大きくなっているというわけである。

 とかなんとか、そんなこと書いている暇があったら、解約に向けて行動すればよいのだが、どうにもこうにも、やる気が起きない。ダメ人間である。

分かりやすい文章の語順

 無駄、の話に戻る。

 無駄って何なのか。

 先日、分かりやすい文章技術の本を読んだと書いた。その中で、修飾語の使い方については、悩むことも多かったため、参考になったことがある。

・長い修飾語を先にする。
・語順を整える。

 一点目の、長い就職後というのは、ちょっとまだ、意識して使えるほど理解はできていない。
 語順というのは、いつ、どこで、だれが、だれに、何を、どうした、という順番が、日本人には一番わかりやすいのだということである。修飾語を使うときも、そういった順番にするのがよいということだ。

 5W1Hというのがあるが、これは、
・Why
・When
・Where
・Who
・What
・How

 である。

 ただ、「なぜ」というのは、レポートとか、上司への報告のときが主であって、会話だとか、流れで文章を書く際には、いちいち、なぜを書かない場合が多いだろう。

 そうしたときは、
・When(いつ)
・Where(どこで)
・Who(だれが)
・Whom(だれに)
・What(なにを)
・How(どのように)

 という順番を意識して文章を書くとよいということだ。

 ちなみに、Whomは、英語圏のひとも、あまり使わなくなってきているということをどっかの記事でみたような気がする。

 とまぁ、5W1Hとか気を付けて書きましょうとかは、当たり前に誰でも知っていると思うけれども、その順番も意識する必要がある、という点については、大事なんだろうなぁとは思っていたけれど、どういった順番が好ましいのかは初めて知った。
(まぁ、必ずしもその順番でなければいけないということでもない。そもそも、文章技術の一つとして、強調したい事柄を後ろにもっていく、または前にもっていく、というのもあるわけで)


 まぁともかく、たくさん書くことが重要だ。たくさん書く中で、一つか二つか、少しずつ、そのわかりやすいとされている技術を吸収して、使えるようになっていけばいいのだ。
 よい文章が書けないからといって、完璧な文章を書かなければならないといって、何もかけなければ、いっこうに成長などしないだろう。

 そうそう、そういった意味で、ある精神科医のブログにおいて、「大人になるためには」といった記事を読んだ。

大人になることを引き受けることが重要

 大人って、なんやねん。ということは本記事の目的ではないけれども、簡単に定義しておこう。
 大人とは、その場に適した行動をとれる人間である。

 面白くもなんともない定義である。まぁ、ひとそれぞれ、思い思いの大人に対するイメージというものがあるだろう。その個々具体的な大人イメージで、読んでもらっても大きな主旨逸脱にはならないと思う。

 その、僕が見かけた精神科医さんの記事において、「大人ってのは、なるものではなく、引き受けるものである」というのが印象に残った。

 成人式を過ぎたら大人になる?

 お酒を飲めるようになったら大人?

 お金を稼いだら大人?

 会社に入ったら大人?

 選挙に行ったら大人?

 結婚したら大人?

 子供ができたら大人?

 まーいろいろ、きっかけはあるだろう。そのどれも大人になる要素かもしれない。ただし、その人が、「大人をやろう!」という気持ちにならなければ、結局、大人になどなれないのだ、ということだ。

 大人っぽくふるまうようにしていれば、そのうち大人に近づいていくということである。大人、自然化論である。

 さて、では、僕は大人なのだろうか?


 大人的な思考や、大人的なふるまいはできる、と思っている。

 ただそれは、何も今最近できるようになったというよりかは、高校……というのは大げさかもしれないが、少なくても大学ぐらいにはできるようになっていた。
 その、大人という定義が、「自分を律する」ということであれば、の話だが。

立派な大人

 わかりやすい文章とは、そもそも、前書きとして、どんな文章なのかの概要・サマリーがあった方が良いのだという。

 しかし、先日書いた通り、僕は何も、主張をしたいというわけではない。自動筆記だ。思うがままに書いている。メモだ。
 ――ということを、いつまでも繰り返しているのは、どうにも子供っぽいだろう。ので、こっから先の話の流れを書いておこう。

 無駄とは何か。
 大人とは何か。

 それらに対しての僕の現時点の考えをメモすることで、今後の行動や、動機付けへの一助となす。



 ということで、無駄って何? ってところに、もう一度戻ってみよう。何もないところから考えることもできないので、他の人のブログなどを見て思ったことから始めよう。

 ブログには、二種類あると思う。
 他者さんのブログとか見ていると、「主張」するブログと、「メモ」するブログがある。

 例えば、「30代OLの婚活日記」とかは、後者の「メモ」するブログである。それらは、まさに黎明期のブログを彷彿させる。日記やSNSとの境界が非常にあいまいで、日々の思いやできごとを、つらつらと書いていく形式。テーマはあったり、なかったりする。
 テーマがないものが、より、mixiとかfacebookとかインスタグラムとか、そっちに近いだろう。コミュニケーションツールとしての役割が強い。
 テーマがあるものは、上にあげた、婚活日記とか、アーリーリタイアを目指すブログとか。ちなみに、僕は、おぼろげながら一応テーマはあるのでこっち側。

 主張するブログとは、テーマがより明確になったもの。政治的主張だったり、宗教的主張だったり、思想的主張だったり。または、商品の宣伝だったり、ヒーリング技術の伝達だったり、ダイエット法だったり。硬いブログ、といってもよいかもしれない。それらは、伝えたいものがはっきりしている。いわゆる、「役に立つ情報」の提供を目的にしている。(そして、その目的は、思想的フォロワーだったり、金銭であることが多い……ように思われる)

   やわらかい  <   かたい
◇テーマなしブログ < テーマありブログ
   (SNS)



 え……ものすごい話それた。無駄の話だよね。いやその、無駄って、何に対しての無駄なの? ってのを、考えとく必要があるんじゃないか? ってことを書きたかっただけなんだけど。
 しかしだ、これって、さも論理的っぽいが、詭弁の一種でもある。

「良い会社とは何か?」

 ということを友人から問われたとして、「残業が少ない会社だと思う」と答えて、

「残業が少ないからといって、良い会社とは限らない」

 と言われたら、話が進まない。

 そこで、「じゃあ、残業が少ない会社を探そう」ということになれば発展的だが、「良い会社」ということの定義について話し合ったとしても、そんなもの、答えなどでるわけはない。「無駄」な議論ということになる。


 同じように、「どうしてそう思うの?」とかいうのも、どうでもいい切り替えしである。とりあえず議論ってのは、「前提」を立てたうえで、論理的に話・事実を構築していくことが重要なのであり、途中までくみ上げてから、「そもそも、その前提ってさぁ」とか言い出すのは、詭弁でしかない。詭弁って何か? 無駄ってことだ。

話が長いし面白くないって?

 まぁ、まちたまえ。重要なことである。
 つまり、「生きる意味って何?」というのも、そもそもの「前提」を問うたものであるのだ。

 つまり、言ってしまえば、答えなどでないのである。

 いや、それは微妙にニュアンスが違う。

 共通、普遍的な答えはありえない、ということである。


 ここで、雑念というか、無駄な疑問として、「そもそも、生きる意味なんて考えられるだけ幸せなんだよ」というものがある。これは、無駄な問いである。

 とにかく、今、「生きる意味」を問うているのだ。その前提を覆すようなことを言うのは、詭弁である。
 しかし、よくある言説としては、「そもそも、生きる意味なんて考えるだけ無駄なんですよ!」というものである。なんと嘆かわしい、と僕は頭を抱える。

2011年の記事

 過去の記事なのだが、
実際、生きる意味だとかいう問いは無意味である、間違いないのだがしかしながら、こうした問いをもってしまう人間とそうでない人間がいるという違い、その違いが非常に重要なのである。
~中略~
こうした文章に価値を見いだせない人は多いのは当たり前だし、生きる意味だとかくそったれな思考が生じるのと同じぐらいに無意味である。
だが思うに、それこそ中学生のときから、安らぎは文字の中にあったようである。
あえて、という副詞は卑屈だが、理解を求めているのではない。
~中略~
僕の表現することが、一言、凡人の悩みと一喝することが社会的に有意なのだけれども、そこからこぼれ落ちるものが「ある」という認識が、2010年からの気付きであり、プラスマイナス上下は分からないが、「成長」と思う。
 何か行動をして、何らかのモノやコトを成して、人と関わり、生きる。

 これが素晴らしいことであり、価値あることなのだと、誰も疑わない。僕も疑わない。


 人間の価値は、生産することである。モノ・コト・ヒトを生み、成長させることである。
 当たり前だ。そして、その中に、楽しかったり、苦しかったり、いやだったり、うれしかったりといった、感情がある。しかしその感情もまた、単に、生産のためにあるのだ。

 人は生き、生み、育て、死ぬ。そのPDCAサイクル。終わらない輪廻。繰り返される事象。


 ああ、人間とは、世界とは、なんと美しいものなのか。素晴らしいものなのか! 神や仏や、先祖や両親に限りない感謝を! そしてこの喜びと愉悦を、後代に伝えていこうではないか! 人類は、世界は、自然は、地球は、本当に素晴らしきものなのだと!!

70%の行動と30%の思考

 上に書いたことは、胡散臭いと思われるかもしれないが、本心の一つでもある。

 いやー素晴らしき世界ですよ、ほんと。いじめはなくならないし、騙して金取ろうとする人もいるし、自殺する人もいるし、ブラック企業だってあるし、迷惑かけてばっかのやつもいるし、自分勝手でむかつくやつもいるし、犯罪や人殺しもなくならないし、民族紛争だってあるし、ミサイルで恐喝するところもあるし、いろいろあるけどね!(かっこハートとか、ホシとか、オンプとか)

 まぁ世の中、それなりにうまくいってんじゃない? 70億人もヒトいるし。(日本は2050年には1億切るらしいけどね)

 厭世的になる必要などない。一人ひとり、できることをやって、よりよい社会や世界に貢献していけばいいのだ。


 ということで、70%ぐらいの時間は、そういった思考と行動にあてている。

 だが、30%ぐらいは、どうにもその70%が胡散臭いので、こうやってブログを書いている。

 もう、こういう性格なのだと諦めたのが、1~2年前に、ブログを復活したころである。
 いやはや、2011年ぐらいに、いやもっと前から、「生きる意味」なんて考えても無駄だなんてこと、分かっていたのである。
 わかっていたのだけれども、どうにも、やっぱり「ココ」に戻ってきてしまうのである。

 何をやっても、何を考えても、やっぱり、「疑問」が生じるのである。


「考えるのが好きなんだね」

 と言われた。

「答えを出す気がないんですね」

 と言われた。

 実は、だいぶショッキングなコメントであった(かっこわらい)。
 いや、感謝でしかないのだが、よい表現が浮かばないので、テキトウな言葉で書けば、傷ついた(かっこわらい)。

 よくは覚えていないが、確か、言い訳めいた返信をしたような気がする。きっとそれって、図星つかれたからだ。

 けど。けれども、やっぱり反論したい。
 考えること自体好きとか、答えを出したくないとか、そんなことはきっと、ないんだろうと。

 だって、「答え」って、「幸せに生きる」ことじゃん? 「楽しい」ことじゃん?

 それに対して、どうして、「生きる意味」とか、面倒で、うさんくさくて、ネガティブで、つまらないようなこと考え続けなきゃいけないわけ? そんなことに大切な時間を使わなきゃいけないわけ?

 もっとお金かせいだり、人脈ひろげたり、仕事で役に立つようなことしたほうがよくない?

 当たり前だよね。

 僕もそう思うよ。

でもやっぱり無理っぽかった

 そして、そんな風に思ったのは、何も今にはじまったことではなく、2011年とか、そのあたりの記事を読んでれば、似たような感覚だったことはわかる。

 そしてその頃は、できるだけ、「イッパンノヒトタチ」になれるように頑張ったような気がする。つまり、考えないようにしよう、と。


 でも、一度このあたりに気づいてしまった人は、多分もう、逃れられないんだと思う。以前は、「呪い」なんてまがまがしい言葉で表現したこともあった。

 その疑問と、仕事か、趣味か、うまい具合に紐づけられた人は、きっと社会的にも成功しているんだと思う。そういう人がつくる作品って、きっと面白いと思う。



 ふと、思い出せば、たくさんの「悪かった」思い出がよみがえる。
 惰眠していて、いくつも見た夢のせいもあるかもしれないが、まぁ、ほかの人と比べたら大したことがないんだろうけれども、いろいろあったなぁ、と思う。

 よくまぁ、ここまで生きてきたもんだ。すごいすごい(棒読み)。

 まぁ、なんやかんや言って、あと50年ぐらいでこの世界ともおさらばだろう。
 きっと、あっという間だろう――何も考えていなければ。


 そう、あっという間だ。頭が痛いとかいって、寝ぼけてる場合じゃなかった。サイトの改修とか、仕事の勉強とか、株の勉強とか、読書とか、物語創ったり、作曲したり、そもそも、食料買いに行かないと食べるものがねぇ!(笑)

モチベーションが回復中

 と、まぁ、ここまで40分ぐらいで、7000字ぐらいか。引用も、考えてる時間もあるからなんともいえないが、1分100文字~150文字ぐらいはタイプしている気がする。

 これぐらいやっていると、ようやくやる気が回復してくるのである。

 ある意味、非常に、効率の悪い性格というか、行動特性である。
 やる気出すのに高速タイピングする必要があるというのは如何なものか。しかし、よく思い起こすと、高校のときも、なんだかすげー気分がのらないときは、紙のノートに、やっぱりこんなよくわからない、無駄なことを書き連ねていた気がする。

 そう考えると、15年ぐらい前から、こんなことを続けている、というわけか。そりゃあなかなか変えられないだろう。人はなかなか変わらないのである。


 モチベーションは回復した。

 ようやく、こっから、考えることができそうなのだが、とにかく長くなったのでここまでにしよう。



(えーっと、中身のない記事になったな、いつものことながら! 一つ、情報を抽出するとすれば、「生きる意味なんて考えても無駄」というのは、「正論」でありながら、僕の心には響かないであろうということである。ある精神科医さんの、ロゴセラピーとか、実は、「意味を問い続けても、行動と結びつかなければそれ自体に価値はない」というようなものに思えるのだけれど、頭ごなしに「生きる意味なんて考えても無駄」と言われるよりかは、伝わってくるものがある。その理由は、十分に、そのことを考えるべき必要性を分かったうえで、そこから逃れる(無限遡及的な思考のループからの脱却)方法を提示しようとしているからなのだと、思うのだけれども、まだまだ勉強が足りない部分)



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文章をまとめたいなら
ひとつのテーマにしぼって書けばOK

あと、無駄な時間ってない気がするんだよね
わたしも仕事で忙しい時に休日をうまく活用できないと同じ気持ちになったけど、振り返って考えると、あの頃の経験があってよかったって思う
反省する機会をくれているからね

わたしの反省はどちらかというと、休日を無駄に過ごしてしまったという気持ちを起こす生き方のほうが嫌だなっていうものなんですよね

正直な話、休日を無駄に過ごしたと感じることに対する対処方法は
・休日を有効活用する
・休日に特別な意味を持たせない
っていう2つがあると思うんです

わたしは仕事をしている間は1つ目ばかりに気を取られていましたが、今となってみると2つ目もありなんじゃないかって思っています
  • QUWE さん |
  • 2017/07/09 (04:01) |
  • Edit |
  • 返信
休日の使い方
 QUWEさん、コメントありがとうございます!

>無駄な時間はない

 QUWEさんのように広い心をもって生きていけたらいいなぁと思います。実際、無駄な時間なんて、私もないと思います。
 ただ、人間は時間に区切りをつけることが意識的にできるので、ある目標を立てたとき、その目標にそぐわない行動は、時に無駄と表現されることもあるわけです。
 今回僕が、「無駄な時間を過ごしてしまった」というのは、ダラダラ寝ては起きての繰り返しをしてしまったことではなくて、本当はやろうと思っていたことができなかったからです。その「やろうと思っていたこと」は、僕にとって実行可能であったわけです。そして、それを「やろう」と自分で決めていた。――にも関わらずできなかった。それが「無駄だった」と表現したわけでした。


>休日に特別な意味をもたせない

 そこで、処方箋として提供されている上の、休日のとらえ方についてですが、さすが慧眼に思います。
 そうですね。何も、休日だからといって有意義にしなきゃならないといったことはないと思います。
 みんな、「社会人になると休日が大切になるよ」と言われて育ってくるから、そう思い込むようになるんでしょうね。
 ただまぁ、実際休日のほうが平日よりもまとまった時間がとりやすいので、何とかやりたいこと、やるべきことを少しでも進めたいなぁとは、本心で思ってしまいます。
 それがよくないんでしょうなぁ……。


>テーマをしぼる

 とても大事なことですね。問題は、具体的にどうしぼるか、という点になっています。
 思いつく方法は、取り敢えず書いて、しばらく寝かせて、まとまりのあるものだけをピックアップしてつなげて補記してまとめる、ということですが、多分、長続きしないでしょう(笑)。
 あと、あんまり短いと物足りなくなってしまうんですよねぇ。あとから読んだ時も。ある程度の長さは欲しい。しかし、書いていると散漫なせいなのか、……それもありますが、「前提」として書いておかなきゃと思うことがたくさん出てきて、前に進めなくなってしまうこともしばしば。前提というのは、この流れのこの話を書いておかないと、ほかの人も、ましては後から読んだ自分自身でさえもよくわからなくなってしまうだろうということです。

 もう一つの問題は、テーマを絞るということ自体が果たしてできるのか、ということもあります。「主張するブログ」はそうであるべきですが、「思考プロセスを表現するブログ」であった場合、そこに、明確なテーマを見出すことが必ずしもできなかったりします。とはいえ、その個々の記事群全体にある程度の紐帯がなければ、読み手は断片をただみせられるような、数字の羅列を読まされるような感覚に陥ってしまうことだろうと思います。

  • 遠藤 さん |
  • 2017/07/09 (17:12) |
  • Edit |
  • 返信
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