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ファイナンシャルプランナーと生きる意味
2016/06/01 22:14 | Comments(0) | 生きる意味
資産運用を本気で考えるために、ファイナンシャルプランナーとの面談を重ねている。

この機会というのも、離婚して落ち込んで?引っ越しして荷物整理していたら偶然舞い込んできた話。

昨今、祖父がなくなり、その病気についての新しい治療法がうみだされそうだというニュース。

興味のあるニュース出来事に目が行く、というのはあるけれども、人生における運命的な感覚を、思う、と書くと、やはり怪しげな宗教に感化されたように思われるのだろう、どうにも現実的なリアルタイムのコミュニケーションは慎重になる必要がある。



さて、お金のこと、資産運用とか形成を考えることと、生きる意味とは、どう関係するのか。

結局、お金とは、何か行動し、何かをうみだすための材料であるのだ。
つまり、お金を何に使うか、ということがひっきょう重要な問題である。

一方、お金をためることを、増やすことには誰しも熱心だが、どうやって、何に使おうかを、考えて行うことは少ない、というと馬鹿にしすぎかもしれないが、そうではなく、使うことについては、本来的な欲求に従うものだから、その必要性が薄い、ということだ。

おいしいものを食べたい、だからお金を使う、何ら不思議でもない自然なことである。


自然だからこそ、その、いわゆる性欲とか食欲とかに代表される欲求がある以上、お金の大切さとか、増やすこと貯めることに疑問は起こり得ないのである。





ところが、僕が少し変なところは、それ以前に生きる意味を問題視するところにある。
おいしいもの食べて、かわいい人を抱いて、ぐっすり眠れて、それはいわゆる幸せ、という言葉に示される状態だろうが、果たして、それが永遠かは明らかである。


話はあるぬと飛ぶが、バイクでナビがきかない場所を深夜に走っていて、非常に怖くなった、それは不明な土地であるというのと、小石でつまづいて転倒したとき、自分の身体はいともかんたんに、死という状態になるのだ、と。


ここら辺から、もうまったく、気持ち悪いと思われ始めることは確信に近いながら、死、という状態は、何においても重要である。

人は死ぬために生きている、この表現は全く受け入れがたいが、ある側面では真実でしかない、もちろん、いつも補足的に書くように、その真実が万人に必要とは限らない。

しかしながら、それは、十代や二十代では起こらないかもしれないが、いずれ、身体の衰えと共に、思考の隅に発生する可能性が高まってくる。
安心してほしい、と、ここまで言って、誰も信じられないことであるが、こういった文章を読んだところで、人は死の恐怖は発生しない。

そこら辺には、実感、というスタビライザーが備わっている。
だから、ゆえに、僕は、人の言葉でなんか人は変われないんだ、変わる要素は自分のなかにあるのだ、と思っているが、これも一般感覚的には受け入れられない、何故ならば、承認欲求もまた、人にはかかせないからであり、自分が他者への影響力をもっているということを、人は信じたいのである。

これらを、営業テクニックの本とか読めば、分かりにくく説明してくれる。顧客に自己決定したように、自分の営利に向けて誘導するのである、とかね。

それで、WINWINの関係になれば、お互い気持ちよければいいじゃない、というのも最もなんだけれど、どこか欺瞞的で、気持ち悪いと僕は思う、この感覚を、高2病とか大2病
とかいう、かっこわらい。




話が、前にすすまない。まとめようとすれば、人はいずれ死ぬのだから、いまを精一杯生きよ、とかになる。このブログは、そんなことは分かっている、そこで思考停止するんじゃない!と発破をかける。と同時に、生きる意味なんて考えるのは無駄であるとするエセポジ言説への警鐘である。いやもちろん、全否定なんて、こうやって書いてきたことがむしろ、できないことの証左なんだけれども

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