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サピエンス全史上巻とサイコパス視聴完了
2016/12/30 08:00 | Comments(0) | 学習勉強インプット

サピエンス全史の下巻突入

 共産主義や資本主義などイデオロギーも、超越したものの信仰に基づく点で宗教と同じであるという見解自体は、僕もかなり前から思っていて、記事にも何度もしていたけれど、それを体系的な本のなかで指摘されているのは中々刺激的であった。
 考えるポイントは、ああ、僕が思っていて、周りの人たちと何だか感覚があわないなぁとの孤独感につながっていたことの確認と、カタルシスではなまったくもって、なく、このサピエンス全史という本がベストセラーになっているこの事実の方にある。
 これが意味するのは、結局何年かして一笑にふされる可能性があることは、この際は脇において、例えば一神教の矛盾、すなわち悪の概念を孕んでいることなど、想像上の秩序と共同主観的な秩序によって、僕らの社会が維持されていることの認識が広まっていくだろうことである。
 もう1つ重要なことをメモすれば、歴史に必然はなく、僕らの未来も、統計学的な大量のデータによってある程度の推測は可能だとしても、ヨーロッパ連合からの主要国の脱退やとある国の大統領選のように、何が起こるかは基本的に定まってなどいないということについて。
 科学革命は、テクノロジーの進歩、というよりも、無知を認める態度の出現が重要であるとする知見は勉強になった。
 何が、ベストセラーであることが重要なのかは、僕らの社会が想像上の秩序に維持されるものであるのだから、この、超越したことへの批判の心が、多くの人に共通した見解になっていったとき、私たちの現実直面する生活にも、大きく影響が考えられることだ。
 先日の記事で、アニメやゲームに対する危険な意識は、この数十年で大きく変わったことについて、書いた。これは、まぁ僕にしてみれば良かった変化といえようが、果たして、良い方向の変化だけが起こる保障もまたないのである。

サイコパス第一期完了

 法律というのは、いくらマキシマ氏の様な異常殺人者を裁けないとしても、人の、よりよい社会をつくりたいという希う思いの総合なのだから、例え、その1つの事例が感情的に許せなくても、法律それ自体を遵守することが大事なのだ。
 ――というのは、サイコパスというアニメーション作品の、ツネモリ監視官の台詞。
 全部見終わった。結論、これは傑作だった。エンディングまでテンションを維持した作品は珍しいと思った。それほとアニメを見ているわけではないから分からないけど、どうしても24話くらすの作品は、全部みる気になかなかなれない。
 勝手な思い込みなのは承知だが、最初や中盤や終盤が面白くても、結局エンディングはまぁよくあるものになりがちと思ってしまう。
 いやこれは仕方がないのだ。最近よく考えてしまうのは、結局、物語って、ハッピーか、バッドか、この後も戦いは続いていく、か、その三通りしかない。
 その後の彼らを知るものはいない、とか、そんな投げ捨てられたダメな終わり方の作品も少なくない。
 だから、僕はあまりエンディングに拘らないというか期待しない。だから、途中まで見て、それぞれの話がまぁ面白ければそれでいいと思う。でもそれは、それで満足してるというわけではなく、もちろん、見終わった、読み終わったあとに、しばらく思考もわかないぐらい、感動して動きがとれないような、そんな体験をずっと期待しているのである。

感動欠乏症

 感動することを求め続けているのかもしれない。仏教的にはダメなパターンとされることだが。
 サイコパスは面白かったなぁ。ツネモリさんと、シビラシステムと、鴻上さんと、マキシマ氏の四者の価値観のぶつかりが良かったね。シビラさんは、価値観なんていったら気に食わないんだろうけどさ。

2016年に思う来年の目標

 良書にであい、10冊をめざす。とか数は必要ないな。一冊でいい。これは生き方に影響するものを見つけられたらそれでいい。
 だいたい、俺の生き方というのも、わかってきた。他者との比較や、常識というものそれは、たとえば、年功序列とか旧来の価値観もあれば、株をやったり資産形成をしなければいけないとか、結婚とか子孫繁栄とか、新しいものであっても俺は懐疑してしまうだろう、これからも。
 サピエンスの本は面白かったが、これが普遍的になった社会に、僕は埋没できるのか、これも疑問だ。
 恋愛資本主義への懐疑は、もはや、この社会で受け入れられつつあるだろう。もちろんこれからも、ナンパして付き合った数を自尊心につなげられる人は絶えないだろうが、そこから離脱を試みる人も増えていくだろう。
 情報通信技術の発展は、僕らにつながりをもたらしつつも、個別化をも深めていくだろう。
 そしてこの感覚に反駁する人もいれば、共感する人もいるだろう。

 シビラシステムは、特殊性を持つ人の集合脳を普遍化した秩序であった。
それは、いささかに気持ち悪さや嫌悪を抱かせるのであるが、ツネモリ監視官はそれを批判するが全否定はできない。
 快楽が普遍化し、システムが生き死にを、生きざまを決定する時代になり、
 どうやって生きるかを悩めた時代は、それは素晴らしかったという。
 描かれ方としては、多くの人にそういった感じを抱かせたろう。
 しかし、それは才能のあるツネモリさんだからだ。
 能力がないひとにとって、なんでもできる環境というのは、なにもできないことはその人の努力不足と糾弾される。

 ある方が、多くの人が満足しているなら、それはそれでシステムとして完成されているといった。
 そのとおり。
 完璧なシステムは存在しない。
 システムを使うのは、運用者たる人間である。

 人間をなめるなよ、と。ツネモリさんは、よりよい社会をつくりたいという思いの総合が法律だから、感情を拝してでも、守らなければならないという。

徒然故郷へ移動中

 移動中にかいていたら、記事が消えた。よくあることとはいえ、悲しいなぁ。
 クラウドとか、ネットワークサービスの向上というけれども、やっぱり、ローカルな媒体の方が安心するよなぁ。

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