忍者ブログ
   
人類ネットワーク・システム(眠れぬ夜に書くこと)
2019/05/28 19:00 | Comments(5) | 創作について
今日の一言「眠れなかった」「午前二時」

前書き

 午前二時に踏み切りに望遠鏡を担いでいこうかと思った。

 眠れない。
 昼夜逆転か。

 日中帯の生産性が落ちることだろう。まずいな。栄養ドリンクで何とかバランスを取ろうか。

 正義と、死について。

正義について

 人を殺してはいけない、それは何故なのか。
 たくさんの答えがあるだろうが、その一つは、人類という種の存続に適切な行為ではないからだ。
 社会のルールだからだ、といってもいい。
 要するに、人を殺すことが許容される社会は、いつ殺されるか分からないということだ。

「何故だと? 殺し、奪うことが人間の性(さが)だからだ。貴様らこそ何故、人として生まれ、殺さない、奪わない!」

 と悪役なら言うだろう。そういう社会において、「生産」が重要視されないことは明白だろう。

 作っても、育てても、それを奪われる可能性が高いのならば、暴力、武力を蓄える方がよほど得になるだろう。


 そうした社会が、人類の発展に適していないとされているから、人を殺してはいけないのである。――厳密にいえば、人を殺すことにルールがあるのである。


 そのルールの源が、正義といわれる。

死について

 我々は皆死ぬ。

 遅いか、早いかだけだ。

 限りある人生の中で何をなすのか。何もなさないのか。

 望んで生まれたわけではないかもしれない。
 それでも、生得的に、我々は、生きることに執着するようにできている。

死がない世界

 脳の機能をすべてマッピングできて、思考も感情も、記憶も、すべてが電子データとしてストックすることができるようになったら。

 僕らは、死という概念を超越するかもしれない。

 肉体は時間経過とともに衰えていく。
 頭、脳も同じく衰えていく。

 アルツハイマーなど、脳の機能が萎縮すれば、いずれ記憶のアクセスができなくなり、自己は消える。
 自己とは、記憶による、自我同一性によって立ち現れるものだからだ。

 その衰えは、記憶を、電子データとして扱えるようになれば、止めることができる。サンプリング精度によっては、本来保持していた情報の欠落があるかもしれない。
 しかし、有意味性を担保できる程度のサンプリングができれば、十分な意思疎通は可能となるだろう。音、は、周波数で表現されるが、人間の耳がとらえられる低周波・高周波の範囲外は、例え取得しなくても、結局聞こえる音は同一になるのだ。

記憶と思考

 自我同一性は、記憶によるところだ。

 心理学的に、自己啓発的に、スピリチュアル的に、「いやなことは忘れましょう」とか「気にしすぎないようにしましょう」という方針は、正しくあろうとも、しかし、記憶の制御は、精神論でなせるものでもない。

 記憶。
 記憶があるから、僕は、僕として存在を認識できるのだ。

 しかし、その記憶にアクセスする主体は何なのか。

 それが思考――ないしは、感情である。

 記憶をすべて、脳の海馬を含む大脳辺縁系から取り出せたとして、それだけでは、ただのデータに過ぎない。
 思考や、感情といった機能を、どのように移行することができるのか。

 桶の中の脳の思考実験。脳だけを取り出して、身体フィードバックがない状態で、そこに思考は生じるのか。

 自己とは、かくも不思議な現象なのである。

脳機能のすべてを取り出せたとして

 故に、仮定は、思考も感情も記憶も、すべて脳から取り出せるようになったとして、それが、人間が死を超越した瞬間になるだろう。

 データは、不死である。

 ストレージ、データの保存機構が壊れない限り、永遠に残る。
 そして、データの特徴は、バックアップ(データの移行)ができることだ。

 技術的に可能であっても、思考が生じる仮定を保存するのに、現在の技術や物資では到底なしえないほど、カオスなデータ容量が必要であれば、それは不可能ということになる。
 そのため、データ容量は、現実的に扱える容量であると仮定する。

 そうしたとき、同一の思考や記憶をもつ人間を、コピーすることができるということになる。

 もちろん、環境因子によって、同一の筐体と同一の中身(脳データ)をもつ人間であっても、その反応は異なることだろう。
 自然(大地とか森林とかそういう意味の自然ではなく、すべての起きうること。森羅万象)はカオスなのである。自然を保存することはできない。

 コピーが可能であれば、人の多様性は必要だろうか。

 ましてや、人は今、不死となった。

 リスクがあるとすれば、同一の機構をもつ脳データを破壊するマルウェア(コンピュータウイルス)であろう。

ディストピアかユートピアか

 エネルギーの確保が優先される。
 電子データを機能させるには、電力が必要だ。
 太陽光、地熱、風力、原子力、しかしそれらは、すべてオートメーション化されている。
 人間はすべて、巨大な電子演算機の中に入っている。

 クラウド化されネットワークによって繋がったデータベースは、もはやその特定の場所をもたない。必要に応じ、必要な量の思考が巨大なネットワークの中で行きかうのである。

 その人類ネットワーク・システムの外的な、物理的な維持管理は、ロボットたちによって行われる。アーティフィシャル・インテリジェンスによって、新人類の制御もほとんど不要だが、イレギュラーが発生したときのために、新人類の思考によって、外部のインタフェースとして作業を行うことも可能になっている。


 データ人類は、死ぬことがないため、その技術が発達してから、ますます増加していく。
 旧来の土に還る思想をもつものや、既に脳機能に異常をきたしたもの以外は、自らの肉体を捨てて、人類ネットワークシステムの中に入っていった。


 エネルギーは、電力だけである。
 水も、食料も必要ない。
 肉体がないのだから当然である。

 インフラストラクチャーの優先度は、電力の確保が最優先となる。
 だが、既存の交通、商業、工業などの必要性が低下するにつれて、電力の確保はそれほど難しいものでもなかった。

子どもたちは

 少子化によって、既に、旧人類の生産人口は、ロボットを大きく下回っている。

 それでも、子供たちは、肉体を捨てることはできない。
 人類ネットワークシステムに、成長はないのだ。

 子供たちの世話や教育は、すべてロボットたちが行っている。大人たちはみな、人類ネットワークシステムの中に入っているのだ。

 人格の形成が十分になされたとされる20歳程度で、人は人類ネットワークシステムの中に入るようになる。
 これまでは、体が限界になったころ、死の直前に人類ネットワークに入ることが多かった。
 時代が変わることで、肉体が十分に使える状態であったとしても、人類ネットワークに入ることが増える。何せ、もはや、肉体をもつ人類は不要なのだ。むしろ、資源を大量に消費することから、コストパフォーマンスが悪い。

 脳機能マッピングが完全になされた後に、肉体は、目覚めることなく破棄される。

記憶の連続性

 目が覚める。
 そこは、仮想世界が広がる。これまでの、荒廃しだした世界とは異なる、洗練され美しい世界。

 すべては、脳機能に電気信号によって生じさせるバーチャルリアリティであるが、しかし、すでに肉体がない新人類にとっては、その世界こそが真実の世界である。

 肉体は、破棄されなければならない。
 さもなければ、「死」の恐怖に発狂してしまうだろう。

 このネットワークの世界には、死は存在しない。永遠に、自由に、そして幸せに生きることができるのだ。
 死もなければ、老いもない。

 永遠の世界。理想郷。ユートピア。

 新人類は、原人類の数をはるかに超越した。990億人。数年で、1000億を超えるだろう。
 ストレージ容量は大丈夫だろうか。しかし、ここ数十年においては、新人類の増加も格段に緩やかになっている。新人類へ移行する原人類が、もはやほとんど存在しなくなったのである。

 最後の原人類がいなくなったとき、人類という種の進化は完了するのだ。

殺人

 すべてが満ち足りて、すべての娯楽が提供される世界において、犯罪など発生しない。
 スリルを味わいたければ、それを感じられる信号を受け取ればいい。
 脳に与えるダイレクトな信号は、現実感を超越する。たいていは、その制御をおこなわなければいけない。強度を高めすぎると、「自己」「精神」は破損してしまう。

 だが、破損したところで、その多くはバックアップによって保持されている。

 故に、完全な殺人を行うためには、その「自己」に対するすべてのバックアップを破壊するということが必要だ。
 しかし、自己のセキュリティ区画は、分散され、さらに厳重な機密として扱われているため、実効性は限りなく低い。

 人が殺し、殺されるという、原人類の野蛮な習性は完全についえたのだ。ここに正義が完成した。


(かっこ書きである。あー、なんか、眠れずに、布団の中でもぞもぞしながら考えていたら、余計に眠れなかったが、2時間ぐらいしか布団に入っていないが、もういっそのことと思い、書き出した。物資に恵まれていれば、人は争わないのか、といえば、きっとそんなことはない。刺激も必要なのだ。セックスの快感や、生死をやり取りするスリルなど。だが、そのスリルなどの感覚も、すべて脳に対して、肉体の現実感以上に与えることができれば、人は人と争う理由がなくなる。永遠を与えられた人類は、おそらく、退屈しだすだろう。だが、エンターテイメントは、それこそ、永遠の時間と、無限のリソース(過去の知識や技術に、だれでもダイレクトにアクセスできる)によって、いくらでも生み出されるのだ。「死」という概念も超越した今、誰もが生死を分けた戦いを行うこともできる。たとえ、その刺激によってデータが破損したとしても(死)、バックアップによって意識をよみがえらせることができるのだ。それは、眠りについて、夢の中で死んで、そして冷や汗でびっしょりになりながら目が覚めるのと同じだ。データが破損するぎりぎりの状態を、バックアップとして再起動するのだ。――だが、そこに、記憶の連続性はあるといえるのか。いや記憶は連続しているといえるだろう。だが、そこに生じる、自己は、同一なのだろうか。ここまでは創造上の話だが、僕らも、夜に寝て、目が覚めた時、はたして、それは同一の意識なのだろうか。昨日の自分は死に、そして、まったく同じ記憶データにアクセスできる、まったく新しい自分が生じているのではないか。つまり、眠りとは、「自己の死」なのではないか、と。そんなことを考えていると、わくわくもするし、怖くもなる。そんな感じの物語を描きたいのだけど、設定と、ストーリーとはまた全然違うので難しい。まず、新人類にスポットするのか、旧人類にスポットするのか。既存の人類ネットワークシステムを肯定するのか、否定するのか。とりあえず完璧なシステムなのだとしたら、もはや永遠に問題なく存続していくのだろうから、何の物語にもならない。とか思ったら、物語と設定の違いは、「事件性」なのかとも思った)

拍手[1回]

PR

コメント

 多くを書くとネタバレになってしまいますが、そういう長編用のネタを温めています(まだ手をつけてすらいませんが!)
 色々思うところがあるのであれこれ書きたかったりもするのですが、作品の中に盛り込みたいという欲求が……。
 次の長編、可能なら賞への応募用作品として書き上げたいネタだったりします。

 ちなみに、私の好きな「.hack//」のシリーズでは作中時系列での先端作品において「全人類の電子化による種の保存と進化、平和な世界と地球環境の保全」といったまさに今回の記事のような野望が提唱されていました。
posted by 白銀URLat 2019/06/01 03:18 [ コメントを修正する ]
 白銀さんありがとうございます。
 コメント嬉しいです! いや、この記事、変な時間に書いていましたが、割とネタとしては面白いなぁと思ってました(笑)。

>「全人類の電子化による種の保存と進化、平和な世界と地球環境の保全」

 ぜひぜひ!
 賞応募用とのことで、投稿などは難しいと思いますが、なんか送ってくだされば、批評とはいかずとも感想などは書かせて頂きたいと思いますっ。


 .hackもそうですし、攻殻機動隊も、サイコパスも、beatlessも、結構テーマとしてはあり触れている部類だと思います。でも、ありふれていても面白いもんは面白い! と思います。
 現代の技術や知識、一般の人たちの前提知識や要求水準なども変わってきていますので、現実に実用化されないうちは、まだまだ発展の余地あるテーマだとも思います。

 やっぱり、人間という定義がまだ十分ではないと思うのですね。DNAの塩基配列が解明されたとしても、それと、思考や感情との繋がりには、まだまだ遠い気がします。そもそも、同じ分野で解決されるものなのか。「ヒト」というたんぱく質の入れ物は何かできる気がします。内臓とかまで完璧に作成された肉体。
 しかし、その肉体に精神は宿るのか。

 しかし、その完璧な肉体が作れるということは、逆にすべての病気や老化を解消できるということではないか。首から下は全部作れるとしたら、やはり「人」とは、頭部、脳機能という定義になるのか。
 そうすると、脳機能の劣化が老化であり、死になるのか。

 などなどなど、考えるだけで楽しいですが、いやこれ、物語にするのはやっぱり中々大変ですねぇ……。
posted by 遠藤at 2019/06/01 08:41 [ コメントを修正する ]
 軽く概要だけ書くと、攻殻機動隊をもっと電脳世界に寄せたような、割とありふれた、ありそうなイメージのものを考えてます。
 電子技術の発達でネットワーク内にもう一つの世界が作られるようになったような世界観で、電子世界に対する警察的な仕事に就く主人公とヒロインの物語として、その世界観における倫理問題や人類や種としてのあれこれ、電子世界との付き合い方などに触れていくような話を考えています。

 お言葉に甘えて、書き始めたりプロットや設定が固まったら見てもらっちゃおうかな……?
posted by 白銀URLat 2019/06/05 17:35 [ コメントを修正する ]
 お金と同じで、面白いものはいくらあっても困りませんからね!

 と書くと小物臭というか悪役臭ただよいますが(笑)、私などで宜しければ是非読ませてください。


 電脳もの、というか、ロボットものというか、古典的になっている「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」フィリップ・K・ディックも読んだことありますが、1968年刊行として考えると、やっぱりすごいなと思います。
 思いますが、面白かったか? と問われると、「否」となってしまいます。
 文体(訳?)が自分には合わなかったのと、物語として退屈だったんですね……。
 温故知新とはいいますが、必ずしも古いものから新しいものを抽出できるとも限らないと思いました。
posted by 遠藤at 2019/06/09 11:44 [ コメントを修正する ]
(追記:思ったこと)
>その世界観における倫理問題や人類や種としてのあれこれ、電子世界との付き合い方

 これが作品の「テーマ」だと思います。面白そうです。興味あります。


>電子世界に対する警察的な仕事に就く主人公とヒロインの物語

 これが物語の「人物」と思います。ただ、この段階だと、ヒロイン必要かな、という気がしました。

 そして(私は全然ダメダメなんですが)、作品の「コンセプト」がまだ見えてこないので、作品として面白そうかどうかが分からないと思いました。
 要するに「事件」とか「課題」という奴ですね。マトリックスだと、「もし現実だと思っていた世界が、人類を支配する機械が作り出した仮想現実だったら」がコンセプトだと思います。「主人公の警察組織が行う電脳世界の秩序維持が、実は人類の集合意識への統合が画策されていたら」とか、かなぁ。となると、「全体と自己との葛藤(コンフリクト)」という構造――うーん、そうすると、「どうせ自己が大事、って結論になるんでしょ」とかって思ってしまう自分がいて、なかなかコンセプトが浮かばないんですよねぇ(苦笑)。

 ……あ、上のごちゃごちゃは自分のメモみたいなもんなので気にしないでください!
 大事なネタはもちろんこんなブログコメント界隈に書かないでください(笑)(もし送っていただけるなら、SECRET:管理人のみ閲覧できます、か、メールなどでお願いします!)
posted by 遠藤at 2019/06/09 12:01 [ コメントを修正する ]

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<無差別に人を殺したいと思う人 | HOME | イライラをぶつけるだけの記事>>
忍者ブログ[PR]
アクセスランキング