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イライラをぶつけるだけの記事
2019/05/26 18:02 | Comments(4) | イライラ対処
今日の一言「果たして書くことでどこまで冷静になれるか」

前書き

 得体のしれないイライラというものをご存じだろうか。
 これは、鬱と換言してもよいと思う。

 憂鬱な気分である。
 気分が沈み込んでいる。やる気が起きない。モチベーションがない。動機を持てない。欲求がない。
 生理的な、おなかがすいた、眠い、ぐらいは欲求があるかもしれない。しかしそれは、より動物的な、欲動といっていいものだろう。

 人は何か、欲求があるから生きている。根源にあるのは、死にたくない、仲間を作りたい、知りたい、というものだろう。生得的な、遺伝情報を残そうとする意志。

 まぁそんな次元のことを考えようというのではない。どうでもいい。分からないことは分からないのだ。

 そんな曖昧なものではなく、いま、ここに生じている、このイライラをどうにかして対処し、より創造的な活動をするために何ができるのか、それを試みなければならないのだ。

イライラの根源

 プライベート、仕事、このどちらかにまずは分けられるだろう。
 しかし実際、僕が以前から書いているように、プライベートと仕事は、厳密に分けることは危険だし、あまり意味があることではない。
 グレーゾーンとして通勤時間というものがある。または、会社に到着してから、始業開始時間までの間というのもある。サービス残業はこれからもっと規制されるだろうが、しかし、厳密に、就業のチャイムが(なる仕事場があるかどうか知らないが)なってから、すぐさま身支度をしている人がどれだけいるかも分からない。

 ちなみに、今の職場は、そこのあたりはルーズである。
 逆に、まぁ、それほど雰囲気は悪くないが、個人的に、「雑談」的なのがよくわからない自分としては、それ自体がストレスであったりする。

 雑談ってのは、非常に面倒なものだ。だいっきらいだ。
 その延長で、飲み会も嫌いだが、まぁしゃあない部分もある。
 ある意味、仕事のためにメンバーのことを人間性を知るという意味で、飲み会などは重要だという感覚もあるため、そこまで毛嫌いするものとも思っていない。

 だが、今の職場でより困るのは、相手にする人数が多いということだ。メンバーが多い、2桁以上である。
 これ自体がストレスだ。

 数人程度の協調関係を築くなら、「変人」の僕であっても、「マナー」によって関係を維持することはある程度できる。
 いやむしろ、別に何人に増えようが、それは変わらない。
 だが、それと、内面的なストレス・疲れとは別だ、というか、大いに関係がある。

人に好かれなければいけないという強迫観念

 裏切られる可能性。
 ……とそこまでではない。だが、基本的に、猜疑心が強い、とい言っていいだろう。

彼らはキラークイーンで最後まで殺し合うようです
http://gokumonan.blog87.fc2.com/blog-entry-7026.html

 ↑の「やらない子」氏、ほどではない……と信じたいが、まぁ似たようなものかもしれない。

 いやどちらかというと、「ほむほむ」氏や「はるかちゃん」氏、のように、誰かに取り入らないといけないといったような脅迫観念なのかもしれない。
 これはまぁ、過去にいじめられた経験なり失恋が原因だとか、トラウマ要因を挙げると、同情をかえるかもしれないが、正直、そこはどうでもいい――どうでもいいのかどうかはともかく、過去の原因はともかく、「信頼ベース」で人と付き合えないことは大分ハンデ、である。

 一方で、「夜神月」氏や、「一条」氏や「やらない男」氏のように、頭がよければそれはそれで世の中を渡っていけるが、そこまでの能力もない変人は、目立った悪役にすらなれずに消えるMOBキャラである。


 ――という自己認識において、果たして、どうやって生きていけばいいのか。

 非常に生きづらい世の中になるのは自明である。

 早く死んだほうがいいんじゃないかと思っていた過去の自己認識は、あながちではなかったと、今思っても、同意見になるだろう。

こんなつらい毎日が続くなら死んだ方がまし

 今、僕は、過去を美化しているかもしれない。
 もう、こんな毎日涙が出てくるような夜を過ごすなら、早く死んだほうが楽なんじゃないか……。
 この感覚は、嘘、ではなかろうと思う。

 
 ぶっちゃけ、〇もあるし、◎もいるし、●の関係もあるし、過去と比べると、今はパラダイスな条件がそろっていると思う。
 しかし、財産があれば人は幸せか、というテーゼと同じように、得たものがあるとしても、その人にとって充足が得られるとは限らないのである。


 ぶっちゃけ、組織も、人も、信じられていないのである。
 それは、「裏切られた」ということではないのだ。
 その「可能性」なのである。

可能性への不信感

 僕のイライラを表現するのは非常に難しい。
 特定の事象……が原因なのはそうだろうが、それだけではない。

 人は、意味があれば、大抵の困難を乗り越えられる……といったのはニーチェ氏だったか。
 それは確かに、と思う。

 仕事の苦難も、その先に待つ出世なり、昇給なり、仕事の達成感なり、周囲の承認なり……なんらかの「意味」があれば、きっと乗り越えられるものなのだ。


 それが、俺に、今の俺には何なのか分からない、そこに問題がある。


 俺に、昇給なり、「褒め」なり、何かを提示しても、特にモチベーションにならないのだ。
 こんなに扱いにくい人間はいないだろう。捨てた方がいい気がする……周囲のせっかく仲間で一丸となって頑張ろうといった雰囲気作りにも悪影響だ。

 ――ということも分かっている、だから、みんなのやる気をそがないように気を付ける必要もあるのである。

精神医学・心理学的には否となるかな

 そんなこと気にせずに、自分を開示していきましょう――的な方針が、医学的・治療学的には提示されるのか。

 それは、正しいかもしれないが、不適切な対応だ。

 そのあたりに、「誰かに頼る」という手段が、僕が選べない理由もある。


 治療?

 治療とは、異常な状態を、正常な状態へ戻すことだ。

 つまり、正常な状態は、「みんな助け合って一丸となって困難へ対処していくこと」――要は仕事頑張って成果を上げましょうという状態である、畢竟するに。

 その、いわゆる「正常」に対して、俺は疑念が尽きないのであって、であれば、いったいどこに着地点があるのか。わからない、わからない、わからない……となるのである。


 何せ、先日、俺は、「変人である」と定義した。
 これは危険な思考であることも重々承知の上でだ。

 何せ、変であることを前提としたら、いわゆる一般的に「正しい道」とされているところは、俺にとって正しくもなんともない、ということになるのだから。

早く死ねや

 以上……のようやことを思って、誰かに相談すれば、「変人や異常者は正常な社会において不要だから排除されるべき」ということになる。だから相談はできない

 孤独な戦いにならざる得ないのである。――ましてや、こういう物言いがそもそも、独善的だとか、特権意識だとか、勘違い野郎だとか、中二病だとか言われるだけである。こじらせちゃんだ。

 俺は……幸せになりたいのか。
 不幸せになりたいのか。


 否、そういった二項対立的な問いは、そもそも生きるベースの思考に一切役に立たないことは、これまでの経験上分かっている。それが問題なのではない

 生きるか死ぬかの問いは、まず、現状追認するしかないのである。
 ぐだぐだと、思考が止まらない段階で、まずもって、「生きている」のであるから、「死ぬべきだ」という答えがあったとしても、それは既に選択されていないのである。

 だから、「苦痛でありながらも生きるためにはどうするか」という問いになるのである。

 早く死ぬべきである、という答えは、役に立たない。

仮面(ペルソナ)

 楽しく生きる必要がある。
 しかし、多くの人間とかかわるほどにストレスは貯まる。

 これが新たに分かったことかもしれない。
 人間嫌い……という表現を、俺は「エラー」と考えているが、しかし、やっぱり、数年を経て巻き戻った感想になるのだろうが、やはり「人間嫌い」なのであろう。

 金があまるほどあっても、デスゲームを主催したり、それに参加しようとは思わないだろう。それは、人命尊重という意思ではなくて、そもそも人との関りを可能な限り避けたいと思う心性がゆえにだろう。

 一方で、ブログなどで自己の心情を書くのは何故か。これは、イライラ対処に他ならない。イライラ対処だが、そのうえで、やはり「仲間」は欲しているのだろう。それは、同思考の人を得たいというよりも、「こうした変人であっても居場所はあってもいいのではないか」ということだと思う。

 決して剥がれない仮面をかぶった「天海春香」氏のことを、読者的には、「裏がある怖い奴」とみなすだろう。
 それを人は「打算」と呼ぶだろう。

 だが、仮面をはずすことで、「社会」ないし集団に求められないということが分かっていて、もっといえば、それがゆえにひどい目に合うとして、それでも仮面をはずすという選択肢が正解なのか。
 仮面とか、打算とか、裏の顔とか、そういう表現をすれば気持ち悪いことだろう。

 だが、社会でいうところの、「マナー」はそうじゃないのか?
 営業スマイルは?
 建前は?
 組織としての方針は?

 汚い大人たち、と表現されるそのすべての要因は、いわゆる「仮面」であろう。

気にしすぎ

 とはいえ、俺が、少しばかり、敏感になりすぎているというのはあるだろう。
 ぶっちゃけ、誰もお前のことなんてそれほど気にしてはいない。
 土曜日・日曜日に、俺の存在を考えていた人なんて、果たして世界に何人いるだろう。

 10人はいないと思う。

 いて数人だ。

 某国大統領は、数十万人は思い浮かべるケースはあるかもしれない。それと比べて、お前の言動など、たいしたことではないのだ。気にしすぎだ。気にしなくていい。適当にやればいい。無理をするな。

問題はそれで終わらない

 原因論として、俺が、敏感、HSP(ハイリーセンシティブパーソン、だったか)だろうが、それもあまり重要ではないのである。

 仮に、気にしないで、適当に、自分の思うがまま仕事なりプライベートなりを過ごしたとしよう。

 ――気にしないということは、それは、欲求の否定でもある。

 気になっているのだから気になるのである。
 何故気になるとかというのは、上に書いてきたが、「いつか裏切られるのではないか」「役立たずと思われるのではないか」「失敗するのではないか」といった不安が原因だろう。
 裏を返せば、そうなって欲しくない、という思いがあるのだ。
 その思いが欲求なのだ。

 その思いを否定する方法を進められたとき、「俺」という存在はどこに行くのか。


 そもそも、この記事の冒頭に、「どうしたらモチベーションを回復できるのか」というのがあったのだ。
 そのモチベーションを回避するような方法が、どうして採用できようか。矛盾。アンチノミー。

解決策は書くことである

 故に、最後の居場所であるここに、俺はひたすら書くしかないのである。
 書いて、書いて、書いて、出がらしになるまで、いや出がらしで滓しかでなくなっても、それでも書き続けるしかないのである。

 ところで、さらっと、まぁいずれ書いてもいいかなぁとも思っていたが、離婚の原因は、こういった俺の思考なんだろうとは思っていた。

 まぁ、こんな変人をパートナーにしたいと思う稀有な人は、70億人の中にいないだろう(かっこ笑い)。

 もっとまともな人はたくさんいるのだから、うん、是非そうした方がいいと思う。
 思う――が、そういったことも理解できる人だと俺は、相手のことを少し見誤っていたのだろう。
 だがそれは、健常な人も、日々の生活で時折訪れる「闇」というか、疲労程度のものだったのだ。俺の抱えるわだかまりレベルの人は、ほとんど存在しないのだ。ゼロ、とは言わない。それはさすがに傲慢だ。だが、たかだか数十年の人生で見つかる程度の確率ではないのだろうと。

 そういうことを、先日の友人との一件で思ったのである。

 だから、変人であることをまず認め、より今後も注意しようと、そう思ったのである。

 いや、保身だ、保身なのだが、しかし、俺のわだかまりを話したところで、いったい誰にメリットがあるというのだ。無い。ふつーに過ごしていた方がいいだろう。当たり前のロジックなのだ。そして、当たり前を自分自身も分かってしまうがゆえに、逆にそれがつらい

友人との一件

 もう少し、具体的に書いておこうか。今は割とセンセーショナルだったので覚えているが、それもしばらくしたら消えていきそうだ。

 大学時代、たぶん、一番過ごした時間が長かった友人だと思う。
 同じ学部で、家も近かったので、通学も一緒にしていた。
 生活のことも、勉強のことも、将来のことも、いろいろ話していた。

 そういう人に、変なことばっか言ってたよなぁ、と昔の感想を言っていただいた、というそういった件である。

 別に、それに対して、その友人を恨んだりとか、そういう気持ちではない。いやむしろ、そういう風に、率直に感想を言ったりしてくれるところは、そういえば昔からありがたかったかもしれない。

 だが、あぁ……そうだよなぁ、やっぱり、「日本語との意味としては通じても、感覚としてはちっとも伝わってないんだなぁ」と、そう思った一件ということだ。
 話は通じるが、交渉にはならない、とか、言葉は通じるが、話にならない、とかそんな感じ。


 俺は、いったい、どうやってこれから生きていけばいいのか。(早く死ね、というのは、上にも書いたが、選択肢として、今回の思考としては除外だ。正解かもしれないが、次元が違うのだ)

嫌な方法だが一つある

 あとは、その、イライラ解消の方法としては、俺が嫌いな方法だが、「比較」というのがある。

 パワハラいじめ虐待虐殺事故孤児裏切り貶め……もっと大変な人たちは、いる

 そういう苦しんだ、苦しんできた、そういった人たちの話を聞いたり見たりすることで留飲を下げる――そういう方法もある。

 大っ嫌いだ

 他者を羨んだり蔑んだり、他者を基準として生きることを、俺は良しとしない。

 そこに正解はない。
 たとえ、80歳の寿命で死ぬまでに、その生き方で不自由をしなくても、満足して死んでいった人たちが多いとしても、俺は絶対にそれはしたくない。

 これは単に感覚の問題だ。

 周りの人間よりも恵まれていたから、幸せな人生だった……なんて、くそくらえだ。

 そんな欺瞞の中で死ぬぐらいなら、怨嗟と怨念のままに朽ち果てたほうがましだ。
(まぁ、物理的に痛いのは嫌だ。そのあたりの次元は脳内変換してほしい)


 ガン×ソードとか、フルメタルパニックとかの、過去をリセットしてユートピアを創造する、という方法は、俺は認めない。「ばーか、ばーか」だ。

 フランクル氏のいうとおり、人生は、唯一性と一回性があるからこそ、人生なのだ。意味があるのだ。
 唯一性と一回性をなくして、人生に意味はない。


 タイムワープ・タイムリープものの、シュタインズ・ゲートは、唯一性と一回性の否定ではないか? それを何故お前は好きだといったのか?

 シュタインズ・ゲートは、時空ものでありながら、その唯一性・一回性を否定していない、むしろそれを特徴づけている。詳しくは、過去の俺のどっかで書いた記事参照だ。リンクを探す気分じゃない! ッ投稿後に思い出したらはるかもしれないっ!

 ここまで60分ぐらいだ。ああ、まぁまぁ書いてきたなぁ。目が痛くなってきた。

要はどうしようか

 さて、この記事は、イライラ対処であるので、1時間ぐらいかけて、少しは気が収まったのだろうか。

 うむ……、まぁ、その、少し収まったかな。だが完全ではない。むしろ、金曜日深夜に、めちゃくちゃイライラしながら書き綴って、いったん気持ちも落ち着いたと思うが、何もしない土日を過ごして、結局、完全解消はしなかったのである。だから、書き足りなかった……というよりも、問題解決に近づいていない、遊び、とか、逃避は、やはり何の意味もないのである。


 風呂に入るか、散歩するか、それとも書くか。

 それしかないのだ。



(かっこ書きである。難儀、な性格である。性格……なのか? 分からん。まぁ、思うに、「人に気に入られなくてはならない」というそういう強迫観念が、元凶の一つであるようには思う。それは承認欲求の枯渇なのかもしれない。ほんとは、仕事を辞めてもしばらくは失業手当(1年)で何とか生活できるだろう。それでも困窮したら生活保護が受給できるだろう。いろいろ批判にさらされる社会保障制度だが、使えない奴は今すぐ死ね的には、とりあえず、建前上はなっていない。だから、本当は、みながのびのび、自分の力を遺憾なく発揮していったら、もっと生産性もあがって、残業も少なくなって、幸せな社会になるんじゃないかなぁ……というのは日和見である。人間は、汚い。そう上手くいかないようにできているのだ。さもなければ、原人からの500万年間だか、文明の4000年+2000年からのだか、近代の400年前からだか、いつから数えるかは分からないが、ユートピアが成立していないのは不自然である。いい人もいる。悪い人もいる。変な人もいる。だが、その多くは、揺らぎがある中間人なのである。人は、「信念をもて」とか言いつつも、その信念に殉じれるほど強い人たちだけではないのだ。その信念を抱き、行動し続ける人だけが成功する(運だけでのし上がる人もいるだろうが、そういうのは、物語構造上は失敗したり、かませ犬になる)。そういう意味で、上の記事で書いた、「人間嫌い」という表現が、実はやっぱり、エラーなのだと思っている。エラー(=悪い人ばかりではない)なのだろうが、逆に俺が怖いのは、その揺らぎ、中間さ、なのである。安定などない。不安定の中に、そのリスク事態を楽しむかのように、人は生きているのである。一方で、文明は、そのリスクを軽減しようとシステムを構築している。だが、その安全性への希求と、人間本来の揺らぎとのギャップが、不自然さを醸し出している。――と、僕は思う。思い、そして、それが不安なのだ。なーってことを言っても、分かってくれる人は中々いないのだ、ということを、再認識すべきだ。だが、きっと、今回の記事においても、部分、部分においては、納得してくれる人がいるかもしれない。だが、一通りこうやって、ひとまとまりで「言う」「話す」「しゃべる」ことは、実際は不可能なのであって、そうすると、センセーショナルな表現にどうしても引きずられて、「こいつやべえ」となって、危険視されて……あああ、だから、もう、おとなしくするしかないのだが、それがストレスであって、俺は一体どうすれば……そう、だから書かなきゃなんねーんだ、ということで、ループの中でイライラが増幅されて、はて、どうしたらいいのだろう、風呂でも入ろう、勉強でもしよう、解決できなければ、対処するしかないのだ。感冒(風邪)は治せないが、症状を緩和することはできるのだ)

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コメント

 結局のところ、コミュニケーションにとって一番ストレスになるのは「相手に意図が通じていなかった」ということなのだと思います。
 どれだけ話をしても、「話した側が理解して欲しい、分かって欲しい、伝わっていて欲しいと思ったこと」が相手に通じていなかった時、それはコミュニケーションとしての意味や価値がなかったと判断できてしまいますから。

 そういえば最近、HSPや知的障碍者から見たら健常者と言われる者たちの方が異常である、障害は個人ではなく人と人の間にある、なんて意見を見かけたことがありました。

 唯一性、一回性。
 大抵の創作物においても、「いくらでもやり直せる」や「都合の良い世界への舵取り」は敵役や主人公が直面する対処しなければならない事象として登場します。
 これは、「それが出来たら非常に魅力的である」という側面と、「そんなことができたら今を生きる個の価値が否定される」という要素のせめぎ合い、そういう魅力を突っぱねることに対する挑戦的な姿勢への憧れなどがカタルシスに繋がっているのだと思います。
 端的に言って、現実には不可能な空想や理想論を否定することで現実を肯定するという、「現実賛歌」なのだろうなと。
 一時期流行った(というか今も流行ってるんでしょうか?)いわゆる「なろう系」って、私にはむしろそういうものとは逆行した「都合の良いぬるい世界」を描くものが多い印象で、あまり興味をそそられなかったり面白く感じなかったりしている気がします。もちろん、中にはそれを逆手にとった面白いものがあるのも承知の上ですが。
 話を戻して、本質的に「変えようのない今を肯定する」というのはタイムリープものや過去改変、世界改変ものに共通して、「変えようのない今を生きている」読者からも共感を得やすい物語の指針なのだと思います。
 もっとも、逆説的に、だからこそ「都合の良くチート的に進んで行けるような異世界もの」とかも「そうありたかった願望」として支持を得た側面はありそうですけれど。
posted by 白銀at 2019/06/01 03:09 [ コメントを修正する ]
 白銀さんありがとうございます。

>そういえば最近、HSPや知的障碍者から見たら健常者と言われる者たちの方が異常である、障害は個人ではなく人と人の間にある

 ちゃかしたような書きぶりになってしまって恐縮ですが、ゾンビもので、実はゾンビたちは超絶幸せで、ゾンビ状態にない人間を早く幸せにしてあげようとしている的なみたいな。

>「なろう系」
 思いますね。「都合の良いぬるい世界」、これを読者に思わせないで、異世界転生・召喚、現代チート系が面白くなるには、転生した主人公自体に説得力があるかは大事になると思います。以前連載されていた、そえさんという方の「アルバイト軍師」という作品は、主人公が歴史オタ的な設定だったので、説得力があったと思います。また、なろうで投稿されて書籍化もされた「無職転生」という作品は、タイトルにあるようにクズニートが主人公で、そのクズっぷりを転生後は活かし(というか反省し)ちゃんと生きていこうというコンセプトがあって良かったと思いました。

>現実には不可能な空想や理想論を否定することで現実を肯定するという、「現実賛歌」なのだろうなと。

 現実賛歌、なるほど。そうなんでしょうなぁ。
 ここでふと思ったのですが、ガン×ソードの敵側の「鉤爪の男」という奴がいて、そいつは世界をまぁユートピアにしようとする目的でいるんですが、――まぁその過程で主人公ヴァンの恋人を殺しちゃって絶対に分かり合えない確執になってストーリーは進むのですが、まぁその男と、フルメタルパニックのレナード氏とは、「世界改変」の方向性で似ていると思うのです。
 しかし、なんか、レナード氏に好感をもてない部分があって、それはイケメンへの法界悋気なのもあるかもしれませんが(笑)、そうじゃなくて、なんか「お前が言うな」的な感じがするんですね。目的がなんか利己的というか、矮小な気がする。鉤爪氏はなんか、ほんと自分とかそういう次元じゃなくて、世界がそうあるべきだと理想として信じているように思える。
 これは、刻刻のラスボス氏もそうで、確かに、広い意味での自己欲求に従っているだけといえば、鉤爪氏も同じなんでしょうが、なんかレナード氏とは違うんだよなぁ。

 うん、じゃあ、シュタインズ・ゲートのオカリンは、まゆりを助けたいという一心であって、別に崇高な目的というわけじゃあないが、なんか良かった。
 そういう意味で、「テーマ」は物語に重要ですが、それ以外の要素も、面白さには必要なんだなぁと思いました。

 ああ、なんかもしかして、自分が自己に執着してしまう凡夫なため、それ以外が行動目的になっている人物に共感……共感? というか、応援したくなるのかもしれません。

 って、いつものごとく頂いたコメントと関係ない方向に行ってすみません。なんというか、「なるほど、確かに」というか、「うんうん、仰る通り」いうのが率直な感想でした(笑)。それだとそっけなすぎるのでいろいろ考えてたら変な方向に……。
posted by 遠藤at 2019/06/01 08:28 [ コメントを修正する ]
>実はゾンビたちは超絶幸せで
 SIRENというゲームの屍人がまさにそんな感じの設定でしたね。
 常人からすると狂ったような生活をしているのだけれど、当人たちは最高にハッピーな状態で、常人を見つけると自分たちと同じハッピーな状態にしてあげようと襲い掛かってくる(屍人状態に引きずり込もうとする)という。

>「なろう系」「現実賛歌」
 これも究極的には、「いかにそれを魅力的に描けるか」という製作者のセンス次第なところはあるなぁと後から思いました。
 万人受けしなさそうなニッチなテーマを選んだり、本来なら反感を買いそうな内容であっても、面白かったり惹き込まれたりする作品があったりするわけで、クリエイターの腕の見せ所というか、「いかに読者に受け入れられるように描けるか」ということでもありそうです。
 逆に言えば、「フルメタ」のレナードは、要素だけを抜き出すと「シュタゲ」のオカリンのように共感を得られそうな「都合の良い世界」「理想の世界」を提示しようとしているように見えますが、実際に作品を見てみると敵として反感を抱きやすいように描かれているように見えます。
 レナードの場合は恐らく動機付けが個人的な絶望や逃避、憎悪といったネガティブな感情から来ていて、周りに対してはカリスマと天才性を存分に発揮して正当化するかのようなポジティブに見える綺麗事と理屈を押し付けるという性質や描かれ方が「何かこいつむかつく」という感想を抱かせているのかもしれません。
 対して「シュタゲ」のオカリンは、そもそもの立場が読者に近い一般人であるため、感覚も読者からの乖離が少なく、「幼馴染やヒロインを助けたい、丸くおさまる世界にしたい」という願いや、絶望や状況に対して抗おうと奮闘する姿勢が共感しやすく応援したくなる構造や描かれ方になっていると思います。
 結局のところ、レナードは「自分が気に食わないものが無い世界にしたい、自分の否定したいものがない世界にしたい」という独善性というか、自分勝手さ、わがままさが、透けて見えて、それだけを見るとオカリンらとも共通しているはずなのに、敵役として反感を集めやすく描かれているように思うわけです。
 他の、各個たる信念の下に、その過程での犠牲さえも全て承知の上、あるいは眼中になくただただ真っ直ぐに己の我を通そうとする者たちとの違いはそこなのかな、と。
 レナードもある意味では真っ直ぐに我を通そうとしているとも思うのですが、鼻に付くようなキャラクターの個性付けというか、絶妙な小者臭さが上手いなぁと思ったりしています。
posted by 白銀URLat 2019/06/05 17:26 [ コメントを修正する ]
>SIRENというゲームの屍人

 おお、そうだったのですね!
 私は、キノの旅で、なんかそんな話があった気がして覚えていました。


>オカリンとレナード

 なるほど……!
 という感想しかしばらく沸いてきませんでした(もちろん良い意味で)。

 確かに、レナード氏、イケメンなのにどこか小物臭がただよう……(笑)。
 感情的なのを排せば、わりとまともなことを成そうとしているようにも思えなくもないわけですが、明確に「敵」と読者に認識させる描かれ方はやはり上手いということですね。
 独善的、親切の押し売り、おせっかい。確かに嫌なものですからねぇ。それも、「他者のために」という観点が強ければ共感も得られやすいながら、レナード氏は、カナメを無理やりさらったりと、独善性が出すぎているんですね(カナメの抵抗がそれを浮きだたせている)。
 ――かといって、完全に嫌いにはなれないレナード氏(あまりにも憎らしいキャラクターが多く出てくる作品は、いずれそれが淘汰されるとしても、その過程が不快すぎて読めなかったりする(笑))。そのバランスがフルメタは上手いんですねぇ。
 悪役を魅力的に描く技量がやっぱり大切だなぁと思いました。
posted by 遠藤at 2019/06/09 11:35 [ コメントを修正する ]

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