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一週間の振り返りを試みる
2019/01/14 23:00 | Comments(0) | 目的・目標
今日の一言「良かった」

前書き

 小見出しが「前書き」固定だと、書き始めは至極スムーズだということが分かった。
 しかし、さぁ、何をかこう。

 小説を、読もうかと思う。
 インプットなくして、アウトプットなし。
 インプットとアウトプットは、等価交換、エネルギー保存則は適用されないが、無関係ではない。

 インプット + 自己思考 < アウトプット

 という図式が成り立つ。
 等号(=)ではなく、不等号(<)であることがポイントだ。
 要は、インプットに対して、自己思考(単に何か思うこと)が発生することによって、インプット以上のアウトプットが生じるのである。

 何かの記事で、「自己啓発本を読んだとき、「へー」って反応をしている奴はダメだ。「そうそう」って反応ができるようにならないと、本を読んだって何の意味もない」といったのを見かけた気がする。
 要は、「へー」は、「すごいな、そんなことあるんだ」といった感動しているようだが、「他人事」なのである。自分で活かそうという気概がない。
 一方、「そうそう」というのは、自分も似たようなことを考えつつ、それを「確認する」という作業をしているから、より自分に引き付けて思考できているからだ、ということだそうだ。

 ま、それの真偽はともかく、

 インプット = アウトプット

 になっているようでは、パーソナルコンピュータに適うわけはない。外部ストレージに情報を保存するだけだ。
 文字や、静止画だけではない。ビデオカメラの情報は大量だ。
 いやもちろん、カメラの視点のあわせとか、どの被写体をとるのかといったことは重要だろうが、そういう意味ではない。単に、インプット情報を保存するだけならば、ビデオカメラで撮って保存したほうが正確で速いというだけだ。
 人間がやろうとすれば、上の「等号(=)」すら成り立たない。

 インプット > アウトプット

 程度だ。僕が上で見た自己啓発本を役立てようというような記事も、僕のつたない記憶力にかかれば、上に書いた程度しか再生できないのだ。
 しかし、これは僕の能力の多寡はともかくとして、誰しもそうだ。
 インプットに対して、単純に情報を「丸暗記」しようとすれば、絶対に「インプット>アウトプット」になる。情報量によっては、せいぜい、等号になるかどうかだ。


 んあー、長い前書きになったな。
 上のことはどうでもいいんだ、要は、「自分の思考」部分が大事だということをメモしたかっただけに過ぎない。
 

自分の思考

 まぁ、上のようなことを見かけたとして、「え、当たり前じゃね?」と思う人が大半だろう。
 ただ、それを文字起こし(ブログに書く)ということの意味は、ただの記録、という意味にとどまらない。

 何故ならば――。 

 てなことを書いていたら、やっぱり、投稿するのを躊躇ってしまった。
 躊躇って、しばらくして読み返したら、うーん、やっぱり、どうなん、これ、別にいっか……とか思い出す。

 まてまて、落ち着け、年初の方針はどうなったのだ。
 ここで怠けてしまうと、一年結局似たような感じで、「ま、いっか」とかいいつつ全然書かないことが始まる。
 そうすると、10年後ぐらいに、「2019年ってどんな感じだったんだろ」と思って読み返したときに、「え、記事、たったの4つ……」とかなりかねん。


 ――という思考自体がすでに「興味深い」なのである。
 何故ならば、おそらく、逆に10年前の自分に問うたら、「10年後の自分――」なんて、まちがっても書かなかったろうし、書いたとしたら非常に皮肉的な意味合いで書いたであろう。未来に対しての悲観的観測。

 そうした転換期、転機ってのがあるはずなのだ。
 どこかで、自分は変わっている。その変わっている「瞬間」なんてものはない。
 1秒で変わることはない。

 しかし、その、ある程度長い期間を範囲指定(スコープ)してみると、その「変化」的な奴が少し見えたりするのである。

良かった理由

 ああ、ええと、だから、今回はとにかく投稿する。支離滅裂で恥ずかしいけれども、まぁこれはいつものことだ――しかし、いつもはそれほど恥ずかしくない、何故なら、「勢い任せ」だからだ。勢いがないと、つらいなぁ……。

 とか言っても仕方がない。ノルマ的に課す。

 構造的にだな、
・今日の一言で、一週間(ぐらいが)「良かった」or「悪かった」か
・前書き
・何か本文的なの
・一週間の振り返りの理由
 といった感じで、週1を目指していこう。曜日も決めよう。基本土曜日の夜――ダメなら日曜日の夜。
 それ以外の単発で何か書くのは含めない。

 こんな感じでいこう。
 そうだな、期限も決めないとよくない。取り敢えず3月までやる。絶対。

 何だかんだ、ブログ(か日記か、ログか)書いていないと、俺はやはり、自己コントロール感が抱けないようであるのだ。
 だから、やる。
 ただ、効果のほどはどうか分からないし、「続ける」ためにも、期限がないとよくない。3月まで。もっと具体的に書いた方がいい。

 3月30日(土)まで。

 よし。気持ちは少し前向きになった、気がする。(こうやってちゃんとカレンダー見ると、2月3週目と、3月の2週目は土曜日使えなそうだな……とか未来の休日の予定とかも考えないといけなかったりする。これはいいことだ)

 え、あえ、……ああん、「良かった理由」書いてないじゃん。

 あーそうだな、なんだろう、取りあえずそんな悪いことはなかった。仕事とかプライベートの予定とかが不確定的な状況でヤキモキしたりして気分悪くなったりしたりしたが、結果的には上手くいったし、出かけたのも楽しかったりしたから、よかったと、思いまーす(小学生並み感)。



(かっこ書きである。かっこ書きが一番落ち着く気がする気がするが、気のせいかな。自分、友人少ない自負がある。俺が友人と思っていて、相手がどう思っているか知らない人も更に多いから、双方友人認識のは本当に少ない気がするのだ。ただ、別に困ったって思ったことは特にない。友人や知り合いが多くて、週末いつも誰かと出かけたりしている人もいるし、いたけれども、特に羨ましいとも思わない(ただ、「彼女」という存在は、きっととても素晴らしいものなんだろうなぁと、二次元的エフェクトによって、法界悋気だった)。なのである故、その、友人というか知り合いから、お出かけ的なお誘いを受けたとき、取り敢えず躊躇するのが分かった。いやその、行けば楽しかったりするのであるが、何か、休日はゆっくりしたかったりするのである。そりゃあさおめー、毎週一週間が4日仕事で3日休日だったりしたら、じゃあ一日くらいはお出かけしよーって気にもなるが。たまの三連休とかそういうんじゃない。毎週がそうだったら、少しは考える。映画見たり動画見たり漫画見たり小説読んだりサイト更新したり、寝たり、寝たり、寝たり――俺も色々忙しいんじゃい!(先週は外食に出かけた――おいしかった――が、今週は寝てばっかだったなぁ)――というプライベート的な誘いで、今週は「あーどっすっかなー」と、脳内リソースが結構消費された。平日の飲み会とかも、まぁその、他部署の人とか、上司とか先輩とのコミュニケーションも大事だし、そもそも「マジめんどくせぇ」人とは行かないから、行けば、知らないことも聞けたり、仕事の愚痴的なのも言えたりするから、まぁ楽しかったりするのである。が、早く帰れるなら、さっさと家に帰りたいのである。帰って、ぼーっとニュースやらアニメやら見て、好き勝手過ごす時間が楽しいのである。でもそれって、「現実的に」よくないことである。だから、倫理的思考(自己理想というか、理性)によって、「えーほら、そんな一人で家でこもってないで、友人やら先輩やらとちゃんと会って話したりしなさいよ」と言われ、一方で「えーでも、今日はゲームしたいんだけどなぁ……」とか思ったりするのである――ダメ人間だッ!! ……という人は、別に僕だけじゃなくて、少なからずいると思うから、それはまぁどうでもいいのだけれども、要するに、その「リソース消費」を減らしたいのである――あああ、全然書き足りないぞ! 全然説明足りてないぞ! もっと書かせろ! しかし、時間切れだ。あーこの、本文書いているときの「やる気のなさ」と、このテキトーかっこ書きのモチベーション(勢い)とのギャップは、どうにも、文字には表現しきれない。仕切れないけれども、もったいないから、何とか表現したい。こういう、「カオス的」なものを、記号化するのが言語であり、数学や物理はそれを「数値」や「数式」で表そうとする。数学や物理は、公式を暗記すれば解けるかもしれないが、しかし、「自然ってカオス!」という感覚がないと、絶対面白くないと思う。自由落下の法則も、中学生? 高校生で習って、速度を「v=gt」で表せるって、「へー」となるかもしれないが、そんな簡単なことでも、カオスな自然に法則があるって知るってのは、面白いことだと思うのである――って何の話だ)


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