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書く気が起こらないときに書く
2016/06/30 19:00 | Comments(0) | イライラ対処
どんな楽しいことでも、ずっとそればかりをすると、飽きたり疲れたり楽しくなくなる。

しかし、どうにもやる気が起きなかったり、もやもやしたり、落ち着かなかったりしたときは、まず、書いてみることが有効だと学んだ。

不思議なほど、頭になにもうかばない。いつも同時思考的に様々なことが浮かぶけれども、感情の起伏すらよく分からない。


サイトの更新のこと、今日のランチのこと、仕事でバタバタしたこと、知人が夜に家にくること、今週末の旅行のこと、事象は浮かぶけれども、何も感情がわかない。

誰かに話そうとも思わなければ、敢えて書こうとも思わない。いま、無理矢理に書いている。



いやなことがあることすら


感情がないことは、僕が目指したことだったか。

ところで、ニュースのコラムで、自分の頭で考えろ、というが、それよりも、事実をしっかりとらえることが重要だ、といわれていた。

意見、推測、事実と、他者の発言も自分の発言も、しっかり見極める必要があるのだという。


ほらみたことか、と鬼の首とるわけではないが、僕が前から書いている、まずはインプットが重要だということに他ならない。

常に意識するため、たびたびそういった情報に触れるのは悪くはないが、大体自己啓発的なものは、知識としてはあるのだ。

と、そういった考えにとらわれると、いわゆる保守的な、頑固じじい、になるので、キャッチコピー的に気になる記事は読むようにしているが、最近新しい情報などほとんどない。


ゆえに、むしろ、女の子向けのコラム、すなわち、どうしたら男の子にモテるのか、結婚できるのか、とか、そういった記事を読むようにしている。

まあそれも、大半は斜め読みすらする必要がない。


何かを批判することで自尊心を保つ


何か言って、といわれて、こうした批判が浮かぶのは、嫌みな野郎なのだろうか。

まぁ、上に書いたことも、特段書きたかったわけではない。



ただ、問題は、意欲とかモチベーションとかの意味で、どうにもこうにも、力がでないのだ。


奮い立たせて、試験勉強は、五分くらいはしているが、結構つらい。

どうでもいい感が強い。



こういうときはどうしたらいいのか。

風呂に入って寝る、それだけである。



自分を偽ると疲れるという。

しかし、もう僕は、偽りの自分など、いないはずだ。

まぁこんなことを、常日頃いっているわけではないから、やはり、偽っているのかもしれない、とはいえ、社会性というのは、そもそも、自己に着せる服だろう。特段特殊なわけではない。


んじゃーいったい、なんなんだって話だ。

書きたくもない、何かしたいわけでもない、かといって不満があるわけではない、じゃあなんだってのか。

ただ、いまこそ、こういうときの気持ちこそ、しっかりと、言語化し、分析が必要ではないか。

単に睡眠不足では



よく考えると、先週くらいから、睡眠時間4時間とか5時間ではなかったろうか。

電車内とか、昼寝を含めれば、プラス一時間はありそうだが、まとまった睡眠は確かに少なそうだ。


単に疲れてるだけか。

身体からのフィードバックなしに、思考は存在しない。


やはり、土日フルで予定がはいっていると、気が休まらないのか。
ということは、外に遊びに行くとは、リフレッシュというよりは、むしろ仕事に近いのかもしれない。

ということは、他者といる時間は、リフレッシュできないということか。

そんなことはないだろう、ただし、一人の時間も大切だよと、世間はいう。一方で、他者との関係も大事だよと世間はいう。どっちやねん。それは、中庸だよ、バランスが大事だよ、どうすりゃええねん。



こうやって、一人になっても、まだ、何か書くようにと、何かインプットしろと、僕の心は呼び掛けてきて、一方で身体からのフィードバックに耳を傾けるとやる気がしないという。


これが結構つらいのだ。


この感覚の言語化は難しいが、休め、と思考で命令したところで、背反する感情、もっと時間を大切にとか、頑張らなきゃとかが、混在するカオス。

結局、ゆっくり休むこともできないながら、かといって何かをすることもできずに、椅子に座ったまま硬直してしまうのである。





なにもする気が起きないと、身体的不調がきになってくる。

お腹はいたいし、喉もいがいがするきがする。とかくと、風邪じゃん?と一言で終わりだが、そうではない。

でもまぁ、いまそうかいてみて、確かに、風邪のときは、なにもする気も考える気もおきないから、似ていると言えばにている。

ああ、そうか、風邪、とすれば、そうかもしれない。風邪ではないけれども、病気、という状態とすれば、まぁ、休みなよ、と、体からの訴えも、素直に聞ける気がする。



ではせっかくなので、この状態に名前をつけよう。

病名 無気力病
症状 倦怠感が発生、何のやる気も起きなくなる、しかし頑張れと心の声が聞こえる
治療 風呂に入る。それでも良くならなければ、寝ることを試みる。この際、無理に寝ようとしてはならない。ただ、できるだけ何も考えないようにする、坐禅などが有効と考えられるが、特効薬は見つかっていない。難病指定である。



単に鬱病では?(笑)
ただ、医学的な鬱病という表現では、自分の感覚を適切に表現できない。
それだって、プチ鬱とか、新型うつとか、新しい表現が発掘されてきたのだ。

医者にいってもいいが、精神科なんて、患者の症状を、問診で読み取るのが主なのだから、いやもちろん、内科医とか問診重要だが、CTスキャンしたら鬱病が見えるとか、腫瘍マーカーみたいに、特定の物質に反応する薬剤で鬱の原因ウイルスとかが見つかるわけではないという意味で。


だとしたら、どれだけ自分のことを表現できるかに尽きるわかだ。


その表現が支離滅裂だったりすれば、統合失調症とか、病名がもらえたり。
うん、是非とも、この記事を読んでもらって、病気かどうか判断してもらいたいものだ、きっと、誰にでもある悩みですね、ひどくなるようならまた受診してくださいみたいになるだけだ。


第一において、、、と、少しずつ饒舌になってきたが、


意味や目的があること



こういうときに、生きる意味とか、しっかりもっていると強い。

明日への活力、希望になる。

幸せって何か、といいながら、甘いものを頬張ると、まぁまぁ幸せである。

で、一個100円くらいの甘いもので幸せなら、楽しいなら、とりあえず数年は楽しく幸せに生きていける。


そんなものでいいのか。

それで満足して生きていていいのか?


もしかして、身体が疲れた休みたいといいながら、もっとできる、頑張れと強要する、無気力病と、僕が生きる意味とかいって模作しているのは、同じ構造なのか?


というのは、もう考えるのはよそうぜ? 毎日、それとなく生きていけばいいじゃないか。
まわりや、女の子たちは、成長とか、頑張っている姿にほれたり、出世に必要だったりするかもしれないが、もうそんなのに応えるのは、とっくに限界だったのではないか。



無理に無理をしているから、すべてにやる気がなくなり、その状態すらもおそれて、生きる意味とか探そうとしているのではないか。



体もそうだが、頭も、思考も、休ませて欲しいのではないのか。

身体は寝る頭は?



体を休ませるのは、寝ればいい。

では、頭を休めるにはどうしたらいいのか?


寝ているでもなく、起きているでもなく……というと、まさに坐禅のことになる。
ほんと、仏教色が強くなっていやになるほどだ、僕はキルケゴールさんだって好きなのだ。

ただ、思考を休める、という、これはもしかすると、新しい表現かもしれないが、これを実践する必要もあるのかもしれない。

そもそも時間がないから難しいんだけど。

ただ、十分にねてりゃあいいってもんじゃなく、意識的に無意識になることが重要ってわけだ。


やってみるか。

時間がないというのは、何事もいいわけに過ぎないからな。




























































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