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ハッピーエンドとは
2016/06/27 20:35 | Comments(0) | イライラ対処
あるホームページの更新をした。
それに関しては別のブログに書いておくか。ただ、別に1時間45分くらいで更新ができたとか、そういったことは、ホームページ上に書いてもいい気がするが、ごちゃごちゃするだろうし、サーバーの管理者のリナックス更新日記とか、別にユーザーは興味ないだろうしそれはやめておこう。

へルマンヘッセのシッダールタ、読み終わった。
二回目で、初読よりも感動したのは、初作品な気がする。

以下ネタバレあり。

やっぱり、子どもは何がなんでも欲しいな、と思った、
シッダールタは、10歳ぐらい成長してから我が子に会って、溺愛するのだが、子どもは、貧しい暮らしをするシッダールタをむしろ軽蔑していく。

暴言をはき、盗みをはたらき、それでもシッダールタは子どもを愛する。そのとき、自分でも、いつも笑ってみていた、幼児人間、すなわち、日々の情動によって素直に生きる人たちと、自分が同じになっていることに気づく。

それがわかっても、師匠にとがめられても、子を愛するという気持ちをとめられなかった。


しかし、ついに、子どもは、なけなしの金などを盗んで、出奔する。


他にも、ネタバレになるが、イチャイチャした女性は蛇に咬まれて死ぬし、散々な人生である。

でも、最後は、この作品のラストは、結局生活自体はかわらないのに、ハッピーエンドのようになっている。

ハッピーエンドとは何か



どうしたら、ハッピーエンドなのか、例えば、Edenという作品で、主人公エリヤが、ある共通の被害者らをもつ女性に、彼らが死んだ事件によって僕たちは出会った、だから、僕たちが結婚して子どもを生めば、それでハッピーエンドじゃないか、という。


しかし、この考え方は、必ず崩壊する。

それは結局、時間軸上の、浮き沈みをもとにして、ハッピーを規定しているからだ。

子どもが、悪人になったら?

子どもが小さいうちに殺されたら?


大抵の作品は、お姫様と庭師は結婚し、末長く暮らしました、とか、何かターニングポイントを規定し、エンディングとなる。


でも、彼らがその後、本当に幸せだったのか分からない。

それに、避けられないだろう死を、果たして、どのように昇華したのだろうか。


時間軸の消失



シッダールタの作品の面白いところは、未来も、過去も、すべて消え去ったところにある。

しかしそれは無ではなく、川の流れのように、常に同じものはないが、常に水は流れているかのようなことである。


悟りは教えられるものではないということと、時間軸のなさ、このことが、仏教的であり、へルマンヘッセの独自性でありながら、むしろ仏教の真髄を示しているように思える。


悟りのなさと時間性のなさの例え


例えば、この作品を、もっと早くに読んでいたら、僕はもっと幸せだったのか、もっと上手くに生きられていたのか、例えば、涙で枕を濡らしていた10代のころに読んでいたら、どうだったか。


きっと、なにもわからないどころか、怒りを感じたのではないか。

勉強できて頭よくて、ルックスはよくて女の子からはきゃーきゃーいわれ、お金持ちになって、好きになった女性とは好きなだけイチャイチャできて。

なんやねん、おまえ、何が不満なんだ、いい加減にしろ!

と、
そりゃあまぁ、妬んだだけではなかったろうか(笑)


この記事に価値があるとしたら、
ポイントは、そこじゃない、と、伝えられるかどうかだ。

つまり、
確かにイケメンは、人生イージーモードかもしれないが、それと自分、そして自己、自我とは何ら関係ないのだと。



自画自賛だし、多分拍手をつけてくださった方がいるから、気をよくしただけかもしれないが、先日の記事の、自我が最良の師と気付くこと、というのは、良いタイトルだと思った。


















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