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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
携帯からしか書けない
今日の一言「人と会いたくなければ、何もしたくない」

 この記事で、何を表現したいのか? 正直、思考ができるだけの余裕がない。

 よゆう?
 なんの?

 心の余裕だ。しかし、心とは何か?

 そういった問いからいつも始まるのが特長の私のblogだが、当然答えはでなければ、そもそも言いたいことも異なる。

 言いたいことは、忙しくて疲れた、ということだ。

 こう、未来が見えない、という表現を何度かしてきたと思う。よく言い当てている。

 僕がいつも言ってるのは、目標を立てることが重要だ、というものだ。

 だが、その目標は、まずもって、自分が達成したいものであるべきだし、次に、それを自分で考えて設定できるものであるべきだ。



 やりがいあって、楽しい仕事ってあるのだろうか?

 もしくは、楽しくなくても楽で早く終われる仕事はあるのだろうか?

 分からない。いまやってることを肯定するのもありだけど、毎日24時過ぎに帰るのが、いつまで続くのか。

 きっと落ち着くタイミングはある。
 そして、手を抜こうと思えば、もっと楽にもできる。


 ただ、そういう問題でもない。
 もっと人間関係がひどくて、忙しいこともあった。それに比べたらいまはましだ。

 が、もはや、そういう比較の問題ではないのだ。



 嫌なこと、苦しいことをする意味が分からない。
 それが人生だと、したりがおな大人たちはいう。くだらない、と思う。



 何故人は、そうまでして生きるのか。

 楽しいからだ……という、中学校ぐらいに導いた哲学は、もはや役に立たない。

 フランクル氏のいう、人生は意味をみつけるものではなく、人生から意味を求められているのだ、とか、創造かち、体験価値がなくなっても、実存価値があるのだ、とか。

 その説明が理解できれば、僕は、もう一段階高次の世界に行けると思う。
 これまでの人生の意味や体験にも、新しい意味が与えられるかもしれない。



 しかし、分からない。理解できない。
 文字としては分かる。日本語としては分かる。しかし、理解できない。いや理解というか、それはどちらかというと、納得というか、感覚が伴わないというか、そういった状態だ。



 しかも、やっかいなのが、世界の不条理である。
 今日も、昨日も、テロや殺人は起こり、たくさんの人が意味もなく死ぬ。
 たまたま、僕は生き残っている。日本は、生き残る可能性が高く恵まれているといえる。



 だから、なんだ?

 という感情。



 他人がどうだから、なんだ。社会が、家族が、なんだ。


 この、なんだ? という感覚、これがつらい。

 簡単に表現すれば、無気力……なのだが、いろいろと行動はできる。


 行動や思考はできるのだけど、それらが、いったいなんだ、なんなのだ? という感覚が付きまとう。




 俺は疑問なのだが、この感覚は、たくさんの人が……女子高生や、おばちゃんたちや、リーマンや、オタクや、大学生や、ミュージシャンや、その他、普通の人たちは、みな常に感じているのか???



 これまでの経験から、どうも違うようだと、あんまし、他者はそんなこと感じてなさそうだと、そう思うようになってきた。

 それがさらに孤独感を深めたりする。


 で、その、独りよがりな考え、なのであるが、これによって、他者を尊敬できる可能性が減ってしまっている。

 仕事ができる人。よい物を作れる人。話が面白い人。スポーツができる人。心が優しい人。

 すごい人、たくさんいる。

 すごいなと、思う。

 思いはするが、なんか違う。


 その違うというのは、すごいというのの否定ではなく、モデルにならなそうである、という意味が近い。



 だから、なのか。

 なんだか、それがなんだ、という思いが強くなる。




◇死ぬこと

 携帯からだと、たくさん書いているようで、たいした文字数ではない。

 この、内から溢れる言葉と、実際の文字に表れる表現との違い、は面白い。
 僕が、僕の記事が長くなるのは、タイピングが速いからというのはあるだろう。
 もちろん、思考言語よりはタイピングが遅いが、普通の人よりは速いので、その反映が多くなる。そうなると、結果、カオスな文書津になったりする。



 関係ないことかいた。
 死ぬのが、怖いのかもしれない。

 怖いから、意味をもたせないのかもしれない。

 別に死んでもよければ、今すぐでも死んでよければ、未来も、目標もどうでもいいはずだ。



 ふと、過去を思い出す。
 その過去とは、直近十年ではなく、もっと、小学生とか、中学生とか、高校生とか、十代のころだ。

 うむ。いまよりつらかったかも。

 比較すると、幸せな気分にひたれる。が、やっぱり、なんの意味もないと思う。

 まぁただ、戻りたい過去が一切ないってのも、いいもんかもしれない。

 ないか? ……ないな(笑)


 これは、珍しい人間なのか? いや、そうでもないか。その、過去よりもいまが大切、と思ってる人は多いだろう。



 あー。そうだな、やっぱり、あのときや、あのときはつらかった。大変だった。過去に比較を求めればたくさんある。




 だからこそ。

 だからこそ、なんだって、生きてるんだろう。

 毎日死にたい、終わりたい、消えたいといって泣いた。
 涙が止まらなくて、声を出さずに枕に突っ伏して泣いてた頃が、どんだけ続いたろう。



 最近はそんなことない。疲れてるからだが、すぐ眠れる(笑)

 じゃあ幸せなのか?

 よく分からない。


 決定的に努力して、決定的によくなった、とは言えるだろう。


 その、自分の頑張りを、行動を、どこか他人事のように、どうでもいいことのように感じ、見ている俺。




 そして、こんなこと書いてるのを、くだらない、文章で、分かりにくく、ネガティブで、ダメ人間だなぁと思っている俺。


 ああ、つまらないなぁ。

 明日は、少しは早く帰れるかもしれない。


 でも、だからなんだ?




 ああ……もう、言葉もでなく、、なってきた。





 まぁ、対策は。
 徹底的に休むべきだろう。が、それすら、結局やすんだところで、人生は続くわけだし、課題や問題は続くわけだし、どうでもよく思ってしまう。

 休んで、気力が回復し、元気になるだろう。それは分かってる。
 けど、いずれはまた、日々の忙しさや苦しさや繰り返しに飽きて疲れて、同じように感じるようになるだろう。


 そうしたとき、今度は、再び立ち上がれるだろうか?

 正直、困難に打ち勝つごとに、問題を解決するごとに、自信がなくなっていく。





 だから。

 だから、前から……といっても、二年前ぐらいからだが、僕は、子供を作る必要があるかもしれない、と書いたのだ。

 しかし、それすら、解決になるかもわからなくなってきた。
 子供ができて、もっと別の意味でも忙しくなって……といったときに、これでの忙しさや問題や課題と違って、ああ、これこそ生きているという意味なのだ、って思えるだろうか?

 ああ、また面倒がふえたぐらいに思ってしまったら、俺も不幸だし、子供も不幸だ。


 どうしたらいいんだ、しかし、この、経験の悪魔というのは、やってみないことには絶対分からない、ということになるのだ。恐ろしい。


 ああしかし、この、子供というイベントが、拠り所にならなければ、本当に詰みかもしれない。

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半無意識的なシャットアウト
 何だか久しぶりにコメントする気がします^q^
 モンハンワールド発売してからそっちにも時間を取られて中々他を見る余力がですね(言い訳)

 今回コメントしようと思ったのはズバリこれです。

>「その他、普通の人たちは、みな常に感じているのか???」

 これ、私が思うに「感じること、考えること自体はできる。けれど、そうしないようにしている」んじゃないかなと。
 これが意識的か無意識的かは多分そこまで重要じゃないと思います。
 極端な話、そういったものを感じたり考えたりしていくと、皆、遠藤さんが感じたり考えたりしているところにも行き着いたりすると思うんですよ。
 で、遠藤さん自身が今まさにそうして苦しんでいる(と表現していいのだろうか?)ように、皆ストレスや不安といったものを抱えてしまったり、未来が見えないとか、絶望感に苛まれたりする。そうなることを直感的に察していて、意識的であろうと無意識的であろうと、そういう思考に至らないようにしているんじゃないかなーと思うわけです。
 それが、その思考に至っている人からすると「こいつらちゃんと考えて生きているのか?」とか「他と違う自分って何なの?」といった見方になってしまうんじゃないかなーと。

 よくある、悩みとかを打ち明けたり話題にしたりした時の「そこまで考える必要なくない?」とか「そんなこと考えてたんだ?」とか「もっと気楽に~」みたいな反応や返答って、つまるところ思考のシャットアウトだと思うんです。
 そういうの考えるのめんどくさい、っていうのもあるんだと思いますが、それって「考えることはできるだろうけど、考えれば考えるほど答えの出ない深みにハマっていきそうだから考えたくない」とも言えるわけで、そういうことを考えないってことがそもそもの危機回避なんじゃないでしょうか。
 そういう思考をするに至ってしまう人は危機回避ができていないか、あるいは危険だと分かっていてもその先を見ずにはいられない、ある種好奇心の旺盛なタイプなんじゃないかなと思ったりします。
 それと、これが悪いこと、って訳ではないとは思うんですけどね。好奇心旺盛な人に、それ以上行くと危ないよ、って言ってもあんまり意味がないというか、結局見に行ってしまう気もしますし、本人的にも気になって仕方ないものは気が済むまで行かないとおさまらないと思いますし。
 ただ、そうするとどうしたって、他の人がついてこないところまで行くとなると孤独にはなってしまうとは思います。

 ちなみに私の場合はギリギリまで見に行った上で、「よし、これ以上は危険だから止めよう」と引き返せるようになった感じでしょうか。他のやりたいことに時間回す方が有意義だと切り替えられるようになったというか。
 深刻に受け止め過ぎずに考えられるようになったというか、ある種はっちゃけて「まぁ、やりたいことがある程度できる生活できてるしとりあえずいっか」と思考を切り上げて開き直れるようになったというか……。
 それでもまぁ、たまに無気力になったり何もかも嫌になったりということがないわけではないんですが、それでもアニメ見たりマンガや小説読んだり音楽聴いたりしているうちに復帰できるようにはなってますね。
保存版コメント
まさに欲していたコメントを書いてくださった、といった感じでした。
直感したのは、人を殺すことは誰でもできる、でもそれが無意味だと分かっているから誰もやらないのだ、それができるからといって偉くもかっこよくもない、と、サスペンスか何かで刑事さんが犯人にいっていたシーンでした。 

僕がやってることは、きっと多くの人にとって無意味なんだと思います。
考えるというのは、良く生きるための手段であって目的ではないと。

と同時に、白銀さんが指摘している、誰しもそこに至る可能性があるということ。
しかし、意識的、無意識的にそれをやらないようにしている。

きっとそうなんだろうなぁっと思いました。

ので、白銀さんのコメントの内容とずれますが、やはり私は、他者がどうこう比較しようとしてしまう甘えは断ち切らないとなぁと思いました。
  • 遠藤 さん |
  • 2018/03/20 (22:16) |
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