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離婚を突き付けられた30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
すごい感傷的な記事
今日の一言「思い出って良いものとは思えない」「振り返りたい過去などない」

古い携帯が出土した

 最近珍しく、早く帰ることができたので、部屋の片づけを実施。
 そしたら、古い携帯が出てきた。
 ふと。ACアダプタもセットになっていたので、接続し、スイッチを入れる。

 ついた。

 もう3年以上はとっくに過ぎているだろうに、古い、日焼けして黄ばんだ携帯は、ピロリンと安っぽい音を出して起動した。



 ――こんなこと書くと、僕のブログに、みじめな男であるということを期待して頂いた方々をがっかりさせるだろうが、いろいろ、「リア充」的な写真や、メールなどが見つかった。古い携帯は、ちょうど、「彼女」がいたころが、直近として時を止めていたのだった。


 とある作品を最近読んで、感傷的な気分もあいまったのだろう。ついつい、こんなことを書いてしまっている。
 他にも、「愛とは何か」について書かれたブログさんを読んだのもあったのかもしれない。

 とにかく、他にすべきことはたくさんあるだろうに、何をもってしても、この感傷としか言えない、役立たずな気持ちを、少しばかり書き残したいと思ってしまった。

ある人のメール

 あー。
 せっかく、早く帰れたのに、腹痛が、ひどい。たまに、こうなる。超音波検査などいってみたが、異常はなかった。空腹とか、そんなせいかもしれない。

 感傷。
 今を生きる人には役に立たない感情。

 よく言われるのは、「つらいことだって、そういった感情があるから、人生って素晴らしいんだ」というようなもの。人生は波であるとか、そんな風なもの。

 それはそうなんじゃないかな、と思う。ただ、その思いは、「まぁ、君がそう思うならそうなんだろうね」といったレベルだ。
 それに関して思うのは、「つらいことや苦しいことだって、人生を鮮やかにするために必要なんだ」なんて言えるのは、その「つらかったことや苦しかったこと」(以下「マイナス事象」という)を、乗り越えた人たちだけだ。

 そのマイナス事象の、重い軽いはここでは問題にならない。
 人それぞれ、乗り越えられる苦難なんて別々だ。「え、なんでそんなことで?」というので死んでしまう人だっているだろう。それに、他者の苦難について、どの程度「重いか」なんてのは、主観で決まってしまう。他者がその重さを、本当の意味で分かってあげることなどできない。

 そういう意味で、僕のこの、おもっ苦しい気持ちを、誰かに理解してもらおうなんてのは、やめた。あきらめた。
 でもそれは、他者を敬遠するということではない。他者と、適切な距離をとるってことを学んだに過ぎない。さめた人間? ――かもしれない。人とかかわることが臆病な人間? ――かもしれない。けれども、こうした諦めによって、僕の「世界」は、ずいぶんと住みよく、心地よく変化したことは、間違いないのである。


 話しが分かりにくくなった。
 なんというか、感情のまま生きるって、いいことだなぁ、と。……いや、そうなると、言いたいことが真逆になってしまう。おかしいな、混乱しているんだな、俺は。お腹痛い。

他者の痛みが分かる人間

 僕は人間が好きだ。
 僕は人間が嫌いだ。

 どちらでもあって、どちらでもない。

 こんな表現、読んだだけで気分が悪くなるだろう。人は無意識に分かりやすさを求める。答えを求める。

 ゼロから、自分で考えるなんて、非効率なことは誰もがしたくない。

 答えをくれる人を頼りたい。道を示してくれる人に付き従いたい。



 僕はそんな凡人たちとは違う! などと表現したいわけではない。僕も、分かりやすさが欲しいし、答えが欲しい。一般的な人間だ。

 でも。

 そう、こんなとき。

 突如、ふとした瞬間、とても、感傷的な気分になったとき。



 積み上げられたものも、自分という人格も、知識も、技術も、お金も、持ち物も、身体さえも、――ほんとうに、無常を思う。

 そんな気持ちに浸りたいだけ?
 自分は他の人たちと違うんだって思いたいだけ?
 卑屈になることで自分のいたらなさを慰めている?

 いろいろ批判はできるだろう。簡単に言ってしまえば、いわゆる、気持ちの悪い人間だろう。そうだ、だから、僕は、多くの人前では、そんなこと絶対言うまい、思うまいと思っていた。

 人生は、前向きに、ポジティブに、建設的に、楽しく、みんなでワイワイ、パーティピーポーになるのが大事なんだって、そう思っていた――思うようにしていた。
 いや、今も思っている。それがきっと、「正しい」。正しいんだ。だって時間は有限だ。人生は限りがある。楽しく、うれしくやっていくのが当たり前に大事なんだ。



 ――でも。


 それでも、無常だなって、思う。


親の死

 僕の友人の何人かは、親がいなかったりする。
 僕は、両親ともに生きている。素晴らしいことだ。ひどく、落ち込んでいた時期も、とりあえず、親が生きているうちは生きてみるか、と思ったりもしていた。

 とりあえず、親は、僕が死んだら悲しんでくれるだろうと、そう「信じれる」から。

 親が若いうちに死んでしまった人たちは、一般的には、「かわいそう」だろう。
 しかし、悲しみを乗り越える機会が早いほうが、その後自分が長く生きるとしたらよいのかもしれない。
 人は、環境になれてしまう。

 僕も、僕を大切にしてくれた肉親の死を最近経験した。いろいろ思い出もあいまって、泣いた。悲しんだ。

 でも、それも、もう1年くらい経って、慣れてしまった。

 今でも、思い出すと、もう会えないことにとても残念な気持ちになる。それでも、毎日目を真っ赤に泣きはらすことはない。


無常

 素晴らしいものや、ことや、人はたくさんあったり、いたりするという前提で。

 そのうえで、やっぱりこの世は無常なんだと思う。



 楽しんだり、笑ったり、喜んだり、うれしかったり、恥ずかしかったり、怒ったり、泣いたり、苦しんだり、嫉妬したり。

 いっぱい、いろんなことがある。

 仕事だとか勉強だとか創作だとか遊びだとか世話だとかやることもたくさんある。


 それでも、どうして、「生きる意味を徹底して考える」みたいなことを、僕はしなきゃならないのかって、たまに疑問になることもある。
 やっぱり、感情的に、物欲的に生きるのが「正解」なんじゃないかって、良いことがある度に思ったりする(まぁ、そんなにイイことなんてあんまないが)。

 でもやっぱり、こうやって、感傷的な感覚になると、よく分かる。
 やっぱり、すべては、うつろいゆくものなのだということ(諸行無常)。

 すべて幻影だとか、幻想だとか、そういうわけではない。

 すべての物や、事や、人は、「ある」。

 ただそれは、「現象」しているだけである。唯一不変の根源などもっていない(諸法無我)。

 それを信じたくない人が、量子物理学を研究するのかもしれない。物質の根源は、「ある」のだと。分子、原子、陽子・中性子・電子、クォーク……と、小さく、小さく自然を探求していく。
 物質の根源はあるのだと。そして、僕ら人間の根源もあるのだと、そう信じて。

中学生ぐらいならありかな

 とまぁ、こういった文章が、彼女にふられたばかりの、中学生、高校生ぐらいならありかもしれない。
 何をまぁ、30代のおっさんが言っているのか。

 慕ってついてきてくれる後輩も、先日知り合った女性も、こんなん読んだらドン引きである。



 ――と、いつもそうおもうのだけど、実際どうだろうか。
 まぁ、経験上、ドン引きされる確率が高いのだけれども、ただ、よく考えると、だれしもこの手のことは考えているのではなかろうか。

 だって、人はいずれ死ぬってことに、異議を唱えるひとはいまい。
 小学生ぐらいだったら、死という概念もわからないかもしれない。他者の死というのは、動かなくなったり、会えなくなるということで、理解できるかもしれない。でも、自分の死というのは、幼い子は理解できるのだろうか?

 いや、それを言ったら、僕らも同じだ。人の死は容易に想像できるが、自分の死というのは、どこか、遠い事象のように思っている。明日、無事目が覚めることを疑うことはない。
 ――そうやって、脳機能ができている。死の恐怖に取りつかれないようになっている。死刑を宣告され、ずた袋をかぶされ、首をはねられる瞬間まで、自分の死を覚悟することはない(わけでもなかろうが)。

 いやいや、当たり前だ。こんなことばかり考えていたら、まともに生活など送れない。
 死なんて、どっか遠いできごとなのだ。
 だから、どこか遠い死を実感するために、僕らは物語を欲する。どこか知らない誰かの死を思うことで、自分ではなかったと、自分は違うのだと信じるために。

感傷に浸っている?

 僕は、文章を書くのが好きだ。

 好き、なのだが、今楽しんでいるかというと、非常に陰鬱な気分である。


 じゃあやめればいい。誰も、お前に、そんな苦しみながら書くことを求めていない。
 わかっている、わかっているが、しかし、やっぱり、書かないといけないだろう。


 なぜか?
 できるだけ多くの人に、こんなめんどくさい思いをさせなくて済むようにだ。

 みんな忙しいだろう。家族に、恋人に、友人に、子供に、後輩に、上司に、お客さんに、いろいろ、やることたくさんあるだろう。考えている暇なんてないだろう。

 でも、たまーに、ごくまれに、「〇〇」という思いが生じる人もいるだろう。
 そういった人のために、少しでも、考えるプロセスというか、要素の洗い出しというか、流れの整理というかを、先んじてやっておきたい。

 僕なんかがやらなくても、いろいろ、先人の「表現」がいろいろあるだろう。
 けれども、「僕の」表現言語によってしか、伝わらないことってのもあると思う。大雑把なくくりの中で、30代の男ってカテゴライズされてしまうに過ぎないけれども、それでも、僕の「感覚」によって表現する「〇〇」というのは、きっと、唯一性と一回性が備わっているのである。



(携帯つながりで最後にメモだけれど、格安SIMに切り替えたスマホの調子は悪くない。MVNOだからといって、やはり回線スピードが著しく遅くなるなんてことはなかった。通話料は、auだと、5分間以内は無料で、5分超は30秒20円であり、格安SIMのプランは、5分間以内無料がないだけで、料金は同じである。電話をよく使う人は、MNOの方がよい場合もあるかもしれないが、大半の人はMVNOで十分なんじゃあないかと思う。まぁ、首都圏でのレビューであって、地方の回線事情とかとは違うかもしれないが)



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