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2017年10月の初め
2017/10/10 00:22 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「こんなに時間が経っていたとは」

僕はまだ生きている

 気付いたら、前回記事から2週間も経とうとしている。久しぶりだと、自分がどんな口調で書いていたかも思い出せなくなる。……いや、そんなもの無かった。このブログでは、特に決まり事などないのだ。思ったこと――僕の脳内に生じる言葉を、ただ転写(写し取る)だけでよいのだ、いやむしろ、そうあるべきなのだ。

 一つ、実感度合いを高めたことがある。
 やっぱり、くだらなかろうが、他者にとって役に立たなかろうが、短かろうが、とにかく、何か書かないと、僕は落ち着かないのだということである。

 ルーチンも、だいぶ、おざなり(テキトー)になっている。ちなみに、「なおざり」とは、「あまり注意を払わないこと」であって、似ているけれど意味は違うようである。
 部屋もだいぶ整理が行き届かなくなり、それもまた苛立ちにつながる。
 ここで、ある友人の言であるが、「部屋が汚くなると気分が悪くなる」というのは、逆であるということだ。「部屋を片付けるほど気力がなくなるから部屋が汚くなるのだ」と。こういう言説は、「絶対なる真実!」と捉える必要はないが、とても役に立つ思考である。逆転の発想、常に大事にしたいものだ。何故役に立つかって? 「ああダメだ部屋を片付けなきゃ……」と思って、それでもできなくて、「ああ、今日も片づけられなかった……明日こそは……」みたいに思って、次の日も結局できずに悪循環になったり。そういうときは、むしろ「ゆっくり休む」ことの方が急務だったり。


 それでもって。
 僕のその、「休む」というのは、「眠る」ということだけではないというのが、上に書いた実感として強まったもの、イコール、「何か書かなければならない」ということだ。つまりこのブログだ。

 パソコンの画面を見て、指を動かしタイピングして、思考をして文章を作って、と、「書くのがきらいなんです」という人もいるだろうから、それが何故「休む」ことになるのか、不思議に思う人もいるだろう。
 分かりやすい(分かりやすくないかもしれないけど)例を考えれば、「男は、一人になる時間が必要なんだぜ」とか、そんな奴。別に男じゃなくても、女の子でも、「いまは、そっとしておいて欲しい……」とかいうときあるだろう。それだ。

 その一人になって何をするのかといえば、「何もしない」のかもしれない。そういう時間によって、自分を見つめなおし、日々の慌ただしい生活に「待った」をかけて、また日常に戻っていくのかもしれない。
 そういう時間が、僕にとっては、「書く」ということなんだと、そういう風に思ったのだ。

体を動かした方がいいそれも外で

 書かないで、あれこれ頭を巡らせるのもいいかもしれない。
 が、僕にとってそれは絶対ダメだ。何度か思ってきたけれども、今回、この数日間によって、さらにその実感が高まった。

 なんか、「変」になってしまうのだ。
 それが何だかよく分からない。分からないけど、気をつけねばなるまい。


 ただ、先ほど書いた友人の言じゃあないが、「書かないと変になってしまう」のではなくて、「書けないほど忙しい」だったり、「書けないほど具合が悪い」という可能性もある。こういうときはどうするか。

 特効薬はない。ただ、風呂に入るとよくなったりする。筋トレとか体操するのもよい。ただ、できれば、外に出て体を動かすという方がよかったりする。ランニングとかでもよいが、近所のお店に買い物に行くのでもよい。とにかく、「外に出る」ということが、陰鬱な気分を改善させてくれる手だてになるのだ。

 寝てても、ダメだ。
 今日も昼過ぎまで寝てしまったが、一日中体調が悪かった。今回は、前日が遅かったというのもあるけれども、遅くなくても、どうにも頭が病んで起きられないということがある。逆に、起きても、やっぱり具合が悪くて、また寝てしまうということもある。――結論、駄目である。

 今僕は、明日から会社に行かねばならない、来週の土日も予定があるとかいうことで、何とも気力がでない状況であるが、それは、今日一日を上手く使えなかったからである。
 あー、再来週の土曜日か日曜日も予定があるのか……なんだか気分が乗らないなぁ……。

平日の有効活用を検討しなければ

 正直、僕の「僕として生きている」時間は、休日な気がする。いや、仕事は仕事でやるよ。手を抜こうと思っているわけではない。それがゆえに、帰りが遅くなったりもする。残業することはよいことではないけれどもね。
 しっかしなぁ、「オンラインゲーム症候群(どこまで行ってもすごい人は多い)」は、遊びだけじゃなく、仕事においてもそうであって。僕のできることが、「すごいね!」と言われることであっても、別に世界的に見たら普通だったりして。そういうときは処方箋としていつも、「人間は総合力である」と言い聞かせるのだけれども、結局、「人生に答えなんてない」って呪いみたいな言葉が頭をよぎる。

 僕が常に、よいことがあっても悪いことがあっても、こうやって「書いている」とき以外は憂鬱な気持ちがわきあがってくるのは――そのひとつの理由が、その「人生に答えなんてない」って呪いなのかもしれない。

 テーブルトークRPGというジャンルのゲームは、1.ゲームの目標を達成すること 2.登場人物の役割を果たすこと(ルールを守ってゲームを進行すること) 3.登場人物の役割を適切に演じること というのが求められるらしい。(ほんとは4つ目があるのだけど、難しくてやったことがない自分にとってはイマイチぴんとこなかった)
 RPGというジャンルだけじゃなくて、僕らの人生もまた、ロールプレイだと思っている。
 いや、人生は、唯一性・一回性があって、つまりリセットのきかないものなのだと、当たり前のことは理解している。ただ、僕が言いたいのは、人生もまた「物語」であるということだ。
 ――なので、本来は、「自分」というものを追求するのではなく、その「自分」なるものが、世界に・社会に・環境に・友人に・恋人に・家族に求められているその「役割」を果たすことで、自分の人生たるものに「満足」すべきなのである。

 かなしいかな。
 僕はその「役割」を分かっていない。30代にもなって恥ずかしい限りである。いや割とマジで。
 会社の、仕事としての「役割」は何となく分かっている。その「期待」ってものも何となくわかるし、その期待に到達しているかどうかってのも何となく分かる。できてないよ。と、いうか、期待なんてもの、どこまでいっても満たされるようなものじゃないよ。
 だから、PDCAなんて言葉が流行るのである。計画立てて、実行して、結果確認して、改善点を直して再実行する、と。ここで、チェック:Cとかアクション:Aが重要だとか、PDCAを常に回していくのが重要だ、とか言われる。
 けれども、PDCAの一番大事なところは、「P」である。
 プランだ。
 何故か? プランがなければ、つまりゴールがないってことなのだ。
 ゴールがあるから、その実行行為が成り立つ。意味を持つ。やりがいも生まれるかもしれない。

 目的なき行為ほど虚しいものはなかろう。

 よいリーダー足るもの、常に目的を、ビジョンを語り続けなければならない。
 まぁ、リーダーにも、管理型とか牽引型とか、いろいろあるようだが。ただ、僕に言わせれば、その管理するにも、引っ張っていくにも、その目指す先がはっきりしていなければなるまい?

 え、仕事が全部そういうものじゃないだろうと? 気象予報は、決められたデータに基づいて天気を予想するのが仕事であって、そんなにビジョンを語る必要はないんじゃないかって? まぁそうかもしれない。でも、それだって、「気象を予測することで、災害に備えたり、明日のお出かけの日程を決めたり、みんなの役に立つ仕事だ」とかって、ちゃんとやりがいもって語れなきゃダメなんじゃね? そういう目的があるから、きっと難しい勉強もがんばれるんじゃあないかな。

小見出し詐欺になった

 あー、上の記事、「小見出し詐欺」(小見出しと書いている内容が一致しないこと)になったな。
 平日、ちゃんとうまく使わないと、ということだ。
 いや、つまり、帰りが遅いのをなんとかしたいな、ということである。

 うーん……。仕事の状況だけじゃなくて、周囲の環境もあるんだよなぁ……難しいんだよなぁ……。
 あと、目的は……、すっげービックな目的はあるけど、目標管理する人がいないから……ってかそれがリーダー補佐かつ実行部隊的な俺の役目なのかもしれないが、どこまでやったらOKなのかも不明確なんだよな。つーか、「お客様の満足度」的なのって、正直なところ、それこそ答えないじゃん、とも思うわけであって。
 そういうのもあるから、「評価の軸」って重要なんだよな。

 ああもう!(笑) こういう話したくないんだってばよ。
 いやだからさ、仕事の話じゃないのだよ。「僕の」「物語」の話なのだよ。


 だからさ、「仕事」に一生懸命生きる、ってのが僕の人生の物語だって、心底信じられるならそれでもいいんだよ。再び結婚して、温かい家庭を築くのが僕の生まれた意味だって心底信じられるならそれでもいいんだよ。
 限られたリソース(僕のもっているもの全般。資産、ルックス、身体、思考知識、性格特性、人脈その他もろもろ)で、なんとか精一杯やってやるよ。

 問題は、そのリソースを、どこに使おうかってことである。
 まぁ、こうやってダラダラ書いているだけでも、日々なんとか生きてやってるだけでも、リソースは減っていくのであるが。


 あー。だから、そうだ。
 やっぱり、「生きる意味を徹底して考える」これである。

 仕事もする。女の子とデートもする。友人とも遊ぶ。創作もする。ルーチンもする。提出すべき書類(プライベート)も書く。

 それぞれ色々やりつつ、軸にすべきは、その、「僕の人生」に対する目的、評価軸の構築である。言い換えれば、「生きる意味を徹底して考える」ということである。


 その方法論的なので、「もし子どもに生きる意味って? と尋ねられたら」という記事が参考になりそうだったので、リンク貼りつつ、今日はもう終わろう。


(かっこ書きである。「目的やビジョンが大事だよ!」とか俺は自分でいいつつ……。この「生きる意味を徹底して考える」について、目的とか目標がてんで書かれてないのでは? とも思った。まぁここら辺は気を付けなければならない。同語反復といって、同じ意味の言葉を繰り返すことがあるが、これは無意味なことであると辞書的に言われる。目的とは何か? それは何故か? 何だ? どうしてだ? と延々と繰り返す……。こういうのを望んでるわけではない。そういう意味で、「お前は考えることが好きなのだ」とか、「答えを出したくないんでしょ。はいはい分かります」とか言われるが、それは本能的に違う、と思うのだが、まぁそう見えることは致し方ないと思う。これがまぁ、10代……いや、20代ぐらいなら、まだかわいげがあったろうが、30代でこんなことを書いているのは間違いなく異常者の部類である。うむ。ただ、間違いなく言えるのは、このまま、いろいろ日々の仕事や遊びを「楽しく」やっていっても、僕のこの問題というか課題については、きっと解決しないだろうということだ。
 そういや、「メイドインアビス」が面白いという情報をある方のブログを読んでいて知った、かつアマプラで見れることから見始めた。うーむ……人物の絵があまり好みではないのと、1話~3話あたりの展開と主人公たちにあまり興味をひかれなかったが、アビス――竪穴の迷宮に入り込んでいってからは面白くなってきた。関係ないけど関係させれば、記憶を失った凄くて不思議な力をもったレグ君が、「僕は、自分が誰なのか知りたい」「危険なのは分かっているが、好奇心には勝てなかった」というのを聞いて、「ああ、そうだ、そうなのだ」と思った。少年少女の冒険譚って、そういうものなのだ。「何かわからないけど、でも目指す」のだ。主人公の女の子も、「奈落の底にいるという母に会いに行く」という目的を掲げ、信じ疑わず、危険や困難など二の次である。困難を乗り越えて、たどり着いたその答えが、例え凄惨なものであっても、それがまた新たな成長の糧となっていく。そういうものである。とにかくこの作品も最後まで見てみよう。最初があまり面白くなくても、最後まで見て面白かった、となる作品がここ最近、覚えている限りで2作品あったので、期待してもよいだろう。――しかし、それはそうと、おれは、俺自身は、いったい何を目指し、どこに向かって歩んでいるのだろう。物語でいえば、主人公が苦悩してまごまごウダウダしている場面である。読者や視聴者にとって非常に面白くなくて、飽きさせて、イライラさせる場面である(かっこわらい)。まぁ、そういうシーンもあるから、結果的に物語は面白くなる場合もあるのだ。困難……例えば強い敵とか、因縁とかそういうのも必要なのである。と、若干前向きな終わり方にしてみる)

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