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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
生活を考えるということ(靴下について)
今日の一言「ゼロベースで考える・感じることは重要」

少し落ち着く

 土曜日から、これまで、だいぶ精神状態が良くなかった。
 女性は、生理痛(PMS)などで機嫌が悪くなるタイミングがあるという。男性はそういうのがなくてよいね、みたいなことを言われたことがあったようななかったような。まぁ、一般的にはそうかもしれないが、自分には気分の浮き沈み、躁鬱の波があるように思う。

 これはどちらかというと、喫煙者がタバコを断っている、禁断症状に近いかもしれない。
 僕は、「楽しいこと」というよりも、「目的」「意義」みたいなものがないと具合が悪くなるのだろう。

仏教なんて全然理解できない

 あるブログさんで、「諦念をすすめる仏教ってそんなに良いものなの?」といった記事が書かれている。
 なるほど、煩悩なんて、年を取ればだんだんなくなるものかもしれないし、わざわざ20代30代で無くす必要もないのかもしれない。

 仏教を求めなければならなくなる人というのは、「現世な幸福」が続かないことにおいて、それ自体を「苦悩」と感じる人である。
 それは言い換えると、「常に幸福でしかいたくない」という、傲慢な望みをもってしまった人ともいえる。

 どうして、すべての苦悩から解き放たれなければいけないのか。煩悶、懊悩することがいけないことなのか。
 求めるからつらいのだといって、すべてのことを諦めさせようというのは、ルサンチマンに過ぎないのではないか。

 ――おっしゃることは分かる。やっぱり、人間としての感じ方、生き方としては、つらいことを乗り越えていくというものであるべきに思う。
 ただ、少し引用。
「現世的な幸福」「現世的な快」をどうにかしたいと思って仏教に関心を持つ人はいないのであって、あくまで「現世的な不幸」「現世的な不快」をどうにかしたい(1)というのが多くの人の願いである。ところが、仏教の処方箋は「求めるから苦しいのです」としてそもそも快不快というシステムそのものにメスを入れてしまうので、不幸を遠ざけ幸福を招くどころか、何もかも諦めなければならない(2)
――「求めるから苦しいのです」のはてな  
 僕がおかしいのか、病気なのか、それは置いておいて、上記下線(1)の部分についての認識がまず異なる。
 確かに、幸福や快といったものを何とかしたい、と思うことはないだろう。ただし、不幸や不快といったものが、明確にあるかというと、別にない。

 なんかよくわからん感覚。それをなんと表現していいのかわからない。ただ、無気力とか、厭世観とか、茫然自失とか、どうでもいいや的なそんなもの。そんな愚痴を聞かされる人はたまったもんじゃない。まだ人間関係の悩みで相談されている方が、アドバイスのしようもあるし楽だろう。生きているのもやだ、死ぬのも嫌だとか言われたら、どんな聖人君子でも「イラっ」とするのではなかろうか。

 で、上記下線(2)の部分で、「不幸を遠ざけ幸福を招く」ことが仏教はないと書かれているが、それはその通り、仏教ってそういうものじゃないと思っている。御利益仏教……南無阿弥陀仏と唱えたら極楽浄土へいけますよ、というのは幸福追究だと思うが、少なくても原始仏教(ゴウタマ・シッダールタの教え)はそうじゃないと思っている。

 シッダールタ氏は、王族という身分ながら生きるということ自体に悩み、3つの門で老病死を見て、北門で修行者を見て出家する。氏の目的は、決して、幸福を求めるものではなかったと僕は思うのだ。

 確かに、「何もかも諦めなければならない」というのは、そういう面が強いと思う。
 ただ、すべての諦念というよりも、むしろ重要なのは、「執着してはならない」という教えの部分だと思っている。
 何もかも諦めることが真理であれば、やっぱり、さっさと生きることも諦めたほうが正解な気がするからだ。でも、自死を推奨する教えだとしたら、三大宗教とかいわれて広まりもしなかったように思う。

 ので、仏教ってのは、幸福とか不幸とかそういった次元を超えた、〇〇という生き方をするための方法を説いている考え方の体系なんだと思う。これが僕の仏教に対する考えである。あー、その「〇〇」ってのは何だかよく分からない(笑)。それが分かったらそれはもう悟りの境地であろう。この、目指すべき悟りの境地というのが、実は修行者たちには分かっていないのに、厳しい修行に身をおいていくというその仏教のロジックについて、「悟りゲーム」とかいって、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」にかけて解説していた書物があったような気がするけど、なんだっけか。

 ただ、その点、「仏教の目指す境地ってほんとによいものなの? なんか間違ってたりしないの?」という部分について、かのブログの方も触れられていて――「もしも仏教の言うことが何かしら間違っていたとしたら、それに従うことは丸々人生を捨てるようなものである」――さすがだなぁと思った。

現生的な欲求

 なんか、家とか、車とか、土地とか、引っ越しとか、別荘とか、大きな買い物でもしようかな、と思っていろいろ調べてたら無駄(?)に時間が過ぎた。

 その中で、「小屋暮らし」的なことを営んでいる人のブログをいくつか見て、面白そうだなぁと思った。思っただけで、これはちょっと自分ではやらない気がする(笑)。
 しかし、ガレージ付きの、こじんまりした1DKぐらいの家を自分で設計して郊外に建てて生活するとか、なんかちょっと面白そうだなぁと思った。意外と、現状の資産でもできそうな気もする。

 ぶっちゃけ、昔の人は30代にもなればローンでもくんで、マイカーマイホームなんて持ってたということだろうので、別に珍しくもないはずなのだ。ただ、昨今時代を鑑みると、なんかそういった「物的」な魅力って逓減している気がする。

 ただ、そういう「大きな買い物」に着手する前に、例えば、はいている靴下を全部同一のものにそろえるとか、そういう生活品の調整をやってみるのもよい。
 靴下は実際やってみた。これは、洗濯のときの手間を考えてのものである。洗濯して干すときに楽になるのだ。――ただ、そろえて買ってみた靴下が、一足400円ぐらいもするからよいものかと思ったら、あんましよくなかったのが残念。なんか、高級な靴下とかあんのかな。「これは素晴らしい靴下だ! もうこれ以外は履けない!」とか思えるのがあるか探してみるか(笑)。

(0時過ぎたので強制かっこ書きである。少し回復した気がするが、ストレスで怒ったり、まぁあんまり落ち着いてはいない。機嫌が一定しない人は嫌われるよなーと思うし、そもそも、冷静じゃない自分自身を嫌にもなる。悪循環。早急に、物語欠乏症を解消する必要がある。――なかなか更新されないので、某異世界の主人公がエルフの国に召喚されて活躍する作品を最初から読み始める。あー、面白い。物語がある程度進んで、その登場人物についての情景が浮かんだ状態で再度、その「生い立ち」にあたる内容に触れるとまた違った感慨が生じてくる。物語の面白さには、先が知りたいという面白さと、過去を知りたいという面白さの二種類があるというが、まさにその後者であるなぁと思った(いや一度読んでるのだが、時間経過もまた一つの面白さに対する重要な要素だろう)。――ああ、面白い作品を書きたい。しっかし、創作ルーチン1000字/1日を超えないなぁ……)

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