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新しいものを求め続ける心性
2017/01/26 19:00 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「昔は良かったなぁというのは諦めの哲学か」「過去の確認作業は必要だけどな」

懐古主義に対しての見解

 歳をとると、新しいことをできなくなる、とどこかで書いた気がする。
 それは、リソースの問題である。体力的、時間的、感性的な問題である。だが、より大きな問題としては、その感性の深化、鋭敏化が原因でもある。

 先般、初代ガンダムを見た、と記事に書いたが、1970年代として考えたときに、確かに先進的な作品であったろうが、果たして、今の作品と比べて太刀打ちできるかというと……いや比べられない。
 一方で、技術……芸術とか、感性といった面においては、必ずしも、最新のものが好ましいとはいえない。過去に感じた、その現時点性における(タイミング)が与える影響は大きいけれども、時間をかければ素晴らしい作品が生み出されるかと言えばそうともいえない。

 ただ、あるブログで書かれていたことであるが、「新しい作品を見ないようになったら、それは怠慢ですわ」というのは、その通りだろう。でも「新しいもの(未知のもの)が中々あらわれないんですわ」というのも、そうだろうと思う。

 下の曲は良かった。

初音ミク『すろぉもぉしょん』
https://youtu.be/ARt2fVT33Lw

ニコニコ動画

 ニコニコ動画をよく使っていたのは、2007年~2008年ぐらいだろうか。
 そのころ、初音ミクとかで、ああ、アマチュアの人たちでも、こんなに素晴らしい音楽をつくれるのか、などと思っていた。
 それ以前も、確かプレイヤーズ王国、みたいなサイトで、ユーザー投稿型のミュージックサイトがあった。そこに投稿されている作品も、確かに、きくにたえないものも多くあったけれども、本当に素晴らしい、心を打つ作品もたくさんあった。(今もウォークマンに入っているし、今きいてもよいと思う)

 それが、しばらくして、新しいミクさんの曲とか、おっかけるのをやめていた。
 何故だろう? だんだん、アマチュアの音楽、というジャンルじゃなくて、それがメジャー化、商業化、プロ化したことが原因だったのだろうか。アンダーグラウンドな気分がそがれてしまったのだろうか? もしそれが原因だとしたら、くだらない。よいものは、プロが作ろうがアマチュアがつくろうが、良いものは良いのだ。これは、昔からの僕の信念ではなかったろうか。(プロとアマの違いは、「お金」だけである。つまり、アルバイトの人も「プロ」だ。)

 そこじゃなかったのか。単に、新しいものを探すのに疲れてしまったのか。
 いや、「新しいもの」というものが見つけられなくなってしまっていたのか。

問おうそれがお前の求めるものか

 本気で生きろ、という励ましは、時にものすごく嫌悪するのだけれども、今の気分としては、この文脈としては、よく言い表した言葉だ。
 努力しろ、といっているのではない。苦しめ、といっているのではない。それらは、本来的には無駄な作業である。

 ただ、「うーん、この作品、面白いけれども、何かちょっと惜しい気がするなぁ」という気持ち。その気持ちを、大事にしなさい、ということだ。
 そして、諦めてはならないと。いい作品は、「ある」のだ。

 それは、「自分」を変えるのではない。過去を切り離して、新しい自分探しをする必要はない。
 作品が変わったのではない。自分が変わったのだ。そして、過去の作品であっても、「良い」と思うものは、それは、自分にとっての「古典」なのだ。

 古典とは、時に古臭くて、役に立たないように思われるけれども、普遍的な「要素」を与えてくれるものでもある。
 先日、「人間とは何か」の中の一節(これはフランクル氏の言葉ではないとのことだが)、巨人の肩に乗る小人は、巨人より遥か遠くを見渡せる、と。ここでいう巨人が、「古典」である。小人であることを自覚して、であるから、巨人によじのぼろうとする行動……それが「効率的」である。

効率性を求めるときと創造をするとき

 あれ、そもそも、巨人の「肩」だったら、それほど遠く見渡せなくないか?
 と、何だかどうでもいいことを思ってしまったけれども、それはまぁ、ともかく、その巨人によじのぼるのは、結構大変な作業なので、いつの間にか、「のぼること」自体が目的になっている場合がある。

 それじゃあ元も子もない。だから僕はいつも「目的・目標」をちゃんと掲げてチェックポイントごとに再確認しなさい、と言っている。

 初心、なんだったのか? 遠く見渡して、欲していたものがあったのではなかろうか?


 自分で創る、ということを忘れてしまうと、批判ばっかりする人になってしまう。それはそれで役に立つというか、「楽」な生き方だ。
 楽な生き方を否定するのではない。けれども、僕は、それを「つまらない」と思ってしまったのだろう。ここにおいて、ようやく、努力や頑張るということが、意味をもつ。つまり、八方ふさがり、である。ここに立ち止まってもつまらないし、かといって何もしなくては何も変わらない。なら仕方がない、「求めるもの」を求めて、頑張っていきましょう、ということだ。
 それは時に苦しいことかもしれない、悩ましいことかもしれない。ただ、その求めるもののためへの行動は、最初に書いた単なる苦しみとは、全く違うものなのである。

(小見出し5つにするの結構難しいな……長すぎても短すぎてもいけない……)

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コメント

過去の認識についてですが、私の場合は悪い認識の方が強いですね。もちろん良いこともあったけど、悪い認識が強く残っています。

遠藤さんは「良い印象」ですか?

過去のある時期について「良い印象を持っている場合」と「悪い印象を持っている場合」とでどんな違いがあるんでしょうね。
posted by QUWEat 2017/01/27 02:48 [ コメントを修正する ]
>遠藤さんは「良い印象」ですか?
 コメント頂いてから、一日考えていました。
 悪い、……印象、でしょうかね、やっぱり。ただ、その、どの時点を切り取るかで違うのかな、と思いました。
 で概括すると、総じて良い方向に流れているように思えたりもします、これがその時々で矛盾する感覚を覚えたりしますが。

>過去の認識についてですが、私の場合は悪い認識の方が強いですね。
 この感覚は、決して、悪いことではないと思うのです。

>過去のある時期について「良い印象を持っている場合」と「悪い印象を持っている場合」とでどんな違いがあるんでしょうね。
 このことを考えたとき、色々頭に浮かんで、上手く答えられない自分に気づきました。

 やっぱり、「どうあるべきか」というのが先に浮かんで、自分がどう思うのか、というのが、表現するのが苦手なようです。
 うーむ、難しい問いだなぁ。
posted by 遠藤at 2017/01/28 13:35 [ コメントを修正する ]

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