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愛を語る不届き者
2010/11/15 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
真に愛している者は、愛について語らない。
ある愛している男がいる。彼は自らの彼女に、自分は如何に貴方を愛しているのかと雄弁に語るのである。
彼女はそれを聞き、夢見心地にうっとりとその言葉の流れに身を任せるだろう。
その当人たちを包む愛という形は、見まごうことない真実の愛である。
だがしかしながら、一つ間を置いてそれを見る者の目には、欺瞞しか写らない。
愛は、語るものなどではなく、現にそこにあるものだからだ。
愛に説明など必要ない。愛は、愛であるがゆえに、愛であるのだ。
実のところ、愛を熱烈に語る者は、その者自身、愛していないのである。
敬虔なキリスト者は、神の存在を疑わない。
ある牧師が神について何らかの証明をしようとしたとき、牧師の信仰は欺瞞に包まれる。
即ち、真実はそこにただあるがゆえに真実なのであって、真実を認識しようとした瞬間に、真実は消えてなくなるのである。

呪われたものは、真実の消えた虚無の世界に貶められる。
デーモンの仕業か、否、信仰をなくした哀れなるものへの神の怒りか。

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