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外連味でも前向きさは見せるべき
2019/02/08 22:37 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「悪かった」

前書き

 前回、臨時で書いた記事において、「LGBTは認めるべきだが、公的支援の必要性まで本当にあるのか、各々が当事者意識をもって考えるべきである」と書いた。

 かなり、炎上必須の記事であったが、よかった、辺境無名の自分の適当ブログでは、天網恢恢なインターネットとはいえ、そこまで大問題にはならないようだ。

 とはいえ、一応、補足の内容を書いた方がいい気がしている。また、自分の知識も小学生並みなので、いくつかの記事を参照してみた。

公的支援の理由

 で、上の記事を読んでみて、拙い僕の理解力だと、

「LGBTは、かわいそうだから支援が必要なのではない。LGBTは、歴史的にも証明された、人間不変の在り方なのである。また、近代国家は、自由と平等が保障されねばならぬ。であるからにして、LGBTを支援するということは、基本的人権の尊重であり当たり前のことである。結婚制度等から排除されている現状は速やかに解決すべきだ」

 という読み取りをした。

 繰り返し書くが、僕は、LGBTを認めるべきだと思っているし、差別意識もない。
 さらに、表現規制問題(所謂「ザマス」)も同様に、自由と平等であるべきであって認められるべきだという理屈にも繋がると思っている。
 いやいや、有害な表現は他者を害するに当たり、LGBTは誰も傷つけないのだから全く別だ、というのは、「いや私はLGBTの存在が不快だ」という、昨今多い政治家等「失言」する方々を許容する方向性であると言え、やはりザマスは変だ、と思う。

個人信条と制度設計は違うと思う

 ただ、上の、真っ当な記事を読んで、まぁ「理解」はした気がするけれども、「納得感」はあまりなかった。
 というのは、政治は再分配だ、という理解があるからである。

 100万円の予算があって、90万円をLGBT支援にまわし、10万円を少子化対策にまわす、という政策は、やはり反対すると思う。(極端なバカげた例だ)

 むしろ、独身で寂しくて子供がいなくて可哀そうな僕ら(「ら」というか俺一人かもしれんが)に対しての支援をして頂きたい。


 というのは、半分冗談で、半分本気であるが、LGBTの人たちがガチで苦しんでいることへの想像力の欠如なんだと思う。しかし、しかしだ、想像力、としたときに、「ああ、そうか、こんな不便もあるんだ、『かわいそうだな』」という意識にしかならないと思う。
 基本的な人権として、当然認められるべきだ――という、きっと理念的に完ぺき無双なのだろうが、そうした崇高な思考には、どうやら、僕のような凡人には難しいようだ。

 なかなか紛争やら、失言やら、いじめやら様々な人間関係の負の問題が、文明が起こってから何千年もたつのに中々解決しない理由だと思う。
 システム設計上の根本的な問題が解決できていないのである。暫定対処で、その都度パッチ対応をしてきているのだ。――いやそれ自体は、先人の不断の努力であり素晴らしいことだ。

前向きな価値を提示する

 なので、「基本的人権が~」とか、きれいなことを言っていてもダメなのである。
 人間、そんなに頭がよくない。頭というか、頭だけで動いているのではない。身体的な痛みをもってして、なお哲学できる人を僕は尊敬する。

 だからだ。
「LGBT支援は、今後活気ある日本をつくりだすために必須です。日本は先進国の中でもLGBT支援が遅れていますが、今後平等を推し進めることで、住みやすい国になり、結果的に子供も増え、外国からの投資も増え、豊かな国になっていくのです」

 とかって、外連味でもいいから、「みんなのためになる」という理念を発出するべきである。

「お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい」
 と、弟や妹に注力する親をみて、「そうだ、僕はお兄ちゃんなんだから、我慢しなきゃ」と思うことが「正しい」ことであるが、しかし、内心問題やっぱり悔しいし、寂しいものである。LGBTの人たちを支援しまーっすという言説を、「俺は関係ない」と思う人が聞けば、やっぱり「なんか損した」気分になるのである。

 卑しい人間だと思うだろう。いや実際問題、自己中心的で卑しい人間なのである。
 なのであるが、しかし、そうした汚い心性もまた、人間なのである。

 だから僕が前の記事で書きたかったことは、
「正直、LGBTの人たちの支援の必要性はよく分からない(それは、結婚や医療や子育て等様々な生活でギャップがあるという事実は知った上で)けれども、マイノリティの差別を撤廃する方向というのは支持していいと思う。人間の価値観は多様であり、様々な生き方が認められていいわけであるから、不平等な状態があるというのであれば、それは解決した方がよいだろう」
 ということである。
 一方で、
「まぁそれはそうだけれども、昨今、少子高齢化とか、外交問題とかたくさん「大変だー大変だー」と言われているわけだが、そういった状態でなお、LGBT支援の必要性も語られるということは、まぁまぁ日本もまだまだ余裕があるってことだな」
 とも思うわけである。いいことだが。
 ――とかって、皮肉っぽくなるから、あれだ、さっきの外連味じゃないが、「少子高齢化対策とかにお金使ったとしても、焼け石に水なんで、むしろ新しい動きとしてのLGBT支援を打ち出した方が、それ関連の運動とか保障とかビジネスとか人の「動き」が発生するから、経済的にも良い方向につながるぜ」って言説がもっとあった方がうまくいくんだろうなぁと思う。


 だからだ。ああ、この小見出し長くなりすぎだけれども、とあるお笑い芸人氏も言っていたようだが、「政治家の失言をあげつらってないで、『子供を産まないと生産性がない』って意見に対して、子供を産まない俺(私)がいることで日本にこんなにメリットになってるんだぜとか前向きのこと言ってみろってんだ」という風にも思う。

 生産性のない人間は死ね――なんて、なんともディストピアであるが、しかし、生物繁殖的な低次元において、子供を産まないとその種族は滅びるのは間違いない。その低次元において、その発言は何ら間違っていないのである。失言政治家も、別に日本を滅ぼそうとか、自分の既得権益を守ろうとだけ思っているわけではないはずだ。日本をよくしたいという思いが根底にあるはずだ。そこに歩み寄らずに、人格批判ばっかりしているのは、それこそ「人権(かっこわらい)」侵害だ。

 すぐさま書いておくが、失言を許容すべきだという意味でもなければ、何か貢献しない人間は死ねといっているわけでもない。伝わるだろうか。わからない、最近人にどう思われているかもあまり気にならなくなってくるし、興味がわかない。ちゃんと伝えようという気持ちも薄くなり、できるだけ黙っていようとか思ってしまう。よくない傾向だ。

実存重視は変わらない

 ああああ、くだらないことを書いた。
 上のようなことは、正直、僕の中でものすごく優先度が低い。
 低いけれども、ただ、表現規制問題については、これは実存問題に直結するから、めんどくせーが戦う必要があると思っている。軍(でもいいし政府でもいいし何でもいいが)が検閲したものしか出版できないとか、最悪の世界だ。そういった最悪な存在も含めて、神のような善き存在も含めて、カオスなのが人間なのである。ここは譲れない。

 まぁその頑固な信条のせいで、どっちかというと「人間嫌い」という表現をときたま使ってしまうけれども、でもでも、良いひとだってたくさん(?)会ってきたし、人に助けてもらったことだってたくさん(?)あるし、好きな人たちはたくさん(?)いるのである。
 まぁその……、肉体的はともかく、精神的にリアル系で助けられた記憶はそんなにないのが、俺が変人な所以なのかもしれん。こっぱずかしいから挙げないけれど、僕がいつも「助けられた」ということで浮かぶのは、時折このブログにコメントくださる方々と、社会人1~2年目ぐらいに出会った思考の達人である。
 まぁその、そういった普通じゃない遍歴があるから、「SNSやらなんちゃらで、昨今の若者は現実的な付き合いを軽視している」とか「まっとうじゃない表現は規制すべきだ」みたいな意見が生理的に受け入れられないのだろう。ま、もうそもそも若者じゃあないけどね(かっこわらい)。

ちょっと役に立つかもコーナー

 忘れてた。唐突に入れる。

「挙って」(こぞって)と読む。残らず、みんな、という意味。

「琳瑯」(りんろう)と読む。美しい玉(宝石)や詩文のこと。「徐に立ち上がった男の青い目は、琳瑯のごとく輝いている」とかって使う、たぶん。

 というか、役に立つコーナーといいつつ、なんかこれなんて読む漢字コーナーみたいになってきたな。しかし他に思いつかないからもうしばらく続けよう。

来週

 来週は、ちょっと忙しそうである。時間というか、精神時間的に。要は、イベントごとというか、普段と違うこと(普段と違う人と会う)をする必要があるのだ。
 ある程度うまくやる自信は、もういい歳した大人(仮)なので、あるのだが、しかし、精神的な消費は避けようがないのである。それが「成長だよ」とか、リア充コミュ充たちは言うだろうが、しかし、結果と、それに対しての「努力」は、見えにくいということは、みな想像力に逞しくなって頂きたい限りである。まぁ期待なんてしていないのだが。


 だが、まぁそんな気が重い話とは別に、某方が、50万超の作品を完結させ、プレ公開してくれる可能性があることを示唆された。これは楽しみである。

 感想や批評の書き方講座について書こうという記事を書いて、実際途中まで書いているが、そっちも止まってしまっているが、最終的には、感想や批評をポイントを押さえて全力で書くということは、自分の読解力や創作力にも繋がるのだという方向にもっていきたい。

 特に、全力で書かれた作品には、激辛批評として全力で当たりたいと思う。
 特になんかその、おべんちゃらというかお世辞というか、そういうのは求められてないと思う。そもそもそういったの苦手である。

 全力出せるってのは、大人になっていくと、なかなかそういった場面がなかったりする。
 まぁその、常に全力だったら力尽きてしまうのだが、たまには自分の力を目いっぱい使うってのも必要だろう。
 ――と、なんかさも、大きなことをできるような風に書いてしまったが、まぁいい、そういった気構えというか、ウォーミングアップである。創作するのも大変だが本気で作品にあたるというのもまた割と大変である。


(かっこ書きである。うーん、なんか、今回はゼロ秒思考ではない部分も多々あり、書くのに結構疲れた。思ったのだが、外出し、帰路において、「よし、今日も終わった。帰ったらあれやって、これやって……」と思いいざ家にかえると、「ぐでー」ってしてしまうのは、家に帰ってきてからやることが、無意識部分で結構あるのだからだと思った。家の玄関に立つ。鍵を出す。鍵を開ける。家に入る。鍵を置く。靴を脱ぐ。コートを脱ぐ。スーツを脱ぐ、手を洗う、うがいをする、部屋着を着る、暖房をつける、朝布団がしきっぱなしだったら寄せる……とか。一つ一つは短い時間だが、いろいろやっているうちに、「あれやって! これやって!」と希望に満ちていた気持ちが、帰ってきた疲れもあわせって失われていくのである。本気で何か仕上げようとかいう場合は、家に帰る前に時間を作るというのが必要だろうなと思った。――全く関係ないが、MIB(メンインブラック)3をアマプラで見た。そげん期待していなかったが、面白かった。ストーリーとしてダレがなかった。一気に見れてしまった。そしてギャグ風なのに感動もさせてくれやがって……。グリフィムという異星人がいるのだが、彼の超常スキルがすごい。すごすぎて、常人(彼は人間ではないが)では精神異常まったなしだろう。要は、多次元解釈、並行世界線を同時にみることができる能力である。未来の様々な結果も、知る――ではなく視ることができるのだ。それでも、世界が帰結しようとする運命には抗えない……うーむ、やっぱり僕は時空モノが好きなんだろうか)

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