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信念を貫くということ
2017/08/18 00:11 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「習慣って怖いなぁ」


取り敢えず書く

 もう、ルーチン、免除規定なのだけど、書く。
 書かないと、その、落ち着かないというか、変な感じ。このフワフワっとした感じを乗り越えて、自然に何も考えずに行動できるようになってくると、「習慣」と言えるようになる。

 自分の行動を制御するというのは、結構面白いことだなと思う。それを是非成果に結び付けたいものだ。

 という、その「成果」というのが、たとえ、自己満足だろうが何だろうが、例えば、グラフ化して示すとか、そういうものでも、「目に見える成果」なのであり、行動付け、ルーチン化するには有効であるといえるだろう。

 さて、昨日の「目標」の話。

目標を立てるのは何故重要なのか

 人生を楽しむためには、目標が必要である。

 というテーゼ。「目標が大切」ということについて、あまり批判はないのではないか。
 ただ、ここでいう目標というのは、できるだけ、長いスパンのものである。

「明日はこうしよう!」

 というのも、目標といってよいが、しかし、短期目標は、往々にしてその場限りである。一日一日を乗り切る、という意味では重要ではあるが、それらは、「その場限り」の生活になってしまう。
 それでは、人生を本気で楽しむことはできないと思っている。何故ならば、24時間いっときも、どんなときも、必ず「快感情」を生じさせ続けることはできないからである。人生は浮き沈みが激しいものだ、という意見にも、批判はあまりないだろう。つまりそういうものなのだ。いいことあったら悪いこともあったりする、そんなもんである。
 そういった人生というものであったとき、「その場限り」の目標だけでとどめてしまうのは、かなりリスキーな生き方だと僕は思う。だから、長期的な、より長い目標が必要だと思うのだ。それを、言い換えれば、「信念」や「自我」といってもよいかもしれないと思う。

目標の受動装置

 例えば、

「子供の成長」

 といったのは、日々人生に新たな刺激を与えるものであり、「目標」なるものが、天啓のように与えられるのである。

 恋人との甘い生活でもよいし、スポーツに熱狂するのもよい。
 それらは、「目標」を受動的に与えてくれる装置だ。

 でも、本来、そういった「装置」に頼らなくても、目標というのは自ら創造し、生み出すことができるものだと私は思っている。
 つまりだ、僕は、目標自体を創造したいのである。与えられた目標をこなすのも大事だけれども、自分自身で目標を創りあげて、その中で精一杯生きてみたいのである。

 その結果は、失敗だろうが、成功だろうが、きっと充実して、楽しいものに違いないと思うのだ。

ゴールではなくクリエイト

 そうか目標は到達するものではなく、創り上げるものだったのか。
 だから、なんだか、ずっと、得体のしれない違和感が、つきまとっていたのかもしれない。なんか、「ズレ」を感じるな、というのは、そもそも、解釈が間違っていたのかもしれない。

 目標は目指すものではなく、到達するものでもなく、PDCAサイクルでブラッシュアップするものでもなく、ただ――自ずから、創り上げるものだったのか。


 そう考えると、これまでの考えや、感情というものの解釈も、変わってくるかもしれない。これは大きな気付きかもしれない。

 眠い。終わり。――と13分ぐらい。


(かっこ書きである。眠い。眠いけど、睡眠よりも書くことを優先させた。創作ルーチンも進めた。むっちゃくちゃ豪放磊落な人物を描きたくなって、書いていた。メールとか返せていない。今度の飲み会の場所も探さなきゃ。ストレンジトゥエルブも読まなきゃ、某氏のブログに舞い戻れない。これはつらい。仕事が終わんねー。本読まなきゃ。ああ、もう、眠い。筋トレしなきゃ、お風呂はいんなきゃ。時間が――ない、わけではなくて、つくれていない。それは偏に能力の低さである)

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