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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
タイトル考えるの面倒くさい
今日の一言「質より量、量より質、どちらでもない」
(異論反論多そうな記事になった)

徒然に書きたいときのタイトル

 特に脈絡なく、徒然思うがままに書きたいと思うときに、タイトルというのはいささか考えるのが面倒なものである。
 そういったとき、「未設定」とか、「徒然」とか、「NOTITLE」でもいいけれども、せっかくだったら何か考えたいという思いが芽生える。
 そういうとき、何かこう、連載とか、「月間更新」とか、ルールがあったら楽な気がする。

 もしくは、後からタイトルを書くという方法。自分は、こっちをよく使ったりする。

 まぁ、別にそれで事足りるから、特にルールとか必要ないだろう。しかし、わりとマジに誰かに読んでもらいたい、聞いてもらいたいとするならば、タイトルは重要だ。

コミュニケーション力

 コミュニケーションが大事、とか言われるが、そういう言葉が嫌いだ。
 ……最近、自分はやっぱり「変」なんだろうと思わされることがあって、そもそも、「〇〇が嫌いだ」という主張が多いのは、拘りが多いということであって、拘りが多いというのは、「変」ということでもある。

 しかし、まぁその、「嫌い」という言葉は、二分法的にわかりやすく表現しているのであって、そんな身の底から受け付けない、生理的に無理、とかそういったレベルではない。ないのだけれども、言葉として使う際には、どうしても「きつく」感じ取られてしまうから注意が必要だ。

 まぁでも、とりあえず、コミュニケーションって言葉が嫌いだ。横文字だから嫌いというわけでもない。昔の自分の記事を読んでいると、やたらと「コミットする」という表現があったりする。今考えると恥ずかしいけれども、当時もそれを分かったうえで、なんとなく「コミット」という言葉が自分の中でしっくりきていたので使っていたのだ。
 コミットという言葉の、自分の中での用法は、「情熱をもって対象に自分自身を注力する」といった意味であった。やはり今となってもなんとなく、日本語にするとしっくりこない。そういったときに、横文字表現を使うというのは悪いことではない。ないけれども、他者に読ませるといった意味においては注意が必要だろう。「エビデンス」や「ハードコピー」といった言葉も、仕事においてよくつかわれるけれども、別の会社の話を聞くと全然違う意味で使われていたりして、面白いなと思ったこともあったりする。

 上の段落は脱線である。コミュニケーションという言葉についてがこの小見出しの主題だ。
 こういうときに、「閑話休題」という言葉を使う。これも、最初に聞いたときは、逆の意味でとらえていたことがあったような気がする。言葉って難しいなぁ……閑話休題。

 コミュニケーションというのは、情報伝達のことであって、それ以上の怪しい意味合いはない。
 何故わざわざコミュニケーションという言葉を使うのか。横文字にすると、さも「スーパースキル」のように感じられてしまうではないか(僕だけかもしれない)。

 そもそも、コミュニケーションが大事、なんてのは、先日の「生涯学習」についてコメントいただいた件ではないが、「当たり前」である。
 というよりも、コミュニケーションをしないことなんて、ない。

 こうしたブログですら、コミュニケーション・ツールである。

 大したポイントでもないのに、あえて横文字にして、さも大事だと言わんばかりの主張が、嫌いなのである。

礼儀作法や心理学のことではない

 マナー。
 常識。
 こういった言葉も嫌いなのであるが、コミュニケーションという言葉が嫌いな理由は、それとも関連する。

 前にも書いたけれども、さまざまな解釈があることについて、自分の考えることが絶対的だと思っているような人が嫌いである。
 ――ここですぐさま書いておきたいのは、「その上で結論する」ということは大事なことだ。

 関係ないかもしれないが、裁判の判決に従うのは、それが社会的なルールだからだ。そこで、「でも自分はそう思わない」といったところで、関係ないのである。決めることは大事だ。

 しかし、飲み会はコミュニケーションに必要だ、とか、若いうちは無休で働けとか、そういった言説の様々が絶対的に正しいと信じるのはいかなるものか、と思う。ちなみに、自分は上の意見に、部分的に賛成であり、反対である。――というように、標語、スローガン的なのは、わかりにくいものや、複雑な部分や、あいまいな部分をとりあえず切り捨てて、方向性を示すためだけのものである。
 それで、標語的なのは、シンプルで分かりやすいのがよい、と言われたりする。「ユーザーのニーズに応える」とか「お客様の笑顔をつくる」とか――しかし、実際の業務に役立つことはほとんどない。
 スローガンをシンプルにしていけば、「当たり前」のことにしかならない。その当たり前のことを忘れてしまうから、実際に実行するのは難しいから、スローガンがあるってだけである。



 ――あああ、本当にくだらないことを書いている。どうでもいい。ほんっとうにどうでもいい。しかし僕はなぜ、こんなくだらなくて面白くなくてどうでもいいことを書いているのか。

 そうだ、インプットが足りていないからだ。


 いやしかしまて、何故僕は、上のようなことを面白くなくてくだらないと思うのか。
 当たり前だからである。
 スローガン的には、「WIN-WIN」があるべき姿だ。世界平和がすべてだ。それ以外に何があろうか。

 しかし、さすがに「世界平和」をスローガンにする企業はない。あまりにも実態とかけ離れているからだ。だから、自分らの業務に関連して、できる限り普遍的なものをスローガンにする。スローガンって書いているが、社訓とか経営理念とかそのへんのやつだ。

 しかし、世界平和の次の内容は、必ずしも利害対立を生み出す。何故ならば企業は利益追求のための組織だからだ。CSR(企業における社会貢献の責任)も重要だとされるけれども、利益(もうけ)ないCSRは形骸的である。

 とある業界で、ある会社が躍進すれば、ある会社は零落する。シェア(需要)は有限だからだ。勝つか負けるか。命のやり取りはないとはいえ、そんな世界なのだ。

共産主義というか社会システム

 そんな殺伐としたのは嫌だ!
 となると、共産主義・社会主義はどうか、となる。
 失敗した!
(中国は共産主義なのか? その場合、成功した、といえるのか? などという政治学的な話は勘弁していただきたい。よくわからないし、あまり興味をもてない。とにかく、当初興ったマルクス主義的な共産主義とは実態はかけはなれているだろうことは間違いなかろう)

 どうやら、人間は怠ける生き物のようだ。
 競争という概念がないと、まともな発展はできないのだ。
(生活保護はなんなのか、という政治学的な話は勘弁――以下略。しかし、だ。生活保護制度も、生活保護を受けていない人たちが、それ以上(以上、という言葉をつかえば、「イコール」も含むということだが、まぁそれでよかろう)の生活ができている、という基盤に立っているからのことだと思う。それが明確に崩れたら、制度として成り立たないだろう。「生活保護を受けるのは権利だ! 恥ずかしいことじゃないんだ!」そういった主張、その通りだと思う。しかし、現実問題、生活保護が貴族のノブリス・オブリージュで成り立っているのではなくて、税金財源なんだから、みんなが生活保護を受けるようになったら制度として成り立たないだろう)


 要するに、バランスで成り立つようになってしまったのだ。
 イデオロギーとかいう言葉は流行らなくなったのだ。
 漸近的になんとかだましだましやってくしかないのだ。
「うるせー! そんなんやってられっか! 俺は苦しいんだ! バーカバーカ!」
 というのが増えると、急進的な保護主義とか、異民族排他とかが発生する。
 歴史は繰り返す。
 繰り返させちゃいけないのだけれども、高名な学者様たちも、いまだ全世界共通普遍システムの構築には至れていない。
 修正資本主義でしかない。

 このままじゃあ、政治制度こそA.I.に任せちゃおうぜという意見が多数派になるかもしれない。アニメーション作品『サイコパス』の世界は近いのかもしれない。

政治的な話がきらい

 ここでいう政治的というのは、国レベルではなくて、会社レベルでもそうだし、家族レベルでもそうだ。
 要するに、利害調整的な仕事がウンザリである。
 30数年生きてきて最近思うのは、やはり僕は、何か作る又は創ることが好きなのである。

 ここの部署はこうだからあーして、あっちの部署にはこう根回しして……とか、ほんっとうに面倒くさい。どうでもいい。
 いやすぐさま書いておかなければいけないのは、要望とか、何か作るにあたって必要な要件を収集するということは大切だし、むしろ積極的にやりたいぐらいである。僕が「きらい」といっているのは、ある案件について、どっちの部署がやるだとか、それは俺の仕事じゃないだとか、関係ないだとか、そういうことが面倒くさいということである。

 そして、そういうのを「マネジメント」というのなら、管理職に魅力なんてない。昨今の若者は出世願望がないとかいわれるが、そういう問題じゃないと思っている。
 給料が高ければ、それだけでいいって人も中にはいるだろうけれども、仕事の中身自体が魅力的でないならば、やりたいと思う人が多数派になるはずはないのだ。
(同時に、「自発的であれ!」「仕事は自分でとるものだ」「自分で考えろ」ということも言われたりする。ばかばかしい。「自発的」すなわち内発的動機を重要視するならば、余計に魅力的な仕事内容でなければ不可能だろう)

 同時に書いておきたいのは、管理職だからこそ、「つくる」ということも可能だろう。それは、より「間接的」になるかもしれない。実際に自分が手を動かしてつくることは少なくなってしまうかもしれない。けれども、その分より大きな、自分がつくりたいと思ったものを、つくることも可能になるかもしれないのだ。そういう魅力をもっと語ってほしいものである。
 大変だー大変だー忙しいー疲れたー、とかいいつつ、出世しろ、管理職を目指せ、なんてのは、ばかばかしいこと限りない。――限りないと思うだろう、思うのだけれども、皆さんもそういう人を見かけることは少なくないのではなかろうか。

楽しいとか面白いとか

 うーむ、なんだか、当初書こうと思っていた内容から随分はずれてしまった気がする。
 しかし、これはいつものことである。
 書いているうちに方向性が変わるってことはよくあることだ。

 しかし、どうしたもんか。
 人は様々である。
 年上もいれば、年下もいる。上司もいれば同僚・部下もいる。男もいれば女もいる。受託もあれば委託もある。そんな中で、「楽しい」を仕事に介在させるというのは夢幻のことなのか。

 しかし、大事なことは二つあると思っていて、
・貢献心
・成長心
 である。

 所属する組織に対して、自分が役に立てることを探すということ。
 自分ができることを増やしていくということ。

 これは、どんな組織にいても普遍的に大切なことだと思う。
 当たり前のことである。
 会社に害をなそうとして毎日仕事している人はいまい。いたら埋伏の毒というかスパイというか。
 どんどん劣化していきたいと思うことだってなかろう。いつも男は筋トレに励み、いつも女は美容に励んでいるではないか(くだらない例え話である)。


 会社に限った話でもない。
 家族という組織(集団)であっても、同様に貢献と成長は必要だろう。家にはサラリーを入れてるから家事は全くしなくてよいのだ、という夫や妻がいる家庭は、よほどの事情がなければ上手くいかないだろう。また、ゴミの分別や曜日がいつになっても覚えられないという成長がない夫や妻がいるというのも、片方への苛々が醸成される原因になるだろう。

 そんとき、何を大事にするか、というのが「価値観」である。
 で、この価値観は色々あってしかるべき、という風潮になっている。多様性である。――という話しになると、先日の「多様性について」の記事を参照すればよいだろうか。

 価値観は色々あってよいんだけれども、それがぶつかったときどうしようか、というのが「ルール」である。
 しかし、会社における価値観ってのは、とある部署の主張だけ通せばいいってもんじゃないと思うんだが、まぁこれも脱線か。
 家族という集団は、分離するという手段もとれる。会社もまぁ、辞めるという手段や異動するという手段もあるだろう。
 しかし根本的に、対立という芽は至る所にある。

 それというのもそもそも、「世界平和」と「WIN-WIN」を成り立たせる普遍ルールが、実のところ世界には存在していないからだ。


(かっこ書きである。「普遍ルール」と書いたけれども、ルールで人を縛れるのか、というのもある。暴力装置は必要なのか。文明があっても、シビリアンコントロールでも、「いざ」ってときに強制的に黙らせられる力がないと、人はルールに価値を持てないのではないか、と僕は思う。この部分も、いろんな価値観があるものだと思う。世界平和のために兵器も軍隊も排除すべきだ、という主張もみかけることがあるだろう。核兵器廃絶という理念は僕は賛成するが、現実的に可能なのか疑問だ。ロストテクノロジーって、人為的に可能なのだろうか。ロケット技術と原子力発電所の技術があれば、ICBM(大陸間弾道ミサイル)に核爆弾のっけられるってのを何かで見た気がする。いやそんな、世界征服を企む悪の組織が勃興するというのもあまり思えないのだけれども、「人の対立」という概念がなくならない限り、強制力・強制装置は必須だというのが僕の考えである。でも、繰り返すが、僕は世界平和が大事だと思うし、目指すべきだと思う。いじめだって、ブラック企業だってなくなればいいと思う。しかし、僕は指導だと思って言ったことも、「遠藤さんって時折厳しいこと(ひどいこと)言いますよね」とか言われたこともあったりするし、まぁ難しい問題である。しかしこういうのは、真摯に反省すべきである。「自分はどうか」という視点がない人が多いせいで、パワハラとか飲酒運転とか減らないのである。もしかしたら、明日は迎えられないかもしれない。それどころか、数時間後には死ぬかもしれない。常にそう思っていたら病気だけれども、そういう気持ちで生きる(生活する)ことも時に必要である。――といいつつ、今日は疲れたからビール飲んでゲームして遊ぶ(おい))

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ゲームしましょう(笑)
 現代世界でコミュニケーションとらずに生きて行く、ってかなり困難ですからね。それこそ、山にこもって全てを自給自足で生活でもしないと。

 私は教育方針が「ゆとり」になる境目の世代だったので、それまでの詰め込み型と自主性を重んじる学習方針の両方を中途半端に受けてきたような印象があります。
 で、上の世代に特に強く感じるのが「仕事=生きがい」という思考パターン。
 小さい頃は、働くこと、仕事、というものに対して漠然と「好きなことを職にして、周りに良い影響を与え、楽しく過ごしながらお金を貰えるもの」というイメージを持っていました。子供が宇宙飛行士とかケーキ屋になりたい、とか考えるような頃のイメージですけれど。
 当然、年を経るにつれてそんなイメージはどんどん壊されていって、社会人となった今では「生きていくための資金を得るため仕方なくやること」程度になっているわけですが。
 もちろん、中には「やりたいこと」を仕事に出来ている人もいます。が、「やりたいこと(好きなこと)を仕事にした結果、やりたいこと(好きなこと)ではなくなってしまった」という声も耳にすることがあり、それが全部ではないでしょうけれどそういうこともあると納得できるようにはなっています。

 私はぶっちゃけた話、怠惰に生きて行きたい(やりたいことだけやっていたい)という人間なので、出世欲は無い方ですね。
 最低限、自分がやりたいことをするのに必要なお金と時間が得られるなら、極力肉体的にも精神的にもストレスの少ない環境に身を置きたい。
 割とダメ人間なのです。

 だから好きなこと、やりたいことしましょう。創作でも、ゲームでも(笑)
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