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過去の認識が与える現在について
2017/01/29 13:00 | Comments(2) | ポジティブ思考
今日の一言「すべての面のすべてのことが、日々ますます良くなっている」「現状追認の危険は過去の否定と現実誤認でしょうね」

人生を振り返って

 過去の自分の人生について、いったい、どういった評価を与えるのか。
 先日、重要な視点というか、問いかけを頂いた。

 まず、過去の認識、というものに、特段定義は不要だろう。これまで自分が経てきた人生、来歴、それらに対する自分の感覚・思考についてである。
 この記事の目的としては、一般論になるのではなく、僕自身が、一体全体どのように、自分の人生について考えているか、ということをまず明らかにする。
 そのうえで、「良い・悪い」の判断を与えることによる、現時点性に対する影響を考える。

過去に対して良い印象をもっているか?

 基本的に、良いことも悪いこともあった、というのが、通常であるだろう。
 そのバランスの崩れが、神経症や精神病と言った状態である。まずもって、自分の数十年の人生に対して、一元的な評価を与えるというのは、難しい作業であることを確認しておく必要がある。
 次に可能であることとしては、その人生に、期間を設けて分けることである。ここで、スペクトルとかパースペクティヴとかタームとか、よく分からない言葉を用いる必要はない。単純に、小学生のころ、中学生のころ、高校の頃、大学の頃、社会人のころ、と分けていくのが一つ。
 しかし、この期間の分けは、単純な組織(小中学校)に属することだけで済まされない。人によっては、親が転勤族で、転校を繰り返していた場合もあるだろう。親など身近な人の死が影響する場合もある。友人や恋人関係など、取り巻く人々との距離(付き合い方)によっても、分けることができるだろう。

 この自分の人生を「分ける」ということ。
 これについても、実は非常に困難な作業であることを、確認しておく必要がある。確かに、小中学校は義務教育で、もちろん昨今は、フリースクールとか、様々な学習形態もあるわけで、単純にそれが有効な分類ではないわけだが、多くの人にとって有効な「分け方」である。
 もう一つ、住所に着目したこと、引っ越しについても、客観的な事実がもとになるため、分かりやすい。

 しかし、実際に自分の人生に対して判断をしていくためには、そうした分けだけでなく、より「感情的な」「思考的な」分けが必要になってくるのだ。

 しかしそのことは、既に、その行為自体が、自らの「判断」または「感情」が移入されているために、複雑さを増していくことになる。まわりくどく書いてしまったが、単純に、「分ける」その行為自体が、既に判断になっているということである(当たり前のことだ)。

 しかしその、当たり前のことが、考えることに対しての障壁となる。無意識に、「良かった時期」と「悪かった時期」を分けようとする判断がはしるのである。

 これの何が問題なのか?

 当初の目的を振り返ってみる。いま僕たちは、自分の人生について、統一的な判断を与えようとしたのである。しかし、そのままでは「人生」を捉えることが難しいため、ある時期に区切ってみようと試みたわけだ。しかしながら、この時点で既に、「判断」がはしっているのである。

貴方にとって過去は良いものでしたか?

 故に、僕は、「良い人生でしたか?」と問われたときに、「今、まさに」と答えるかもしれない。
 つまり、過去は既に、なかったかのように思うのである。そんなはずはない、過去はまさしく、連綿として続く自分の要素であり続ける。でありながら、過去について語るとき、僕は既に「過去を思う今の自分」でしかなくなっていることに気づくのだ(これも当たり前のことだ)。

 何が言いたいのか。そういう問題ではない、僕は、何を表現したいのか、何を思っているのか。何を感じているのか。

 なんというか、つまるところ、「過去」は、もはや良いものでも悪いものでもないのである。
 良いと判断をする今の自分、悪いと判断する今の自分しか存在していないのだ。

分けが分からない禅問答ですらない

 いじめられた過去があったとする、それは悪いことだ。
 彼女と幸せな時間を過ごした。それは良いことだ。

 いじめられていた時代は悪い時代。楽しく過ごしていた時代は良い時代。
 なるほど、その通りだろう。もっと抽象化してみよう。悪いことがあった時代は悪い時代。良いことがあった時代は良い時代。

 んんッ? よく分からなくならないだろうか?

 最初に書いた通り、人生は、良いこともあれば悪いこともある。それは、もっと小さな時間単位にしたとき、一日を通しても、同様に、よい時間帯もあれば、悪い時間帯もあることだろう。通勤中に嫌なことがあったとして、仕事が終わった帰りに友人と出会い食事をして楽しい会話ができたとしたとき、じゃあ、その日は、良い一日だったのか、悪い一日だったのか。

 長いスパン(期間)にしたとしても、同じことがいえないだろうか。つまり、長い期間をとったとき、その中には、良いも悪いも、酸いも甘いも混濁しているのである。

 それに対して、「良い・悪い」を決めるのは、所詮は、「今の自分」であるのだ。

小見出しの5つ目

 小見出しは一つの記事に5つにしようと決めた。ということで、その5つ目だ。
 さぁ困ったぞ、結論を出せるまで十分に書ききれていない。

 もう一度聞こう。君は、自分の人生について、良いと悪い、どちらだと思う?
 いや、きき方を変えよう。良いことと悪いことの、どちらが多かったと思う?





 ……5分ぐらい悩んで、僕は、やっぱり、「悪いことが多かった」と答えたいと思う。

 ただ、その言葉をつむぐのも、非常に難しい感覚でいる。そもそも、過去の事象に対して、良いも悪いも、あまり思えないのだ。
 いやもちろん、このブログの説明文のように、「離婚したこと」というのは、悪いことなんだろう。いや本当にそうか? じゃあ、その悪いことから連続して、現在も続いている今の僕は、悪い状態なのか?
 いじめられた過去があるとして、そこから続く自分は、悪い状態なのか?

 違和感である。

 過ぎたるは猶及ばざるが如し、ということで、僕は、過ぎてしまったことは本当にどうしようもなくどうでもいいことに思っているのだと思う。であれば、僕は、過去の認識について、良いも悪いも、どちらも思っていないのだろうとすら思う。

 その前提で。

 その上で、やっぱり「悪いことが多かった」というのは、今現在、この時点において、まさしく、良い状態であるとしか思われない、ということなのだ。

 これは何ともバカげた考えである。しかし、だ。この、恐らく、これを読んでいる際の自分は、これを書いているときの自分よりも、良い状態であるのだろう。

 うぉぉものすごく意味わからなくなった! なんだ、その、良いも悪いも考えている時点でその状態が一番良い状態だろうよ! ってことだ! 多分!

(余計よくわからない)


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コメント

 過去に対する印象が良いものであるとすると、それは相対的に今の印象をそれ以下と捉えていることになるのではないでしょうか。
 より良い状態を求めて日々を過ごし生きていく、というのが人の通常の在り方だとすると、「現在は過去よりも良い状態である」ことが望ましくなりますから、必然的に過去に対する印象は下がっていく傾向にあるのではないか、と今回の記事を読んでいて思いました。
 誰も進んで悪い状態に向かいたいとは思わないでしょうから、基本的には良い方を向こうとするはずで、短絡的、あるいは場当たり的、もしくはその先が見えておらず、良い方向へ向かったと思った結果、思いがけず、あるいはやむを得ず、もしくは分かっていても避けられずに悪い結果になってしまうこともあるでしょう。

 もしもあの時の過去に戻れたら、なんて思うこともありますが、それが実現してしまい、違う選択ができたなら、今とは違う今を迎えることになるでしょう。そうなった時、違う未来に辿り着くことはできたが、最初に得ていたものがやり直したら得られなかった、なんてのは創作でもよくあるネタですよね。
 結局のところ、過去に戻るということが現時点の技術力で実現できない以上、私たちは今現在という立ち位置でしか判断できません。
 過去の自分の選択が間違っていた、後悔するような出来事がある、今現在が非常に辛い、等のマイナスイメージを強く持つ人ならば、過去は良い印象となるのだと思います。これはある種、これまでの自分を否定するような行為だと思うのです。
 自己肯定をするのであれば、自分のこれまでの選択や判断は正しかったのだと思いたいわけで、そうなれば段々と良い状態へ進んでいると考えることができますから、結果は自然と「過去よりも今の方が良くなってきている」=「過去に対する印象は、今よりは良くない」という答えになるのではないでしょうか。
posted by 白銀at 2017/01/30 16:25 [ コメントを修正する ]
コメントありがとうございます!
なるほど!っと思って、コメント返信と思いながら、中々時間がとれませんです、申し訳御座いません。
そして今、逆というのが、何にたいしてなのかが分からなくなってきました。すみません。

なんだろう、思うに、過去に対しての良い悪いの判断は、あまり有意義ではなさそう、ということになりそうですね。

昔はよかったーみたいに言う人は、何となく魅力的には思えませんし……。


日めくりカレンダーがあって、ある人は、毎日毎日、ただ破って捨てている。 
ある人は、破ったカレンダに、経験したことや、学んだことを一言書き込んで、積み重ねていった。
若さは確かに素晴らしいアドバンテージですが、果たして、後者の人は、ただ若い人にたいして、嫉妬や羨望を感じるだろうか?と。

いただいたコメントと関係ないかとしれませんが、そんなことふと思いました。
posted by 遠藤at 2017/01/31 20:48 [ コメントを修正する ]

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