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社会人になって友人ができないとは
2016/06/05 00:42 | Comments(0) | 対人関係

友人ができた


よく、社会人になると友人ができない、といわれる。
ただ、それらは根本の人間関係を知らないがゆえに発生する誤解である。


ジョハリの窓、という研究があり、それは自分でも自分の知らない部分があるということだが、それよりも、信頼関係をえるには、自己開示が必要だということ証左である。

社会人になって友人ができない、というのは、その人の来歴の共有不足である、これは物理環境と時間の由来であり、もはや覆しのできない事実でありながら、そこに、友人という言葉の何を求めるか、になる。


ともに新しい目的、遊び、行為、それらを作り上げるとき、もはや、その来歴を確認する作業が面白いものとなりえる。
これは、友人という表現でよいと考える。

親友という存在がどれほど重いかはわからない、そう、その友人と親友の違い、というものを、卒業論文のテーマにそえようとしつつも、その意味の無さに気づいて、やめたのであった。


深い人間になること



表層的な、コミュニケーションの構築は、もう大体おっけーだと思う。お世辞かなにかはわからないが、話しやすい雰囲気です、とか、話なれてますね、とか言われた、これは全くもって、こういった文章を書く人間とは思われないくらいの技術の構築を示しているといえる。

人との関係構築にどれだけ怯え、学び、実践し、調整してきたことか、それは一切伝わることがない。
伝えてはならない、それはすべての覆しを意味する。

そして、その過程を知ってなお、自分という今を見つめてくれる人、それが友人だとしたら、僕は友人が一人もいないことになるし、そんな友人を欲しいとは思わない。


それらの過程は、自己の自信のなさによるものかもしれない。いやはや現に、いまにおいても、その所属コミュニティにおいては、僕はかなり厳しい立場状況におかれるし、一方あるコミュニティでは、ある程度の価値が認められるのである。

そして、たいていは、その認められるコミュニティを重要視して、拠り所とするが、僕はただ、そのコミュニティさえも、不安定な、崩れやすいものとしか思えないという、表層的な問題である。


かっこよくあるために


人は、かっこよくあることを要求される。愚痴愚痴してマイナス思考な人は排除される仕組みである。



……、生きづらいとは思わないか。この投げ掛けに、呼応する人はいない、それは、まさにこれに共感する人こそが、排除の対象になる仕組みだからだ。

エセポジティブとは、臭いものに蓋をして、なんとかやりきろうとする、対処療法である。


イデオロギーがあり、ある方向に人々が向かっていた時代は、よかっただろう、いまは、マニュアル人間は塵で使えない、と断罪される。

自分の力で考えろ、という。

それをしていいのは、次の前提を実感できている人たちだ。


世界がよいものであると


世界がよいものであると、世界をよくしたいと、自分に価値があると、自分には力が備わっていると。


後二分しか、時間がない。

一言で説明できないことから、僕の頭のなかは、まだまだ十分に整理できていないのだ、ただ、ひとつ、笑顔をたやさず、目的をはっきりとし、自己を開示していけば、この世界の動き、それはすなわち自分を取り巻く環境は、少しずつ変化するのである。














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