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郷愁を捨て去り未来をつくるには
2017/06/04 13:30 | Comments(0) | イライラ対処
今日の一言「目が覚めたら40歳だったらどうしよう」「ある意味、心が幼いまま30代に突入したのは同じぐらい悲劇」

夢は潜在意識の顕在化なのか

 色々と、やるべきこと、やった方がいいことが積み重なっている。
 めんどくせぇぇ……ってなって、何もできなくなることがよくある。もうすべて投げ出してしまいたい。自暴自棄と言われたっていい。そうだ、俺に、守るべきものなんて、そんな大層なものはもう持ち合わせていないんだ……。

 そんな風に愚痴を唱えることに、残念ながら真摯に向き合えない性格特性である。僕は、そのような感情が生じたとき、すぐさま、その「愚痴状態」が良いものかどうかを総合的に考える(考えてしまう)。

 はいはい、愚痴を言いたいのね。そうして、自己正当化をしたいわけね。いいよ、それで感情状態を平静に向かわせられるなら、どうぞやってください。できれば、私としては、それをする時間まで決めておいて頂けるとありがたいんですがね……まぁ、好きなようにおやりなさいよ。

 お前誰だ!? みたいな、そんな奴がいるのである。
 その、じゃあ、仮に「理性くん」と名付けたとして、そいつは、かなり昔から俺の中にいた。さかのぼれば、小学4年生ぐらいじゃあないかと、僕は思っている。何度かブログでも書いたけれども、ある友達とのエピソードで、僕は衝撃を受けた。そのとき、いや、最古の記憶、3歳~4歳ぐらいに、僕の誕生会を親戚をまじえてやってくれた、そのときから、理性くんはやってきたのだろうか。

PVの銀貨

 話は少し変わる。ある友人が、こんな記事(シロクマの屑籠)を紹介してくれた。

 なるほど、ブログとは、収益を目指すものから、何らか達成したいもの、得たいものを満たすために行われる。ブログである以上、それは他者の目を必ず意識するものである。誰かに読んでもらいたくないといって、ブログ媒体を選択する人は皆無である(少なくても論理性はない)。

 で、あるならば、PV(ページビュー)という、すなわち、アクセス数、訪問者というものを意識しないわけにはいかない。

 そのとき、どんな種類のPVを求めているのか、ということを、上の紹介記事では触れられているのである。

 金貨、になると特殊な気がするのでこの場で特段記載はしないが、銅貨と、銀貨の違いというのはかなり大きいと思う。

 銅貨は、即物的な答えを求めるそれである。銀貨は、一緒になって考えてくれる読者のとことである、と(敢えて抽出的に、恣意的な書き方をしてまとめるとそういうことになる)。


 言うまでもなく、僕は、銀貨を求めている(もちろん、金貨であればもっといいが、銀貨と金貨の違いは僕はあまり感じない。その理由は、オフとオンの区別にさほど意味を求めていないことになるが、まぁこの辺は昔なんどか書いているので省略)。
 もちろん、銅貨があったうえでの銀貨なのだろうけれど、得たいもしれない、アクセス数だけ増えても、逆に気味が悪いと思うだろう。それよか、コメントとかいただけたり、時折自身のブログのネタにしてもらったりしてくれる方が嬉しい。


 そして、では、この上の知見を用いて、こういう分類って、何に役に立つの? という疑問が発生したときの感情と、論理性というものについて考えてみたい。

収益を出すことが必ずしも必要なのか

 仕事論になりそうな気がするが、それほど肩肘はるものでもない。

 結局のところ、「目的」とは何か、を僕は常に問うている。(これは病的なまでに)

 よく言われるところが、「結局、お金にならない活動は、社会に組み込まれていないのだから、役に立つものではない。お金がないと、生活できないのだから、お金に直結する活動を基盤にできていない人は、地に足がついていない浮浪者である」ということである。

 日本が資本主義であることを、僕は認めないわけではない(まどろっこしい言い方をするな、「認めている」でいいだろうが)。

 資本主義とは、生産と消費のサイクルによって人間の欲望を満たしながら成長していく社会システムのカタチである。

 そこに用いられるのが、「お金」である。このお金という概念は、少々、僕らの若いころから、現在では意味が異なっていて、いわゆる「電子の」仮想通貨というものも含めて考える必要がある。というのは、ビットコインとか、スイカとかイコカといった電子マネーという意味だけでなく、証券や債券など金融資産といった有形無形のお金も含めて考える必要があるということだ。

 決して、これまでも、これからも、お金の価値を否定するのではない。

 何らかの行動をするには、……かなしきかな、何もしなくてもお金はかかる。
(賃貸アパートであれば言わずもがな、持ち家だったとしても固定資産税がかかってもってかれる)

 お金は、あるにこしたことはない。不慮の事態……先日あった風邪ひいたとか、PCのクラッシュとかオートモービルの電子機器不良など、お金がかかる場面というのは事欠かない。

 ただ、昔から今も変わらない僕の価値観として、「お金のために生きるのではない」というものもある。

欲望を満たす道具

 お金が欲しいか? と問われたら、欲しいです、と答える。
 だが、何故ほしいのか? それは、単なる「安心」の購入である。

 何に使うか分からない、けれども、いつなんどき、いくら必要になるかが分からない、だから取り敢えず「貯蓄」する。
 この貯蓄という概念をもう少し広げると、僕は、投資であっても同様であると考えている(こんな頭でっかちなことを思ってるから、中々株をやろうと思えない)。つまり、いつまでに、いくら必要かという明確な目標がないゆえに、ただ、「安心」するがゆえに、お金のためにお金を稼ぐことをするために……それが、僕の目的にならんあいということだ。

 分かりやすく書くと、「お金を貯める&稼ぐ」ということについての目標・目的がないのである。


 よく、書店などで、「お金に困らない生き方をしよう!」とかいって、お金を稼ぐためのアプローチを延々述べられている書籍を見かける。
 ずれたアプローチだと僕は思う。(いや、それが万人普遍に間違っているといいたいのではない)

 ある意味、僕は、貧困であえぐ昨今増えているといわれている大多数の方に申し訳ないが、お金には全然困っていない(いまのところは。会社の状態もあまり芳しくないので、今後どうなるかも不明だ)。

 お金に困っていない=お金がたくさんある、というわけではないことは重要な点だ。

 つまり、まわりくどく書いてきたが、結局僕がいつも言っていることに巻き戻るのだけれど、大事なのは「欲望」ってことである。

 欲望なのか、欲求なのか、欲動なのか、そこらへんの違いは、本記事では不問である。とにかく、「何かしたい!」という思いの大きさに応じて、お金の必要量がかかわってくる。

 ここで、本当は、二つのアプローチがあるのである。一つは、お金を稼ぐこと、もう一つは、欲望を調整することだ。

 資本主義社会とは、どうにも、前者のアプローチを肯定しすぎているように僕は思っている。そういう延長で、「努力したら必ず報われる!」的な標語が生じてくるのだと思っている。

 結局は、「努力は(身の丈に合った)結果を与えてくれる」ということである。これはペシミスティックな、後ろ向きな発言ではない。ある意味、努力したら報われているのだ、必ず。だが、見落としてはならないところは、そのご本人が、如何なる「欲望」(目的)を抱いていたかという点だ。
 同じ結果があるとする。テストで70点だったと。それは、客観的な指標だ。同じ問題を、同じ時間に、同じ条件で解いたのだ。だが、その70点という結果は、ある人にとっては悲観的なものであろうし、ある人にとっては僥倖であったりする。

 閑話休題。


だから俺の欲望は何なのか

 何だか延々と続きそうだったから強制中断。上のようなことは正直どうでもいいのだ。
 他者がどう思おうが、それはそれ。

 ようは、俺は、いったい、どんな欲望をもっているのか、その点だ。これは最近ある方が、「感覚を研ぎ澄ませることが何より重要なのですよ。理屈ではない、感覚なのですよ」といっているのと、同じことだと思っている。
 僕の言葉で言うと、「実感」。

 実感のあるがままに生きる。これが本来、人間として正しい生き方ではなかろうか。

 と思ったところで、冒頭に書いたように、「夢」とはなんとも暴力的である。

 ある意味、幸せな夢であった。(後半、クレーマーとの言い合い合戦になったりして不快感マックスであったが)

 幼いころの、家族に見守られ、ただ「子ども」として生きていたころの夢。

こんな画像集をみるとなおさらダメージが大きくなるタイミングである)



 なんだっけ……。ここ5日間ぐらいのことで、どうしても整理しておきたかったことがあったけど、いろいろすっ飛んでしまった。

 俺は、……なんというか、嫌だ、苦しい、つらい、哀しいなどなど、もろもろ「不快」と呼ばれる感情が発生したとき、その理由を求めて、その解決に思考をめぐらすわけだが……そうじゃない人って本当に多いんだなって思ったりした。
 ネガティブを、ただ、ネガティブとしてそれで甘んじて受けようとする人たち。
 まぁいい、それだけであれば。そのネガティブを内部にもって、鬱屈としている人たちは儚く可愛らしい。
 が。そういう人たちに限って(これは単に強調語に過ぎず一般的なことを言ってるのではない)、そのネガティブ性を愚痴として、他者への批判としてぶつけるのである。組織や社会が好んで使う言葉で表現すれば、「責任」を放棄しようとするのである。

 自分の人生だろ? 自分で責任をとるしかないだろ。いつまで、親が守ってくれる子供でいるつもりなんだ?


 ……で、その責任論になると、責任のとれる範囲というのが、結局なんだと思う? お金、だ。

 だから、お金があった方がいいって……そうなるんだけど、俺はどうにもそういった生き方というか価値観というか考え方というか、そんなもんが面白くねぇと思ってしまう。

 俺も今、こうやって書いているのは愚痴にしか過ぎないわけだけれども、それでも、何とかしたいとは思ってるんだろう。


 うーむ、駄目だ、感情が先走って、頭の整理がうまくいかない。

 本来、読み返して、修正していく作業に入るべきだが、これはこれで、いったん投稿することにしよう。そのうえで、再度時間をあけて書いていこう。


(PVの種類を明確に分類するとか、そういうのは価値ある作業に思える。しかし、「実存」問題を考える際には、常に明確な分類の適応は難しい。ああ、そうだ、「実存」と政治について書こうと思ったんだったっけ)

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