今日の一言「19時半ぐらい帰宅」
そして、今日(12日)は、特に更新する気持ちがあまり起きない、……気づいたら、12時を回っていたけれども、いっつも、帰宅が24時過ぎで、そっから風呂に入ったり云々をしていることを考えると、ブログ更新ができない、書けない理由が全く見当たらないので、書くことにする。
内容としては、前回の、白銀さんへのコメント返信を続けよう。
> 責任感がない人もバカだと思う。言動に一貫性がない人もバカだと思う――が、これについては、「分人」的な生き方を「敢えて」選択しているのだとしたら、それはそれで賢いと思う。
との記事に対してのコメント。(一部抜粋)
そうすると、僕らが対面している人たちは、だれしも裏の顔をもっているなんてことはなく(少なくても、多くはなくて)、自らの本心に関係する方向で行動していると。――というのは、日常レベルではそうではない可能性もあり、「人格や生き方レベル」の問題ですね。
生き方や人格レベルで「分人」になれるのは、おそらく、サイコパス、ソシオパスと分類される人たちであり、一般的に考える必要はないのかもしれませんね。
そして一方、たぶん、この元記事(10月の)では、「なんとなく、日常的に、なんか、みんな裏の顔をもって、隙あらば騙そうとしてくるんじゃあないか、という感覚」が僕はもってるなぁ、ということの表現だった気がします。家族や親しい友人等までを疑うわけではないですが、しかしそれでも、なんかそんな感じ。これは何故なのか。もう少し掘り下げて考える必要がある。
文体がぶれている。「である」調にするんだった。
そして、コメント返信の続き。
>遠藤さんがブログでもこれまでのような本心をほとんど語らず(本心の片鱗を覗かせても9割以上が気付かないとか)その大部分を自分の内側に留めてほぼ誰にも見せずにいた場合が「敢えて」を選択し続けている判定
これは確かに、ご指摘の通り不可能に思える。
いやむしろ、それが不可能だから、このブログに憤怒怨嗟があふれ出ているのだろう。
まえがき
昨日(11日)は免除規定のため、更新はお休み。そして、今日(12日)は、特に更新する気持ちがあまり起きない、……気づいたら、12時を回っていたけれども、いっつも、帰宅が24時過ぎで、そっから風呂に入ったり云々をしていることを考えると、ブログ更新ができない、書けない理由が全く見当たらないので、書くことにする。
内容としては、前回の、白銀さんへのコメント返信を続けよう。
コメント返信(10月28日)
リンク> 責任感がない人もバカだと思う。言動に一貫性がない人もバカだと思う――が、これについては、「分人」的な生き方を「敢えて」選択しているのだとしたら、それはそれで賢いと思う。
との記事に対してのコメント。(一部抜粋)
なるほど、「敢えて」自分の言動を「本心」と切り離すことができるというのは、実際できる人はそれほどいないのではないか、ということですね。>「敢えて」選択しているのだとしたら、それはそれで賢いと思う。そして今回ちょっと気になったのがここ。「敢えて本心とは違う振る舞いをする」というのが実践できるというのは本当に凄いことだと思うのですよね。そうした方が周囲に溶け込める、目的達成の近道や成功率を高める、など理由は様々でしょうけれど、大抵は偽装が本心から離れれば離れるほどストレスは強くなるでしょうし、割り切ったり、理性や感情と切り離したり、というのも「だからストレスはない」なんてことはないと思うんですよね。「仕事だから」とか「仕方なく」とかの日常レベルというか、一過性のものならまだしも、人格や生き方レベルで常時「敢えて」を選択するとしたら、その負荷は凄まじいものだと思うのです。その辺りの負荷さえも割り切って抱えられるようなものはある種の才能もありそうだなと。
そうすると、僕らが対面している人たちは、だれしも裏の顔をもっているなんてことはなく(少なくても、多くはなくて)、自らの本心に関係する方向で行動していると。――というのは、日常レベルではそうではない可能性もあり、「人格や生き方レベル」の問題ですね。
生き方や人格レベルで「分人」になれるのは、おそらく、サイコパス、ソシオパスと分類される人たちであり、一般的に考える必要はないのかもしれませんね。
そして一方、たぶん、この元記事(10月の)では、「なんとなく、日常的に、なんか、みんな裏の顔をもって、隙あらば騙そうとしてくるんじゃあないか、という感覚」が僕はもってるなぁ、ということの表現だった気がします。家族や親しい友人等までを疑うわけではないですが、しかしそれでも、なんかそんな感じ。これは何故なのか。もう少し掘り下げて考える必要がある。
コメント返信2(続き)
これって諦念とかにも通じるのかなと思ったりもするんですが、例えば、遠藤さんであれば「本音は自分にとっての生きる意味を探し続けている(探したい)んだけど、しんどい問題だから考えないようにして敢えてパリピな生き方をしている」みたいなことだったりするのかな、とか。「考える」ことからは解放されますし、「一般人に溶け込んで生きる」こともできるわけですが、根底にある本心を人生レベルで偽り続けるのって相当な負荷な気もするのですよね。しかも、それを「敢えて」選択し続ける、というのは並大抵の精神ではできないように思えます。ちなみに遠藤さんのリアルとブログ等での表裏がこれに当たるかというと、個人的には外れていて、遠藤さんがブログでもこれまでのような本心をほとんど語らず(本心の片鱗を覗かせても9割以上が気付かないとか)その大部分を自分の内側に留めてほぼ誰にも見せずにいた場合が「敢えて」を選択し続けている判定になるでしょうか。
とまぁ、そんなわけで少なくとも、「本心には正直に」という思考に至った私には、理解や納得することはできても、共感はし難い生き方ではありますね。
文体がぶれている。「である」調にするんだった。
そして、コメント返信の続き。
>遠藤さんがブログでもこれまでのような本心をほとんど語らず(本心の片鱗を覗かせても9割以上が気付かないとか)その大部分を自分の内側に留めてほぼ誰にも見せずにいた場合が「敢えて」を選択し続けている判定
これは確かに、ご指摘の通り不可能に思える。
いやむしろ、それが不可能だから、このブログに憤怒怨嗟があふれ出ているのだろう。
あとがき
(かっこ書きである。それで僕は少し思うのであるが、その「本心」に従うという方針は悪くない。というよりも、サイコパスソシオパスでなければ、人格や生き方レベルで「分人」になるのは困難なので、そうせざるをえないと思われる。と、なったとき、――例えば、「コペル君」でおなじみの、最近漫画にもなった「君たちはどう生きるか」という原作は小説の作品があるが、これはまさに「人格の陶冶」がテーマになっている(気がする)。ま、その普遍的に目指すべき人格、というのがあったとしよう。そうしたとき、例えば、例えばなのだが、電車内で赤ん坊がガン泣きしてうるさかったとしよう。母親が必死にあやしても泣き止まない。困り果てた母親は憔悴している。そこへ、座って瞑目していた気難しそうな老人が近づいった。すわトラブルか。いや違った。老人は言ったのだ。「子供は元気が一番、さぁさ、疲れているだろうから、ここに座りなさい」というストーリーが、たぶん、感動的だと思う。だが実際問題、僕はその場にいたら、(実際はしないけれども)うっせーなと舌打ちしつつウォークマンの音量を上げることだろう(かっこ笑い)。だから僕は人格がひんまがった悪い人間なのであるが、まぁ、「我慢をする」。「敢えて」、「本心」である「うっせーな」という行動をとらない。まぁこの例は、非常に卑近で日常的なものであるが、しかし、「人格レベル」の生き方と、日常的な生き方部分は、明確な1と0に分けられるものでもなくて、連続的なのである)PR
今日の一言「22時ぐらい帰宅」
さて、毎日更新をするという目標を立ててから、初めての土日を迎えることになる。取り急ぎ、なんとか、想像以上に遅い帰りの時間になったが、続けることができた。いいペースだ(?)。
そして、しばらくは、コメント返信を優先しようと思うけれども、それとルーティーン更新を合わせてしまおうという、なんとも横着姑息(?)なほうほうだ、が、とりいそぎ、眠くて眠くて、目があかないので、許して頂きたい。
オンとオフの切り替え。大事なことだといわれますね~……って、コメント返信に対して、「である」にするか「ですます」にするか決めてなかった。簡潔に書くために、「である」でいくことにする。
それで、オンオフといいつつ、オンというのは、仕事の場においてで、オフというのはプライベート……という場合だけでないかもしれない。遊びだって真剣にやることだってある。そもそも、プライベートの活動はすべて遊びなのか。遊びと仕事に違いは何か。お金になるかどうかだ――という定義は、あまりにもつまらないと思う。
って、コメント返信になっていない。だが、コメントを受けて思ったり考えたこと、を書くのが一番いいと思う。なぜならば、共感しました~ということを文章で書いたところで、あまり面白みはないし、信憑性がないのだ。対面コミュニケーションの場合だと、「うんうん、そうだね」「大変だね」ということを、表情や態度にあらわせることはできるだろう。文章では、無理だ。
で、こちらのコメントを読んで思ったのは、「実は相手を見下したり蔑んだりしているケース」という奴、なるほどな、と。
なるほどーっというのが、なんかもっといい表現がないものか。確かになぁ、とか。
実際、なるほど確かに、と思った。
そういう人、自分は結構たくさん会ってきた(たくさんといっても、今思い浮かべられるのは4人ぐらい……しかし、そのうち、単にオンオフ(表裏)含めて嫌な奴、というやつだったかもしれない)。だが、数人でもそうしたエビデンスがあると(経験)、あいつも怪しいこいつも怪しい疑心暗鬼状態になる。
なんか、そういうの、すごくいや。
ありがとございます!
っと、褒められているのかは分からない。ただ、悪い気持ちはしなかった。
しかしなんだか、こうやって書いていただくと、すごく、不平不満でいつも渦巻いているような人な気がする(笑)。
そうなのかなーそうなのかも。
あれだ、計画通りに事が進むとなんかうれしいけれども、そこに何か障害が発生すると気が沈むタイプなんだろうと思う。最近は、割り込み作業が多いのと、そもそもの目的目標がよくわからないっつーのもあって、なんか、つらいな。
まえがき
こう、遅い帰りなのが続いて、ふと、それよりも早く帰ってくると、ものすごく早く帰られた気になるが、錯覚である。人間とは、相対的な生き物である。さて、毎日更新をするという目標を立ててから、初めての土日を迎えることになる。取り急ぎ、なんとか、想像以上に遅い帰りの時間になったが、続けることができた。いいペースだ(?)。
そして、しばらくは、コメント返信を優先しようと思うけれども、それとルーティーン更新を合わせてしまおうという、なんとも横着姑息(?)なほうほうだ、が、とりいそぎ、眠くて眠くて、目があかないので、許して頂きたい。
美味しいアップルパイ食べたい
10月28日ギャップ 「表裏がある」と捉えることもできますが、これって「オンオフをはっきり分けて切り替えている」とも言い換えられると思うんですよね。 「表裏がある」と聞いて気持ち悪いとか、あまりお近づきになりたくないな、と思うようなのは、どちらかというと「表面的な人の良さに反して内心は他者を見下したり蔑ろにしたり利己的に過ぎる」という場合ですかね。
オンとオフの切り替え。大事なことだといわれますね~……って、コメント返信に対して、「である」にするか「ですます」にするか決めてなかった。簡潔に書くために、「である」でいくことにする。
それで、オンオフといいつつ、オンというのは、仕事の場においてで、オフというのはプライベート……という場合だけでないかもしれない。遊びだって真剣にやることだってある。そもそも、プライベートの活動はすべて遊びなのか。遊びと仕事に違いは何か。お金になるかどうかだ――という定義は、あまりにもつまらないと思う。
って、コメント返信になっていない。だが、コメントを受けて思ったり考えたこと、を書くのが一番いいと思う。なぜならば、共感しました~ということを文章で書いたところで、あまり面白みはないし、信憑性がないのだ。対面コミュニケーションの場合だと、「うんうん、そうだね」「大変だね」ということを、表情や態度にあらわせることはできるだろう。文章では、無理だ。
で、こちらのコメントを読んで思ったのは、「実は相手を見下したり蔑んだりしているケース」という奴、なるほどな、と。
なるほどーっというのが、なんかもっといい表現がないものか。確かになぁ、とか。
実際、なるほど確かに、と思った。
そういう人、自分は結構たくさん会ってきた(たくさんといっても、今思い浮かべられるのは4人ぐらい……しかし、そのうち、単にオンオフ(表裏)含めて嫌な奴、というやつだったかもしれない)。だが、数人でもそうしたエビデンスがあると(経験)、あいつも怪しいこいつも怪しい疑心暗鬼状態になる。
なんか、そういうの、すごくいや。
コメント部分2
>内心のために表の顔で周囲を利用したりとか益を得ようという魂胆が見える場合というか。 私がこれまでの付き合いやブログ等から遠藤さんに抱いているイメージ(今回の趣旨に対するもの)としては、「内心の不平不満や個人的鬱憤をパブリックな場(自分だけのプライベートな場以外)では空気を呼んだり、場のことを考えて(その方が自分にとって都合が良いという判断からだとしても)見せないように自制できている人」といった感じです。
ありがとございます!
っと、褒められているのかは分からない。ただ、悪い気持ちはしなかった。
しかしなんだか、こうやって書いていただくと、すごく、不平不満でいつも渦巻いているような人な気がする(笑)。
そうなのかなーそうなのかも。
あれだ、計画通りに事が進むとなんかうれしいけれども、そこに何か障害が発生すると気が沈むタイプなんだろうと思う。最近は、割り込み作業が多いのと、そもそもの目的目標がよくわからないっつーのもあって、なんか、つらいな。
あとがき
(かっこ書きである。眠すぎて、全部にコメント、どころか、1つのコメントにすら全部かけなかった。複数回に分けて書いてしまう。ああ、眠い、もう強制終了)
今日の一言「25時30分ぐらい帰宅」
24時過ぎてから遅くまでやってるチェーン店で、ご飯を食べてから帰宅という生活は、体に悪い気がするな。
そう、僕もそういった読み方というか感想であった。よくわかる。
P.S.あけましておめでとうございます。某所掲示板にもご挨拶いただき、ありがとうございます。
まえがき
眠い……。24時過ぎてから遅くまでやってるチェーン店で、ご飯を食べてから帰宅という生活は、体に悪い気がするな。
1話の長さ問題
コメント頂いた。ありがとうございます。過去の返信もしていないが、直近触れさせていただく。1話が短いというのは「1話辺りの満足感」には欠けることが多く、「ある程度進んでから一気に読むか」となることもあったりします。そして、間を空けてからだと今度は「話数多過ぎてちょっと面倒……」という感覚を抱いたりもしてしまったり。恐らくこれは人によってそれぞれで、私とは逆に「1話が長い」を「読むの面倒」と思う人もいるのだと思います。短時間にちょっとずつこまめに読み進めたいタイプの人だと、更新頻度が高く1回の量が少ない方が好ましいでしょうし。私の場合は、「読む時はその世界に集中して浸かっていたい」というタイプなので、ある程度まとまった時間でまとまった量を一気に読みたいのですよね。
そう、僕もそういった読み方というか感想であった。よくわかる。
P.S.あけましておめでとうございます。某所掲示板にもご挨拶いただき、ありがとうございます。
眠い問題
いやー疲れた、さすがに、木曜日ともなってくると、疲れがはんぱない。蓄積するもんだなぁー。というか、新年あけましておめでとうございます――から、まだ一週間たってないのだな。なげぇー。あとがき
(かっこ書きである。内容が、ない。コメント返信も雑すぎる。ルーチン、きっつー。しかし逆に、ルーチンにしてなかったら、絶対更新してなかったろう。いやいや書いているぐらいのもんだ。いやーほんと、なんとかならんもんか。しっかし、新しい仕事がちまちま、ちまちまやってくる。主軸の仕事としては、だいぶ片付いてきているのだが、年末にかけての動きが、まだ分からない。……ってか、今の職場、1年目なんだよな。まだ1年経ってないんだよな。それにしてはよく頑張ってると思うよ、ほんと。認められてるのかどうか分からないが、ね。――やばい、途中まで書いて寝てた。寝よう、もうほんと)
今日の一言「帰宅時間23時30分……ぐらい」
なんか、……早く帰ってきたはずなのだが……いや、そもそも早いのか? 昨日と比べたら早いが、疲れレベルが同じ気がする。
家帰ってきてから、掃除とか、ゴミ出しとか、家事をしたからか。そうかもしれない。ただ、家に入った瞬間から疲れたーという感じだった。まぁしかし、ほんとに疲れていたら家事なんてできないだろうから、まぁ余力があったのだろう。
といった意見がある。なるほど。一理あると思う。
いろいろ読み方がありそう。自分は作品をある程度まとまった時間に、ある程度まとめて読みたい。2000字って、たぶん5分ぐらいで読める時間だと思われる。(ぐぐると、1分間に400字~600字ぐらいふつー読まれる、とのことだ。小説の場合は、情景をイメージしたりしながら読んだりなので、ニュース的なのよりは、やや遅めな気がする)
すると、まぁその、まとまった時間というのを思い描いたときに、僕は1時間ぐらいをイメージしていたが、まぁ30分あれば結構読めるということだ。
ただ、人間集中力15分説というのもよく聞かれるし、そこからかけざんすれば、2000字’(5分で読める分)×3(15分)で、6000字、となる。そうすると、まぁ僕がなんとなくちょうどいいかなと感じるぐらいの文字数になる。
というのが僕の感覚なのだが、5分くらいで、パラパラ毎日読み進めていく、といったスタイルの人が、どうやら多いのかもしれない(WEB小説界では(?))ので、2000字がちょうどいい、といった結論なのだろう。
ただ、少しくどいけれども、日をまたぐと、やっぱり1話冒頭で、何となく場面が思い出させるような描写(1文、2文程度でも)があるといいような気がする。――と同時に、1話をさらに区切った枝番スタイルでいくならば、「なんかしっくりこないな」というときは前話を読み返せば(2000字で短めだし)よいだろう。
ちなみに、ここまでで、約1000字ぐらいだ。読み飛ばさず読んでも、2分程度で読めることになる。
ここまで、調べたりしつつ、20分ぐらい経過した。
20分。2分で読めるものを、20分かけて書いているのだ。なんとなく無駄な気がする!
ちなみに、1分間にスピーチでちょうどいい量も、400字ぐらいだということだ。わざわざタイピングなどしないで、音声メモ的なのにすれば、10分の1ぐらいに時短だ。
ただ絶対、2分でこの内容をしゃべるのは無理だったろう。やっぱりこう、思考しながらタイピングしながら進めるので、こうなんだ、出がらしかもしれないが、何か文字文章が出てくるのである。
まえがき
今日も、帰宅をしたら、ルーティーン更新だ。なんか、……早く帰ってきたはずなのだが……いや、そもそも早いのか? 昨日と比べたら早いが、疲れレベルが同じ気がする。
家帰ってきてから、掃除とか、ゴミ出しとか、家事をしたからか。そうかもしれない。ただ、家に入った瞬間から疲れたーという感じだった。まぁしかし、ほんとに疲れていたら家事なんてできないだろうから、まぁ余力があったのだろう。
1話のちょうどいい長さ問題
どれぐらいの文章のまとまりがちょうどいいのか、と。小説もそうだし、ブログもそうだし、どんなものなのだろうか、と問題提起。
>一話が長いと、その長い一話を読み切るまでそのウィンドウ閉じられないじゃないですか。しかし俺は集中力クソ雑魚ナメクジなので、そういうのが辛い。一話が短いと、すぐに「もう一旦離脱しても大丈夫やで」みたいなポイントまでたどり着けるので、精神力を消耗しないと言いますか。そして各話のリンクの色が変わるから、ここまで読んだな! じゃあここから! ってしやすい。
といった意見がある。なるほど。一理あると思う。
いろいろ読み方がありそう。自分は作品をある程度まとまった時間に、ある程度まとめて読みたい。2000字って、たぶん5分ぐらいで読める時間だと思われる。(ぐぐると、1分間に400字~600字ぐらいふつー読まれる、とのことだ。小説の場合は、情景をイメージしたりしながら読んだりなので、ニュース的なのよりは、やや遅めな気がする)
すると、まぁその、まとまった時間というのを思い描いたときに、僕は1時間ぐらいをイメージしていたが、まぁ30分あれば結構読めるということだ。
ただ、人間集中力15分説というのもよく聞かれるし、そこからかけざんすれば、2000字’(5分で読める分)×3(15分)で、6000字、となる。そうすると、まぁ僕がなんとなくちょうどいいかなと感じるぐらいの文字数になる。
というのが僕の感覚なのだが、5分くらいで、パラパラ毎日読み進めていく、といったスタイルの人が、どうやら多いのかもしれない(WEB小説界では(?))ので、2000字がちょうどいい、といった結論なのだろう。
ただ、少しくどいけれども、日をまたぐと、やっぱり1話冒頭で、何となく場面が思い出させるような描写(1文、2文程度でも)があるといいような気がする。――と同時に、1話をさらに区切った枝番スタイルでいくならば、「なんかしっくりこないな」というときは前話を読み返せば(2000字で短めだし)よいだろう。
ちなみに、ここまでで、約1000字ぐらいだ。読み飛ばさず読んでも、2分程度で読めることになる。
話題その2
時間を意識する、って、大事なんだな、と、なんとなく当たり前のことを思った。ここまで、調べたりしつつ、20分ぐらい経過した。
20分。2分で読めるものを、20分かけて書いているのだ。なんとなく無駄な気がする!
ちなみに、1分間にスピーチでちょうどいい量も、400字ぐらいだということだ。わざわざタイピングなどしないで、音声メモ的なのにすれば、10分の1ぐらいに時短だ。
ただ絶対、2分でこの内容をしゃべるのは無理だったろう。やっぱりこう、思考しながらタイピングしながら進めるので、こうなんだ、出がらしかもしれないが、何か文字文章が出てくるのである。
あとがき
(かっこ書きである。寝る。寝よう、風呂に入って。温まろう。寒い。少し役に立つかもコーナーというのを以前やっていた。「韜晦」=謙虚であるさま。とうかい、と読む。とか)
今日の一言「25時02分帰宅」
ま、そうなのかもしれない。
しかし、やっぱり自分としては、2000字程度でずががーっと話が並ぶ作品を読もうとは思えない……というか、食わず嫌いよくないので実際読んでみて、やっぱり、スマホで読む分にはクリックしまくりで萎える。萎えた作品を挙げるのは気が引けるのでリンクは特になし。
で、こちらの作品『最強出涸らし皇子の暗躍帝位争い』は、第一章まで読んだけれども、「読める」と思った。1話、3000字~8000字ぐらいである。冒頭の「あらすじ」(簡単な状況説明)もできていると思う。
しかし、コンセプト的に、そんなに興味が惹かれない。文章力あると思うし、これからどんどん面白くなるのかもしれない。ただ、明日も引き続き読むかというと、すでに記憶の彼方にいってしまうかもしれない。――お前何様だ、という感じだが、まぁ正直な気持ちを書いていくのがこのブログの大事なところで、もう一つついでに書けば、「遠藤さんに是非感想書いて欲しいんですッ!」と強いメッセージもらったら喜んで最後まで読んで書くと思う(かっこ笑い)、それぐらいの実力がある作品だと思う。――ぶっちゃけ僕はこんなに書けないと思う――それでもだ、たぶん、最後まで読まない気がする。そんな作品が、WEB小説世界にはたっくさんある。戦国の世である。
まえがき
ちなみに、25時02分帰宅というのは、年はじめに書いた通り、デスクトップPCにログインした時間だ。実際は、ドアノブを捻って家に入ったのはもっと前の時間だ。などというどうでもいい情報を書いてしまうほどに書くことがないのかもしれない。小説家になろう
それで、WEB小説においては、気軽に読めたほうが良いので、2000字でガンガン投稿した方がよいという説があるそうだ。ま、そうなのかもしれない。
しかし、やっぱり自分としては、2000字程度でずががーっと話が並ぶ作品を読もうとは思えない……というか、食わず嫌いよくないので実際読んでみて、やっぱり、スマホで読む分にはクリックしまくりで萎える。萎えた作品を挙げるのは気が引けるのでリンクは特になし。
で、こちらの作品『最強出涸らし皇子の暗躍帝位争い』は、第一章まで読んだけれども、「読める」と思った。1話、3000字~8000字ぐらいである。冒頭の「あらすじ」(簡単な状況説明)もできていると思う。
しかし、コンセプト的に、そんなに興味が惹かれない。文章力あると思うし、これからどんどん面白くなるのかもしれない。ただ、明日も引き続き読むかというと、すでに記憶の彼方にいってしまうかもしれない。――お前何様だ、という感じだが、まぁ正直な気持ちを書いていくのがこのブログの大事なところで、もう一つついでに書けば、「遠藤さんに是非感想書いて欲しいんですッ!」と強いメッセージもらったら喜んで最後まで読んで書くと思う(かっこ笑い)、それぐらいの実力がある作品だと思う。――ぶっちゃけ僕はこんなに書けないと思う――それでもだ、たぶん、最後まで読まない気がする。そんな作品が、WEB小説世界にはたっくさんある。戦国の世である。