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1000字で書くということ(4)
2018/02/14 00:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「前回の記事はなんか恥ずかしい」「傲慢さも感じ取れる」

いい加減自分の人生を生きろ

 まぁ、前回書いた便所の落書きはともかく。
 俺は、これも誤解を恐れず書くけれども、人生、楽しくなきゃ失敗だと思う。
 仕事がどうこうではなくて、俺は、楽しいことがしたいのである。
 しかしこの、「楽しまなきゃならぬ」というのが命題になると、これはこれでかたっ苦しくて重たくて、面倒くさくなる。
 ……んじゃー、結局、「何も考えない!」ってのが正しいんじゃねーのか、このめんどくさいやつめ!
 というか、この、自分の過去をもとにして、卑下したり、評価したり、正当化したりするのも、ほんと嫌なんだ。
 過去とかどーでもいい。今である。今後である。
 今後であるんだけど、どうしても、自分という連続性を考えたとき、過去は切り捨てられないとは思う。自分の身体的限界性に、思考も縛られてしまうように。
 単に「頑張ればいい」ということでもない。
 体制順応的(他の誰かがやってることを自分もやる)でもダメだし、全体主義的(周りの人が自分に欲していることをやる)のでもダメだ。
 人は、人であるのならば、みな、自分の欲するところに自分の人生を生きるべきだ。

かっこつけたいわけじゃない

 ひとはみな――的な書き方をすると、「おめーがいうな」的になってしまうが、しかし、俺は世界がそういった方向に向かってくれることを望んでやまない。
 その、人が人として生きるということを否定するような――自由からの逃避によって全体主義に流れていったヨーロッパや、カンボジア、ポル・ポトの共産主義の理想による大虐殺に、ちっとも戻る傾向がないような、そんな人間性を、誰もが持ってほしいと思う。
 え? かっこつけすぎ? いや割とマジで思う。
 でも、そのためには、みんな、「バカ」じゃあ駄目である。
 みんな、自分で考えなければいけない。人のせいにしちゃあいけない。かといって、独善はだめだ。
 そして、環境(政治や企業体制等々)の誤りは誤りであるとはっきりと主張できなければならない。
 自分の感覚と反する人も認めなければいけない。同性愛者だろうが、独身者であろうが、宗教に入れ込む人だろうが何だろうが認めなければいけない。同時に、公共の福祉に反する場合は駄目だとはっきりと修正を求められるようでなければならない。
 俺は全人類、若い人も年寄りも、だれに対してもそれを望む。
 でもそれは、苦痛であってはならない。
 みんなが、それを目指し、生きていることが、楽しくなければならない。失敗もするだろう。その失敗もあたたかく認められるようにならなければならない。
 酒でもはいって、大言壮語になっているのだろうか? いや俺は大まじめにそう思う。

(かっこ書きである。次回、2/21(水)「幸せな社会のために物語を求む」。ついに次回が感動のフィナーレ! ……感動はしないが多分最後)

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