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過去記事の整理に費やす:半日以上
2017/07/19 17:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「ものすごい生産性がなかった気がする」「整理という仕事は往々にして大変」

2008年~2010年あたりを整理

 非公開として下書きにしていたり、いろんなところに散らばっていた文章をまとめたり、消したり、整理を実施した。
 しかし、まだまだ、60記事以上が残っているし、2011年以降も残っている。

 そもそも、この忍者ブログの検索機能というか、一括編集機能が非常に使いづらかったので、バックアップファイル(MTファイル)を出力して、それを取り込んで編集しようと試みたが、このMTファイルの形式が、非常に使いづらい。CSV形式とかなら良いが、全然保存形式が異なる。なんだこれ、なんでこんなファイルが一般的になっているんだろう……、そうかこれがデファクトスタンダード(よいか悪いか別として、一般に広まったからそれが使われるようになったもの。ウィンドウズとか)ってやつか。

 それで、こんな使いづらいなら、MTファイルを操作するアプリケーションぐらい、ゴロゴロあるだろうと思ったら、ところがどっこい、そんな便利なソフトも全然見つからない。
 なるほど、昨今、ワードプレスとかはやってるし、わざわざ、こんなテキストファイルを直接編集しようなんて考えるやつなどいないのだろう。

 ということで、エクセルとマクロでMTファイルをテキストファイルとして取り込んで、日付とか、本文部分を分離させて、編集しやすいようにするアプリを自作した。

 これを作るのに、1~2時間ぐらいかかった。テキストファイルを読み込むってのも、いろんなやり方があるみたいで、どれが良いかとか考えるとこれまた複雑だった。
 うーん、最近使っていて思ったけれども、エクセルのマクロって、かなり多機能だよな。そもそも、フォルダやファイル操作が自由にできる。ってことで、エクセルのスプレッドシートを使うのを主にしない、デスクトップに余計なファイルを退避フォルダに移動させるアプリも作った。

 とある、これまたよく読んでいるブログさんでも、エクセルのマクロって聞くと、複雑なプログラム言語ができる人は馬鹿にしたりするけど、実はすごいんだぜ、とおっしゃっていて、なるほど、確かにすごいなぁと思った。


 あ、話それた。
 そう、昔の記事の整理だ。

心をえぐられるようなのもちらほら

 最近、なんか、「幸せな気がするけど、なんか変な感じだな~」とか思ったり書いたりしている。

 しかし、自分自身、その感覚に対して違和感を抱いていた。

 その理由が、過去記事読んだりしていて、なんとなく分かってきた。
 いろいろ、引用したい記事は出てきたんだが、今回はとりあえず一つだけ引っ張ってこよう。
先ほど友人から、「お前はもっと人に興味をもつべきだ」とアドバイスされました。「どんだけ自由に生きてるんだ」「自分についてしか興味がないんだろう」とも。  友人がいう次元においては、わたしは「全くその通りだなぁ」と思いました。ここでいう「友人がいう次元」とは、特定の他者、例えば身近な人に対しての情報を、もっと知ろうとするべきだ、ということでしょう。確かにわたしは、誰々が今どんな職業に就いているのか、誰々がどんなものを好きなのか、なんてことを殆ど知りません。というよりも、ご指摘の通り、あまり興味をもてないのです。 ――2009年8月2日
 ひどい友人だ!(笑)

 いや、まぁ、いいたいことも分かる。というか、それを聞いた俺自身も、「あー、やっぱりそうだよねー」と思ったりしていた。この後、

>と、今書いて改めて分かりましたが、本当に、そういうことに興味をもてない。むしろ、何故そんな「普通の人」は、誰々が誰と付き合ったとか、結婚したとか、どこに旅行に行ったとか、そういうことに興味をもてるのか、分かりません。

 とか、そんなことまで書いたりしている。

 でも、違うんだよな。
>それよりも、「お前はもっと人に興味をもつべきだ」という点において少々書きたいと思います。わたしはちゃんと人に興味をもっているのだよ、と、そう言いたいわけです。でも、わたしが興味のあるのは、特定の人ではなく、広い意味での「人」です。認知症や精神病の本など、非常に面白いと思います。

 自分でも当時書いているが、そういうことなのだ。
 人自体に興味がないというわけではない。ただ、「誰それが今何をしている」とか、そんなに興味がないのだ。
 つーか、そういうのって、田舎の近所のおばさま方が、「ねぇ、田中さん(仮名)、知ってる? 高橋さん(仮名)のお子さん、〇〇会社に就職したんですって」的な奴に思ってしまう。なんか、そういうの、いやじゃない? ――いや、俺だけか。

 いや、別に、久々に会った友人と、「お、久しぶり! 最近どうよ! 何してるん?」とかいう会話が無駄だとか嫌いだとか言うんじゃない。それはありだと思うし、興味もある。けど、そんなん、別に常日頃変わっていくだろうし、そんな歴史の授業みたいに記憶するのが必要か? と思う。

 みんな、今を生きてればいいじゃん。過去の話だけだと、結局面白くなくない?(いや、思い出話に花を咲かせるのも、いいことだ。ペルソナ4の夏休みに主人公が、おばあさんの櫛を川の魚から取り戻して、思い出も取り戻してあげる話とかよかったじゃないか)

 まー確かに、だ。その友人は、間違っちゃあいない。確かに、当時、まぁ今もだけど、あんまし、他人に注力できるほど余裕なんてなかった。
 でもさ、「どんだけ自由に生きてるんだよ」「自分にしか興味ないんだろ」って、それはどうなんだ?(笑)
 少なくても、そんなに楽しい思いばっかりしてきたとは到底思えないんだが。


 まぁ、今となって、そんなこと言われたの、すっかり忘れていたけど、こうやって過去の記事を読み返すと、「ああ、そんなことあったかもしれんな!」と感情がよみがえったりもする。

感情を蘇らせるのが良い記事

 ネガティブとか、ポジティブとか、そんなん僕はどうでもいいと思っている。その時々で判断も変わるだろうから。

 けれども、その記事を読んで、何らかの感情が蘇ってくるような記事が、よい記事だと僕は思う。

 それがたとえ、嫌な思い出でも、さ。

 まだまだ、整理がしきっていないけど、今年中に全部整理してしまいたいな。

 こうやって、新しいメモを書くのもいいが、過去も有用に使っていきたいところ。



 いやぁ。しかし、いろいろ、やってきたなぁ。

 オフ会の幹事とかもしたことがあるらしい。すっかり忘れていた。それは、感情は蘇ってこなかった。単純な「記憶」だけ。っていうのは、日記としては有用だろうが、実際どうなんだろ?

 実感が伴わない過去の体験・経験って、役に立つのかな?

 つまり、それを成し遂げたとしても、その成し遂げたのが「自分」と一致させられないということだ。
 赤の他人の業績のようなもの。
 無意識に影響は与えていても、意識下で使うことができない記憶・感情であれば、残念ながらあまり有用じゃない気がする。

ループの罠

 なんつーか、過去の自分に対して、とりあえず、こう、「お疲れ様」っていってあげよっと。他人事みたいだがな。

 無駄な悩みとか、時間を無駄にしたり。もっと頑張れたのかもしれない。
 でも、まぁ、「自分」っていう身体・環境制約の中では、よくやったと思うよ、ほんと。上から目線だな。だが構わない、唯一、上から目線になっても怒られないのが、過去の自分相手だ。

 しっかし、文章量がほんと多いな。中身ないやつとか、意味が完全に壊れている奴とか消していったりもしたけど、まだまだ残ってる。
 過去記事のどっかでも見かけたが、ほんと、ただ書くことは「いくらでも」できる、のかもしれない。確かに、いっつも、「そろそろやめとくか」とか思ってやめてる感じだもんな。これは今も昔もそうだったんだろう。

 いや、それが何の役に立つってんだ、ということも感じたり考えた。
 それで、意識的に、何年か、その思考をとめて、書くこともやめたりもしたりした。
 けれど、それは結局、何の解決にもならなかった――というのは、今このように書いている事実があるからな。


 とはいえ、先日も書いたけれども、「ループ」というのに、どう対処するかってのはある。

 しかし、どうなんだ?

 実際、ループしてんのか?

 確かに螺旋みたいに、ぐるぐるしている気はする。しかし、その階下、上下はしているような気がする。
 いやしかし、それは、周囲の、環境の変化がそう思わせているだけなのかもしれない。

 思考のループ。
 これには対応する必要があるだろう。

 そうだ、そういえば、そのための、今年の目標、「整理」ってのもあるわけだ。

 でも……、どうなんだろ。
 分からない。
 例えば、今回のこの記事は、今までの、どれかと全く同じことを書いているのだろうか?
 この感覚は、今まで感じたことがある何かと同じなんだろうか?

 直感的に、何の根拠もないが、僕は、「違う」と、今思っている。

これからの自分

 さぁ、これからどうすっかなぁ。
 その点が重要である。

 なんか、本当に、ある意味、人生の目標達成したような気分でもあるんだよな。と書くと傲慢なんだけど。
 確か、2008年ぐらいも、最初のうちはそんな風なこと書いていた気がする。
 けど、だんだんおかしくなっていって、2010年ぐらいまでかけて相当気がめいっていくんだよな、確か、そんな年表だった気がする。

 そうすると、過去の自分から敷衍すれば、今、「あー満足満足。幸せじゃなぁ」と思っていても、あと数か月か数年かわからないけれども、どんどんおかしくなっていくのではあるまいか、そんな気がした、今。

 それは本義ではないなぁ。

 それは望まない。もしそんなんなるんだったら、早めに物語の帳をおろしてしまいたいものだ。


「ねぇ。あなた、なんか、やりたいこととか、ないんですか?」

 うーむ。




 ある方のブログで、人生で、重荷を下ろすことはできない、と書かれていた(ほんとは、全文引用したいぐらい良い記事だと思ったんだけど、ブロ主さんが嫌かなぁと思ってやめた)。
 問いが良いんだ。
「重荷を下ろしたら幸せになれるのか」と。

 上に書いた僕の友人の言葉、「人に興味を持つべきだ」というのは、もう少し別の表現をすれば、「他者に対し役に立つ人間であるべきだ」ということでもある。効率的に、役に立つ人間になる。そして自分を高めていく。
 確かに、学校でもバイトでも、会社でも、一般的に良いことだとされることだろう。

 その感覚や、思想や、考え方、それに対して、まっこうから「違う」ということは難しいと思う。これを、なんかの本で、「香山リカ」と「たじまようこ(?)」との対談の決定的な決裂、について書かれていて、なるほどな、と思ったこともあった。
 つまり、「まったり」という生き方について、一切認めることができない人も多いってことだ。

 確かに、自分を高めることで、周囲の人からも「承認」され「所属」欲求も満たされ、人生はよりよくなっていくことだろう。

 俺自身、大した回数でもないが、二の腕を太くしたいと思って筋トレを、270日ぐらいずっと続けている。ストイックであることを否定する気など全然ない。

 ないんだが、――これも、過去記事を整理していて見つけた言葉だが、

「禁欲することは大事だ。けれども、それは主体的でなければならない。他人に強制される禁欲は、「拘束」である」と。
 なんかそんなようなこと書いてた。

 だから――つながってるかわからないが、上の友人の、「自分にしか興味ないんでしょ」というのも、あながち、間違っていないとも思うのだ。確かに俺は、主体的に、「他者」を排除しようとしている節がある。
 他者を認めないとか、自己完結するとか、独善だとか、孤独がいいとか、そういう意味ではない。なんというか、ありふれた表現になってしまうが、「自分の人生は、自分で決める」――決めたい、ってことだ。
 そういう意味では、「他人なんてどうでもいい」と思っているのかもしれない。ただ、こんなん、たんなる表現問題だ。「他人なんてどうでもいい」なんて、そんなはずあるまい。「社会」の中で生きてるんだぜ? アマゾンで注文した商品を届けてくれるのも人なんだぜ?(って話が違うか)

まとめ

 まとまらないだろうが、これまた終わりが見えないから終わらせよう。

 とにかく、過去記事の整理は、物理的時間もかかるし、精神的にもダメージが大きいけれども、まぁ、頑張ろう。頑張るって好きな言葉じゃないけど、ここは頑張ろう。誰の役にも立たない、誰が考えても、見ても無駄なことだと思うけれども、ただ、僕にとっては意味があることだと思う。「お前がそう思うんだったらそうだろうな(笑)」とか言われてもめげない!

 でもさー。

 役に立たなくてもいい、ただ、生きていてくれるだけで、幸せだよ。


 なんて、言ってくれる人、いるんかな。
 親、ぐらいだよな。で、その親も、実際「そう思うべきだ」というのが強制されているってことで、必ずしもそういうわけじゃないとかいう言説もあったり、まったく、この社会はいつからこんなに生きづらさであふれてしまったのだろう。

 でもあれだな。この前書いた、ある精神科医さんの記事で、「大人はなるもんじゃない、やるもんだ」ってのは、まさにそういうことなんだろうなぁとも思う。

 でも……これは、どうなんだ、まだ、結論を出すまでに至れない。
 この考えを正とすれば、とりあえず、相手はともかく、「子供をつくって育てる」というのが、人生にとって最重要である、ということになる。

――結婚している人は偉いのか

 まぁ、僕の知人とか見ていると、子供がいるってのは、いいことだなぁとも思ったりもする。
 うらやましいなぁと思っていないか、というと、それもあるかもしれない。


 そもそも、なんか俺はやりたいこととかあるのか。
 別にないなら、子育てぐらいしてもいいんじゃねえか。……って書くと、苦労している諸先輩方に石を投げられるわけだが。そんなテキトーな思いでできるほど子育ては甘くない! って。

 でも、そういった言説も俺は疑問である。
 そんな、立派な親ばっかりか? 車の中に子供おきざりにしてパチンコいってる親だっているし、まともに愛情もそそがないで仕事とか異性関係に興じる人だって少なくなかろう(少ないの?)。

 初めから立派な親なんていないし、そもそも、親が少しぐらい立派じゃなくても、立派な子供が育つような社会であるべきなんじゃねーの、と俺は思うが、まぁ、そんな、結局、独身で子供も育てたことないような俺の意見や感想なんて、誰も耳をかすまい。そう、「経験」ってのは、大いに、「マウントポジション」をとれる強い武器なのだ。

 ……って、やっぱりまとまんねーじゃねーか! というか、まとめる気ないだろ、俺……。


(あー、もう、休日に、なんでこう、自ら陰鬱になるようなことしてんすかね~。ま、悩んでる俺、かっこいいとか思っちゃってんのかね。きんも~☆)

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