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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
身の程を知るということ(攻めと守りの人生)
今日の一言「神々や巨人の戦いに関するべきではない」「卑屈になりゃいいってわけでもない」

知識人のバトルは面白い

 商業的な意味におけるテレビ討論なんて、何ら価値がないと思っている。もちろん、「何ら」なんてのは修辞表現に過ぎず、「商業的」に意味があるんだから、価値が全くないはずもない。

 そんなことはさておき、僕がすげーなーって思うある精神科医さんのブログに対して、これまたすげーなーって思う漫画家さんの人が自身のブログで記事コメントをしていて非常に面白かった。

 お二方とも、それなりのご職業についているわけで、こんなインターネット界隈で論争してても、然程の経済的価値は生み出さないだろう。もちろん、知名度とか、アフィリエイト的な価値を無視するわけではないが、そういったことよりも、むしろ彼らは、「自身の主張」をすることに価値を重きしていることが、何となく伝わってくる。



 僕も、同じ作品をみた「仲間」であるので、色々と思うところや言いたいことが生じるのであるが、もうそこらへんは、天上世界の戦いということで、楽しく拝見させて頂くのみである。

 この感覚。
 これを、先日僕が批判的に書いた、ボクシングとか野球とかの観戦に、自らが参加するでもなく熱中できる人たちの感覚であるのだと、そう表現して構わなければ、僕は先日の言葉を撤回する必要があるかもしれない。
(ただそれは、注釈で書いた通り、「自分がそのスポーツをする際の参考となるだろう意味において」と考えれば、敢えて撤回するほどのことでもない)

本音のコミュニケーション

 話は唐突に変わる。
 アラビアの夜の種族。
 第一巻が届く。読み始める。想像していたもの、思っていたものとは違っていたが、面白そうである。一巻の半分ぐらい読んだあたりで、続巻を買うか決めよう。


 話は唐突に変わる。

 明るい記事を書こう。このブログを開始してから、一年ぐらい経つ。結果的に、書き続けてきて良かったなと思う。

 素晴らしい人たちに出会えたことは、何より大切なものである。この出会えたというのは、初めて接触したという意味だけではなく、コメントなどを頂くことによって、その表現や思考に触れることができたこと、そのこと自体もさしている。

 僕が求めていたコミュニケーションのカタチが、そこにあった。

 他者にあわせて、同調するコミュニケーションは、ホモサピエンスの進化の源でもあり、否定されるものではない。けれども、単なる生きることや、楽しむことを目的としたコミュニケーションを、僕は求めていなかった。
 と、書くと、僕の周りの人全員が、享楽的な考えしかもっていないような感じになるけれども、意図はそうではない。対面コミュニケーションの限界、である。いやもちろん、「本音を言い合える仲」の友人を、ちゃんとつくっていないということに批判は当然あるだろう。けれども、そういった仲の友人がいないというのが問題ではなく、「本音を、好きな時に好きなように言える」ということが僕が求めていたものであったのだ。

 そんな、小学生じみた思いを抱き続けているなど、なんと惨めで矮小な人間であるのか。

 それは致し方ないと思ってきている。僕は、意味を求めてしまった。求めるしかないような状態におかれてしまった。
 まさに、僕が、こういったことを思い、書く、その過程そのものが、「生きるということの重荷の積み下ろし」な気もしてくる。

労働と人生について

 ある方が、自身の生き方に関するブログ記事を書き始めている。データが消失するなど、困難にも直面しつつ、少しずつ書き進めているようだ。

 たぶん、僕なんかよりもコミュニケーション能力があって、できることも多くて、頭の回転も速いような人である。

 しかし、そんな人でも、行き詰って、悩んだりするのである。いわんや、僕は。

数日経って

 いろいろと書きたいことが発生す。

・dotamaさんというラッパーについて
PCと人間のバトル動画

・オルフェンズ2期8話「火星の王」におけるタカキくんの選択

・ ・・・

 いざ書こうとすると思い出せない。そういうもんか。

 ウォッチしているブログさんが30を超えた。こうなってくると、もっと精査してもよいかなという気になってくる。更新頻度とか、内容とか。
 すごーい良いと思う記事を書いてくださるかたであっても、頻度が一年に一回であれば、ウォッチリスト(更新チェッカー)に入れておくのも微妙な気がしてくる。

 かずうちゃあたる、じゃあないが、量はときどき、質を凌駕する場合があることを忘れてはならない。

 んでまー、その、内容的な精査をするにあたって、「同じことを繰り返し」書かれているブログさんは、整理対象になるだろう。
 しかし、この「繰り返し」とは、決して、「結論」が同じという意味ではない。

 上の、dotamaさんという方のことは、まさにいつも訪問させて頂いているブログさんで取り上げられていたから知った。ラップとか、ほとんど聞いたこともないし興味もなかったが、面白いと思った。
 ブラックサンダーの動画とか、これ、いいなぁ。めっちゃ笑ったけど考えさせられた。いやなんかこれ、結局非リア負けてねぇか? と思いながら全4エピソードみて、最後のエピソードのエンディングがよくまとまっていると思った。是非続きがあったら見たい作品の一つとなったのであった……。

結論ではなくその表現(プロセス)の重要性

 話がずれた、そう、結論は特に気にならない。
 恋人に先立たれて苦しんでいる人、婚活で彼氏を見つけて愛をはぐくんでる人、いろいろいらっしゃる。その毎日に、劇的なイベントがあるわけではない。たいてい、僕らの人生の毎日など、似たようなことの繰り返しである。(※1)

 様々な作品だって同じである。主人公たちの毎日を、事細かにピックアップしたって、面白い作品にはならない。筋トレ修行シーンを、365日流されても、なんじゃそりゃとなる。


 大事なのはプロセスである、と先日書いたけれども、もう一つ、「表現」も重要である。

・ああ、つらい、つらい、もう人生やっていけない。死んだほうがましだ、俺なんてダメな奴だ
 
 そんなネガティブな人を、僕は嫌いではない。(※2)
 ネガティブな女の子とか可愛いと思う。本当の意味でのリア充、イケメンは、当然それだけで価値があるのだけれども、いわんや人は、強くもあり弱くもあるので、であるならば、「ネガティブ」の人の方が、他者の痛みや思いやりを分かっている、そんな風に思うのだ。(決して、ポジティブの人が思いやりがないというわけではない。(※4))


 というわけで、ネガティブな記事が面白くないとか、駄目だとか、ブクマはずそうとか、そういう意味ではない。
 ただ、その結論に至るまでの表現が、常に同じものであったときに、その価値は急速に失われていく。(壊れたレコード)

少し脱線(AIについて)

 人工知能に期待している面もあるが、それがビジネスに役立てる意味に向いているうちは、十分な興味をもてない。というのは、人工知能とは、以下の二つの解釈ができるからである。

1.既存の問題を効率よく解決すること

2.成長すること


 1.がビジネス的には役に立つことである。ここでいう「既存の問題」というのは、ディープラーニングのように、新しい概念を提示(医療・介護のプランを提示したりとか、ビッグデータからマーケティングの特徴を提示するとか)できる場合も含めて考えている。

 2.の方が、僕が期待している部分だけれども、僕らの言ったことを「理解」し、それを「解釈」し、新しい「経験」としてインプットし、それをもとに新しい「アウトプット」を行うということ。これが、より「汎用的な」部分で可能になること。そんなことを期待している。
 それって、じゃあ、何かに役に立つのか、というと、たぶん、エンターテイメント的な意味でしか役に立たなそうだけれども。



※1蛇足:だからこそ、僕は、少しでも違った風にしたくて、何か書きたくなるのかもしれないが)

※2:この表現について、ある方は、「そりゃあな、ネガティブとか、底辺の人間のブログとかに人気があるのは、そいつをみてると、落ち着くからだ。安心感があるからだ」と看破されている。非常に鋭い。けれども、この感覚(※3)をもってしまうというのは、それだけで人生つらい可能性がある。

※3:自分の感覚を、同時に客観視してしまうことは、必ずしも良いことではない

※4:ポジティブの人の思いやりは、その純粋性において価値があるけれども、それは天性の感覚のようでもある。ネガティブの人は、その「痛み」(=実感)があるがゆえに、それを避けようと考える場合がある。それはとても論理的な、人間的な行為に思えるのである。まぁもっとも、その痛みゆえに、他者に対して攻撃的になったり、自分自身を攻め続けて潰れてしまう場合だってあるわけなので、ネガティブも手放しで肯定することはできない。(長々書いているが、当たり前のことである。しかし、明確に表現しておくことに重要性がある)

同じことしか表現されないのはAIにも劣る

 ちょっと辛辣な表現を敢えてすれば、「ある事象」に対して、繰り返し同じ感情を抱き(ここまでは良い)、同じアウトプット(愚痴だとか、実質的暴力だとか)しかできないのは、動物と同じである。知能がある、とは言い難い。

 上に書いてきたように、僕は、ネガティブだろうが、ポジティブだろうが、そんなことはどっちでもいいと思っているけれども、「変化」(ここでいう変化は、自己と、それを取り巻く環境の両面を含む)がなければ、面白いとは思えない。


 すぐさま、書いておくべきは、その変化が、先日書いた「攻めの人生」と一致してはいないということである。

 先日、「鉄血のオルフェンズでは、特に興味があるキャラクターがいなかった」と書いたけれども、それは撤回したい。妹を学校にいれてあげたいという思いから民間軍事会社に就職したタカキくんという男の子は、一期では「ふーん」ぐらいだったけれども、二期ではとてもかっこよかった(敵に利用され、その判断は、結果的に間違っていたわけだけれども)。
 2期8話目で、彼は大きな決断をするわけだけれども、その決断が、他の仲間たちの方向性とも異なっていて、けれども、とても説得力もあってよかった。この辺りは、機会があれば改めて書いてみたいと思う。――この作品、僕はもう、この8話目が最終話でもいいんじゃないかと思うぐらい良かった(かっこわらい)。


 話はずれたが、「変化」ってのは、どんな場面や生き方でもできるもんである。
「攻めの人生」というのは、先日の記事で便宜上表現しただけだが、じゃあ、「守りの人生」と呼ぶべきものがあったとして、それは、「変化」なくしてやってけるものなのか? ということだ。

 守ったって、攻めたって、どっちみち変化は避けられないのである。(というのを、また宗教臭くなって嫌だと思う人も多いだろうが、「諸行無常」と言ったりする)


 長くなったので、この辺にしておきたい。ダラダラとであれば、まだしばらく書き続けられそうだけれども、「変化」という意味で、もう少し今後は、まとまりのある文章を書きたいものである。


(思い出した、そういえば、「定義する」ということ、それ自体について書こうと思ったんだった。まぁとにかくオルフェンズは最後まで見よう)




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