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離婚を突き付けられた30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
目的追及の自己目的化について
今日の一言「今週はほぼ24時帰りばかりで書く時間が取れないよ!」「寝てない(忙しい)自慢乙」

衝撃的体験から時間が過ぎ

 15分ぐらいしか時間が取れなそうだ。しかし、そろそろ、メモでも何でも書いておかないと、せっかくの感動的、衝撃的体験がどんどん失われていく。いやまぁ、書いたところで、その瞬間的な感動は、残しておくすべは殆どないのだけれども。
 ただ、感動そのものの保持、ではなく、感動したというその事実と、それにまつわる状況の書留は、これは非常に有効である。若いうちは、がむしゃらに経験を重ねることも重要だ。しかし、いい歳した大人になってくると、経験できる時間もリソース(体力的、精神的な)も限られてくる。脳科学的にも、思考とは、繰り返し同じことを考え続けることで、感動、価値観や信念といった強固なものが生み出されるという。その意味において、ブログとか、書く、という行為は、非常に有用であるのだ。

他者が描く自己の表現の貴重さ

 メモ、メモ。スマホのメモ帳に殴り書きした一部。
「人生で一生覚えているだろう、衝撃的な体験。快哉!
 ああ、素晴らしい。やられた。この、自分自身について、完全なる言語表現をされること! この感覚を、僕はずっと待ち望んでいたのかもしれない。これが、僕が求め続けて、えられなかった、希っていた感覚なのか。
 思考すること自体を止められない。それは、大衆に埋没することへの恐怖。自分自身失うのではという恐怖。
 一方で、協調しなければいけないという、常識への憧れ。
 この二つに引き裂かれながら、目標を定めては行動し、解決してはまた悩み、それを繰り返している。
 まさにそのとおり。
 この、自分自身をずっと追い求める心性をなんというか?
 青い鳥症候群という。
 青い鳥症候群は、本当の自分はこれじゃないと、あちらこちら自分勝手に生きて、自立できないひとのことである。
 高校時代ぐらいからずっとそうだ。
 ずっと、自分は何か、なりたいものは? やりたいことは? 夢は?
 ずっと考えていた。でもわからなかった。とりあえず勉強した。大学にいった。よくわからなかった。とりあえず楽しんだ。よくわからない、就職しよう。した。でもやっぱり分からなかった。
 ここで、本気で考えてないとか、本気で取り組んでないとか、そんな批判は、あまり意味がない。その時点で僕は、僕レベルの次元では本気だった。
 感情もコントロールしていた。青い鳥症候群のけいこうもわかっていたから、協調性を大事にしたし、答えを出さずにずっと甘えてばかりいるというのも、やめた。独り暮らしして、生活した。仕事してお金を稼いだ。
 結局、それらの方法では、僕の、生きる意味は、見つからなかったのだ。
 僕は、考え続け、悩み続けることを目的としているという。
 そうなんだろう。
 なるほどねぇ」

 最初のコメントを読んだ時点で、「生きる意味の定義かぁ……」と、ずーっと一日考えていて、「そうだなぁ、『ぶれない価値観』とかかなぁ」とか思っていたら、話しが飛躍して仰天途端に昂揚した。(当ブログに頂いたコメントもそうだけれども、僕のあるブログコメントへの返信として、いやー遠藤さんが読んでくれるってのも意味ありますわ~と頂いたのも同時期で、ああ何と嬉しいのだろうと思った)

生きる意味の追求が自己目的化している

「遠藤くんは、考えることそれ自体を生きる意味にしたいんだろうね」

 これはまさに、僕が最近(というかこれまでも)ずっと書き続けてきた内容の、正確な描写であると思う。
 一方で、しばらく時間が経って、コメントなどを、二回、三回と音読(ルーチンの音読に組み入れるほど頂いたコメントが気に入った)しているうちに、「違う点」も見えてきた。


 これは、またいつもの「逃げ」な思考ではあるが、「ある次元」においては、正確でありながら、一つ足りない部分があるのである。それは、「考えること自体を意味にすること」自体が、それで「思考停止」にならざるえない状況をつくれるとは、思えない、という点だ。分かりにくいな! これは、今後、2017年ぐらいの長期目標で分解していけたらよいと思うが、簡単に、簡単に書こうと頑張ってみれば、

 考えること自体が目的

 なのではなく、やはり、「幸せ」「涅槃」「充足」とかいった、そんな状態を目指しているのである。(究極にポジティブ思考でしかありえないのだ、的な表現をしている時が、その際の感覚)

 思考停止、というと、否定的な意味に思ってしまうが、僕は否定語も肯定語も、その本質的な意味を捉えようと頭が動いてしまう(というのは、例えば「今日は仕事がまぁまぁ上手くいった! よかった!」という感覚になったと、ほぼ同時に、瞬間的に、「ダメだった点」「もっと頑張れた点」などが想起されるのである。これをストイックという肯定的な語で表現すれば、頑張り屋さんだね、みたいに言ってもいいだろうが、僕自身は、この思考傾向が、単にアホ(病的)なだけだと思ってしまう)。しかし、僕が求めているのは、まさにその、「思考停止」状態なのだ。思考停止を換言してみれば、只管打座とか言っていい。あるでもなく、ないでもなく、ただあるがままを、「空(くう)」なりと見詰める、と言ってもいい。

目的志向と生きる意味

 上のメモにおいて、「青い鳥症候群」という表現が浮かんだことが読み取れる。
 つまり、「幸せとは~」と探し求めて、ボロボロになって、失意の中で家にかえってみたら、あれ、うちのなかに幸せおったやん! というたとえ話であり、僕はまさにその旅路の中にいるのではないか、と思ったのだ。

 ただこの状態については、2008年初期ぐらいの記事を読んで見れば、まさに、同じようなことを書いていて、「いやぁ、まぁ何かいろいろあるけれど、今がとっても幸せだなぁ」としみじみ書いているのである。
 あれは、きっと……いや、間違いなく、あの頃はあのころで、本気でそう思っていたのだ。「幸せ」、であったのだ。それは決して、すべての問題が解決し、悟りを開いたとか、そういうわけではなかった。ただ、人生というもの、そのものが明るく、前向きにとらえられ、将来起こるであろういかなる不安についても、どうにかなる、達成できるという強い思い、生きがいに満ち溢れていた状態であったのである。

 僕は、その境地に戻ることが、恐らくできる。ただ一方で、もうきっと、できない、のである。物足りなくなっているのだ、きっと。もっと深いところまで、入り込んでいきたいと思っているのだ、きっと。

 科学者は思考に答えをもとめる。哲学者は思考に答えをもとめない。
 結論を出そうとするか、そうではないかという考えというか、話し、なるほどなぁと感動したものである。
 今まさに、「凡人(一般大衆に溶け込もうとすること)への憧れ」と、「超人(既存の枠組みに取り入れられてしまって自己を失うことへの恐怖)」について、僕は両面の思いを抱き、双方に引き裂かれそうになっているのであるが、しかしその綱引きについて、僕は、いつまでも引っ張り合っていてもらおうとは思っていないのである。

答えが欲しい、けど足りない

 俺は、まさに、これである、と、自信をもって言いたい。
 それが例え、過去の自分を否定することになろうとも、その人生の終わりの際に、ああ、実り多き人生だったと、「実感レベル」で感じていきたい。
 しかし同時に、傲岸不遜で強欲であるが、「終わりよければすべてよし」的な思考も大否定したい。その、目的へのプロセス、道筋、道すがらすべて、その目的自体であることを望んでやまない。

 ……あおぉう、時間切れ、うーむ、上の記述は、コメント頂いたことへの反論にうつるだろうか? むしろ僕の感動の表現になるはずなのだが、上手く言っているとは思えない。この難しさがまた、逆に面白いと、楽しいと、本気で思ったのであるが……そうやって書くと、やっぱりその書くこと、考えること、思考すること、目的を求めることそれ自体を目的としようとしている、としか思えない表現なのだけれども、何だか、ちょっと違うんだよなぁ。


 うん、それはまぁともかく、今年の目標はかなり明確になってきた。やっぱり、本気で部屋の片づけ(整理整頓)と、思考の体系化だな。なんか、久しぶりに本気になれそうな気がする。これはもう、本当にあの素晴らしきお三方の賜物でござる。素晴らしい、人間素晴らしい。(という本気の感覚と同時に、瞬時に、「あーってことは、やっぱり普段思っている、『ありがとうございます!』的な俺の気持ちってのは、『社交辞令』的なレベルなんだなぁ。冷たい人間だなぁ」とか浮かぶのである。Aという事象に対して、A´もしくは、Aの反対が浮かぶというのは、決して、Aという事柄が「嘘」というわけではないのだけれども、「気持ち悪いなサイコ野郎!」と言われるというのは、まぁこれは仕方がないのかもしれない。でも嘘じゃないんだ、ああ、本気なんだ、でも誰も分かってくれない! ああ、もう人間なんて!(かっこわらい))

ロゴセラピー

 ちょうど、そんなこんなで電車の中で考えていたら、こんな記事を見つけた。

「人生」に「意味」を求めることのリスク。ヴィクトール・エミール・フランクルの「ロゴセラピー(実存療法)」の副作用。

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n16560

 これまたすごい記事だ。

 すごすぎて、こんな、名も無き人の記事がすごすぎて、

 逆にこういったことが、僕の考える「問題」のまさにその原因なのだけど、

 ただ、その問題(もう時間オーバーだ! でも、簡単にメモしとくとだな、その、価値の選択(意味)がものすごく沢山になってしまったため、それが逆に選べなくなっていることが、反転した目的喪失の原因なのだということ)について、まさに自己言及的に記述されていて、もうまいっちまったぜ!

 というわけで(いや、この接続詞もおかしい)、何か批判の対象ではあるんだけど、
 ヴィクトール・エミール・フランクルさんのロゴセラピーの本をアマゾンで購入。4500円ぐらいした。すげー衝動買いだ。精神が昂っている時は、お金の使い方に気を付けましょう(何の話だ……もうほんと時間切れ)。











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No Title
 この件に関してはまたコメントしたいなと思っていたのですが、あれこれ考えているうちにこんなに間が開いてしまいました(ノ∀`)

 思ったのは、多くの人が思考を巡らせて答えを見つけた時に、
「あぁ、ゴールが見えた。辿り着いたぞ、よし終わり!」
 となるのに対し、遠藤さんの場合は、
「ゴールが見えてきたけれど、何だか物足りない。思ったよりもゴールテープが低い位置にある気がする。もっと先に、あるいは別の方向にはまた違う満足の行くゴールがあるんじゃなかろうか」
 と、こんな感じになっているような印象を受けています。
 考えること自体を目的に、というよりは一度出した答えに対して、「ひとまず答えが出た。この答えが出せるということは、それよりも良い答えが出せるのでは? もっと良い答えがあるのでは?」と常に考えてしまうが故に、「答えが欲しい、けど足りない」となっているのではないかな、と思ったわけです。
 ハードルを飛び越えながら、その先に自分でハードルをまた置いて飛び越えて、を繰り返しているイメージと言いましょうか。そのハードルも、大きさや形もその時その時で違っていたり、置く方向も違っていたりするような感じで。
延々続くハードル
コメントありがとうございます!

>「ゴールが見えてきたけれど、何だか物足りない。思ったよりもゴールテープが低い位置にある気がする。もっと先に、あるいは別の方向にはまた違う満足の行くゴールがあるんじゃなかろうか」

あーこれ、いったんゴールテープ切ってそういった発想になっているならまだマシですが、私の場合、「あーゴールっぽいなーでも微妙だなー」と、ゴール手前であらぬ方向へ走ってしまうようなこともある気がします。これは完全ダメなパターンですね……。気をつけねば。

そもそも、そのハードル(目的とか目標)が、仮置きみたいなイメージにしかなっていないのがいけないんだろうなぁというのが、最近の記事で書いている傾向ですが、中々確固とした道筋が見えないのが正直なところであります。

白銀さんはどんな人生への目的や目標をお持ちなのでしょうか……。人に語れないものもあると思いますが、もし宜しければ参考にお伺いしたいです。


ちなみに、あまり関係ありませんが、欲望の希薄化という問題も一つ解決すべきかなぁと思っております。
そもそも、欲望とは、「苦」という状態において、「楽」を目指したいと思うプロセスにおいて発生するものと思います。しかし、そもそも、明白な「苦」、動かしがたい、解決しがたい「苦」がしっかりと認識していなければ、「楽」の方向性すら見えない。結果、欲望も発生しない、と。

なので、先日だかいつだか書いた記事において、恋人がいないとかお金が無いとか仕事がないとか友人がいないだとか、そういった明確な「無い」が「ある」状態というのは、未だに絶望していない、幸せになれる可能性があるのだ、と……。
  • 遠藤 さん |
  • 2017/01/31 (21:49) |
  • Edit |
  • 返信
No Title
>あーこれ、いったんゴールテープ切ってそういった発想になっているならまだマシですが……
 既にお気付きかとは思いますが、良く読んで下さいな。「ゴールテープ切って」とは一切書いてないですよ、ちゃんと予防線張っておきました!(笑)

 とまぁそれはさておき。
 私の人生への目的、目標ですか……。
 中高生ぐらいの時期(応募作品バリバリ書いてた時期)なんかは、「賞を取って自分の書いた作品を世に出す」ことがそれに近かったかもしれません。自惚れもありましたが、「自分以下の文章力・発想力の作品が賞を取れていることもあるんだから自分ならもっと面白いものが書ける」と。
 それが時が経つにつれて、難しいと理解してからは、目的・目標とは違ってきた気がしますね。
 ただ、本質的に変わっていないと思うのは「自分が生きていたことを、何かしらの形でこの世界に残したい」という点でしょうか。
 とはいえ、ある種これはもう達成できていたりします。
 友人と遊んで彼らの記憶に残り、インターネット上で創作物を公開し、投稿し、感想や批評を言い合い、こうやってブログにコメントも残し、オンラインゲームで顔も知らない人たちと遊んで。
 何かしら私という存在を主張するもの、記憶されるもの、は程度はともかく残せているんじゃないかな、と。
 この上で、恋人が出来て、家庭を築いて、子供が残せたら、生物的には完璧ですね。現状、彼女とかできる気がしないんですけれど(苦笑)
 理想を言えば、商業的に正式な形で世に作品を出してそれ関連で成功したい、という思いは未だにあります。
 根本的には自己肯定願望でしょうか。この世界に自分はいてもいいのか、その他大勢ではない私自身という存在を認めて欲しい、認められたい、肯定して欲しい。
 それを創作活動の中で主張しているところはあるかもしれません。

 まぁ、後はぶっちゃけてしまうとダメ人間なところなんですが、「怠惰に生きていけたらいいな」なんて思ってもいますね。
 自分のやりたいと思う(興味のある)ことがある程度出来るなら、他は割とどうでもよくて、楽な方へ流れたい。
 ゲーム、マンガ、アニメ、創作、そいったエンターテイメントにある程度不自由しない生活ができればそれでいいかなと思っている節はあります。
 ある種妥協してしまっているというか、今を楽しめている部分があるからいいかな、という感覚でしょうか。
 深く考えることもできますし、そうすることもありますが、「めんどくせぇ、細けぇことはいいんだよ、楽しいと思えたら何でかなんて今はどうでもいい、楽しいと思えているうちに楽しまないと損だ!」ってことかもしれません。
敵前逃亡は重罪だぞ!
>既にお気付きかとは思いますが、良く読んで下さいな。「ゴールテープ切って」とは一切書いてないですよ、ちゃんと予防線張っておきました!(笑)

 いやー、やっぱりそういうことでしたかぁ(放心)。これは心底ぐさっとキました……。やっぱりゴール直前で逃げ出している卑屈野郎に見えますわなぁ……。
 よし! もっと頑張ります(白目)! もうちっと目標を明確化して、ぶっちぎりでゴールテープ破ってやりますよ!

 とまぁそれはさておき。


>人生への目的、目標
>本質的に変わっていないと思うのは「自分が生きていたことを、何かしらの形でこの世界に残したい」という点

 むむぅ……かっこいいなぁ。
 ちょっとこのあたりは、まさにこのブログのテーマというか、それこそ「価値」の一つと関係するので、また本記事の方などでも触れていくことになると思います。
 ありがとうございます。しっかり拝読いたしました。
  • 遠藤 さん |
  • 2017/02/03 (23:40) |
  • Edit |
  • 返信
逃亡とは違うような
>心底グサっと
 私自身の書き方が悪かったかもしれませんが、逃亡している印象はあんまりないんですよね。
 今回の例で言うと、「そもそも、最初からそのゴールを目指して走り出していたのか? 走り出した時点で想定するゴールは見通せていたのか?(=そもそもゴールがあるという前提のもとで走り出していたのか)」という部分自体が曖昧で、「とりあえず見えてきたゴールに、周りの人たち同様インすることはできる」としつつも「自分の思うゴールはこれとは何か違うんだよなぁ……」と、「一旦ゴールすることもなく、違うゴールを探しに別のルートに行ってしまう」といった印象で、逃げるというよりは、わざわざ険しい方に、遠回りするように、向きを変えて延々とゴールを探し求めて走り続けているような印象と言いますか。

 私からすれば卑屈だなんて思う以前に、「自分から進んで走る距離を伸ばして凄いなぁ」ぐらいの感覚ですよ。

>人生の目標
 補足しておくと、私はかなり妥協できてしまっていると思います。
 なりたい形みたいなものはあるものの、そこに向かう努力をしても必ず報われるわけではなく、報われない可能性の方が圧倒的に多い。中高生時代は「それでも!」と思っていたところはありましたが、大学を経て、就職活動に失敗などしたりしているうちに現実に打ちのめされて、そういった熱意は磨り減ってしまった気がします。それでも完全に消えてしまわず、燻っている状態でしょうか。
 自分の思い通りにならないことに不満を抱いたりもしますが、「結果はもうなるようにしかならない」と半ば諦めて達観してしまっているところがありますね。
劣等感が引き起こす負の感情
>逃亡とは違うような
>心底グサっと
>逃げるというよりは、わざわざ険しい方に、遠回りするように、向きを変えて延々とゴールを探し求めて走り続けているような印象と言いますか。

 白銀さんコメントありがとうございます。いやぁ、自分でフラフラした人間だなぁと思っていたため、正鵠を射貫かれた感じでございました。
 多分、日常をかりそめのものとしか感じられていない面があるのだと思います。それはまさしく自分の人生からの「逃げ」という表現がしっくりくるのではないかなぁと。
 その上で、そのことを認めないで、「日々をしっかりと生きる!」とかいう言葉は上滑りというか、五臓六腑に染み渡ることが逆にないと思いますので、まぁ「回り道しているなぁ」とか「無駄なことしているなぁ」という印象は多分与えてしまうのですが、もはやこれは遠回りというよりも、むしろ、通るべき道をこれまで避けていただけなような気もしているのです。
  • 遠藤 さん |
  • 2017/02/11 (13:02) |
  • Edit |
  • 返信
なるようになる
>人生の目標
>自分の思い通りにならないことに不満を抱いたりもしますが、「結果はもうなるようにしかならない」と半ば諦めて達観してしまっているところがありますね。

 白銀さんコメントありがとうございます。
 努力が無意味だとか無駄だとか、そんな擦れたことを思うわけではありませんが、「なるようになる」というのはまさに思うところです。
 問題があるとすれば、「なるように『しかならない』」というのと、「なるようになる」というのは、「諦念」という意味が含まれているのは同じように思われますが、前者と後者で若干ポジティブ具合が違いそうだな、という点。
 もう一つは、あんまりたんまり「アンコントロール感」が強まってしまうと、無気力感(アパシー)になってしまうこと、と思います。
 まぁこの2点は、白銀さんには無縁に思われますので、自分への戒めにしておきます(白濁した目)。
  • 遠藤 さん |
  • 2017/02/12 (06:35) |
  • Edit |
  • 返信
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