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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
生活の変化
今日の一言「優柔不断」

 生活環境が、また変わろうとしている。
 簡単に書けば、今年の最初の方に元に戻るわけだ。

 もうちょっと自分を考える時間を作ろう。

 何が大切で、何が譲れないか、ちゃんと言葉にできるようになろう。

 決められなかった。大事なことを。
 別に、自分をよく見せたいとか思わないけれど、誤解されるのは非常に怖い。

 他者への信頼感ってのがあんまないのか。
 どうして決められなかったのか。
 でも、流されたくなかった。感情を信じられなかった。
 感情じゃないんだ。
 理性的に、論理的に、という表現は気持ち悪いが。

 でも、感情は、儚いんだ。
 ハードルがあるんだ。



 感覚的に生きることは、悪くない、というか、畢竟すれば、極端に言えば、感覚的にしか人は生きれない。
 論理やルールというのは、人が心地よく過ごすために編み出した技術なんだから。

 人が幸せになれないルールなんて、何の意味があるのか、ない、けれども、ルールがあるという事実だけがルールたらしめる場合があるから複雑なんだが、まぁ、単純に考えるなら、人は感情的に、感覚的に生きたって何ら問題はない。



 それを前提において、書けば、その感覚なんてものは、あまりにも儚くて、信頼性がおけないものである。

 そういう意味では、お金とか、物的なものは安全だ。しかし、それは単なる道具に過ぎないというアンビバレンス。



 好きだという現時点の気持ちがいくら本当で、真実でも、それは、僕は……。




 僕の思考の師匠が言っていた。「信じるしかない」のだと。
 でも、僕は、師匠ほどの人間じゃない。師匠は、「神になれ」といっていた。僕は……。



 こんなポエムみたいな記事、数年後には、僕は、黒歴史だと頭を抱えるのだろうか。
 ヤフージオシティーズが閉鎖されるというニュースを見た。
 賛否あったけれども、パスワードを忘れてそもそもログインできない人が、むしろ黒歴史だから消えてくれてよかった、とコメントしたりしていた。

 僕も、高校生ぐらいの日記、ログは、きっと、赤面する表現があるかもしれない、が。
 それでも、「なかったことにしてはいけない」と思うんだけど、違うかな。

 過去の、つらかった経験も、かなしかったことも、苦しかったことも、全部、引き受けないと、「人生」の意味はあるんだろうか、と思う。僕は。

 シロクマさんもブログで言ってた。懐古主義、と揶揄されるかもしれない。
 でも、その黒歴史って、何故生まれたんだろうか。
 何故恥ずかしいと、今なら思うような、「熱い」ポエムを、わざわざホームページにつづるような熱量が生じたんだろうか。

 その表現は稚拙かもしれない。
 でも、そこに表現したかった「思い」ってのは、きっと大事なものなんじゃないかって、そう思うのだ。

大事にするもの

 なんの話だって。読む人を考えない独善さは、まったく許しがたいものだろう、そしてそれは、未来の自分にとっても同様である。

 書くこと、を大事にしたい。

 生活環境の変化は、大きな変化は、そもそも、高校生ぐらいからホームページを運営してきたことからすれば、何度もあった。
 そのうちで、こんな「思考」を捨て去ろうとしたことも、2回はある。
 1回目は、大学生のとき。それは、社会人になって働き始めて数か月でやめた。
 2回目は、結婚したとき。それも、数年してやめた。

 
 人は、忘れる生き物だ。
 それは感情も。記憶も。
 でも、過日、やっぱり、「決めることができなかった」ことで、感情も記憶も、「引き出せなくなっている」だけで、自分を構成する要素としては、なくなってなどいない、ということを強く感じた。涙と一緒に、やっぱり、そうだって感じた。

 なくなってなどいない。
 なくなっていない、のではない。むしろ、なかったことにしてはいけないのだ。

匿名性

 多分、多くの人に理解されないことだろうけれども、対面的なコミュニケーションだけが重要なんじゃないと、僕は思うのである。

 繰り返し書くけれども、僕は、高校生ぐらいからインターネットを使っている。
 そこで出会った人たちで、実際にあったことがある人も、多くはないけれどもいる。その中で、連絡がつかなくなった人もいれば、今でも交流がある人がいる。

 それらの出会った人々と、会社の同僚と、どちらが大事か、なんて、「私と仕事どっちが大事なの!」という愚問と同様だ。――どっちも重要だ。
 よくある批判的言動において、ネットの人たちは、いざというときに助けてくれない、という。
 くだらん。
 現実の人たちがどれほど役に立つのか、という問題が一つと、僕が本当に精神的に参ってしまった数年前のある時、二人の方からEメールを頂いたことを僕は忘れない。

 ネットゲーで出会った人と結婚したとか、オフ会で云々とか、そんな事例を持ち出すまでもなく、「人は、人」である。そのツールが何であろうが。
 ビールが進むせいで余計なことをさらに書けば、だ、昔の話で、文通的な文字的交流において関係が発展した、とかいうこともあったろう。コミュニケーションの本質と、ツールとの違いをはき違えてはならない。
 あー、くだらないが、補足して置けば、別に、対面コミュニケーションの重要性を否定するわけでもないのである。


 そういう意味で、前掲のシロクマさんは、奥さんもお子さんもいるとのことだが、ご自身のブログとの関係性はどうなんだろうか。要するに、知られているのだろうか。その辺がよく分からないし、興味がある。

 もっといえば、他の私と交流してくださっている方々はどうなんだろうか。様々な立場の方がおられると思う、が、リアルの人たちにも教えているのだろうか、どうなんだろう。

 いやまぁそれを知ったところで僕がどうこうするわけではないが、付き合い方というか、距離の取り方というか、なんというか、上手く表現できないけれども、参考にしたいという思いはある。
 思う、が、僕はやっぱり、知られたくはないし、積極的に開示する気にもなれない。

 何故なら、「思考のプロセス」のメモなのである。
 ゆえに、結論ではないのだ。

 ああ、なんというか。
 その、「ゼロ秒」なのである、本当である。僕は、これだけの長さの文章を、考えて書いているのではないのだ。いやまぁ、当たり前か、考えたらこんな冗長な文章は書けなかろう。
 だがそれゆえに、思考スピードも、あとから読んでも分かるし、何故そう考えたかも分かる。そういうことは意識しているつもりである。つまり、思考トレースだ。追跡。追いかけている、復元できるように。なぜ? 人は忘れるからだ。

 センター試験前の、冬の、寒い部屋で石油ストーブの燃える音と、結露が生じる窓。机に向かって勉強する自分……いや勉強じゃない、日記だ。文字を書いていた。不安や不満を。
 そんな感情や感覚は、決して、きれいな文章では分からないのだ。
 文字の乱れや、無駄な表現、改行、改ページ、ああ、そんな無駄を含めて、思考なのだ。


(かっこ書きである。あのさー、このブログに甘えるの、やめようって、先日書いてなかったっけ。ブログ、何だぜ? クローズドなSNSではないんだよ? その辺分かってる? 分かってる。と思う。先日も書いたけど、東京で暮らしていると、ほんと、めっちゃ人多いで。なんでこんなに人がいるんだろうと思う。そして、こんなに大勢の人がいて、みんな孤独なんだ。いや、嘘ごめん。「孤独な人もいる」程度だろう。みんな、多くは友達やら恋人やら親や家族やらで囲まれているんだろう。でもさ、孤独な人も、いるよね、って、思う。で、さらに、「生きる意味」に疑問もったり、目の前に立ちはだかる障害に困ってる人も大勢いると思うんだ。俺も仕事で一個非常に困ってる案件があるよ。それでも、「生きる」って選択を、多くの人はしているわけだ。それは尊い。尊いがゆえに、つらいことでもある。だから、そんな直面した問題や課題に対して、「思考」という方法で検討する術を、僕は表現できたらいいなと思う。まーその、現実、使ってみると全く役に立たないわけだが(かっこわらい)。でもそりゃそうなのだ、これは、非常に限定的な個人主義というか、実存主義なのである。普遍的に適用できる思考など、ありゃせんのだ。だから、故に、価値がある。文字を書く人、創作をする人は、その意志だけで価値があるのだ(明日か、それ以降で、もうちょっとまともな精神状態で冷静に考えて書きたいものだ))

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つまり、コメントが欲しい、と
 黒歴史という言葉の発祥となった、∀ガンダムでも、その扱いは人や立場それぞれによって思うことの違うものでした。
 「あってはならないものだから封印された」と考える者もいれば、「いずれ必要とされるから保管されていた」と考える者もいたことでしょう。

 過去の言動や思想を黒歴史だと感じるということは、まず「そういう過去と向き合った」という部分が起点なのだと思います。
 自分の過去を振り返り、恥ずかしいとか、稚拙だとか感じるということは、それそのものが自分自身の変化を実感するものですから、良く言えば「成長した」と考えることもできます。そして、その実感や黒歴史だと思うことそのものが「それが自分の歩んできた過去である」と認識している行為でもあると言えるでしょうね。
 「恥ずかしい」とか思うということは過去の言動などをそう感じるような変化を経たということですからね。
 同時に、今はそうではないけれど、過去のその時、その瞬間には、黒歴史となるような言動や文章にもそれを発するだけの思いというものは確かにあったのだと思います。そうでなければ、後に黒歴史だと思ってしまうようなものを出力することがそうあるとは思いませんから。
 赤面したり身悶えしたりすることになっても、出力されたそれは過去の自分のその瞬間の記録としての価値はあると思います。

 話は変わって。
 ネットワークが普及し始めた頃は、「リアルとネットは違う」という風潮でしたね。
 今はネットワーク機器が普及して、多くの人がSNSや情報発信するようになりました。
 状況が変わってはきていると思いますね。

 ちなみに私は、自分が創作活動をしていることは家族に言っていますし、ウェブサイトやブログを持っていることも知られています。同じく創作活動をすることのある兄や妹、友人たちにはサイトやブログのURLを教えていて、手がけている作品や構想段階の設定についてあれこれ話をすることもあります。
 ただ、父や母といった親世代にはサイトやブログのURLや作品については教えていません。隠していて、どうしても見せたくない、とまでは言いませんがやはり「親に見られるのは気恥ずかしい」という思いが強いです。


 ついでに追伸:サイトの方の掲示板に接続できなくなっていますが、何かあったのでしょうか? 不具合報告のようなものを書き込んでいたので、確認してもらえているのかやや不安です。
黒歴史は変化である
白銀さん、コメントありがとうございます。

黒歴史、∀ガンダム由来だったのですね。教えていただいて初めて知りました。由来知らずに使われる日本語って多いですが、エンタメ源泉ってのは面白いなぁと思います。

本記事で僕は、黒歴史もなかったことにしちゃいけない、と感覚で書いていましたが、白銀さんのコメントで気づきました。
黒歴史を黒歴史として認識できるのは、確かに、変化であり、肯定的に表現すれば成長なんですね。

リアルとネットについて。
状況は変わっているのかもしれませんね。
ただ、年配の人へはまだ浸透していないのかなぁと感じる場面はあったりします。まぁもう自分もよいい歳なんですが。
それと、Facebookやなんなりと、匿名性があるものとは、同じネットを介したコミュニケーションでも、大きな違いがあると思っておりまして、昨今は前者の、リアルの延長としての利用が多いのかなと。でも自分は、匿名性のあるネットにも価値を感じています、というより、そっちの方が大事かなと。リアルですぐ会える人とわざわざネットでまで付き合う必要もないかなと、……そこまで書くと極端かもしれませんが。

閑話休題。

創作活動について、周囲にもお話しされてるんですね。理解がある方々が周りにいるというのは、素直に羨ましいなぁと思います(笑)
ただそれは、理解を得られるよう努力された結果なのかもしれませんね。

じっくり考えてみると、そもそも僕は、理解を得ようとも思ったことがないかもしれないと思いました。逆に、歯の浮く台詞を書けば、白銀さんや他の多くの方々との交流で満足していたからなのかもしれません。

追伸の返信
ご連絡ありがとうございました。メールもお送りしましたが、やはりダメそうなので掲示板新しく設置し直しました。恐れ入りますが、不具合報告など、直近の書き込みなどございましたら、改めて書き込みいただければと思います。
  • 遠藤 さん |
  • 2018/10/12 (19:48) |
  • Edit |
  • 返信
リアルとネット
 実名登録とそれの開示を要求してくるフェイスブックのようなSNSと、実名を開示しなくても良いSNSとではまた感覚や意識に違いはあると思いますね。

 私の場合はそもそも、友人が小説の執筆を始めて、それに影響されて私も書き始めた、という経緯があったので、同世代の親しい友人たちは創作活動そのものに興味や理解があり、互いに知っていて、その内容や設定について言い合うこともある、という感じになっています。
 元々私自身、子供の落書き的な漫画を気まぐれに描いたりもしていましたし、兄や妹もそれを見たり自分で描いていて見せ合ったりしていたりもしましたから、創作活動全般において教え合ったり見せ合ったり話したりというのが抵抗なく出来たという背景もあります。
 努力した、というよりも近しい感性やそういうものに理解のある人たちばかりと友人になっていた、というだけのことかもしれません。
 親しい友人たち以外の同級生とかには割と変な目で見られていたように思いますし。
 親世代については、そもそも父が趣味でクラシックギターを弾くような芸術方面に理解のある人間だったというのもあると思います。私は音感さっぱりでクラシックも別段興味あるわけではないんですが。
 強いて理解を得ようとした、ということがあるとすれば、高校・大学の進学付近の時期に「小説家になりたいという思いがある」と打ち明けたことがある程度です。

 ネットの世界だと、リアルよりもそもそも興味のある人しか寄り付かないような構造になっている気がするので、必然的に交流する相手、交流が続く相手というのは気の合う人や理解のある人たちということになりますよね。
 それがネットの魅力でもあるわけですけれど。
多様化と尖鋭化
白銀さんこんにちは。

>親しい友人たち以外の同級生とかには割と変な目で

こういう風潮、ありましたよね、やはり。
最近(といっても数年前)驚いたのは、資格試験のためにどこか都内の高校にいったとき、その掲示板に、ラノベや漫画などの紹介や記事が目立つように掲載されていたことでした。
学校によるのかもしれませんが、私のいたところでは全然そういったものを見かけませんでして。


>ネットの世界だと、リアルよりもそもそも興味のある人しか寄り付かないような構造

メリットでもあり、デメリットでもあるところですね。ネットばかりだと視野が狭くなるという指摘は完全否定は難しそうに思います。
ただ、現代は「興味」の幅も非常に多彩でより深くなっているように感じますので、そういう点から、ネットにおける交流というのは、より生活と切り離せないものになっている気がします。逆に言えば、ネットによって多様化が広がったとも考えられそうですけれども、それはそうと。

追伸
白銀さんの最新作、間髪いれずご投稿お疲れさまでした! 早速読み始めてます。
  • 遠藤 さん |
  • 2018/10/20 (14:59) |
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