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日々変化する
2020/05/08 06:12 | Comments(5) | 思考及び書くこと
今日の一言「フラットな状態とは」

まえがき

 身体的・精神的に落ち着いてきた、と先日書いた気がしたが、また落ち着かなくなった。
 思うに、おそらく、「フラット」という状態が、もはや幻想なのではないかと思った。

 つまり、僕が「落ち着いた状態」と望む状態というのは、現実的には存在しないものなのではないか、ということだ。
 よくよく思い出してみると、学生時代は、ほぼ毎日のように新しいことに出会っていた。
 そもそも学校の授業、という意味であれば、単元は毎日進む。かつ、家での勉強というのも前提とされていた。予習復習大事、よく聞いた言葉だろう。

 そう思えば、勉強は「きりがない」ことの筆頭選手だったはずだ。
 何せ、たとえクラスで一番点数が良いとしても、学年ではまだまだかもしれないし、他の学校も含めるとまだまだ、まだまだかもしれないし、全国と比べたらエトセトラ、である。

 世の中、そもそも、「ゴール」というものがなかったのだ。

 にも関わらず、人生のゴールというものを定めようという僕のこのブログの目的は(そうだったのか)、あまりにもナンセンスではなかろうか。

ゴール

 ただし、まぁ20代ぐらいであればいざ知らず、最近ここ数年の感覚として、「完璧なゴール」というものを、本当に想定しているわけではないだろう。
 日々の生活の中で、少しずつ成長と貢献をしていく、漸近的なモデルの提唱を、どこかで書いた気がする。

 しかし、例えば創作活動においたとしても、僕は、絵が描きたい。もっといえば、オープンワールドゲームのような、3Dモデリングとかしたい。もっと世界を創造したい。

 が、それは間違いなく、アウトソーシング(外部委託)したほうがよいだろう。
(いや、言い切らないほうがいいかもしれない、ただ、ここで言いたいこととしては適切)

 土台になる知識・技術は必要だが、人はみな、得意なことを伸ばすべきである。
 であるからにして、人は協力したほうが、すばらしい作品を生み出せるのだ。


 ということから考えると、やはり、「ゴール」というのは明確に定めるべきだと思われる。
「何を伸ばすべきか」を見据えなければ、自分に足りないこともわからず、アウトソーシングもできないからだ。


エレファント・テクニック

 ゴールは大事だ。
 だが、それを定めること自体が難しいことは往々にしてある。

 ゴールが決まっていれば、次は、それを実現する手段を選定する。
 手段が分かれば実行する。

 ゴール(目的)→手段選定→実行

 この流れで我々の活動は決まる。家族内行為でも、創作活動でも、仕事でも、何でもそうだ。

(例)
 部屋を綺麗な状態に保つ(目的)→掃除機をかける・食器を洗う→実行



 だが、ゴール自体がはっきりしないことは多い。
「利益を上げる」
 これは、目的といえば目的だが、こっから、手段を選び取るというのは、それ自体が困難だ。

 そういったときは、目的自体を、小さな目的に分割していく必要がある(エレファント・テクニックというらしい)。まず、利益とは、どのステークホルダのものなのか定義していった方がいいかもしれない。たいてい「自社」なのだろうが、顧客側の利益を上げるのか。

分割自体が目的でもよい

 と、いった、全体的な視点というのは大事かもしれないが、そもそも、僕らは歯車でもある。

 日本国憲法の第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。この憲法が保障する生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とされている。

 個人として尊重されるのが、基本的人権のうんたらというやつだ。

 だが、見方をかえれば、歯車に過ぎない場面は多い。素晴らしいアニメ作品があったとして、しかし、その下支えする人たちは、歯車かもしれない。もちろん、蟲師のDVD特典のメイキングであったように、作画、撮影、音響それぞれの人たちが、それぞれの個性や能力をいかんなく発揮して素晴らしい作品ができあがっている。それでも、あえて厳しい、マイナスな言葉を使うとすれば、「歯車」である。交換可能だ、代替可能な部品だ。

 ――言い過ぎである、おそらく、「その人」でなければ、素晴らしい作品(-10ポイント)ぐらいになってしまったかもしれない。そのマイナスポイントのせいで、素晴らしいけど、ちょっと惜しいかなという作品になったかもしれない。



 だから、「歯車」という言葉は適切ではない。
 ゆえに、自分の持ち場を責任もって守る、最大限能力を発揮する、というのも十分有意義である。

言いたいことに辿り着かない

 時間切れが近づく。
 いやだからなので、上の小見出しでの主旨は、目的を定めて、手段を選んで、実行するという一連の流れを常に意識する必要はなくて、ただ、「実行する」というだけでもいいはずだ、ということだ。(たぶん、そういった思いで書き始めた気がする)


 ただし、そうはいっても、こと、自分の人生、ということにおいては、決して、ただ実行だけではなく、手段を選ぶだけではなく、その目的を、しっかりと見据えたほうがいいのではないか、と、僕はもうかれこれ10年ぐらい思っている気がする。

 もしかすると、20年ぐらい思っているのかもしれない。

あとがき

(かっこ書きである。ニュースで、パチンコ店の休業要請云々が昨今流れる。僕は(政治的なことは書かないが)パチンコは賭博だし、賭博は法律でダメってなってたはずだし、全部廃止でよいと思っている。タバコについても同様だ。ただ、これは僕は単なる僕の価値観に過ぎないと思っているし、パチンコが人生の目的という人でも、何ら構わないと思う(そういう人と付き合いたいかというのは別の話)。ただそれは、確か香川県だった気がするが、ゲーム禁止条例とか、そういったバカげた方向に世論が傾くことがないようにしないといけないから、パチンコも仕方がないね、という立場をとらざる得ない、ということである。大事なことは、ゾーニングだと思う。触れなくて済む権利、というのはあると思う。ただし、ゾーニングの土台にあるのは、自分の興味のないことに対する「理解」である。知らない人、知らないことに対する共感や理解の立場というか、スタンスがないと、ゾーニングは心理的な分離となり、敵味方に分かれていき、争い(他の排除)に発展していくだろう。ちなみに、上の禁止条例を「馬鹿げた」と表現したのは言い過ぎなのかもしれない。1日のうち24時間すべてをゲームに当てていては死んでしまうから、ほどほどに、熱中してもいいけれども、分別をもつようにしましょうね、と。特に子供たちは、その分別(どこまでが適切かの判断)が難しいから、親や地域社会が補助してあげましょうね、と、そういった心構えを定める条例なのかもしれない。そういうんならまだいいかもしれないけれども、ただ、そもそも僕らの行動を制限するようなルール(法・条例)なんかを設けることは基本反対である。いやもちろん、海外から帰国者で、検査すら拒否して、結局後からウイルス陽性だったとか馬鹿げた人がいるような国だから、規制というのは必要なのかもしれない。ただ、その規制というのは、生命に危険が及ぶ場合など、物理的――といえばいいかよい表現が浮かばないが、安全が脅かされるような場合のみに限るべきだと僕は思う)

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コメント

 香川の条例については、条例という「強制ではない」ものと銘打ってはいますが、未成年はゲームだけでなくスマホいじりも1日1時間に制限するべしというものを家庭に推奨させようとしているもので、細かいところを曖昧にぼかしているせいで、「友人とのメールやLINEのやり取り、勉強絡みでネットで調べもの」さえ規制対象になったり、条例の制定によってゲーム開発者などのメーカー側に配慮を求めたり(香川県民は1日1時間にしましょう表記をさせるとか、実際にアイドルマスターでは香川出身でゲームが趣味のキャラが別県に移籍するなどしてるようです)と、今の時代にとっては害悪しかありません。
 正直言って常軌を逸しているというか、ゲームに対する差別意識が強過ぎるものなので私は単純に「馬鹿」以外の何者でもないと思っています。
 もっとも、それ以前にあの条例を提案し推し進めた議員が何やらどこぞの病院だか研究施設だかでゲーム依存症を病気認定することで得られる利権云々があるとか何とかで、条例制定もそれによって何かしら得られる利益があるらしく、ゲームに対する偏見もあるのでしょうが、それを成立させることで新しい「美味い汁」が出来上がるようで、もう色々ダメな感じです。
 議会に提出された有権者の意見的なものも、捏造かつサクラによる仕込みや自作自演(賛成意見が見事なまでにほぼコピペみたいなものばかりで提出時間が数分置きだったりと雑)だったりと、調べてみると粗が出るわ出るわ。
 ちなみに香川は最終的にネットはおろかテレビも新聞も含めた「ノーメディア」を目指しているなんて話もあるようで、そういう議員は本気で何考えてるんだろうと思ってます(いやまぁ自分の利権しか考えてないんだろうと思いますが)
posted by 白銀URLat 2020/05/08 17:16 [ コメントを修正する ]
> 世の中、そもそも、「ゴール」というものがなかったのだ。
>
> にも関わらず、人生のゴールというものを定めようという僕のこのブログの目的は(そうだったのか)、あまりにもナンセンスではなかろうか。

くそワロタwww
元も子もないやないかwww


> そういったときは、目的自体を、小さな目的に分割していく必要がある(エレファント・テクニックというらしい)。

そもそも何のためにゴールを定めるのかについて考えると、自分の場合は満足感を得るため(これは生き方の問題)なので、そのうえでゴールを定めますね。満足できないような効果のないゴールに対して頑張るのってしんどいからね。

やっぱ、ゴールを語るなら「何が欲しいか」がまず前提にある気がするんですよね。(私の価値観的に)


>1日のうち24時間すべてをゲームに当てていては死んでしまうから

(12時間連続をこえて長時間やる前提)ゲームやっている間って緊張状態が続くから、だんだん、胸が痛くなってきたりする。ゲームやって死ぬっていうのもわからなくもない。マンガ読んでたり、アニメ見たりしているときにはこの緊張状態っていうのがないから、ゲームぶっ続け24時間よりはましだったりする。緊張状態が続くのは本当に良くない。そう・・・職場での長時間労働とかね・・・
posted by いみふat 2020/05/09 08:20 [ コメントを修正する ]
 白銀さんコメントありがとうございます!

>香川の条例については、条例という「強制ではない」ものと銘打ってはいます

 本旨と外れますが、条例でも罰則規定付きのものはあるので、条例だから強制ではない、ということではないことを書かせてくださいすみません! これを機に条例全文読んでみましたが、確かに罰則規定がないので、強制力はなさそうだなと思いました。ただ、条例であっても懲役になるものもあるので、今後の動きも気になるなぁということで……。


>未成年はゲームだけでなくスマホいじりも1日1時間に制限するべしというものを家庭に推奨させようとしているもので、細かいところを曖昧にぼかしているせいで、「友人とのメールやLINEのやり取り、勉強絡みでネットで調べもの」さえ規制対象になったり、

 え、そんなこと書いてるんか?! と思って読んでみると、確かに第18条第2項で規定されてますね……。学校等の休業日にあっては90分まで、とか、ちょっと笑ってしまいました。ただ、県側の肩をもつわけでは全くありませんが、一応条項としては「子どものネット・ゲーム依存症につながるようなコンピュータゲームの利用に当たっては」となっているので、勉強がらみは多分含まれないと思われます。オンライン授業とかも言われているなか、それらまで規制したら流石に時代に逆行しすぎですよね。
 とはいえご指摘のとおり、そもそもその区別をどのようにするかという具体的な問題もあるでしょうし、曖昧さはその通りと思います。


>条例の制定によってゲーム開発者などのメーカー側に配慮を求めたり(香川県民は1日1時間にしましょう表記をさせるとか、実際にアイドルマスターでは香川出身でゲームが趣味のキャラが別県に移籍するなどしてるようです)と、今の時代にとっては害悪しかありません。

 そんなことまで起こってるんですか(笑)。


>もっとも、それ以前にあの条例を提案し推し進めた議員が何やらどこぞの病院だか研究施設だかでゲーム依存症を病気認定することで得られる利権云々があるとか何とかで、条例制定もそれによって何かしら得られる利益があるらしく、ゲームに対する偏見もあるのでしょうが、それを成立させることで新しい「美味い汁」が出来上がるようで、もう色々ダメな感じです。

 第19条で、「必要な財政上の措置を講ずるよう努める」とばっちりありますしね!
 フィルタリングソフトウェアというのも随所出てきますので、そこらへんも利権になるんですかねぇ。


>議会に提出された有権者の意見的なものも、捏造かつサクラによる仕込みや自作自演(賛成意見が見事なまでにほぼコピペみたいなものばかりで提出時間が数分置きだったりと雑)だったりと、調べてみると粗が出るわ出るわ。

 そもそも、国民県民はパブリックコメントなんてそんなに興味がないものです(かっこ笑い。ということがそもそも良いか悪いか別として)。にも拘わらず、大量に(コピペ)コメントがあったんですよね。ひどい話ですが、なんか氷山の一角的な感じで怖いですね……。


>ちなみに香川は最終的にネットはおろかテレビも新聞も含めた「ノーメディア」を目指しているなんて話もあるようで、そういう議員は本気で何考えてるんだろうと思ってます(いやまぁ自分の利権しか考えてないんだろうと思いますが)

 私、いつぞやかの記事で書いたかもしれませんが、こうしたことは、政治的な根本問題に思われます。要は、選挙大事だと思うんです。誰に投票しても意味がないとか、まぁそれは事実といえば事実なんですが、それ自体がおかしい。んで仮に、まぁ良識ある人に投票できたとして、その人が、すべての政策において、自分の価値観と合致しているかといえば、そうではない。そもそも価値観の一致なんて幻想なので当たり前なんですが、それはそうとして、極端な話、ゲーム禁止条例は、強力に反対してくれる議員さんがいたとして、でもその人は、漫画禁止条例を作りたいと思っていたりして(かっこ笑い)。そんな人はいないでしょうが、思うこととして、様々な政策があるなかで、相矛盾する可能性はある。そんなときに、誰に投票すればいいのか、非常に難しい。だから選挙活動では「公平公正な」とか「弱者救済」とか抽象的にならざるえなくなる。そうすると、誰に投票しても同じなんじゃ、と思ってくる。だから、間接民主制はもう無理なのかもしれない。それぞれの政策について、「賛成」「反対」ボタンを国民全員が押せるようにして決めたほうがいいかもしれない。そうすると、少数派が淘汰されるようになるから、工夫は必要だし問題は多い。でも、政治を「政治家」に任せることが絶対正しいのかということは考える余地はあるように思う。――と、政治的な話はこのブログでは書かないんですが、コメント欄だからいいかなぁ。

 話を戻して、「ノーメディア」ですか……。
 ちょっと、この記事で、価値観が合わない人への理解が大事、と書きましたが、揺らぎますね(笑)。まぁテレビはあってもなくてもいいと私は思いつつ、新聞も、というのは、なんかそういうことを考えそうな人たちとしては異質な気がします。新聞大事論者はなんか理解できなくもない。ノーメディアというのは、完全にディストピア作りたいと言ってるだけにしか思えないのですが……。
posted by endoat 2020/05/10 06:08 [ コメントを修正する ]
 イミフさんこめんとありがとうございます!

>> 世の中、そもそも、「ゴール」というものがなかったのだ。にも関わらず、人生のゴールというものを定めようという僕のこのブログの目的は(そうだったのか)、あまりにもナンセンスではなかろうか。
>くそワロタwww 元も子もないやないかwww

 そうなんですよねw
 いやこれ、冗談めかして書いたのですが、割と重要な問題な気がしてきた……。


>そもそも何のためにゴールを定めるのかについて考えると、自分の場合は満足感を得るため(これは生き方の問題)なので、そのうえでゴールを定めますね。満足できないような効果のないゴールに対して頑張るのってしんどいからね。やっぱ、ゴールを語るなら「何が欲しいか」がまず前提にある気がするんですよね。(私の価値観的に)

 ゴールを語るなら、何が欲しいかをまず語れ――なんかいい表現だなと思いました。
 私も、「満足感を得るため」が欲しいものなんだろうなと思います。具体的に、と考え始めて、……やっぱりここら辺の思考が足りてないなと今思いました。


>(12時間連続をこえて長時間やる前提)ゲームやっている間って緊張状態が続くから、だんだん、胸が痛くなってきたりする。ゲームやって死ぬっていうのもわからなくもない。マンガ読んでたり、アニメ見たりしているときにはこの緊張状態っていうのがないから、ゲームぶっ続け24時間よりはましだったりする。緊張状態が続くのは本当に良くない。そう・・・職場での長時間労働とかね・・・

 ゲームやってる間って緊張状態だったんですか!?
 ――でも確かに、対人的な奴だとそうかもしれない(FPSとか)。だから私あんまりオンラインゲームやらないんですよね……いやARKとか、オンラインゲームなんですが、あれ、一人でやってるんですよね(笑)。一人でこう、強い恐竜と戦ったり仲間にしたりするのが楽しいというか。対人戦になって負けたら悔しいし可愛い育てた恐竜が死んじゃったら哀しいし……、なるほど確かに緊張状態が続きそう。ただ、一人でゲームしてるときは(ゲームによるかもしれませんが)、そんなに緊張状態ではないかなぁと思いました。
 緊張状態が続くのが悪いというのは完全同意。長時間労働が続くのは是正されるべき(繁忙期に一時的にとか、それは必要と思われる。常態化や属人化している場合は異常)。
posted by endoat 2020/05/10 06:29 [ コメントを修正する ]

遠藤さんの選挙についてのコメントについて少し考えてみました。

>間接民主制はもう無理なのかもしれない。

・政治家はマニュフェストを守らない
・誰に投票しても変わんないから選挙に皆行かない

ここだけみると間接民主制は無理って思うわな。自分もそう思う。

でも、直接民主制もマジでくそだと思うよ。学生だった時にクラス全員で話し合いをして、まともな議論になったことってあります?会社での会議での意思決定のくそさ加減にうんざりしてないです?

少数での議論よりも多数での議論のほうが死ぬほど面倒くさい。

また、多数決の結果が正しいでしょうか。今のコロナ騒ぎについて、国民全員にアンケートして方針を決めるなんてことしたら大変なことになりますよ。

・専門知識の不足(専門家は限られている)
・大半の人は知性も不足している(というよりも、能力が高い人は少ないという意味)
・国民全員で意思決定するための膨大なコスト(システム投資や全員で議論するために国会で議論するよりも時間がかかるため、その時間コストなどなど)

これらを補うのはできないことではない、でも、社会に膨大なコストを強いる。それは現実的ではないから間接民主制なんだと思います。間接民主制は社会的コストが比較して少ない仕組みなんですわ。この労働者数が減っている時代に直接民主制みたいな不効率なことしないほうがいいとおもう。

もちろん今の間接民主制にもみんな思っているような問題があるからそういう話になるわけで、何が急所なんだろと考えてみた。


多分「政治家に対する監視機能」が圧倒的に欠如している。
既存のものは今の一般大衆(自分含む)にとって優しくないから、それだけだと難しい。

ここを何とかして、投票した政治家や政党が普段どんなことをしているか、きちんとわかって、それが投票結果に反映されるような仕組みを作り上げれば、間接民主制はもっと良くなるんじゃないかな。

とおもいますた。



posted by いみふat 2020/05/10 07:56 [ コメントを修正する ]

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